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  • 目ざめよ! 1973
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目ざめよ! 1973
目73 3/22 3–6ページ

明確に考える方法を学んでいますか

物事を明確に考えることは,人生で成功を収める主要な要因です。それには日常生活において,また決定を下すさい,計り知れない価値がありますし,それは時間や費用を大いに節約させるものとなります。

しかしながら,それよりもさらに重要なこととして,物事を明確に考える人は,そうでない不注意な人を容易に惑わす欺きや危険に陥らずにすみます。明確な見通しがあれば,さもなければ難問題と化す事がらや生活上の苦境となる事態に対処する助けが得られます。

多くの人が明確に考えることをしない理由

多くの人はわけもなく消極的な態度を取って,自分で考えるべきことを他の人たちに考えてもらうのを好みます。したがって,たいていの場合,思考の基本的な型は主として,人びとの住んでいる社会や世界によって固定されています。つまり,自分の周囲の人びとと同様の仕方で考えたり,行動したりするのです。このことは比較的重要でない生活上の事がらにさえ認められます。というのは,宣伝やマスコミが人びとの見方を牛耳っているからです。また,生活上の重要な分野に関しては,人びとは自分で考えるべきことを,おおかた他の人たちに考えてもらっていますが,それは戦時中に起きた事がらを用いて説明できるでしょう。

ある国が全国民を糾合して参戦しようという宣伝を行なう場合,たいていの人はその紛争に関係している問題をすべて慎重に分析して考えるでしょうか。それとも,考えるよう命じられていることをそのまま受け入れるでしょうか。第一次世界大戦について書いた故ウインストン・チャーチルはこう評しました。「それら温和な農民や労働者を,互いに相手をずたずたに引き裂く強力な軍勢に一変させるのに必要なのは,ただ一つの合図だけである」。さらに,チャーチルは,たいていの人びとは何をなすべきかを命じられると,何も考えずに答え応ずるものだと述べました。(「世界の危機」第6巻,93ページ)25年後,別の世代の人びとは,同様の考え方にみずからを委ねてしまったため,はるかに大規模な戦いである第二次世界大戦に陥りました。

多くの人びとはみずから考えるべきことを他の人たちに考えてもらったために,どんな結果を身に招きましたか。何百万人もの人びとが,多くの場合,自分たちの知らない問題のために異国の地で戦って死んだり,かたわになったりしました。しかも,今や周知のとおり,この世界の思考の型とそれが生みだした成果は,永続する平和を少しももたらしてはいません。事実,今日の世界はかつて有していたものよりもはるかに壊滅的な兵器で武装されているのです。

しかし,中にはそうした戦争の背後にある考え方に反対している人たちがいるのではありませんか。そうです,若い世代の多くの人びとは年長者たちの「考え方」に反抗しています。では,反抗する若者たちの見解は,彼らが見捨てようと努めているものよりも実際に多少でももっと明確ですか。あるいは,もっと満足のゆくものでしょうか。そうした若者の反抗は,何らかの真により良い状態に彼らを導いてきましたか。

一方の極に立つ世界の指導者たちの「考え方」と,他方の極に立つ反抗する若者たちのそれはともに,人間の考え方は永続する望ましい成果をもたらしてはいないことを示しています。もしかしてあなたは,『もしそうだとすれば,物事を明確に考えることなど,はたしてできるのだろうか』と問わずにはいられないように感じておられるかもしれません。

明確な考え方に必要な確かな目標

明確に考える方法を学ぶには,まず最初に人生の目的あるいは目標を持たなければなりません。それはなぜですか。

人生行路を歩み続けることは,旅行に出かけることにたとえられるからです。目的地が確かであればあるほど,旅行のルートは明確になります。たとえば,あなたがマドリード(スペイン)に住んでいて,東ドイツに行くとしましょう。それは非常に大ざっぱな目標ですから,おのおの異なった幾つかのルートが出てきます。しかしながら,マドリードから東ドイツのベルリンへ旅行するとなれば,旅行の経路として考慮できるものの数は大いに少なくなります。その旅行目標はもっと明確だからです。このように,人生の目標が明確になればなるほど,その人の考え方もいっそう堅実なものとなるでしょう。

とはいうものの,自分の人生の目標は何かを簡単明瞭に述べられる人はごく少ないことをご存じでしょうか。ニューヨーク市のシチー・カレッジのエーロン・レベンスタイン教授の述べた次のことばは,たいていの人の人生はいかに無目的なものかを強調しています。

「人びとは自分たちの現在の立場を莫然と理解してはいるかもしれないが,自分はどこに行きたいのかをきっぱりと決めることはできない。人生観というようなものを持たずに人生を過ごしてしまうのである。何らかの目標を首尾よく達成するということはない。なぜなら,人びとはそのようなものを決して設けないからである」。

レベンスタイン教授のことばは真実であるとはいえ,たいていの人が人生の目標を持っていないということは,ある程度理解できる事がらではないでしょうか。いったいこの世のどの分野にせよ,人間の考えを導けるような,永続する,納得のゆくどんな目標を人びとに実際に提供しているでしょうか。

一方,正真正銘のクリスチャンには,物事を明確に考える方法を身につけるのに不可欠な要素があります。それはどうしてですか。なぜなら,真のクリスチャンは,人生に目標を持っており,何にもまして神を喜ばすことに努めているからです。とはいえ,そうした目標ゆえに可能とされている,明確に考える能力を享受するには,クリスチャンといえども誠実な努力を払わねばなりません。まず,聖書を勉強する必要があります。神の義の新秩序におけるとこしえの命の報いについて聖書から学ぶのです。そして,神への愛と,神から差し伸べられているその報いを得たいとの願いに動かされて,神の高い道徳的要求に自分の生活を一致させ,『この世に效う』のをやめます。こうして,自分の生活の道徳上の事がらを改めます。そして多くの場合,そうした変化は自分の考え方を大いに助けるものとなり,不道徳な生活のもたらした不必要な重荷はその良心や思いの中から除かれてしまいます。―ロマ 12:2。

しかしながら,人生にただ一つの目標を置く人は,「開放的な」思いではなくて,「閉鎖的な」思いを持つようになるのではなかろうかと問う人がいるかもしれません。では,調べてみましょう。

普通,人が「開放的な」思いについてうんぬんする場合,それは単に,他の人びとの見方に対して寛容な人のことを言っているにすぎません。しかし,単に他の人の見方に対して寛容であるというだけでは,実際には考える必要はないのではありませんか。実際のところ,完全に「開放的な」思いというようなものは,とにかく何でも,下水をさえ通すパイプになぞらえることができるでしょう。自尊心のある人で,自分の思いをごみのようなもので汚されるのを欲する人はひとりもいません。ですから,人は取捨選択をする必要があります。自分の思いに取り入れるものをえり分ける必要があります。要するに,考える必要があります。しかしながら,あまり狭量で,あるいは偏狭で,自分の考え方を改善できる事実を考慮することをさえ拒むようになりたいとは思いません。

したがって,考え方に平衡を持たせる必要があります。「物事を狭く考えることも,広く考えることも,ともに必要である」とレベンスタイン教授が述べたとおりです。どうすれば,そうすることができますか。

正しい規準の益

提供される新しい情報を評価する規準を持つことによって,人は平衡の取れた考え方を身につけることができます。そうすることによって,人は自分の思いにはいって来るものを制御するとともに,自分の目標を達成する道からそらされずにすみますし,しかも価値のある新しい情報を締め出すこともありません。

この点でもやはりクリスチャンには,大きな助けを得る源となるものがあります。どうしてそういえますか。自分の考え方を導く確かな指針としての聖書があるからです。一方では,その思いは確かに「開放的」です。すなわち,芸術や科学を含め,人間が努力を払っているほとんどあらゆる分野から得られる新しい情報を受け入れることができます。そして,聖書に基づく規準に照らして,そうした新しい情報を正しく考量し,自分の思考の型に合わせて取り入れます。他方,聖書に基づいた自分の目標に全く反する情報に対しては,その思いは「閉鎖されて」います。そのような情報は,それ以上注意を払う価値のないものとして退けることができます。

物事を明確に考える人は,毎日,悪いもの,それに対して自分の思いが正しく「閉鎖されて」いるものを取り除いたり,遮断したりしなければなりません。本や,テレビやラジオの番組はもとより,公共の出版物や新聞雑誌から絶えまなく宣伝を浴びている今日,そうすることは以前にもましていっそう肝要です。

もちろん,今日出版されている多くのものは一見しただけで,注意を払うに値しないものであることがすぐわかります。たとえば,性的倒錯,不道徳,暴力行為などを称揚する小説や演劇またテレビ番組などはその例です。それらは劣情に迎合するものですから,その目的はたいてい,りっぱな考え方を思いとどまらせる,実際,無分別な情欲を奨励して人の思いを鈍くさせることにあります。

しかし多少の有益な情報を入手できる本や番組でさえ,注意を払う必要があります。そのようなものはしばしば,進化論のような実証されていない学説の影響をおそらく受けているためでしょうが,考え方の面でまちがった傾向をわずかに表わす場合があります。たとえば,育児,歴史,自然科学,考古学,医学,心理学,小学校の教科書などの一部の出版物,そして聖書のいわゆる参考書のあるものさえ,さまざまの問題を論ずるさい,進化論を暗にほのめかしたり,それを「事実」とみなし,その前提のもとに物事を論じたりしている場合があります。ここでも,読書にさいして,特に「開放的な考え」の持ち主は,悪影響をこうむらないようにするには,あるいは,まちがった教義を支持した1世紀当時のある人々のことが描写されたように,『精神的に病んだ』状態に陥らないためには,用心しなければなりません。―テモテ前 6:3-11,新。

あなたは明確に考える方法を学んでおられますか。もし人生に確かな目標を持ち,また自分の注意を引く新しい情報を判断する規準を持っておられるなら,あなたは幸先の良い出発をしたことになります。しかしあなたは,次のように言われるかもしれません。『わたしには確かに人生の目標や規準があります。しかし,わたしの考えをひるませるのは,そうした重大な事がらではありません。むしろ,日常の数多くのささいな事がらで下さなければならない決定 ― わたしを困らせるのはそのような事がらなのです。どのようにしてわたしの思考力を奮起させたなら,そうした日常のこまごまとした用事を最も能率的な仕方で処理できるのでしょうか』。

[4ページの図版]

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