ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目73 12/8 17–20ページ
  • 『金のりんごのごとく』

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 『金のりんごのごとく』
  • 目ざめよ! 1973
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • どんな目的で書くか
  • だれを対象にしているか
  • 表現の仕方
  • 聴衆に向かって話をしなければならない時
    目ざめよ! 1977
  • 啓発的な資料,明快に述べる
    神権宣教学校案内書
  • 関心を起こさせる序論
    神権宣教学校の教育から益を得る
  • 聴衆にとって情報豊か
    神権宣教学校の教育から益を得る
もっと見る
目ざめよ! 1973
目73 12/8 17–20ページ

『金のりんごのごとく』

『をりにかなひて語ることばは銀の彫り物に金のりんごをはめたるがごとし』。a これは賢い王であったソロモンのことばです。このことばの真実さについて異論を唱える人はまずいないでしょう。ちょうどよい時に語られた適切なことばは,銀に金を配した装飾にも似た,一種の美しい作品であるというのです。しかしながら,良い表現のためにどれほどの努力が必要か,そして,聞き手に対して最大の効果をあげるため,ことばの選択がどれほど大切かに気づいている人は少ないようです。

ことばは,情報や考えを人に伝えるために用いられるものであり,伝えるべき音信や理解してもらいたいと思う考えのある人は,自分の表現力を向上させることに関心を払うべきでしょう。人が聴いてくれるかどうかは,自分の考えをどのように表現するかによっても大きく左右されるからです。

さて,わたしたちすべてが知るとおり,文芸上の偉大な作品とされるものはそれを慕う人々によって繰り返し読まれるものであり,それはさながら,美しい曲が繰り返し演奏され,その旋律が聴き手の脳裏に刻み込まれるのと同じです。はやい例としてシェークスピアがありますが,英語国民ではなくても,教育のある人ならたいてい彼の作品について知っています。さらに,たいていの人は,自分が読んで楽しかったことを覚えているものです。それで,自分の主張の正しさを立証し,あるいはだれかに何かを納得させたいと思うなら,これら今日に著作を残す人々と同じように効果的なものの言い方ができるよう努力してみるのがよいでしょう。

偉大な文芸批評家としても知られるローマのホラティウス,ギリシャのアリストテレス,英人サミュエル・ジョンソンなどは,他の人々の優れた作品を研究して,それが忘れがたい読み物とされる理由を調べましたが,その見いだしたところはわたしたちにとって大きな助けとなります。

まず初めに,上手にものを書くのは決して易しくない,という点ですべての意見が一致しています。努力なしに書かれたものは概して楽しみなしに読まれる,とサミュエル・ジョンソンは語りました。さらに,全く職務上の報告でもしているのでないかぎり,単に事の次第を告げ,あるいは何かの事実を伝える以上のことをしなければならない,という点でも三人の意見は一致しています。つまり,人の心に触れるものを持たねばならないのです。

そのためには,自分自身の態度がいちばん大切です。わたしたちはその主題にほんとうに関心をいだいていますか。相手に痛みを感じて欲しいと思うなら,自分自身がまず痛みを感じなければならない,そうすれば自分のことばには真実さがこもるようになると,ある作家は語りました。読み手をその場の人にならせ,楽しませ,情感をいだかせ,さらには衝撃をさえ感じさせることによって,その興味をとらえ,感情をわき立たせることができるのです。

そのためには幾つかの基本的な点を銘記しておかねばなりません。すなわち,それを書くことの目的,自分が語りかける相手,そしてどんな表現法つまり文体を採用するかという点です。

どんな目的で書くか

読み手を楽しませ,おもしろがらせることを目ざしているのであれば,複雑な科学上の問題を,科学知識をそれほど持たない相手に説明する場合とは大いに異なったスタイルを用いることになるはずです。同様に,重大な宗教上の真理を聞き手に納得させようとしている人は,聞き手が通路に笑い転げるような話し方を選ばないでしょう。

しかしながら,教訓を目的としたものが必ずたいくつなものになり,虚構的な物語が大切な真理を伝ええないと考えるなら,それは誤りです。一定の情況下に典型的な,そして読者の共感を呼ぶ人物を設定し,こうして社会に内在する不正に人々の注意を向けさせて,社会に大きな衝撃を与えた小説類は多くあります。

ストウ夫人が「アンクル・トムの小屋」を書く前から,人々は奴隷制度の悪を知っていましたが,この本を読み,アンクル・トムの苦しみを知り,アメリカにおける黒人奴隷の悲惨な境遇を理解してはじめて,人々は行動を起こしたのです。

反面において,知識を伝えるために書かれたものもたいくつである必要はありません。この点を示すものとして,何年かまえ英国BBC放送の天文解説者として親しまれた人は,夜空に関する自分の話を,ほとんどいつも,自宅の庭のことや,そこに植えたレタスにうさぎが何をしているかというようなことで始めました。そして,その話の間じゅう,自分の話している事と多少関係のある軽い冗談や物語をいろいろと交え,こうして,科学的な思考に慣れていない聴衆の関心を引き付けました。

事実を伝えることが主要な目的であるにしても,人々がそれを知りたいと思うような方法でそれをしなければならない,ということが彼の着想でした。そして,聴き手の大部分は,いわばその科学上の波長の上に乗っていませんでしたから,それに応じて自分の話し方を調整したのです。

だれを対象にしているか

そうです,だれに語りかけているかは大きな相違をきたします。年老いたおばのからだを気づかって書く手紙と,自分の雇い主となるかもしれない人に仕事に対する自分の資格を述べる手紙とでは,そのスタイル,調子,配語法が大いに異なったものとなるでしょう。後者の場合には事実を述べることが大切であり,前者の場合には暖かい人間的な感情をこめることが必要です。

おもに男性を対象にして語っていますか。それとも,婦人や子どもも関心を持つことを願っていますか。また,いろいろな国の人を相手にしていますか。率直に言って,すべての人の求めを同時に満たすことはできません。また,一定の話題を特に好んでいる人たちもいます。それでも,専門的な論題にさえいろいろな人に広く訴える要素を加味し,こうしてより広範囲な人々をとらえることは可能です。

いろいろな国の人に語りかけているのであれば,ぜひともいろんな国の例を使うのがよいでしょう。基本的な問題に対する見方でも世界の場所によってさまざまに異なっていることを忘れないでください。一例として,不道徳な行為に伴う危険について若い人々に説得する場合のことを考えましょう。もとよりわたしたちは,未婚の母親がかかえる恥辱についておとめたちに思い出させることでしょう。しかし,アフリカ大陸のことも考慮に入れたでしょうか。そこでは普通,不妊でないことの証拠として,結婚前に子どもを産むことが若い娘に求められているのであり,これは恥辱であるどころか,誉れとさえされます。娘が子どもを産むまではその娘と結婚しないという男子が少なくないのです。このように考えている人が幾千万人もいるのであり,論議を進めるときにはその点も考慮に入れなければなりません。

別の例は科学技術的な問題を扱った記事を書く場合です。高度の科学知識を持つ人々だけを対象とし,その参考とするのでないかぎり,事実や数字だけをぎっちり並べた記事を書いてもほとんど役だちません。特に初めの数節についてはそうです。婦人はほとんどいつも,数字のいっぱいはいった記事を,何かのやっかいものを見るかのようにして避けるようです。婦人だけを対象とした雑誌を少しめくってみれば,この点はすぐにわかるでしょう。婦人が好む数字は編み物の編み目に関するものだけなようです。工業技術よりも人間関係に重きを置くアフリカその他の国の人々は,純粋に科学的な情報を吸収しにくく感じます。そして,正直のところ,数式のいっぱい詰まった本を手にしてほくそえみ,「なかなかよく書いてあるじゃないか」とつぶやく老数学教授と楽しみを分け合える人は,わたしたちの中に多くいません。

一例として,アフリカのコスウダムに関する手紙を書いているとしましょう。おそらくわたしたちは,近くの村に住み,これまでは水道も電気もなかった人々,そのダムによって多くの恩恵を受ける人々に対する読み手の共感を引き出すことから始められるでしょう。あるいはその逆に,水を媒介として伝染する病気の増加による住民の悩みという,このダムのマイナスの面を指摘して,読み手の心配をさそうこともできます。そののちに,ダムの長さや深さ,何トンの漁獲が見込めるかなど,やや消化しにくい事項をはさんでゆくことができるでしょう。

こうして読み手の関心をとらえてからは,それをしっかりと保つことがわたしたちの願いですが,それができるかどうかは,物事をどのように表現してゆくかに大きく依存します。

表現の仕方

まず,自分の持つ情報をどのような形式で伝えるかを選択できます。物事を簡明率直な記録ふうに書き,事実そのものに語らせるのは一つの方法です。あるいは,プラトンやアリストファネスが行なったように対話の形を用い,それぞれの人物に異なった見方を代表させながら自分の考えを提出してゆくこともできます。さらには,戯曲や物語を書き,その中のさまざまな登場者の結末を描いて,一定の問題に対する自分の考え方を示せます。ドラマの場合には,ステージ上のコーラスが,演技による大筋の展開に伴って,主要な点を解説してゆく形を取ることもできます。これはギリシャ演劇の手法です。演技や動きそのものに語らせるほうが効果的な場合もあります。また,優れた作品の中には,全体が詩の形を取っているものもあります。ヨブ記はその一例です。

第二の点として,どんなことばを使うかによって,相手に与える影響は大きく異なります。文芸批評家はみな一致して,簡潔な,しかもなお変化のある表現を勧めます。アリストテレスは純正さと明快さを重要なものとし,ホラティウスは,絵の具つぼや足の幅もあるようなことばを捨てるようにと新進の作家たちを痛烈に戒めました。これは,あまりに華美な飾りことばや,学識をてらうような長い複雑な言いまわしを避けるようにという意味でした。

自分のことばを飾ろうとする気持ちが働くとしても,簡明直截な文章に勝るものはありません。あまりに手の込んだことば数の多い表現は読む人をまごつかせ,投げ出してしまおうという気持ちをさえ起こさせます。ヨハネの記したキリストの伝記を例にして考えてください。それはまさに簡潔さの見本です。その文体と語彙は,ヨハネがそれほど教育のないごく普通の人であったことを示していますが,それでも彼の書いたものは,四つの福音書の中で最も感動的なものと評価されています。

簡潔にするための第一の要素は,手短かに述べることです。しかし,手短かに述べるということは意外に難しいものです。フランスの哲学者パスカルは,「時間がなくて短くすることができなかったためこの手紙はいつもより長くなってしまった」と友人に書いています。また,年老いてからのホラティウスは,手短かに述べようとするときにかぎって自分の知力の鈍りを意識すると,やや悲嘆気味に述べました。

それでも彼は,わたしたちがどうしたらそれを行なえるかについて,たくさんの優れた考えをいだいていました。まず初めに,余分な語句や反復的な言いまわしを除いて,いわば“ぼやけ”をなくすることが必要です。必要な情報がすべてそろっているべきですが,それはまた引き締った形で提出されねばなりません。明快さは,考えの骨組がむきだしになるまで衣をはぎ,ひとりで舞台に出る人が大ぜいの人といっしょに出る場合以上に衆目の注視を浴びるのと同じように,主要な考えをはっきりと目だたせることによって得られます。

しかし,世に知られた著作家の唱道するこの簡潔さ,また手短かな表現ということは,その表現のしかたに変化を持たせえないということではありません。意味深いことばに欠けることはなく,興味深い表現法に不足することもないからです。聖書を例に見ても,そこにはいろいろと異なったスタイルのひな型があり,わたしたちはそのあるものを手本とすることができます。

詩篇の詩的な語法があり,ハバクク書の劇的なスタイルがあります。炎のような剣,いなびかりにも似た槍など,生き生きした比喩的描写に富んでいるのはナホム書であり,含みの多い警句を駆使しているのは箴言です。実務的,具体的に記述を進めるヨナ書があり(もとよりヨナはその記述を潤色する必要はありませんでした),また,会話的な日常語で語られたイエスのたとえ話があります。偽りをあばくさいには,コリント人への手紙の中で,「優秀な使徒たち」を擁立しようとするコリント人の忘恩ぶりを暗に指摘した使徒パウロのように,反語法を用いるのも一法です。

言うまでもなく,わたしたちがどんな動機をいだいているかが大切です。自分の使うことばが,読む人に,その人生観に,その行動に,その対人関係にどのような影響を与えるかを自問できるでしょう。自分の書く事がらによって人の心に健全な考えを鼓舞しようとしていますか,それともよくない考え方を推し進めようとしていますか。不道徳な人物を英雄にまつり上げて悪行の口実を求めたり,聖書と相いれない理論の裏付けを求めたりしていますか。

どんなに巧みに書かれたものであっても,健全な道徳律と相いれない考えを推進するものであるなら,それは真のクリスチャンを喜ばせるものとはならないでしょう。事実,そのような書物は危険でさえあります。巧みに書かれたものであるなら,人を惑わして誤った考えをいだかせ,健全な書物が与えるのとは逆の影響を及ぼすからです。

すべての点を述べたのち,最後に残るもの,それは,テレンティアヌス・マウルスがかつて述べたとおり,『読み手にかかって』います。最後の例として,おりにかなった適切なことばの価値を深く認めたあの有名な王の場合を取り上げましょう。彼は全時代を通じて最も美しい愛情詩の一つとされるものを書きましたが,それはうら若いいなかのおとめに対する彼の求愛を歌ったものでした。彼はそのシュラミの娘を暁になぞらえ,月のように美しく,太陽のように輝かしいとたたえます。しかし,その美しいことばすべては彼に何を得させたでしょうか。何をも得させなかったのです。

おとめはすでに羊飼いの若者と恋仲にあり,ソロモンのどんなことばもその心を翻らせるものとはなりませんでした。シュラミの娘に対するかぎり,ソロモンのささげた時間と美しいことばは無為に終わりました。したがって,大切なのは,時を選ぶだけでなく,人を選んで,適切なことばを語ることです。

[脚注]

a 箴言 25:11。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする