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  • 聖書の真理に代わるものはない
  • 目ざめよ! 1974
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  • 12年後に
  • ベトナムで戦った兵士の証言
目ざめよ! 1974
目74 12/22 24ページ

聖書の真理に代わるものはない

12年後に

● 「さる7月末に開かれた,エホバの証人の東京府中大会の3日目,わたしは一人の男の人に呼び止められましたが,その人のことが全く思い出せませんでした。しかし,バッジに書かれている名は,12年前に起きたことを思い出させてくれました。

「それは,わたしが高崎市で特別開拓奉仕者として働いていた時のことでした。そのころわたしたちは,土地の新聞社に公開講演の広告を入れてもらうことにしていました。この男の人は,新聞で『主の夕食式』の知らせを見てやって来ました。彼がその場に来た時には,集会はすでに始まっていました。しかし彼のことを知る人は一人もいませんでした。最後の祈りが終わるや,この男の人は立ち上がって話し始めました。『あなたがたは,本当に西暦33年のペンテコステの日のクリスチャンのようです。わたしは,あなたがたの上に聖霊が働くのを認めました。わたしは真理を探していたのです』。

「その週のうちにわたしは彼を訪問しました。彼は経師屋でした。彼が仕事をしている間,わたしたちは聖書について窓越しに話し合いました。聖書研究の取決めを設けましたが,彼が忙しすぎたため実際の研究は一度もできませんでした。それで何度も訪ね,書籍や雑誌を配布し,集会に招待しました。

「12年後のこの大会で会った時,彼は次のように言いました。『わたしは,エホバの証人が真理を持っていることをよく知っていました。わたしは以前,ある聖書学校の生徒でしたが,真理を得られなかったのでその学校へ行くのをやめていました。仕事が忙しいうえ,妻をめとったため,出版物を開く機会がありませんでした。しかし,一年前,公園のベンチに腰掛けて『御心が地に成るように』の本を読み終えました。確かに,わたしは時の緊急性を認めました。六か月後,あなたが高崎を離れてからよくわたしを訪ねてくれたある奉仕者が訪問してくれ,会衆の長老の一人との研究を取り決めてくれました。その,親切で愛のある援助によって,わたしは『とこしえの命に導く真理』,『神が偽ることのできない事柄』,『永遠の生命』,『平和と安全』などの本をわずか四か月で研究し終えました。そして,昨日バプテスマを受けました。今では妻が一緒に集会に出席するのでとてもうれしく思っています。わたしは,エホバの証人のいろいろな出版物と古い雑誌を持っていましたから,それを箱の中から取り出しては読みました。そして,それらの書物に書かれている真理がいかに貴重なものかがわかりました』」。―日本のものみの塔宣教者。

ベトナムで戦った兵士の証言

● 「わたしは自分の教区にある陸軍学校で訓練を受けた,名ばかりのカトリック教徒で,以前はベトナムにおける米国陸軍グリーン・ベレーの一員でした。わたしは,“ポット”と呼ばれるマリファナを吸うパーティーに出ていました。そして妻もそこへ連れて行ってこの麻薬を吸わせ,わたしと同じように利己的な快楽しか追求しない人々に紹介しました。マリファナであろうとヘロインであろうといろいろ混ざったものであろうと,それがどのようにして手に入れられたものかは気にかけませんでした。そうです,わたしは,パウロがコリント第二 3章で語るような,優れた推薦状を持つ者ではありませんでした。

「わたしが十代の初めごろ,自涜やペッティングなど道徳上の事がらを質問したところ,僧職者たちの答えが一人一人違っていたのを覚えています。若い僧職者たちはたいてい,わたしたちの若くて訓練されていない考え方に迎合するような,“心理学的”回答を与えました。それに,スペイン,オランダ,南アメリカなどで行なわれた悪名高い異端者弾圧を正当化する微妙な論議が繰り広げられました。

「彼らはきっと,わたしがベトナムへ行くことをも含めて,戦争に参加することを同じようにして正当化したのでしょう。ベトナムでは,僧職者はヘリコプターでやって来て,異教的な“ミサ”を執り行ない,告白を聞き,死者の冥福を祈り,寄付を集め,短い話をし,昼食を食べてから,さようなら,神の祝福がありますように,と言って飛びかえるだけでした。全体的に見て,従軍牧師はベトナムでほとんど尊敬されていませんでしたし,わたしがカトリックに対して抱いていたある程度の尊敬も,そこで全く消え去りました。その空白を埋めるものがないまま,わたしは,マリファナや仏教また占星術などに関心を持ち,その空白を埋めようとしました。ベトナム戦争は,このような人々によって行なわれていたのです。

「しかしエホバの民は違っています。それはわたしが知っている中で,一番すばらしい家族であり,サタンとその体制に対抗して共に立っていることを誇れる家族です。二年ほど前,わたしの家の戸口であのノックがあるまで,わたしはそれを全く知りませんでした。そして,日本に来てさらに聖書を研究し,エホバの証人たちと交わることによって,このことを一層確信しました。カトリック,軍隊そして麻薬 ― 何という失望の連続でしょう。聖書の真理に代わるものはありません。エホバの組織は活動し,多くの土地で繁栄しています」。―1974年7月26日,エホバの証人の岩見沢大会で語られた経験。

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