神の主権 地域大会
バプテスマに関して語られた経験
北海道釧路市の藤戸幸次は妻の勧めで聖書を学び始めました。彼はアイヌの酋長の息子であり,腕の良いアイヌ民芸品の木彫細工人として生活していました。聖書を学ぶにつれてその中に真理を見いだしました。妻は後に聖書に対して関心を失いましたが,彼は進歩を続け,それまでの芸術家風の長い髪を切り,たばこをやめ,生活を変化させました。エホバの証人の会衆には,アイヌであるからといって特別の目で見る人がひとりもいないことからも,聖書の真理をいっそう確信できました。彼はこの地域大会でバプテスマを受けました。
宇都宮の高田和子は結婚していますが,胆のう炎とすい臓病のため約10年位ベッド生活を続けていました。伝道者の訪問を今年の3月に受け,そのとき受け取った「見よ!」の小冊子に自分がまさに求めているものがあるのを悟り,研究を始めました。その喜びをすぐその晩主人に話し,主人も聖書を調べて見ることにしました。主人には幾つかの質問がありましたが,その答えが得られました。その月末に行なわれた「主の記念式」に二人で出席し,二人とも深い感銘を受けました。それまで命の尊さをさほど認識しなかったため,食事の制限など医師の言うことをあまりききませんでしたが,真理を学んでからは変化して,医師の指示に従うように努めました。すると病弱な体もみるみる元気になり5月には野外で初めての伝道ができるようになりました。奉仕の喜びも大きく手伝って,活気のある生活が続き,自転車に乗って奉仕できるようになり,7月には50時間も伝道に費やすことができました。そして主人と二人で8月の府中大会でバプテスマを受けました。
ロシア正教会の家庭に生まれ,幼児洗礼を受けて育った竹脇さきくは,真のクリスチャンを求めて多くの教会を訪ねました。1952年には宣教者谷川姉妹の訪問を受け,人間は死後地獄で苦しむことはないことを知らされ喜びを感じました。そして数回研究をしましたが,その時は「ものみの塔」も聖書の研究も難しく感じてやめてしまいました。1959年にニュース解説者であった夫竹脇昌作を亡くし,次の年には教会活動に熱心であった次男をも病気のため失いました。息子の葬式のことで教会同士が争い,結局二つの教会で二度も葬式をさせられました。教会に対する幻滅が増してはいましたが,時々かよっていました。1973年に訪問した証人と再び研究を始め,これこそ真理であると確信でき,教会の放浪では一度も満たされなかった心が真の幸せを味わうようになりました。この大会でバプテスマを受けた彼女は,愛する者たちの復活という希望を楽しみにしています。
千葉の明歩谷久子もバプテスマを受けた一人です。大相撲の関取であった夫は1974年の9月に,家を訪問したエホバの証人から「王国ニュース」を受け取り,それを彼女に与えました。彼女はキリスト教に疑問を持っていましたが,再び訪ねた証人から聖書に基づく真のキリスト教とキリスト教国の違いを聞いて聖書の研究に応じました。夫の暖かい協力を得てバプテスマの段階まで進歩できたのです。その夫も聖書と出版物を読みはじめ,相撲の巡業にもそれらを持ってゆき,夜の時間を用いて読書しています。今年の5月から夫も証人と研究をはじめ,それまで関心を持っていた易学の本を整理し,聖書の理解を深めています。この大会でバプテスマを受けた彼女を夫も心から喜んでいました。
年若い者でも自分の以前の生き方を大きく変えて,義にそった生活の道を取るようになっています。東京の久埜雅宏は16歳ですが11歳のときに父を亡くし,それ以来「不良」と呼ばれる友人たちと付き合うようになりました。暴力団の下部組織の人々と交わり,「シンナー遊び」にふけっていました。頭がもうろうとして幻覚が生じます。そして近くを車が通る時,そのエンジンの音はまるで暴音のように聞こえ,頭がガンガンするのです。いわゆる「暴走族」とも交わり,友人の「ナナハン」(750CCのオートバイ)を走らせたりして,三度無免許運転で警察に捕まりました。たばこの習慣も身についていました。これらが自分の身を滅ぼすものであることを感じて,断ち切ろうとしましたが,あまりうまくはゆきませんでした。高校生になってからスポーツによって生活を変えたいと思うようになりラグビーを始めました。しかし本当の変化は昨年6月に聖書の真理に接してから起き始めました。以前は自分の経験したことを誇ってさえいましたが,今は神を知っている事のみを誇るようになり,学校でも友人に証言するよう努めています。彼の変化は友人や家庭で大きな驚きになっています。友人のうち二人は彼と聖書を研究するようになりました。この大会でバプテスマを受けた彼の,もう一つの喜びは,長年彼のことを心配し続けてきた母親も彼と共に聖書を学ぶようになったことです。
三重県上野市の表規矩子は,学校の専攻が国文学であった関係で源氏物語などにある宗教的志向性とそれに強い影響を与えている仏教に強い関心がありました。人生の一つの目標を仏教の原義を探ることとしていました。釈迦が教えたことは,生老病死という四苦は人間にとって避けられないものであるという前提のもとに考えられた自力による心の悟りであると理解するようになりました。10年位のちに自分の子供の原因不明の病気のことで非常につらい気持ちになり,その逆境にあって以前学んだ「自力による心の悟り」なるものが自分を救済してはいないことがはっきりしました。キリスト教の愛について知りたくなった彼女はプロテスタント系の教会に行きましたが希望していたような方法で聖書を学ぶ取り決めがなかったため教会に行くことをためらっていました。丁度その時エホバの証人の訪問を再び受けました。(以前は関心がないため断わっていた)今度は自分から研究を求めて始めました。以前信じていたように病気,老齢,死は人間には避けられないというのでないことを聖書から知ったとき,その真理に心が躍るのを覚えました。「求めつづけなさい。そうすれば与えられます」とのイエスのことばを身をもって経験した彼女は喜びを持ってバプテスマを受けました。―マタイ 7:7。
バプテスマを受けた人の中には,間違った方法で永い生命を求めていた人もいます。府中でバプテスマを受けた36歳になる内野直忠はかねてから不老長寿ということに興味をもっていましたので,「不老長寿の研究」を行なっているグループを見つけ5年間そこで交わりました。人間の長寿を図る「仙人術」を実行し,それには「四里四方で取れる食物しか口にしない」,「木の根のみを食す」あるいは「川のそばの泥の中に体をうずめ首だけ出しておく」ことなどが含まれています。彼はそれによって100歳まで生きることを願っていました。自分の職場で聖書の研究を始めた人を通して,証人たちの話を聞くようになったのは1974年11月でした。クリスチャンが1,000年やそれ以上生きることを聖書から学び信じていることを知った時,すぐには信じることができませんでしたが,エホバ神が最初人間に植物を食物として与えたことなど心に納得のゆくことがありました。聖書の真理は彼に大きな喜びをもたらすものとなりました。彼は公認会計士として40位の会社の経理の顧問,相談役として働いていますから,仕事における経理上の不正などで良心を強く働かせねばなりません。しかしその正直さの故に仕事が減ることもありませんでした。彼は普通あまり伝道されていない会社,事務所のビジネスマンたちにこれからも神の言葉を語り続けてゆく決意をしています。
東京・久が原の森川ひろみは幼いころからプロテスタントの家で成長し教会員と結婚し2女をもうけました。教会の説教は難解であり,子供連れは別室で聞こえの悪いスピーカーで聞かねばなりませんでしたから礼拝は全く魅力のないものでした。牧師の個人住宅のために多額の寄付が取られたころには,世の中の暗いニュースも手伝ってやりきれない気持ちになっていました。その間も,証人たちは伝道に来ましたが,教会でいつも「ものみの塔」に対する非難ばかり聞かされていたので,その偏見のため断わることが多かったのです。時々同情心から受け取る出版物も全く読みませんでした。しかし,証人たちが聖書に詳しいことと,その態度が良いことには気付いていました。今年の1月に証人が伝道に来た時も「教会とか聖書とかはもうどうでも良い」と言い,自分の教会のうんざりさせられる状態を悲しみと憤りをこめて話しました。次の週その証人は,証人の組織が世界中でどのように一致しているか,人種や国籍を越えた熱烈な兄弟愛がどのように示されているか,日常生活にも聖書を反映する努力などについて例や経験を話しました。彼女は「勉強とか研究など面倒なこと」はきらいであると反発しましたが,「ではとの位面倒でいやなものか,世界中でしている方法で1章だけ試しに討議してみませんか」と証人に提案され,そうすることを約束しました。次の週「真理」の本の第二章全部を討議した後に,「どうですか,面倒でいやでしたか」と尋ねられた彼女は「とてもおもしろいわ」と答えたのです。彼女は本当は神を知りたいのだと証人に話し,その後聖書の研究が取り決められました。教会への脱退届けを送った時から牧師の訪問も始まりましたが,時たつうちに聖書から落着いて反論できるようになったためその牧師もつじつまの合わない言葉を言って帰る結果になりました。証人との研究か始まってから2か月間は,ほとんど口をきいてくれなかった夫も,彼女の生活態度の良い変化を見た結果,「ものみの塔のほうが正しいらしい」と認めてくれるようになり,暖かい協力を示しています。また向かいと隣りの主婦たちも彼女の勧めで聖書を学ぶようになっています。この大会で彼女はバプテスマを受けました。
鹿児島の山本華彦が証人から最初に聖書の音信を聞いたのは11年前でした。それがすばらしいものだと感じ,その祝福にあずかりたいと思いました。当時陸上自衛官として要職についていたため,その職を変えねばならないと思いましたが退職することができなかったため,自分は研究せずに,妻と息子に命令して聖書を研究させました。やがて妻と次男はバプテスマを受けるまでに進歩しました。それから11年の間各地の部隊に配属され,それぞれの土地の証人から真理を聞き続けて来ました。今年になってようやく退職することができましたが,その時の階級は陸将補でした。そして,真理を初めに聞いてから11年後のこの大会でバプテスマを受けたのです。