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目ざめよ! 1976
目76 5/22 5–9ページ

薬を飲むのは安全ですか

物をよく備えた,ごく普通の家庭の薬品棚をのぞくと,何がはいっていますか。多くの場合,歯ぶらしの置き場もないほど,いろいろな薬が詰め込まれています。薬を飲みたがるのは人間の弱みのようです。事実,カナダの高名な医師であった故ウイリアム・オスラー卿はかつて思案げにこう言いました。「薬を飲みたがるのは,人間を動物から区別する,おそらく最大の特色である」。

米国ではさまざまの病苦を和らげるため,薬に費やされる費用が年間およそ100億㌦(約3兆円)に上っています。医師が薬の処方せんを書く件数は年におよそ24億です。そして処方せんによる薬の使用は年に9.5パーセントの割合で増加し続けるものと予想されています。それはなぜですか。

ひとつの理由は,多くの病気と闘うため,少しでも薬効を高めた薬が開発されているという事実です。しかし主としてそれは製薬会社が広告に力をそそいだ結果です。製薬会社は製品の売り込みに年間およそ8億㌦(約2,400億円)を費やしています。米国食品医薬局の推定によれば,10万種以上の薬が市販されています。処方せんによらない薬で最も広く使われているのはアスピリンで,アメリカ人は年間1万5,000㌧に上るアスピリンを消費します。

しかし薬をむやみに使うのは分別のあることですか。薬の服用には危険が伴いますか。

考えてみるべき事柄

重い伝染病にかかってもペニシリンのような現代の医薬によって命の助かる人が多いことはよく知られています。しかしある人々にとって,このような薬はもろ刃の剣です。というのは有害な副作用を受けることがあり,そのために死亡することさえあるからです。医学関係の書物はしばしばこの危険を認めており,しかも時としてきわめて印象的にそのことを述べています。

ニューヨーク市にあるコーネル大学医学部の薬学教授ウォルター・モデルが共著者となっているライフ科学双書「薬」はその例です。疑いなく,薬の持つ相反する性質を強調する意図の下に,この本の第一章は「命を救う毒」と題されています。この章の初めのほうには次の言葉が見られます。

「薬はすべて毒である。またすべての毒は薬でもある。ポイズン(毒)とポウション(薬の一服)が同じ語源から出ていること,また英語のファーマシー(薬局)およびファーマコロジイ(薬学)の語源であるギリシャ語ファーマコンが元来は薬効のある量と致死量の両方を意味したのも偶然ではない。

「最も広い意味において薬 ― あるいは毒 ― とは,生体組織の働きあるいは作りを変える効果を及ぼし得る化学物質である。……もちろん普通の用法においてドラッグ(薬)は薬効のある化学物質 ― 規定の分量を服用した場合,病気に抵抗し,あるいは不快な状態をなくして人体内に望ましい変化を生じさせる物質 ― のことである」。

服用量を注意深く定めた場合,現代の医薬が病人を救った例はしばしば「奇跡的」と言われてきました。今日生きている人で,いわゆる“特効薬”を与えられなかったら死ぬ人が大ぜいいることは疑いありません。それでもモデル教授はつり合いのとれた見方を示してこう説明しています。

「どんな有用な薬にも有害な作用があることはよく知られている。一部の専門家の推定によると,米国では病院の患者20人のうち,おそらくひとりが薬の副作用のために入院するはめになる。どんな薬についても,せいぜい言えるのは,たいていの場合,たいていの患者にとって,有益な作用が有害な作用を上回るということである」。

害よりも益のほうが大きいか

大体において医師は,医薬の益は害を補って余りあるとおそらく言うでしょう。医師は自分自身の臨床経験や観察に照らしてみる時,何百人という多くの人にとって薬が効果をあらわし,害を受けた人はごくわずかに過ぎなかったということを指摘するかもしれません。しかし医学の権威者の中には,こうした結論を疑問視するようになった人々がいます。

例えば抗生物質の使用について考えてみてください。米国では1943年に抗生物質として最初のものであるペニシリンGが市販されました。以来,抗生物質は最もひんぱんに処方される薬の部類に入るようになり,1972年には少なくとも80億回分の服用量の抗生物質が食品医薬局により使用を認められています。このように大量に使われていることから見て,一部の医師は明らかに抗生物質を処方し過ぎているか,それとも誤って処方しています。これについて米国医学会誌1974年3月4日号に出た,「これが医学の進歩?」と題する論説記事は次のように結論しています。

「答えを得るために十分なデータを積むことはおそらく不可能であるにしても,二つの質問を提起するのは適切なことと思われる。(1)ばく大な量に上る抗生物質の使用は,益になるのと同じぐらい害を及ぼす時点に達しているか。(2)害を受けるおそれのほうが益よりも大きくなり始めているか」。

抗生物質のために害を受ける患者が多いことを示す証拠は増えており,それに驚いた医師たちは,これらの質問を根拠のあるものと見ています。

用心する必要のあることを示す例

例えば抗生物質の使い過ぎは,抵抗力のある細菌の変種を生み出す一要因であったことが医師たちによって観察されています。前述の米国医学会誌にあげられている数字によれば,これらの細菌は米国の病院で年に10万人の死者を出すことを可能にするほど増殖しています。

米国医学会誌にこの証拠をあげている二人の医師は,重大な副作用があり,再生不良性貧血をおこすおそれのある特に危険な抗生物質としてクロラムフェニコールをあげ,次のように説明しています。「再生不良性貧血の問題は十分に記録され,証明されてきた。この致命的な反応はおよそ6万回から8万回の服用に一回の割合で起こる」。年におよそ400万人の患者がクロラムフェニコールを服用すると言われていますから,そのために死ぬ人が毎年かなりいることは明らかです。

これらの死亡者について米国医学会誌の記事は次のように嘆いています。「たいていの場合,致命的なこれらの反応は,その大多数が,はっきりした記録のない,ささいな感染症あるいはもっと安全で同じく効果的な他の抗生物質を選ぶことのできた感染症に対してクロラムフェニコールを服用した患者に起きている」。

確かにクロラムフェニコールのような薬を使う際には用心しなければなりません。たいていの医師はこれらの薬の危険性を承知しており,命にかかわるようなある種の病症に対してでなければそれを使いません。しかし中にはその危険を知らされていないか,それとも薬の処方に際して判断のきわめてまずい医師がいることも確かです。

しかしクロラムフェニコールが今なお広く使われているのは,おそらく他にもっと重要な理由があります。米国食品医薬局の前局長は,「医学関係者の最善の助言に反して」製薬会社が「クロロマイセチン[クロラムフェニコールの商品名]の売り込みに成功した」と言明しました。

しかも薬の効き目に対する不当な主張は珍しいことではありません。それで政府の一機関が試験した,1万6,000種の売薬のうち,60パーセントは実際以上の薬効を表示しており,法律に違反していました。1,600の異なる症状の治療に効果があるとされる4,349種類の処方薬と売薬を調べた国立科学院の調査があります。それによると,これらの製品が持つとされる1,610の効能のうち,実際に効果があると認められたのは19パーセントに過ぎませんでした。別の調査は,テストした1,859の薬のうち,効能書きにある症状全部に効くものは301つまり17パーセント以下に過ぎなかったことを示しています。

益になるよりも害になるおそれのある薬が市販されるのを防ぐのは簡単なことではありません。それでおよそ15年前には,“完全な睡眠薬”と言われたサリドマイド製剤が多くの国で使われていました。しかし米国では政府の一薬学者がサリドマイドに疑いを持ち,彼女の抱いたいろいろな疑いの晴れるまで認可を差し止めていました。それが幸いしたのです。その後間もなくして,妊娠中にサリドマイドを服用した婦人に何千人の奇形児の生まれたことが明らかになりました。

これは薬を飲む時に用心する必要があることをさらに示す例です。服用後すぐに,あるいは何日も何週間も有害な副作用が認められなくても,何か月,時には何年もたってからそれが現われてくることもあります。「今日の医療においては,多くの強い薬,あらゆる種類の秘伝の化学物質や器械が使われている」と,シンシナチ大学の放射線医学教授ユージン・セイエンジャー博士は述べています。「長期にわたる何らかの結果が必ず見られる」というのが同博士の結論です。

これら長期にわたる結果のあるものは最近になってようやく感じられてきたというのが実情です。

害を受けるおそれは計算ずみ

例えば1945年から1971年までの期間,ディエチルスティルベストロール(DES)という薬が,妊娠中の婦人のために流産を防ぐ目的で広く処方されていました。この薬によって流産の防がれた場合があるにしても,今になってどんな結果が生じていますか。この薬を飲んだ母親の十歳台の娘に膣のガンが多いという結果が生じました。それでカリフォルニア州ロサンゼルスの一婦人科医で腫ようの専門医は,「DESをのんだ婦人の子女は13歳の誕生日以後,定期的に検診を受けるほうがよい」と勧めています。

同じく1974年3月7日付ロンドン・デーリー・メール紙は次のように報じました。「最も広く使われている鎮痛剤のひとつは腎臓障害をおこすおそれのあることが分かり,薬局での販売が禁止されることになった。……英国ではフェナセチン製剤の飲み過ぎが直接の原因とされる腎不全のために死ぬ人が毎年500人に上ると推定されている」。

また糖尿病を抑えるために広く服用されている薬についての一研究は,これらの薬が,心臓病で死ぬ,年に1万人から1万5,000人の人々の死因になっているかもしれないことを示しています。米国医学会誌1975年2月10日号に報告されたこの研究によると,これらの薬を服用している糖尿病患者の間では,インシュリンの注射あるいは食事療法を行なっている患者に比べて,心臓病およびそれに関連した病気で死亡する例が二倍も多いということです。

これは薬を全く避けるほうがよいということですか。そうではありません。薬によって苦痛を和らげられた人は数知れず,また命の助かった人はおそらく何百万人といることでしょう。このような人々にとって薬の恩恵はなんと大きいのでしょう。薬を飲んで害を受けるおそれは多くの場合,正当化されるものです。ジギタリスを服用しなければ何週間とはもたない命をこの薬でつないでいる心臓病患者が何千人もいることは疑いありません。ジギタリスは注意深く定められている服用量を変えるだけでも危険な場合があり,まちがいなく“毒”ですが,専門家の指示の下に賢明に使うならば真の救命薬であることが知られています。

糖尿病患者の場合,心臓病になるおそれのある薬でも,それを飲まなければ糖尿病で死ぬかもしれません。それにくらべれば薬のために心臓病になって死ぬ率は小さなものです。それと同じく,たとえアスピリンでも頭痛の不快や不便を考えれば,人は副作用の“危険”のほうを選ぶでしょう。しかし覚えておくべき点は,薬を飲む以上,副作用の危険は計算ずみであるということです。薬はもろ刃の剣なのです。

では薬を飲んでいいか悪いかは,どうしたら分かりますか。それは主として医師の助言に頼らねばなりません。保護策として,強い薬は医師の指示と処方がなければ入手できないことになっています。医師の判断はあなたの健康を左右し,生死にかかわることもあるゆえに,その判断は尊重すべきものです。しかし同じ理由で,良い医師を慎重に選ぶのが賢明なことと言えます。その医師は造けいが深いと同時に良心的ですか。あなたの福祉をほんとうに心にかけていますか。場合によっては,ある薬を服用することの可否につき,別の医師に相談するほうがよいこともあるでしょう。

患者にも多くの場合,責任がある

しかし薬の使い過ぎと誤用に対しては,多くの場合,患者自身にも責任があるというのは事実です。多くの人は,医者が薬を何も処方せず,注射もしないとだまされたような気がします。カルビン・M・クニン博士は米国医学会誌にこう書いています。「医師が診療において薬を処方し過ぎるのは,ひとつには患者の圧力が重要な要因になっている。これは決して理解し難いものではなく,こうした圧力を加えるのは保健の専門家をも含む,最も弁舌さわやかで教育のある人々が多い。忙しい医師に電話で抗生物質の処方を求め,時に要求さえする光景を想像してほしい」。

開業医である一外科医はこの問題を次のように描写しています。「地下室を掃除していて背中の下部を痛めた人が診察を求めてくるならば,『さあ,走ってお帰りなさい。お金を出して医者にみてもらうには及びません』と言いたい」。その人に必要なのは暖まることと休息,そしてたぶん痛みどめのアスピリンです。しかしこうした助言は喜ばれないので医師はその人の望みをかなえることにします。これは医師にとっては“いいもうけ”になります。患者は診察料10㌦,X線に20㌦,薬代5㌦,透熱療法に3㌦を支払います。「その人は[満足して]家に帰るが,38㌦を費やしていながら身体的には少しもよくなってはいない」。

常識を働かせる必要

前述の事柄はあらゆるタイプの薬を使うにあたって常識を働かせることの必要を示しています。例えば,弱い薬で間に合う時には強い薬を使わないようにするのが分別というものです。強力な薬ほど副作用の危険は大きいからです。それで関節炎治療の“特効薬”について騒ぎたてられてのち,昔からよく使われてきたアスピリンがこれらの“特効薬”にたとえまさらないとしても,たいていの場合,同じぐらい効果のあることが分かりました。ゆえに何かの高価な処方薬の代わりに医師からアスピリンを勧められても失望することはありません。処方薬はアスピリンよりも危険なことが多いからです。

不快な症状を感じてもたいしたことがなければすぐに薬に頼らないのが,薬を使ううえでの常識といえます。その良い例がアスピリンです。すでに述べたようにアスピリンには適切な用途があります。しかし使い過ぎると出血それも特に胃の出血のような,さまざまの症状を引き起こすおそれがあります。月経,痔疾,かいようなど,何らかの出血症状の見られる時,アスピリンはおそらく病状を悪化させるだけです。妊娠中の婦人はアスピリンを避けなければなりません。アスピリンは胎児の発育に害があると考えられています。

注目すべきことに,売薬の鎮痛剤を常習的に使う人は貧血,かいよう,高血圧にかかりやすく,憂うつや不安を経験しやすいことが知られています。胃腸病の専門医によって特にやり玉にあげられているのはアルカ・セルツァーです。時おりそれを使うのはよいとしても常用することはよくありません。

どんな薬にも副作用の可能性があるゆえに,他の療法で間に合う時は薬を使わない,また薬に頼らないのが常識にかなったことです。一例として便秘の場合にこの事が言えます。多くの人にとって時おりの緩下剤は必要悪です。しかしそれを常用することは有害なので,薬によらない実際的な方法 ― 正しい排泄の習慣をつけること,適当な食事,運動を欠かさないこと ― も一考に値します。ある高名な医師によると,これらの実際的な方法は,便秘に悩む人の95パーセントに効き目があり,したがってこの人々は「最小限の薬と最大限の常識」で便秘を治療できるのです。

ゆえに薬を飲む時は十分に用心し,常識を働かせるのが肝要であって,そのことは全く明らかです。薬は有用であり,命を救うことさえあります。しかし忘れてならないのは,害になる場合もあるということです。人間の病気が確実に,そして永久的にいやされることは,神の義の新秩序においてイエス・キリストがその力を用い,人間のあらゆる病をいやされる時に初めて現実となります。―ペテロ第二 3:13。マタイ 15:30,31。啓示 21:3,4。

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