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目ざめよ! 1977
目77 4/22 28–29ページ

聖書はそれをどう見ていますか

すべての人が救われますか

全能の神は,全人類の永遠の福祉に深い関心を寄せておられます。神のみ言葉である聖書は,次のように述べています。「これは,わたしたちの救い主なる神のみまえにあって誉れあること,受け入れられることであり,神のご意志は,あらゆる人が救われて,真理の正確な知識に至ることです」。(テモテ第一 2:3,4)『神はひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれます』。(ペテロ第二 3:9)しかし,これはすべての人が最終的に救われ,神の是認されたしもべとしてとこしえの命を得ることを意味しますか。

聖書は,至高者がだれに対しても命を強制されないということを明らかにしています。神は,人類が神の是認を得るのに必要なすべての備えを設けてくださいましたが,そうした備えを受け入れるかどうかは人間次第です。そのことはイスラエル国民に対するモーセの次の言葉からも明らかです。「わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう。すなわちあなたの神,[エホバ,新]を愛して,その声を聞き,主につき従わなければならない。そうすればあなたは命を得,かつ長く命を保つことができ(る)」― 申命 30:19,20,口。

救いの源はエホバ神ですから,救いは神の条件に従って行動することによってのみ得られます。それは神のみ子であるイエス・キリストを受け入れることを意味します。そのみ子の犠牲の死を通して罪と死からの救いが可能とされたのです。使徒ペテロはこの点を明らかにして,ユダヤ人の最高法廷であるサンヘドリンに次のように語りました。「ほかのだれにも救いはありません。人びとの間に与えられ,わたしたちがそれによって救いを得るべき名は,天の下にほかにないからです」。(使徒 4:12)また使徒ヨハネもヨハネによる福音書の目的を説明する際に,この点に注意を引きました。「確かにイエスは,弟子たちの前でほかにも多くのしるしを行なわれたのであるが,それはこの巻き物の中には記されていない。でも,これらのことは,イエスが神の子キリストであることをあなたがたが信じるため,そして,信じるゆえにその名によって命を持つために記されたのである」― ヨハネ 20:30,31。

しかし,なぜそれは人々が救いを得るための唯一の道なのですか。単に正直な生活を送るだけでは救いが得られないのはなぜですか。

実際,自分の生活の仕方によって自分が全く義にかなっていることを証明できる人は一人もいません。わたしたちすべては,言葉や行ないにおいて間違いをします。わたしは思いやりのない,不親切で利己的な,荒々しい態度を取ったことは一度もないとだれが言えるでしょうか。クリスチャンの使徒ヨハネはその点をこのように述べています。「『自分には罪がない』と言うなら,わたしたちは自分を惑わしているのであり,真理はわたしたちのうちにありません」。(ヨハネ第一 1:8)最初の人間アダムが神への不従順によって完全さを損なって以来,わたしたちすべては不完全さのうちに生まれてきました。(詩 51:5。ローマ 5:12)ですから,わたしたちの中には自力で自らを罪から解放できる人は一人もいません。

罪のうちに生まれたわたしたちは,前途にある救いの見込みを自動的に与えられているのではありません。聖書はこう述べています。「罪の報いは死です」。(ローマ 6:23)それで,もしわたしたちの罪を贖うための備えがなかったとすれば,死の支配下にあるわたしたちは永久に救われないことになります。わたしたちがどんなに一生懸命に努力したとしても,生涯の記録は,わたしたちが依然として不完全な人間であり,罪の報いの支配下にあることを明らかにするでしょう。

それゆえ,わたしたちには自分の罪を覆ってもらうための備えが必要です。その事を成し遂げるために神が備えられた唯一の手段は,み子の犠牲です。使徒ヨハネはこう記しました。「彼[イエス・キリスト]はわたしたちの罪のためのなだめの犠牲です。ただし,わたしたちの罪のためだけではなく,全世界の罪のためでもあります」― ヨハネ第一 2:2。

とはいえ,わたしたちがこのなだめの犠牲から益を得るには,それを受け入れ,自分の罪深い状態を認めて罪を悔い改め,神のご意志を行なうために誤った道から転向しなければなりません。そうすることを故意に拒む人はだれも救いを得ることはありません。その人の立場は,おぼれかけた人に救命具が投げられたにもかかわらず,それを拒む人の立場に似ています。

そうです。神の救いの手段を退ける人が,不利な裁きを免れる見込みはありません。主イエス・キリストが自らを栄光のうちに表わし示される時に生きていたとしても,その人は滅ぼされます。そのことはテサロニケ第二の手紙 1章8節で確証されています。そこには,イエス・キリストが,「神を知らない者と,わたしたちの主イエスについての良いたよりに従わない者に報復をする」ことが記されています。続いて9節にはこう記されています。「この同じ者たちは……永遠の滅び……を受けます」。

同様にイエス・キリストを通して設けられた神の救いの備えを受け入れながら,後に悔い改めない罪人となる人は救われません。西暦一世紀のヘブライ人のクリスチャンは,次のように告げられました。「真理の正確な知識を受けたのち,故意に罪をならわしにするなら,罪のための犠牲はもはや何も残されておらず,むしろ,裁きに対するある種の恐ろしい予期と,逆らう者たちを焼き尽くそうとする火のようなねたみとがあるのです。だれでもモーセの律法を無視した者は,ふたりか三人の証言に基づいて,同情を受けることなく死にます。では,神の子を踏みつけ,自分が聖化を受けた契約の血をあたりまえのものとみなし,過分のご親切の霊をないがしろにした者は,はるかに厳しい処罰に値すると,あなたがたは考えないでしょうか。わたしたちは,『復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する』と言われたかたを知っているのです。そしてまた,『エホバはご自分の民を裁かれる』とあります。生ける神の手に陥るのは恐ろしいことです」― ヘブライ 10:26-31。

意識的な,悔い改めない悪行者は,その行ないによってイエスの犠牲を自分のために適用することを拒んでいます。彼らは神のみ子の血を,「普通の価値」しかないものとして,つまり他の人間の血の価値と変わらないものとして扱っています。このような理由で彼らの罪の記録は,彼らを非とし罪に定めます。他のどんな犠牲も,その罪を覆い,神の報復の執行から彼らを保護することはできません。そのような場合,彼らは自分たちの罪に対する十分な処罰として永遠の死を受けねばなりません。

贖いの備えを退ける人々の場合には,悔い改めてエホバ神から是認される立場を再び得るよう助ける道はもはやありません。聖書はこう述べています。「一度かぎりの啓発を受け,天からの無償の賜物を味わい,聖霊にあずかる者となり,神の優れたことばときたるべき事物の体制の力とを味わっておきながら,なお離れ落ちた[背教した]者たちについては,そうした者たちを再び悔い改めに戻すことは不可能なのです。なぜなら,彼らは神の子を自分であらためて杭につけ,公の恥にさらしているからです」― ヘブライ 6:4-6。

このように,至高者はすべての人が救われることを望んでおられますが,すべての人が救われるのではないことが分かります。多くの人々は,救いのための唯一の手段を受け入れることを拒み続けます。他の人々は,それを受け入れたのち,悔い改めのない罪の常習者となり,そのためにキリストの犠牲の贖いの益を逃します。この中に,罪と死からの救いを願うすべての人に対する警告があります。わたしたちは神の憐れみにつけ込んで,罪深い肉体の渇望に屈し,そのために悔い改めが不可能な事態にまで至らないよう注意しなければなりません。

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