読者の声
成績について
「若い人は尋ねる……どうして成績のことを心配するのだろう?」という記事(1984年6月22日号)にとても感謝しています。その記事は,知識を得たいなら授業中によく耳を傾けることを強調していました。私は学校でこれからもっと一生懸命勉強しようと思います。私のようにその記事を読んだ生徒がみな,学校でよく耳を傾けることの大切さを理解するようにと願っています。
E・R フランス
「若い人は尋ねる……どうしたら勉強の習慣を改善できるか」という記事(1984年11月8日号)はとても良い記事だと思います。私もテレビは確かに精神の集中の妨げになることがあると思います。でも,ラジオが妨げになるという点には同意できません。私はラジオをかけていても読んでいる事柄に精神を集中できます。
A・N 米国オハイオ州
勉強に専念しているときにラジオをかけておくとどんな影響があるかは人によってたぶん異なるでしょう。また,流れている音楽の種類によっても異なるでしょう。「お子さんの成績をぐんと良くする方法」と題する本は,「勉強の時間を倍に使う秘訣」という項目でこう述べています。「その時間中,妨げとなるものは一切あってはならない。したがって,自分の部屋で戸を閉めて勉強するのが理想的である。ラジオやテレビをかけるのは禁物である。中断させるものがあってもいけない」。ラジオをかけていても精神の集中に妨げとならないと感じる場合でも,ラジオをかけずに勉強するよう努めてみるのはよいでしょう。精神をさらに集中できるかもしれません。試してみるだけの価値があります。―編集者。
カトリック教会と救い
1984年8月22日号の28ページ[日本語版1984年11月22日号,28ページ]には,カトリック教会が何億もの人々のための救いの道であると主張していると書かれていますが,カトリック教会は救いの道であると主張してなどいません。イエス・キリストが救いの道であると教えています。教会は,救ってくださる方,すなわちイエスに人々を導くために神がお用いになる器なのです。他の教会をこき下ろすことなどやめ,愛の賜物を培うことに専ら努めるよう強くお勧めいたします。
S・H 米国カリフォルニア州
米国のカトリック大学発行の「新カトリック百科事典」は,「救い,それに不可欠な教会」の項で,人は信仰および「キリストの神秘的な体であるカトリック教会を通して救いのための神の取り決めと接触するようになるのであり,カトリック教会を外にして救いはない」と述べています。その少し先のところで,さらにこう述べています。「救いのために教会が不可欠であることは,啓示された真理として教会によりはっきりと明示されている。……したがって,ボニファキウス8世はその大勅書『ウナム・サンクタム』の中で,キリストの教会を外にしては,救済も,罪の赦免もあり得ないことを断言している」。教会の組織または指導者がキリストの教えに従っていない面をも含め,物事の実状を知っておくのはすべての人にとって益になることだというのが本誌の考え方です。聖書の真の教えに調和せず,キリストが容認しておられない仕方で神を崇拝するよう人々が教えられているなら,事実を知らせることは確かに人々に愛を示すことです。マタイ 15章8,9節に記録されているとおり,それは正にイエスが行なわれたことです。―編集者。