本当の生きがいを見いだす
アフリカのある国の駐日大使は,川崎市で開かれたエホバの証人の「神の平和」地域大会に出席して,「とても大勢の方がバプテスマを受けられ,喜びに輝いていました」と語りました。昨年,日本で開かれた一連の地域大会で,合計3,709人がバプテスマを受け,神に献身したことを公に表わしました。この人たちはどうして「喜びに輝いて」いたのでしょうか。本当の生きがいを見いだしたからにほかなりません。
芦屋市に住む松田さんは体育の教師です。松田さんは聖書を学ぶようになった経緯を次のように語っています。「私は教育相談<カウンセリング>の仕事に生きがいを感じ,それに熱中する毎日を送っていました。しかし,その勉強をする中で何度も考え込み,憂うつな日々が続き,不機嫌な表情と態度で家庭内を暗くしていたようです。そんな時,妻の聖書研究を司会していた方の訪問を受け,研究を勧められ,『これはカウンセリングに役立つ』と思って勧めに応じました。カウンセリングを始めて四,五年たっていた私の生き方はますます確立されつつありました。聖書の教えをカウンセリングの場面で役立たせることしか考えていませんでした」。
それでも,聖書の教えは少しずつこの教師の心に入ってゆきました。そして不完全な人間にできることには限界があり,人を本当に救うには聖書の教える真理を人々に伝えることが必要だという確信を抱くようになりました。「そんな時,1年間50セッションのカウンセリング研究への特別招待が,それまで尊敬していた大学教授から届いたのです」と,松田さんは語っています。
この人にとって招待を受け入れることは,これからも人間の考えに基づくカウンセリングを最重要視することを意味しました。松田さんはこう述べています。「この時は3週間ぐらい悩みました。しかし,『あなたは人に受け入れてもらうためにこの仕事をし,個人として完全な人間を目指しているのでしょう? 本当に受け入れてくださるのは神だし,完全な人間になるよう導いてくださるのも神ではないの?』と妻に言われ,心が決まりました。私はその招待を断わることにしました」。
松田さんは教育相談で生徒を助ける仕事を評価しつつも,人に真の導きを与える聖書の音信を伝える業に真の生きがいを見いだしました。その結果,憂うつな気持ちは過去のものとなり,人の命を本当に救う業に「大きな喜び」を味わうようになりました。そして「神の平和」地域大会で,自分がエホバに献身したことを水のバプテスマにより表わしたのです。
老齢になって本当の生きがいを見いだす
鹿児島県の山下さんも「神の平和」大会でバプテスマを受けましたが,その時お年は84歳でした。それより4年前,助産婦の仕事で,障害児を持つ一人のエホバの証人と知り合いになりました。1年ほどして,その人が近くに引っ越して来たので,通りがかりに家に立ち寄りました。「家の様子を見ると,4歳の子供と障害児を抱えながら,ふすまも破れておらず,子供の手の届くような所にも観葉植物の鉢がきちんと並べてあるなど,とてもよく整理されていました。『子供さんも小さいのに,ふすまを汚したり鉢の土や葉をつかみ出しませんか』と尋ねますと,『いいえ,しませんよ。子供は小さくても,して良いことと悪いことを知っています。私たちは家族で聖書を勉強しているクリスチャンです』との答えが返ってきました」と,山下さんは話しています。
60年ほど前の20歳のころ,聖書の話を聞いたことがあり,良いことが書いてあると思っていた山下さんは,聖書の話が聞けるというので,さっそくエホバの証人の集会に出席しました。こうして80歳を超えてから聖書研究が始まったのです。
その結果,このお年寄りの生き方は大きく変わりました。山下さんはこう話しています。「私にとって一番大きな挑戦は,それまで80年間身に付けてきた偶像崇拝から離れることでした。娘からの反対もありましたが,偶像はむなしいものであることを確信し,エホバを喜ばせたいと思ったときに,はっきりした態度を取ることができました」。(ヨハネ第一 5:21)また,それまでは「世の友」となるような付き合いが多かったのを少しずつ調整し,長寿会長もやめました。(ヤコブ 4:4)「そのため,世の友の中には,『良い年をして物好きだ』と言う人もいましたが,私は妥協しませんでした」と語っています。なぜこのように生き方を変えられたのでしょうか。本当の生きがいを見いだしたからです。山下さんは,「84歳の高齢になって『幸福な神』を知ることができ,さらに老いも若きも互いのことを思いやるエホバの組織の一人として交われることを心から深く感謝しています」と,心境を話しています。―テモテ第一 1:11。
この二人をはじめ神に献身した人々は,使徒パウロと同様,「キリスト・イエスに関する知識の優れた価値」を認め,そこに本当の生きがいを見いだしました。その「優れた価値」をご自分の目で確かめてみてはいかがですか。―フィリピ 3:8。