ヱホバの制度を支持する
『わが宮に食物あらしめんために,汝ら什一をすべて我が倉にたづさえきたれ。而して是をもて我を試み,わが天の窓をひらきて容べきところなきまでに恩沢を汝らにそゝぐや否やを見るべし。万軍のヱホバこれを言う。』― マラキ 3:10。
1,2 何が物惜しみせずに与えることを起させますか? クリスチャンはそれをどのように見ますか?
与える精神はヱホバから出ています。ヱホバは,御自身より全創造物を与え,またその無限の愛の故に地表を絶えず更新されています。往々にして不完全な人は,ヱホバが豊かに与えられたものを,恰も自分自身のもののように考えています。この利己的な道は,何ものも与えたことのないサタンにより引き起されています。まつたく物惜しみせずに与える事は愛により引き起されており,人間の場合には,お返しを貰うことなどと考えず,心からの感謝の念でなされるものです。それは心が充ち溢れて,後悔の念を後に持つということなく,自発的になされるか,あるいは贈物をうける人に対して愛の思い遣りを持つてなされます。
2 クリスチャンは与えることの責任を認めます。しかし,彼らにとつてそれは苦痛の義務で,孜々として果さねばならぬものではありません。それは,クリスチャンにとつて祝福の特権であり,彼らはそれに熱心に励みます。それはますます神の如くなり,そしてヱホバおよびその新世社会の大家族制度内にいる兄弟たちに対して,愛をより積極的に表わし得るためです。彼らはその家族の自発的な成員である故に,制度の支持は自発的のものでなければならず,そしてあらゆる神の善に対する全き感謝の心から与えねばならないと認めています。
3 ヱホバの制度の主要な支持はどこにありますか?
3 ヱホバの制度は多くの方法で支持されています。ヱホバの述べられた証言によると,ヱホバ御自身が主として支持されています。ヱホバに信頼を置くすべての人は感謝の気持をもつて,このことを認めています。『ヱホバはわが力,わが歌なり,ヱホバは亦わが救となりたまえり。』彼らは確信をもつてヱホバの約束に信頼しています。『我なんじを強くせん。誠になんじを強くせん。誠にわがただしき右手なんじを支えん。そわ我ヱホバなんじの神はなんじの右手をとりて汝に言う。懼るるなかれ,我なんじを助けんと』― イザヤ 12:2; 41:10,13。
4 制度の存在している目的は何であると示されますか? ヱホバはどんな手段により支持を与えられますか?
4 さらに,制度の存在する一番の目的は,最高者に依存しています。『主ヱホバは教をうけしものの舌をわれに与え,言葉をもて疲れたるものを扶け支うることを知り得しめ給う。』『ただしき人のうごかさるることを常にゆるし給うまじ。』このことは,御自分の全制度に備えられる霊的な備えものによつて,達成されます。『よろずのものの目はなんじを待ち,なんじは時にしたがいて彼らに糧をあたえたもう。』(イザヤ 50:4。詩 55:22; 145:15)ヱホバは,殆ど努力を払わなかつた肉のイスラエル人に,天からマナを降らせて支えました。しかし,今日ではマナを降らせられず,油注がれた社会,つまり『忠実で賢い奴隷』およびその統治体に活動力を注ぐことにより,ヱホバは御自分の制度を支持し発展させています。『主人が家人の上に任命して,正しい時に食物を与える忠実にして賢い奴隷とは実際に誰であるか。私はまことにあなた方に言う。主人は彼を任命して全財産を管理させるであろう。』それより先,キリストが天に昇天された時『彼はある者を使徒,ある者を予言者,ある者を宣教者,ある者を牧者および教師とし,宣教の業のために聖徒たちの訓練を目的とされた。』― マタイ 24:45,47。エペソ 4:8,11,12,新世。
霊的なものを与えることにより支持
5 制度を支持する第2番目の手段は何ですか?
5 ヱホバ御自身は,支持を与えつつ,献身して聖別された人々を『家人』として用い,制度が成人の如き円熟に至るのを助けます。つまり『全く成長した人,キリストの全きに属く成長』に至らせます。(エペソ 4:13,新世)各人は各々の献身の誓と野外奉仕の忠実さで制度を支持することにより,これらの者およびそれと一致するすべてのものはその支持を加え,制度の目的を保ちます。彼らは,イエスの述べた次の原則を全く支持します。『私の側に立たない者は,私に反対する。私と共に集めない者は散らす。』(マタイ 12:30,新世)それで制度に対する彼らの主要な支持は,その言葉でもつて伝道することです。それは慈善の業を霊的に与えることです。
6 霊的なものを与えることについて,どんな有益さが表明されていますか?
6 この理由から,彼らは霊的な事柄に一番の注意を払います。丁度『主の足下に坐り,主の御言葉に聴き入つた』マリヤのようです。マリヤの姉であるマルタと違い,彼らは取り扱わねばならぬ多くの物質的な問題や,自分の『家』を整頓する心遣いで,自分の業の主要な目的から心の乱されるのを拒絶します。かえつて,次のイエスの言葉を記憶しています『マリヤは良き方法を選んだのである。それは彼女から取り去つてはならない。』(ルカ 10:39-42,新世)ペテロも又,霊的なものを与える利益を表し示しました。彼は生まれた時からびつこの者に向い,次のように言いました。『私は銀と金を持つていない。しかし,私が確かに持つているものは,あなたに与えるものである。ナザレ人イエス・キリストの名により,歩みなさい!』 その男は歩み,跳び,そして神を讃美しました。さらに又宣教に参加し,ヱホバとその制度に新しい関係をもたらした使徒たちに進んで支持を与えました。―使行 3:6,新世。
7 どんな第3番目の支持の手段は制度に与えられますか? そして,なぜそれは重要なものですか?
7 ヱホバの忠実な民が制度に与える他の重要な支持の手段は,会衆の集会に定期的に出席することです。制度は,制度を構成する成員で成り立つていると知つているため,彼らは正確な知識に各々進歩し,円熟した理解を得ようと絶えず努めます。『忠実にして賢い奴隷』が,宣教の業のための訓練の一部として準備している集会を最大限に利用することにより,彼らはこれをなしています。計画を成功させ,地方の取り極めの進歩を図るために,各個人の貢献は必要です。『二人は一人に優る。そはその労苦の為に善き報を得ればなり。すなわち,その倒る時には,一人の人その伴侶を扶けおこすべし。されど独身にして倒るる者は憐なるかな。之を扶け起す者なきなり。』(伝道之書 4:9,10)初期のクリスチャンは『たがいにすすめ合い』,『たがいに慰めて,丁度いまあなた方がしているように,お互の徳を立てる』よう諭しをうけました。(ヘブル 3:13。テサロニケ前 5:11,新世)パウロはヘブル人に宛てた手紙の中で,このことの一番良い達成の仕方を示しました。『また愛と正しい業を励ますよう互に心がけよう。ある人の習慣のように共に集まるのを怠つてはならない。その日の近づいているのを見てますますもつてそうしようではないか。』(ヘブル 10:24,25,新世)この一致した研究と交際は,クリスチャン会衆の始まりのとき一番重要な部分でした。『彼らは引き続き使徒の教に全く従い,互に交つて食事や祈を共にした。彼らは毎日毎日,心を合わせて宮にいた。』― 使行 2:42,46,新世。
初期の模範は道を示す
8 初期会衆のどんな特異な環境は,価値ある別の支持の手段を示していますか?
8 制度を支持する第4番目の手段は,前述の記録の続きに示されています。『そして家で食事を取り,またよろこびつつ,真心をもつて滋養物を取つた。』その会衆の直面した特異の状態のため,すべての信者の一致した無私の行動が要求されました。これら幾千人という新しい多くの改宗者たちは,五旬節<ペンテコスト>の祭のために出てきたユダヤ人で,しばらくの間だけエルサレムにいました。しかし,メシヤの要求された新しい,違つた業を認識したため,彼らは少しの間残り,キリスト教宣教の正しい訓練と教訓を受けようと望みました。だがそうするためには,彼らの持つていなかつた資金が必要でした。この必要に対する兄弟たちの応答は,今日の真のクリスチャンの心を強くゆすぶるものです。『信者になつた者は,みなすべてのものを共有し,また持ち物や財産を売つて,必要に応じては公平にすべての者に分配した。』(使行 2:44,45,新世)一時の緊急事態のあいだ,このようにして物質を自発的に寄附したことは,その時の制度の全家族を支持し,毎日の生活必需品を供給すらいたしました。会衆のその特別な緊急事態は,すでに古い昔のことですが,しかしそのような慈善の贈物は,いまでもクリスチャンの施しの中で重要な部分であり,制度を支持するのに必要なものです。といつても,それで霊的な贈物によつて制度を支持する責任が取り除かれることではありません。
9 神の制度は,智恵をどのように身の守りに用いていますか? それは誰の益のためですか?
9 伝道之書 7章12節にこう書かれています『智恵も身の守りとなり,金も身の守りとなる。されど,智恵はまた之を有てる者に生命を保たしむ。これ知識の勝れたる所なり。』二つの持ちものの中で,願わしいものは勿論智恵であり,ヱホバの理解であります。正確な智識と智恵は,それ自体神の制度にとつて真の宝です。そして,これらのものは良いたよりの奉仕者により無料で配布されています。サタンの利己的な世の組織制度の終るこの危険な時代に,『忠実にして賢い奴隷』はヱホバより与えられる豊かな智恵を用い,自らを守つています。これは彼ら自身の安全のためだけではなく,また神にとつて愚かであるこの世の智恵からひたすら分離し,隠された宝のような神の智恵を求める人の利益のためでもあります。(コリント前 3:19。シンゲン 2:4)彼らはこのようにして,智恵の守りを利用し,そして避難と救の確かな唯一つの道を見出します。
10,11 イスラエル人はお金をどのように身の守りとしましたか? お金は今日どのように協会の役に立ちますか?
10 しかし,(両方の種類の宝を持つた)伝道之書の著者が『金も身の守りとなる』と認めていることを見逃してはなりません。この聖句は,ヱホバより力を得ている今日のクリスチャンに適用しますか? そうです。初期のクリスチャンたちが自分の物質的な持物を用いて制度を支持したと同じく,今日のヱホバの証者は自分たちのお金を用いて神権政府の福祉に役立たせます。協会は僕として合法の法人を用いて伝道の業を発展させ,合法の法人なしでは利用できない多くの機関を使用することができます。それで,お金は強い制度を建てるのを助け,ヱホバへの讃美を増し加えます。
11 古代のイスラエル人は,エジプト人から贖の贈物として取つた金や銀を賢明に用いました。幕屋または『集会の天幕』を建てるために,ヱホバが寄附を求められた時,その応答は非常なものでした。『心より願う者は,男も女も連れ立つて,環釦,耳環,指環,女用の装飾品,あらゆる種類の金の物をたずさえて来た。』それに加えて,青色の糸,羊毛,麻糸,山羊の毛,牡羊の皮,海豹の皮,銀,銅,合歓木がありました。必要な物で不足しているものは一つも無かつたのです。『モーセを通してなせとヱホバの命じたすべての業のために,物を持ち来ろうと心から願う男と女はみなそうしたのである。イスラエルの子らはヱホバに自発的な献げ物を持ちいたつた。』(出エジプト 35:20-29,新世)今日のヱホバの忠実な僕たちは,イスラエル人や初期のクリスチャンがしたのと同じく自分の持ち物を用いて清い崇拝を拡大します。僕たちがお金を賢明に用いるならば,協会は宣教者を新しい野外に送り,新しい支部を開き,費用の掛かる法律訴訟によつて合法の戦を続けて勝利を得,大会を運営し,あるいは又制度に対するヱホバの命令に従い,世界の隅々まで良いたよりを拡げることができます。
12 イスラエルに約束されたどんな祝福を今日のヱホバの民は期待し得ますか? 彼らは将来をどのように見ますか
12 それに加えてヱホバの証者は,過去および現在,いつも将来を見る民です。忠実な肉のイスラエルに大きな繁栄が予言されたように,霊的イスラエルは真実の祝福を期待することができます。『ヱホバはあなた方の庫と行うすべてのことに祝福を与えると命ぜらる。またあなた方の神であるヱホバがあなた方に与える地であなた方を確かに祝福する。そして地のすべての民は,ヱホバの御名があなた方により呼ばれるのを見て,必らずあなた方を恐れるようになるであろう。』(申命 28:8,10,新世)いまやヱホバは御自身の民を導き出され,国民とされたため,彼らは自分の制度の地にあつて繁栄というヱホバの約束に全く信頼することができます。将来に備えて賢明にも支度をなし,つねに将来の幻を持つために,彼らは蟻のようです『蟻は首領なく,有司なく,(地上の)君王なけれども,夏のうちに食を備え,収穫のときに糧を収む。』(シンゲン 6:6-8)ヱホバの証者は,その収穫の必要品を前もつて図り,それに従つて自分の業の計画を立てます。―創世 41:41-49。歴代志略下 8:4; 17:12。
イスラエルの10分1税は影
13 10分の1税を通してどんな備えがなされましたか?
13 イスラエルの国民が制度化されたとき,寄附は律法の一部になり,クリスチャンの寄附に対する『型』となりました。ヱホバの崇拝は国民の中で主要なものとなったため,ある取り極めを作つてその崇拝の経済を賄うことは必要でした。すべての人はその祭司職に参与できませんが,しかしヱホバは賢明な取り極めをつくり,すべての人が祭司奉仕の支持に参与できるようにいたしました。それは,10分の1という意味である『十分一税』の律法によりなされました。『それからヱホバはアロンに言われた「彼らの地にいてお前は相続を持つてはならず,彼らの中で分を持つてはならない。私はイスラエルの子の中でお前の分であり,相続である。また,レビの子については,イスラエルの中の各10分の1を与えて相続となし,その行うところの奉仕,すなわち集会の幕屋の奉仕に報いる。』この10分の1税制度を完成するために,レビ人はイスラエル人から寄附をうけ取る時,こんどは『十分の一の中の十分の一』として,その寄附の10分の1を祭司たちに捧げました。祭司たちだけが,犠牲を捧げることを許されており,彼らはレビ人であるばかりでなく,又アロンの家の者でなければなりません。他のレビ人は,いろいろな宮の外の義務を持つていました。(民数紀略 18:20-29)それで実際の面から言いますと,各人の1年の収入の10分の1は,その祭司制度を通してヱホバに捧げられたのでした。
14 10分の1は何処に携えられましたか? それによつて何が表わされますか?
14 それに加えて,それ以上の自発的な奉納は許されているだけでなく,また奨励されました。『あなた方の神ヱホバは場所を選び,御自身の御名を其処に置かれるであろう。あなた方は,私が命ずるすべてのもの,すなわち燔祭と犠牲と十分の一(欄外,十分の一税)と,あなた方の手にある寄附をたずさえなさい。』(申命記 12:11,新世)ヱホバは今日御自身の霊的な国民を選んで築り上げ,御自身の崇拝をその制度の中にかたく建てられました。そして,地の全国民が集まり,ヱホバに各々の讃美を捧げる中心の所といたしました。
15 どんな第2番目の10分の1税が取り極められましたか? それは何のために用いられましたか?
15 イスラエル人は,またその1年の収入の中,第2番目の10分の1をも別にして貯えました。それは,定期的に行われた崇拝の祝の大会に行く費用を賄うためでした。『あなた方の強く欲するもののために金を与えねばならない。すなわち,牛,羊,山羊,葡萄酒,濃き酒,そしてあなた方の心に欲するものを求め,あなた方の神であるヱホバの前で食べ,あなた方と家の者は楽しまねばならない。』(7年の期間の中で)3年毎に,10分の1税は貧しい者のために用いられましたが,しかしそれでもつてレビ人への10分の1税が廃棄されたわけではありません。(申命 14:22-29)後の時代には,王を維持するために税金が課せられました。(サムエル前 8:15)これは律法の一部ではなく,それに実際に行われた時に,イスラエルが離反していたあいだ王のうけ取つた分は非常に多く,祭司たちのための分は殆ど無い始末でした。それで,真の崇拝が回復されたとき,10分の1税が再び行われたのは必要なことでした。―歴代志略下 31:2-10。エズラ 8:28。ネヘミヤ 10:37,38。
クリスチャン寄附の実体
16 クリスチャンが10分の1税を納めるのは聖書的ですか? パリサイ人に対するイエスの言葉は何を表わしていますか?
16 今日キリスト教国内の多くの宗教制度は,その成員に10分の1税,つまり収入の10分の1を払うよう要求しています。聖書によると,10分の1税はクリスチャンに要求されていますか? その答は,否であります。真のクリスチャンは聖書にかたく従い,聖書のいましめを守ります。それでは,聖なる記録は何を示していますか? 第1に,イスラエルの10分の1税は目的のための手段であつて,目的そのものではないということです。強調されたことは,物質を与えることではなく,その結果に生ずる崇拝という事柄でした。イエスは当時の偽りの宗教指導者たちにこのことを指摘しました。『しかし,あなた方パリサイ人は禍である。薄荷,うん香,あらゆる他の野菜の十分の一を納めながら,神の義と愛をなおざりにしている。これらのものをもしなければならぬが,それらのものをも果さねばならない。』イエスの話されたこの酷しい非難についてのマタイの記録があり,それの示すところによると,10分の1税は律法の中で重要な事柄の一とは考えられなかつた程です。―ルカ 11:42。マタイ 23:23,新世。
17 10分の1税は,モーセの律法の残りのものとともに除去されたと,どのように示されますか?
17 さらに,10分の1税はレビ人の祭司制度を支えるように取り極められたため,その祭司制度が除去されるならば,10分の1税の義務も除去されます。アロンの祭司制度は,新しい位,つまりメルキゼデクの位を襲ぐキリスト・イエスの優れた祭司制度と入れ代らねばならぬとパウロは明白に述べました。そしてパウロはこう話しています『祭司制度が変化するのであるから,律法が変化するのも必要である。』(ヘブル 7:12,新世)つまりこうです,モーセの律法とアロンの祭司制度が除去されるとともに,10分の1税の律法も除去されるということです。それで,クリスチャンは律法の下につかず,神の過分の御親切の下にいる故に聖書から見てどの制度も成員に10分の1税を要求することはできません。
18 アブラハムがメルキゼデクに10分の1を与えたことは,クリスチャンの10分の1税に対して権能を与えますか?説明して下さい。
18 クリスチャンの10分の1税を主張するある人は,こんな風に論じます。つまりその取り極めは,律法の与えられる以前に行われたものであつて,律法と共に終つたのではないと言います。そのような結論に何かの根拠がありますか? 10分の1税が初めて述べられているところは,創世記 14章の中です。『最高の神の祭司であり,又サレムの王メルキゼデクは,パンと葡萄酒を持ち出した。それから彼はアブラムを祝福し,こう言つた「天地の造り主,最高の神のアブラムに祝福あれ。敵をお前の手に付した最高の神に称誉あれ。」アブラムは,あらゆるものの十分の一(欄外,十分の一税)を彼に捧げた。』(創世 14:18-20,新世)アブラハムがこの行をしたのは,彼が10分の1税をなした証拠であるとある人は主張します。この場合でも又は他の場合でも,アブラハムが命令をうけて,或るもの,特に特定の額を与えたという記録はありません。それに,この行が,イエス・キリストを予表したメルキゼデクに繰り返し行われたという記録はありません。これは,正義のロトを救い出した時ヱホバの勝利に感謝してなされた只一度の自発的な贈物であつたことは,聖書の記録から全く明瞭なことです。
19 ヤコブが自分の収入の10分の1を捧げると誓つたことは,10分の1税の命令について何を示していますか?
19 これがアブラハムの直系の子孫たちを制束する取り極めでなかつた事は,アブラハムの孫ヤコブの誓からも示されます。『そして,ヤコブは誓をなしてこう言つた「もし神が私と共におり,私の行く道で私を守り,食べるパンと着る衣服を与えるならば……あなたの与えるすべてのものの中,その十分の一を必らずあなたに捧げる。』(創世 28:20-22,新世)神が個人的な繁栄を与えるか否かを条件として,ヤコブが神の取り極めに従つたと信ずるのは不合理です。それで,ヤコブの誓は,彼自身の自発的な捧げものであつて,前に述べた10分の1税の命令を守るとか行うという同意のものでないことは明白です。それにそのような個人的な誓は,子孫たちを制束するものとは考えられません。記録を考慮してみる時,ヱホバの僕たちは何時の時でも任意にまた自発的に与えたことは明らかです。しかし,型と影を持つ肉のイスラエルの律法の期間のあいだの時だけ,ヱホバはその10分の1を10分の1税として命ぜられたのでした。
20 10分の1税の実体は何ですか? このことは聖書的にどう示されていますか?
20 イスラエル人は毎年の産出の10分の1を捧げましたが,それにより何が予表されていますか? 10は地的の完成を意味するために,それはクリスチャンが自分の持つすべてのものを御国奉仕に捧げることを表わし示します。それは主として自分自らのすべてをためらわずに捧げ,また無条件に献身して伝道の奉仕とヱホバの制度の支持に参加することです。『そのとき私は言つた神よ(私について巻物の書物に書いてある通りに)あなたの御意を行おうとして,みよ私はまいりました。』『キリストを通して,神にいつも讃美の犠牲,つまり神の御名を公やけに述べる唇の実を捧げようではないか』しかし,パウロは次のようにつけ加えていることからその中には自発的な気持から自分の物質的な財産をも捧げることが含まれています。『それ以上に,善を行い他の者と物を分ち与えることを忘れてはならない。神はそのような犠牲をよろこばれる。』(ヘブル 10:7; 13:15,16,新世)イエスの話された大きな二つのいましめの言葉は,その確かなことを更に強調しております。『「あなたのすべての心,すべての魂,すべての精神,そしてすべての力を捧げてあなたは神であるヱホバを愛さねばならない。」第二のいましめはこうである「自分自身の如くにあなたは隣人を愛さねばならない」』(マルコ 12:30,31,新世)イエスは更に弟子たちを次の如く諭しました『自分に属するものを売り,それを恵みの贈物として与えよ。』(ルカ 12:33,新世)五旬節<ペンテコステ>の大改宗にひき続く一時的な緊急事態のあいだ,初期クリスチャンたちはこのいましめを文字通り実際に守る機会がありました。『それに信者となつた群は,心を一つにし,思を一つにして,その一人として持ち物は自分のものと言わず,すべてのものを共有した。』(使行 4:32,新世)彼らの祈は,ヱホバの宮を建てるために寄附された大きな富を見て述べた祖先ダビデの祈に模倣したものでしよう『ただし我らかくのごとく自ら進んで献ぐることを得たるも我は何ならんや,また我が民は何ならんや。万のものは汝より出づ。我らは只汝の手より受けて汝に献げたるなり。』(歴代志略上 29:14)ヱホバは私たちのすべての必要品を知つておられ,御旨のかなう通りに私たちを繁栄させます。無条件の献身の中に,神を讃美し,神の制度を支持するため,物質的な捧げものは含まれていないなどと,どうして言えることができますか? 全部のすべてを捧げるということこそ,10分の1税の律法の真の実体です。
神の家族に資金を忠実に捧げる
21 信仰についてのヤコブの譬は,ヱホバの民の中にある与える精神をどのように表明しますか?
21 イエスにとつて自分の宣教のための資金を乞う必要は一度も無かつたのです。彼はヱホバの奉仕者であり,ヱホバは彼に繁栄を与えました。これと同じ理由で,『ものみの塔』協会とヱホバの証者は寄附の盆を決して廻すようなことをせず,また新しい世の社会と交る人々に割当額を課すということはありません。このことはいままでに一度も必要ではなく,現在でも必要ではなく,そして神の助けをうけている故にヱホバの民が神の注がれた霊を持つてよろこんで与える人である限り,決して必要ではありません。神の民がよろこんで捧げることは,神の大制度のすべての家族によろこびをもたらすごとく,ヱホバの御心にも必らずやよろこびをもたらします。彼らは神の讃美の拡大に関心を持つていますが,それはたんに口先だけの奉仕とか,信仰を持つだけのものではありません。ヤコブは譬を用いて信仰を表明しました『兄弟または姉妹が裸でいて,その日の食物にも困つて事欠いているのに,あなた方の誰かが「安らかに行つて,暖まり,沢山食べなさい」と言うだけで,体に必要なものを与えないならば,それはいつたい何の役に立つのか』(ヤコブ 2:15,16)業が現在のごとく進歩拡大していることは,次のことを明瞭に表わしています。つまり,地方的な御国会館であろうと,又は『ものみの塔』協会の支部であろうと,神の大家族内の入用をヱホバの忠実な僕が見るときに,彼らはただ繁栄を祈つて,「ヱホバが供給するであろう!」と言いながら,自分の好き勝手なそれぞれの道を行くということではありません。彼らが答え応ずることは,初期会衆が答え応じたのと同じであります。
22 エルサレムの兄弟たちの入用にたいして,マケドニヤの会衆はどんな応答をなしましたか? それはなぜパウロに大きなよろこびをもたらしましたか?
22 全世界に亘る伝道と同じく,国際的な制度の物質面の入用品は,信仰だけで供給されるものでありません。クリスチャンに必要な物を与えるということは,クリスチャン会衆の初めだけでなく,現代にも表明されています。昔のその時と同じく,今日全国の民は真理に来て神の制度と交つております。それらの人で,この世の物質面に富む人は殆どおらず,それに彼らはそのような富を求めません。しかし,主が彼らを真理に導いたのは主の制度によるものと彼らは知つており,よろこんで主の制度を支持します。エルサレムにあつた初期会衆になされた大きな迫害の故に,統治体や忠実なクリスチャンの他の者は必要物に事欠きました。散在していた会衆がその状態を聞いたとき,彼ら自身あり余つて富んでいたわけではなくても,心から進んで援助を申し出ました。パウロはマケドニヤ会衆の応答に全くよろこび,コリント人にこう書き送りました『さて兄弟たちよ,マケドニヤの会衆に与えられた神の過分の御親切についてお知らせしよう。大きな試錬のあいだ苦しみをうけても,その溢れるばかりのよろこびと深刻な貧困は,かえつて彼らの寛大の富を豊かにせしめた。私は証言をするが,彼らは自分の実際の力に応じて,否,力以上に施しをなした。しかも彼らは口を揃えて施しをする特権を得,聖徒たちの宣教の分にあづかりたいと強く私たちに願い出たのである。』― コリント後 8:1-4,新世。
23 パウロは他のどんな属性とともに資金の与えることを結びつけましたか? パウロはどんな原則でもつて兄弟たちを励ましましたか?
23 コリント人自身も寛大な気持を持つて応答しました。それでパウロは,テトスを遣わしてその寄附を集めたとき,それについてこう書きました『さて,あなた方があらゆること,つまり信仰や,言葉や,知識や,熱心や,またあなた方に対する私たちの愛にも富んでいるように,この恵みの施しにも富まれるように。』(コリント後 8:7,新世)それで,パウロは資金を与えることに,信仰,知識および愛を結びつけ,それは霊的健康の状態であると推薦しています。少し播くことは少しを苅るという原則を彼らに思い起させ,パウロはそれから彼らを励ましてこう言いました。『その心に決めた通り,惜しむことなく,又強制されずに行いなさい。神はよろこんで与える人を愛されるからである。』与えることは全く自発的なものであつても,与えることに参加することはできないなどと感ずる必要はありません。パウロは次のように言いました『それに神は御自身の過分の御親切をあなた方に富ませ得る方であられる。そしてあなた方は,あらゆる事につねに充ち足り,すべての良い業のために富むことができる。』― コリント後 9:6-9,新世。
24 ヱホバの制度を物質的に支持することにより,どんな祝福は明白に表われていますか?
24 慈善の贈物を通してのその宣教は,只に物質の入用品という点で,制度を支持するだけではなく,それは大きなよろこびでもあり,又ヱホバの御名に讃美を捧げる源でありました。『あなた方はあらゆることに富んできて,すべての種類の寛大を行い,それは私たちを通して神への感謝となつて表われる。この公共奉仕の宣教は,聖徒たちの欠亡を豊かに補うばかりでなく,神への感謝を多く表わしつつ,豊かになるためである。この宣教の与える証拠によつて,彼らは神を崇める。なぜならば,あなた方が公やけに述べるごとく,キリストについての良いよたりにあなた方は従順であり,また彼らおよびすべての者に対するあなた方の寄附は寛大だからである』(コリント後 9:11-13,新世)同じように,真の崇拝者の巨大な世界的制度を支持するため,今日のヱホバの証者のする自発的な寄附もよろこびをもたらし,ヱホバに讚美を捧げるものです。すべての人は強制されることなく,心から進んで,自分自身が必要とする多くのものをすら捧げ,証言の言葉だけによらず,業の物質的な面での拡大にも参加します。
25 新しい者が集まるために,どんな物質的な備えはなされていますか?
25 幾十万,多分幾百万という人は,これからも来て参加し,ヱホバ讃美の合唱を一層増大させるでしよう。将来の事を図り計画することにより,彼らのための備えは協会の支部制度および地方毎の御国会館を通してすでになされています。これらの人が私たちと共に集められ,宣教の業のために訓練をうけねばならないとすると,私たちはその人々のために場所を備え,これらの場所の使用料を払わねばなりません。この目的のために寄附箱は御国会館に置かれており,そして兄弟たちから受け取る自発的な寄附は,会衆の費用を賄うのに用いられます。会衆が決定をするたらば,超過の中から,支部の『あなたの寄附の見込み』資金の寄附が,会衆より協会になされます。兄弟たちはこのことをよろこんでいたします。
真実な繁栄
26 キリスト教国は神の御名によつて集めた富を,どのように悪く適用し,悪く用いましたか?
26 偽りの宗教制度はあらゆる手段を用いて巨大な額のお金を集めます。このお金は,大きな費用のかかる建物を建てるのに用いられますが,大抵そこに集まる人々には払え切れない程のものです。それだけでなく,ぜいたくな牧師や,しばしば雇いの合唱隊を維持します。その群の人々は,これらの制度に献金をなし,その堂々たる建物を見上げて自分たちは繁栄していると考えます。彼らは,それよりも『見すぼらしく』『神々しくない』建物に集まらねばならない人を不幸と考えます。しかし,このすべてのものは神の栄光に何を貢献し得るでしようか? 今日の最も美しく,また高価な教会で,ソロモンの宮の栄華と匹敵し得るものがありますか? しかし,その崇拝の宮の建て主は,献堂の祈の中で次のように言いました『神果して地の上に住み給うや。視よ天も諸の天の天も爾を容るるに足らず。まして我が建たるこの家をや。』(列王紀略上 8:27)キリスト教国は,神の御名によつて集めた多くの富をなんと悪く適用し,また悪く用いているのでしよう!『ひと神のものをぬすむことをせんや。されど汝らはわがものを盗めり,汝らは又何において汝のものをぬすみしやといえり。十分の一および献物においてなり。汝らは呪をもて詛わる。また汝らすべての国人はわがものをぬすめり。』(マラキ 3:8,9)キリスト教国がその帰依者から奪い取つたすべての金は,ヱホバに讃美の言葉をも,又彼の御準備の慰めを人々にもたらしていません。それどころか,キリスト教国の富は偶像崇拝に用いられています。『さればイスラエルの家よ,主ヱホバかく言う。なんじらおのおの往きてその偶像に事えよ,されど後には汝らかならず我に聴きて重ねてその礼物と偶像をもてわが名を汚さざるべし。』― エゼキエル 20:39。
27 ヱホバの証者の繁栄はどこに見出されますか?
27 これとは別に,ヱホバの証者は,その神の奉仕と讃美に全く訓練をうけた奉仕者で成り立ち,そして絶えず拡大する制度を示しています。これは彼らの繁栄であり,彼ら各人は繁栄を可能にさせる取り極めを惜しむことなく支持するのによろこびを感じています。彼らは自分自身を富ますために大額を集めることをせず,また金の入用とか,又は必要な金の出費によつて,その制度の真の目的から反れることは決してありません。そして又,御国会館でうける祝福に「支払う」ものとして寄附をするのでもありません。真理は金や銀よりも貴重なものであり,お金で買うことのできないものです。真理は神の愛をもたらし,愛は惜しまず与えることに表明されます。
28 全会衆の一致は,与えることにどのように述べ表わされますか?
28 ヱホバの証者の会衆で,制度の経費を担うのは僅か数人ということでありません。彼らの一致を一層良く示すものとして,業の資金を供することは,すべての者が一致して与えることにより達成されます。例えば,50人の人が御国会館に集まり,その会館の借用料が1ヶ月30ドルとします。それは各人あたり平均60セントということになります。ある人はそれ以上に出すことができ,ある人はそれ以下を出すことができます。60セントの額を出し得ないからといつて,恥づかしいとか,全然参加できないなどと感ずる必要はありません。ヱホバは「貧者の一燈。」を必らず認められるとイエスは示し,このことを明白にされました。『ある貧しいやもめが殆ど価値のない金二つを投げ入れるのを見て,こう言われた。「真にあなた方に言う。この貧しいやもめは,彼らすべてのものよりも多くのものを投げ入れた。これらすべての者は,あり余る中から献金を入れたが,この女はその乏しい中から持つている全部の生活費を入れたのである。」』(ルカ 21:2-4,新世)豊かに持つているものは,できるだけのものを与えます。そうしても苦痛はなく,またそれは主のよろこばれるものです。しかし貧しいながらもその少額を献金する者は,はるか大きな程度まで自分の誠実を示します。
29 制度を物質的に支持することが,多くの資金を持つ者だけに限定されてはならないことは,どのように示されますか?
29 キリスト教国の偽りの宗教は,小額の献金をよろこばず,奨励しませんがヱホバの制度内でそのようなことはありません。物質を与えることはクリスチャンの立場の重要な部分であり,神への感謝と共にうけいれられるとパウロが表明したことを記憶して下さい。伝道という慈善の業は,奉仕者にとつて一番の関心事ですが,しかし,たとえ少いものにせよ慈善の贈物によつて制度を支持しようとする努力は,クリスチャンの霊的な健康および円熟に是非必要なものであります。どうしてそうですか? 少しのあいだ霊的な贈物を考えて下さい。例えば,家から家へと良いたよりを伝道するのに,毎月1時間だけを費すことのできる奉仕者の贈物を考えてごらんなさい。御国の発展のために献げられたこの貢献は,たとえ少いものであつても,拒絶されることは絶対にありません。そして,その兄弟が一月に1時間以上することが不可能であるならば,誰一人としてその兄弟の努力について「平均を引き下げている」などとは見ないでしよう。その兄弟が御国の証言に参加したことをすべての人はよろこび,善がなされたことと認めます。その兄弟の1時間と,その月の伝道に用いられた幾千時間とを比較しようなどと考える人は一人もいません。それでは,慈善の贈物として15セントまたは20セントを献金し得る者が,自分の献金を会衆の総計出費や支部が毎月費す巨大な額と比較すべきでしようか? 奉仕でほんの数時間を費し得る人々は,「開拓者はもつと多くの時間を献げることができる」という理由で家に居るのではありません。物質の面で制度を支持することと,その与えることに伴う祝福は,多くの資金を持つ人に限られてはなりません。エリヤの期間に始まつた真の崇拝の回復に,霊的な与えものをせよとの召に何人も答え応じなかつたならば,そして又誰一人として伝道しなかつたならば,ヱホバの讃美の拡大は無かつたことでしよう。それでは,どうして私たちは真理に導かれることができ得たでしようか? これと同じように,過去 ― および現在でも ― かくまでも物惜しみせずに献金する人が一人もいなかつたならば,業は切り詰められてしまい,今日『ものみの塔』を読むなどということは不可能なことでしよう! ヱホバの制度が円熟し,施しの御霊がその民の上にあることに対し,すべての感謝をヱホバに捧げます!
産出に参加
30,31 農夫の例は,制度内にすべての活動が必要であることをどのように示していますか?
30 会衆にいる者たちは,地方的な制度の入用に答え応ずるだけでなく,全世界にある協会の70以上の支部制度の行う拡大の業にも留意しております。初期会衆の時代に,寄附は統治体に送られましたが,それと同じく全世界の兄弟たちはそれぞれの国にあるヱホバの制度の本部を支持いたします。ヱホバが御自身の制度の主要な支柱であるのは真実であります。ヱホバは制度および制度を構成する者たちに必要なすべてのものを備えることができます。ヱホバ御自身大いなる与え主で実を結ばれる方であります。『(聖書にこう書かれている通りである。「彼は配布し,困る者たちに与う。彼の正義は永遠に続く。」さて,種子を播く者に種子と食用のパンを豊かに供給する方は,あなた方の播く種子をも供給してあなた方の正義の実を増加するであろう。)』(コリント後 9:9,10,新世)しかし,産出されたすべてのものは,それ自身産出の働きに参加します。ヱホバは物質の食物を豊かに供給されますが,農夫は収穫を産出するために働かねばなりません。それに,もし神の定めた法則に従うならば,充分のものをうけて,次に播く時まで自活し得るばかりでなく,播くための種子をも得るでしよう。(イザヤ 28:23-26)同じ原理は,ヱホバの制度の神権的な拡大に見られます。
31 ヱホバの霊的な備え物を食し,円熟に達するすべての人は,伝道の業に参加します。霊的な食物は豊かですが,しかしそれを産出するために人は時間を献げなければなりません。(使行 6:1-4)主は,人々に与えられた恵みの賜物を制度に備えることにより,このことを可能にしました。本当に良いたよりの美しい音信を持つ文書を書いたり,また印刷することは,特権であります。しかし,収穫を得るために文書を配布することも必要であり,その配布には特別の祝福が伴うものです。農夫は自分の働きの実を苅る前に,最初地を耕して,鋤かえし,種子を播いて水を注ぎ,そして栽培しなければなりません。それで,制度内のすべての活動は必要であり,全部の者は取極めを完成するために心を合わせて働きます。
32 文書をつくり出す際に,制度の相互信頼はどのように示されますか?
32 それ以外に文書産出に参加できない人々は,経済の面でこの種の業を援助することできます。『マケドニヤとアカヤの人々は,エルサレムの聖徒の貧しい者たちに自分のものをよろこんで寄附したのである。たしかに,彼らはよろこんでそうしたのであるが,しかしかの人々に負債があつたのである。諸国民がその霊のものに与つたならば,肉のものに対するものでこれらの人に公然と仕えるのは義務である。』これは制度の相互依頼を示します。そして各自は自分の分を供給して他の者の欠如しているところを補います。『他の者には軽く,あなた方には重くするというわけではない。ただあなた方余つている分をいま均一にして,彼らの不足を補うということである。そうすれば,あなた方が不足のときに彼らの余つている分はそれを補うであろう。こうして,等しくなるのである。聖書にこう書かれている通りである「多くのものを持つ者も,持ち過ぎることはなく,少ししか持たぬ者も足りないことはなかつた。」』― ロマ 15:26,27。コリント後 8:13-15,新世。
33 どんな機会に賢明な行をしたため,ピリピ人の兄弟は祝福をうけましたか?
33 多くの支部が行つている文書の印刷に加えて,拡大の計画を維持するのに必要な他の出費が多くあります。兄弟たちはこれにも又与ることができ,またいま与つています。パウロは次の手紙を書いた時,巡回の業をしていました。『しかし,あなた方は私のくるしみによくも,与つてくれた。あなた方ピリピ人も知つているごとく,私が良いたよりを宣べ伝え始めて,マケドニヤを去つたとき,あなた方を除いては,どの会衆も寄附や施しということで私に参加しなかつた。テサロニケにいた時でも,あなた方は一再ならず私の入用なものを送つてくれた。』(ピリピ 4:14-16,新世)ピリピ人の兄弟たちは,その機会に際して賢明な行をなし,主からの祝福を確かにうけ,また主の霊感の御言葉の中で,良く述べられています。今日の多くの会衆も同じようにこの機会を認め,そしてこの必要な出費に分け与ります。
34 支部は他のどんな出費を持つていますか? しかしそれらの出費をなぜ後悔しませんか
34 巡回の業に加えて,協会の維持する幾百という宣教者の家は全世界にあり,拡大の計画に参加しております。又特別開拓者たちをも良く援助しています。すべての支部が持つているこれら二つの面の奉仕の費用の他に,各ベテルの家自体およびそのベテルの管轄する地域内の兄弟たちに愛の働きを捧げる兄弟を維持しています。それから,開催される定期的な大会に出費を要し,まして「良いたよりを守り合法的に確立する」のに必要な費用のかかる多くの裁判事件は言うまでもありません。これらは制度の後悔しないすべての出費です。というのは,これらの出費のもたらした祝福の富は,金銭で測ることのできないものだからです。ヱホバの証者は非常に富める人ではないにしても,正しい義のためにその持てるものを費すのに恐れを感ぜず,またその費すものから最大のことを得る仕方を知つていると全世界に表明します。あらゆることにもまして,ヱホバの御霊は御自身の制度の上にあり,また欠如しているものは何一つなく,みななし得ることができると表明しています。今日のヱホバの制度の驚異的な増加は,金を費すことなしでは達成できません。しかし,ヱホバの過分な御親切により,拡大はいまでも進みつつあります!
将来の繁栄を支持する
35 慈善の寄附を定期的に行うことは,パウロによりどのように励まされていますか?
35 すべての者が伝道計画に参加するとき,すべての者は努力を払い,慈善の寄附にも参加します。おのおのの僕の費す時間が自発的であるごとく,物資の資金を寄附する事も,自分自身で決定すべき事柄です。しかし,野外の定期性ということに努力がなされているのと同じく,制度を支持するのに用いるお金を定期的に分けて貯えることも,使徒によりすすめられています。『さて聖徒たちへの寄附については,私がガラテヤの会衆に命じた通り,あなた方もそういたしなさい。週のはじめの日に,あなた方はその繁栄に応じていくらかのものを自分の家に貯えて置きなさい。そうすれば,私が着いた時に寄附を集めずに済むであろう。』― コリント前 16:1,2,新世。
36 真理に来る多くの人の以前のどんな経験は,初期ユダヤ人のクリスチャンの立場と比較されますか? 事態をどのように見るべきですか?
36 ヱホバのすべての民は現在の悪い世の組織制度から出て来たため,ヱホバに讃美をもたらさないものにお金を費すことはどういうことであるかを知つています。偽りの宗教に入つている人々には,いつもきまつて寄附金を見ています。「献金封筒」を毎週うるさく催促されます。ある国では,宗教『献金』のために多くの者は俸給を滅ぜられています。彼らは名附けること,結婚,葬式,特別な建築資金,宣教資金,そしてその他のために『寄附』いたします。ある人は,真理に入る以前に,タバコや他の類似の習慣に耽けり,肉を満足させるために多くのお金を費しました。サタンの影響の腐敗から離れ,真理に来た人の中で,キリスト教初期のユダヤ人程に大きな救を感ずる人はまづいないでしよう。ユダヤ人は,背散したユダヤ教の課す重荷を負わされ,神により命ぜられていた10分の1税が,実際には神の栄光を奪うのに用いられているのを見ていました。しかし,これらの人は,改宗後使徒行伝に次のように書かれている人々の中にいました。『その一人として持ち物は自分のものと言わなかつた。』いまやその任意の寄附がヱホバの讃美に用いられているのを見て,彼らはその持つものを何一つためらわずに捧げました! 以前偽りの宗教的な実践や利己的なたのしみに捧げられた時間は,新らしい神権的な奉仕者により取り戻され,ヱホバの奉仕に捧げられています。自分自身またはサタンの『潔めた』強奪者の貪欲を満足させるために,お金もまたしばしば過度に使われました。しかしいまやヱホバの制度を支持するために,お金は自発的に捧げられています。彼らを惜しみなく与え人にならせるのは,彼らの上に注がれるヱホバの御霊であります!
37 ヱホバは御自身の御名を制度の上に述べられていると誰が認めますか? 諸国民はなぜ恐れていますか?
37 ヱホバの御霊は御自身の制度の上に注がれているために,約束された繁栄の時は実現されています。見たところ克服し得ないような多くの期間に於いても,ヱホバは制度を支持し,また豊かに祝福されました。制度の拡大に限りはありません。その数は次から次にと最高数を出し,ヱホバの奉仕者の記録は上昇しております。新しい世の社会は,まだ微々たる少数であり,年も幼さないものですが,一つの業をおこなつており,そしてサタンの組織制度に属す国民を驚かせ恐れさせる繁栄を楽しんでいます。この世の利己的な支配者たちは,進行中のものを見て驚愕しており,目にうつるものをとうてい信ずることができないのです。彼らの中の誰が,自発的な税金制度によつて政府を運営し得ますか? しかし,全世界に亘る新しい世の社会はまつたくその基礎にもとづいて永久に確立されているのです。サタンの制度に属す教会の中のどれが,たえず嘆願したり強奪したりすることなしに,社会に対するその選ばれた責任を果し得ますか? しかし,ヱホバの証者の比類ない現在の進歩および全世界の幾百万人の人にもたらした慰めと感動は,比較的僅かな数の人が,神の命じた業を支持するためその時間と金を自発的に寄附した結果に外なりません。ヱホバは御自分の制度に豊かな祝福を注がれて,そのような増加を与え許されたために,現在58万人の奉仕者は地の隅々でヱホバの讃美を歌つています。これらの者はみな『忠実にして賢い奴隷』により訓練をうけ,そしていま,ヱホバは,御自身の御名を置かれた制度を擁護されていると認める多くの人の訓練を熱心に支持しております。
38 ヱホバの制度の絶えざる繁栄は現在および将来,どのように支持されますか?
38 幾万というこれら新しい人は,神の家族に群り集まり,宣教の業に献身しています。これから先の将来,たとえ少額のもので協会に直接なされるか,あるいは御国会館に直接なされるにしても,すべての兄弟が業にたいして寄附をするという大きな特権を認識し,資金が集められるとき,今日まで全く惜しみなく寄附された資金を用いてすでに行われたものよりも,なんと大さな拡大の業はなされ得ることでしようか! なんという素晴らしい新しい前途が将来にあるのでしょうか?『わが宮に食物あらしめんために,汝ら什一をすべて我が倉にたづさえきたれ。而してこれをもて我を試み,わが天の窓をひらきて容べきところなきまでに恩沢を汝らにそそぐや否やを見るべし。万軍のヱホバこれを言う。』『言い尽せぬ自由の賜物のゆえに,神に感謝する。』― マラキ 3:10。コリント後 9:15,新世。