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  • 神の目的とエホバの証者(その10)
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1961
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  • 創造の写真 ― 劇
  • 憶測に対する健全な警告
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1961
塔61 1/15 58–59ページ

神の目的とエホバの証者(その10)

「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳

創造の写真 ― 劇

パストー・ラッセルは,時代よりもはるか先がけて大胆かつ念入りの教育計画を考えつきました。当時活動写真が人気を集め始めていました。それでラッセルは,活動写真が比較的わずかな時間の中に大群衆に真理を伝える効果的な手段であると認め,「創造の写真 ― 劇」を準備し始めました。その仕事は1912年に始められ,その完成は1914年前の最終的な大運動に間に合うものと希望されました。その題は,内容を良く表わしています。それは,人間の住居である地の準備の時から始めて1000年統治の終りにおける神の目的の最高潮にいたるまで,地と人類に対する神の目的を示していました。この中には,写真のスライドと活動写真が入っており,話と音楽が録音されている蓄音機のレコードと時間が同調されていました。それで,協会は有声映画の分野で開拓の仕事をなし,その成功については十分の確信をもって仕事を始めました。この仕事に開拓努力した結果は,そのわざ全部に神の御霊が注がれたことを示しました。

その仕事は,ラッセルが予期した以上に大きなもので,1912年の末までには完成せず,最初の映写をするまでに丸2年の歳月がかかり,協会は30万ドルを必要としました。a 「写真 ― 劇」についての記事は,1914年の「ものみの塔」(英文)に掲載されています。

読者が「創造の写真 ― 劇」に深い興味を持つのは当然である。みなさんは,多少なりとも,過去2年間におけるその準備について聞いておられる。この仕事は,我々の予想以上に手間どった。それを見た人はみな,たいへん美しいと評している。ひとりの牧師は,その第1部と第2部を見た後に,次のように語った,「私は創造の写真 ― 劇の半分しか見ていないが,それだけでも,3年間の神学校で学んだこと以上に聖書のことを多く学んだ」……

それ〔劇〕は,地 ― 動物と人間の創造,過去6000年間の人類の経験,メシヤの御国の千年のわざに関するすべてのことを含む。それは,適当な音楽やその他を持つ四つの部 ― 四つの催しもの(それぞれは2時間の長さ)に分けられている。

第1部は,星雲から,世界の創造,ノアの日の大洪水,そしてアブラハムの時まで。

第2部は,イスラエルがエジプトから救われて後の,荒野での経験およびその他から,歴代の諸王の期間を経て,預言者エリシヤの時まで。

第3部は,ダニエルの時から,イエスが誕生して,ロゴスが肉になられたこと,イエスの少年時代,成人時代,洗礼,奉仕活動,奇跡,十字架につけられること,死,復活の物語りを告げる。

第4部は,五旬節に始まり,今日までの過去19世紀間の教会の経験を示し,さらに来たるべき千年を経て栄光に輝く最終を示す。b

ロイス: 当時,映画ははじまったばかりでしたから,それはたいへんすばらしい企画ですね。

マリア: 家から家の奉仕をしているとき,いまでも,その映画を見たのをおぼえている人々に会います。

ジョン: しかし,その準備は大がかりでこまかいことに手間どったため,それは1914年前の期間に用いられませんでした。その映写については,後にお話ししましょう。その間長いあいだ述べ伝えていた時が近づいて来たので,エホバの証者は奉仕のわざにますます励み期待の念はだんだん高潮してきました。

憶測に対する健全な警告

トム: パストー・ラッセルは,1914年に実際どんなことがおこるか,十分の確信を持っておられなかった,とあなたは前に言っておられましたね。当時の証者たちは,だいたいそのような態度を取っていましたか。

ジョン: この期間中,大ぜいの人々は熱心のあまり予期すべきことについて行き過ぎた言葉を述べたことは,たしかです。ある人々は,ものみの塔の中から,その意図しないことまでも読み取りました。それで,ラッセルは異邦人の時の終りに必ず生ずる大変化について人々の注意を促すと共に,特に時の要素について読者たちに狭量な態度を持たぬようにすすめました。幾年もの期間中に発行された「ものみの塔」からの多くの抜萃を読めば,このことが分かります。たとえば,1885年という昔でも,ラッセルは「ものみの塔」の中で次のように書いています。

暴風雨の雲は,古い世にくろく立ちこめている。欧州大戦は,間もない将来に始まるように見える。

それから,世界状勢についての強烈な描写が示されてから,その記事は次の言葉で結ばれています。

いわゆる神の国と呼ばれるものや,その軍隊のために祈りが神にささげられている。その祈りは,平和,人に対する善意を命じている方の名の下に神にささげられる。このお方は,捕われ人を自由に解放し,地上のすべての人に愛,平和,そして自由を宣明される。このお方は,それらの人々の自由のために死なれた。

神に感謝すべきことは,自由解放の宣明は行なわれており,神学的なかせや政治的なかせはこわれ始め,なやみ苦しむ人々はまもない中にインマヌエルの支配下にあって神の子の真の自由に解放されるにちがいない。c

1893年の「ものみの塔」(英文)は,次のように述べていました。

大暴風雨は,間近に迫っている。それが正確にいつ始まるかを知ることはできないが,12年あるいは14年よりも先の将来と考えるのは,理に合わない。d

1894年,「ものみの塔」はこう述べていました。

いまから数年のうちには,現在の組織制度は終了し,精練されたこの世は設立された神の御国の実状と直面するであろう。しかして,教会の道はその間に入る短い期間中に終わる。e

同年に掲載された別の言葉も意味深いものです,

「子を持つ女に苦しみがのぞむ」とは,40年にわたる苦難について述べる霊感の言葉である。その苦難によって,千年期間は始まる。全世界に影響を及ぼした1873年の恐慌は,最初の激痛であり,それ以来不定期な間隔をおいて地の陣痛の苦しみは経験された。ちょうどいま,アメリカ合衆国に住む我々は,なげき苦しむ被造物の苦悶の只中にいる。f

1912年,ラッセルは1914年についての個人勝手な無軌道な推測を除去するために特別な警告を発しました。彼は次のように書いています,

この問題について意見がいくらかちがうことはたしかにあり得る。各人にいちばん大きな自由を与えることは適当なことである。異邦人に力が借し与えられていることは,1914年の10月か,1915年の10月に終るであろう。そして「国あって以来かつてないような」激しい争いや無政府状態の期間は,異邦人の時の最後となりメシヤの統治の開始になるであろう。

しかし,我々は読者の全部に再び次のことを留意させる,すなわち,我々は異邦人の時が苦難の時の中に終るというようなことを預言したこともなく,またその大災難の後まもなくして起こる栄光に輝く時代についても預言しなかった。我々は単に聖書の言葉を指摘し,その意味についての我々の見解を述べ,読者各人がその意味について判断を下されるよう願ったのである。我々にはこれらの預言はいまでも変っていない。しかし,ある者は自分の知っていることや,知っていないことについて積極的な言葉をのべる。我々はそのようなことを決してしない。我々は,しかじかの理由の故にそう信ずるということを単に述べるだけである。g

それで,これらの初期の見張人たちは,1914年の来る時に生ずる事がらに確信をもっていました。預言の成就が,実際にどう行なわれるかは明白には分かりませんでしたが,1914年は地上の歴史において画期的な年になる,ということを示す証拠はますます増加して来ました。

国家間の競争という爆発的な空気は,全世界にひろまりました。そして,政治支配者や商業支配者たちが大運動を始めて死物狂いの軍備競争をすることは,全地の宗教家たちにより十分の支持をうけました。フランスとドイツは,巨大な戦闘力を築き上げる一方,英国とアメリカ合衆国も軍備を増強しました。蒸気エンジン,ガソリン,エンジン,そして電気のような最新の科学的な発明はみな戦争準備に向けられ,世界の頭の良い科学者たちは大量殺人をはかる近代兵器をつくるためにすべての努力を傾倒しました。ほんとうに人類は,軍営のなかに集められて行ったのです。この世の支配者なるサタンは,終り ― 彼は1914年にそれが来ると知っていた ― に備えてその軍勢を集めていました。

しかし,必至に見えた20世紀の全世界にわたる諸国家の潰滅は,その年に始まる意味深い戦争を指す証拠でもありました。最重要な論争は,君主主義支配,対,民主主義支配ではありません。いまや宇宙主権の論争は神の活動の暦にしたがい解決することになりました。その戦いの結果が,すぐ将来にどう現われるか,また神の御心に従い出来事がどのように発展するかについては,当時のエホバの証者は理解できませんでした。40年間彼らはその来ることを告げ知らせよ,と命ぜられていて,その目的を達成するために勤勉につとめ,すこしの努力をも惜しみませんでした。その時が来たとき,彼らはすわって待つだけというような態度を取りませんでした。ブルックリンの新しい本部の建物から御国の文書は,とぎれずに全地に流れ出て行ったのです。

協会の本部からイースト河をへだてた対岸には,ニューヨーク市の金融街の堂々たる高層建築がそびえていました。当時の世界において一番高かったこれらの高層建築物は,世界最強の帝国の力を象徴しているものである,と多くの人々は考えました。それとくらべると,ブルックリンにあったものみの塔協会の施設は,まったく貧弱なものに見えました。当時の人々の中,エホバが世の四隅から集めたこの証者たちの小さな群れに対して,何を準備し給うたかを認識できた人はひとりもいません。また協会の人目をひかぬこれの建物から出された小さな声が,ついには非常に大きな力をもって地をみたし,サタンの全世界の巨大な機構の地盤そのものがゆり動かされてしまうなどと認識できた人もひとりもいません。

[脚注]

a (ヨ)1914年の「ものみの塔」(英文)375頁。

b (タ)1914年の「ものみの塔」(英文)105,106,371頁。

c (レ)1885年の「ものみの塔」(英文)1頁。

d (ソ)1893年の「ものみの塔」(英文)194頁。

e (ツ)1894年の「ものみの塔」(英文)56頁。

f (ネ)同じ「ものみの塔」(英文)162頁。

g (ナ)1912年の「ものみの塔」(英文)377頁。

[59ページの囲み記事]

「信仰は聞くことによるのであり,聞くことはキリストの言葉から来るのである。しかしわたしは言う,彼らには聞えなかったのであろうか。否,むしろ『その声は全地にひびきわたり,その言葉は世界のはてまで及んだ』」。―ロマ 10:17,18,新口。

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