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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
塔68 9/15 566–569ページ

心と力をつくして神に仕える

イルマ・E・フレンドの経験

私は幼いとき,祖父が時間を決めて話してくれる聖書物語を夢中で聞いたものでした。そのためか,神とキリストを愛し尊敬する気持ちをいだくようになり,神への奉仕に生涯をささげた人々の尊さがわかるようになりました。そして,自分も時間と能力のすべてをささげて神に仕えたいという気持ちが,心の中でしだいに大きくなっていきました。インドで宣教師として働いていたおじとおばは,4年ごとに帰国しました。二人が経験を語るとき,私は一語も聞きもらすまいと,熱心に耳を傾けました。そして自分も看護婦宣教師ぐらいにはなりたいと考えました。

第一次大戦が始まったとき,私は十代になったばかりでした。私たちの家は中立国スイスにあり,母と私は戦う両軍の兵隊のために,暖かいくつ下と手袋を編むというごくありふれた仕事にたずさわりました。多数の男たちが,戦闘や殺人にかりたてられ,かつては平和で美しかった土地が破壊されるのをみて,私たちはこころを痛めたものでした。まだ十代のあるとき私は病気になり,ベッドに寝たきりになりました。牧師は,聖書を読むことに少しの時間を費やしてはどうか,とすすめてくれました。兄は特別の書見台をつくってくれました。それはベッドの上で,家族用の大きな聖書を支える便利なものでした。長い日々をすごすのにはまたとない方法でした。

1917年の春には母と私の両方が病床にいました。母は激しい心臓発作を起こしてから床につくようになったのです。私たちが属していたプロテスタント教会の牧師はたびたび訪問してくれました。それで私はよく,御国について牧師に尋ねました。「御国がきますように」と祈ることを教えられていたからです。神の国はわたしたちの中にある,と牧師は答えました。しかし私はそれをうけいれることができませんでした。というのは,国際的な戦闘に参加していた何百万という人々も,結局は心の中に神の国をもっているはずの人たちだったからです。

その年の7月,私の愛する母は死にました。私は悲しみにくれました。父は私を町の外の美しいけい谷に移してくれました。父と姉が帰ったあと,この少女だけの療養所にあって私の悲しみはいっそう深くなりました。少女たちは親切でしたが,私はたゞ泣いてばかりいました。みんなからのがれるため,構内を歩き回りました。そして庭の中に小さなあずま屋を発見してそこにかくれました。

暗やみにさし込んだ光

私はテーブルの側にすわり,両腕に顔をうずめてすすり泣きをしました。その時,だれかの手がわたしの肩に静かに触れ,やさしい声が,母の死について私を慰めてくれました。14歳のその少女は,「神の国がくるとまたおかあさまと会えますよ」と確信をもって言いました。すぐに私の関心はかきたてられました。彼女はどのようにしてそれを知ったのでしょう。私は不思議に思いました。それで私は質問をはじめました。彼女が説明した復活その他の聖書の約束は,すばらしいことに思えました。それからというもの私たちは離れられない友だちになりました。

最初の日,彼女は「日曜に母がきますからその時まで待ってちょうだい」と言いました。「母は熱心な聖書研究生ですから,くわしい説明ができます」。たしかにそのとおりでした。私たちは1週間おきの日曜日に,その母親と一緒に読んだり勉強したりしました。そしてその間の週末に,私の家の者がたずねてきては,私がだんだん快方に向かうのを見て驚きました。自分が明るくなったおもな理由を説明すると,家の者は,べつに反対をしませんでした。私が明るさを取りもどしたことだけを喜んでいたからです。

私はその友だちのおかあさんが,ベテル(『神の家』という意味)のことを話したのを思い出します。ベテルは現在でもそうですが,ニューヨーク市ブルックリンにある,ものみの塔聖書冊子協会の本部のことでした。「ああ,私もそんなところで働きたいわ!」と,熱をこめて言ったものです。彼女は微笑をうかべて言いました。「それができたらほんとうにすばらしいでしょうね。でもイルマ,ベテルは遠すぎますよ。それにベテルは強い,健康な人が必要なのよ」。しかしともかく,希望の種はまかれ,根をおろして行ったのです。

ようやく療養所から出たのちも,その友だちは時おり私をたずねてくれました。私の家族もその少女が好きでした。父は私が,小さなはずれの町にある彼女の家を時々たずねることさえ許してくれました。これは,聖書研究生の集会に出席する機会になりました。というのは,家では父がいつも「小さな宗派」はきらいだと言っていたからです。やがて父は本気で反対するようになりました。義母もそうでした。しかしそのときすでに,わたしは年は若くても,堅い確信を抱いていました。

献身によって開けた新しい生涯

すでに1918年10月,神と神への奉仕に献身していましたが,父が反対していたため,1920年まで,その新しい関係を水のバプテスマで表わすことができませんでした。マックス・フレッシェルに紹介されたのはその年です。彼は私が神のみこころを深く知るように大いに助けてくれました。しばらくして彼は,スイスのベテルで全時間奉仕をする気持ちはないか,と聞きました。ベテルのことを初めて耳にした時から,それこそ私の目標でした,と答えました。さらにのちになって彼は,私と結婚して全時間奉仕をしないか,と言いました。一度に二つのすばらしい機会が訪れました。私の喜びを想像してください。

私たちは1921年10月に結婚しました。そのあとすぐ,チューリッヒにあった,ものみの塔協会中央ヨーヨッパ事務所で奉仕するようにとの招きをうけました。その時から多くの特権を与えられました。会長のJ・F・ラザフォードや他のアメリカの兄弟が時々訪問し,大きな祝福と励みをもたらしました。1925年に,ベルンに新築されたスイス・ベテルに移り,マックスと私はそこで1年近く奉仕しました。そこで一緒に働いた愛すべき同労者をたびたび思い出します。その中には,いまもベルン支部で,楽しく仕事にいそしんでいる人も多くいます。そして他の人たちは天に召されてその報いを得ました。

1926年5月にはラザフォード兄弟がスイス支部を訪れ,同時にバーゼルですばらしい大会が開かれ,私たち全員が出席しました。それまで一部のスイス人の兄弟たちの間には紛争がありましたが,エホバは忠実なさとい奴隷の組織を通じ,正しい道を歩ませて下さいました。それから間もなく主人は1通の電報を受け取りました。それは,ふたりとも,ブルックリンの本部で奉仕するようにとの招きでした。私たちが大喜びですぐ承諾したことは想像していただけるでしょう。

もちろん,スイスの愛する友人や親族とわかれるのは淋しいことでしたが,主の約束どおり,海の向こうにもさらに多くの兄弟,姉妹,父,母,子どもたちが待っていることはわかっていました。―マタイ 19:29。

1926年の7月,ニューヨークに上陸した私たちは,埠頭まで迎えに来た古い友チャーリー・アイカーに会いました。ラザフォード兄弟をはじめ,当時小人数だったベテルの家族は,どんなにか暖かく迎えてくださったことでしょう。英語があまり話せませんでしたが,兄弟姉妹の目を見ただけで,暖かい歓迎を読みとることができました。はじめのうち,スイス娘が無気味なニューヨークの町になれるのは,容易なことではありませんでした。またマックスが協会を代表して「巡礼」の旅に出ている間は淋しくて,ホームシックにかかることもありました。そういう時には子どもの時からあこがれていた所でいま奉仕しているのだと,絶えず自分に言い聞かせました。

そうしたことのあったころ,私はドイツ語を話す同労者から多くの励みを得ましたが,まもなく英語もわかりはじめ,多くの人と深い友情を培うようになりました。最初私はアルベルタ・フォードと一緒に働きました。ベッドをなおしたり,ほこりを払ったり,床をブラシで洗ったりすることも一緒にしました。彼女は手早く能率的でしたから,そのころの私にかなりの忍耐が必要だったに違いありません。彼女の熱心とエホバへの献身,そして兄弟たちに仕えたいという強い欲求は,私にとって真の激励となりました。彼女は1960年に死にましたが,死のまぎわまで私たちは非常に親しくしていました。

ベテルでの忙しく楽しい日々は飛ぶようにすぎました。主人は「私たちの生涯に,たいくつで空虚な時は片時もなかった」と口ぐせのように言います。1941年に私たちはアメリカ市民になり,主人は名をマックスウェルに,姓をフレンドに変えました。これには,天の父と,天と地にいる父の全家族の永久の友でありたいとの願いがこもっていました。

ギレアデにおける楽しい奉仕

1943年,マックスウェルは,現在の会長であるノア兄弟から,ニューヨーク州イサカ市の近くにある協会所有の美しい御国農場に行き,そこに新しく開設された宣教者のためのギレアデ学校の教官として,また私は家事をする者として奉仕する気持ちはないか,と聞かれました。ベテルを離れるのはたいへんつらいことで,私はそのことのためにだいぶん涙を流しましたが,しかしなんとすばらしい祝福が私たちのために貯えられていたのでしょう。いく週間かの忙しい準備が終わると,第1期生が到着し,17年間にわたるギレアデでの忙しい奉仕が始まりました。

私たちはすばらしい特権を楽しみました。宣教者としての訓練に一路まい進する,愛すべき忠実な全時間奉仕者と親しい友になれたことは大きな特権でした。家や友人や安楽な生活をすゝんで後にし,人種や風土の異なる人々のために働く多数の青年男女を何かの面で助けられたのは,うれしいことでした。現在までの25年間,私はそういう人々の多くを個人的に知るようになりました。そして彼ら全部を心から愛しています。彼らの熱意と献身は,エホバとその王を信じ,エホバに奉仕するよう,どれだけ多くの人を助けたことでしょう。

これらの年月の間,私に与えられた特権は豊かで満足のいくものでした。大会にはどれにもみな出席でき,満ちあふれるばかりの祝福をいただきました。そしてなんと多くの友を得たのでしょう。私はエホバがわたしたちをくすしくつくってくださったことをいつも感謝します。そのために,いまどんなに多くの友がいようと,私たちの心にはまだまだ多くの友を受け入れる余地があるのです。

再び変化,そしてさらに大きな喜び

ノア兄弟は親切にも私たちの老齢を考慮してベテル本部に呼びもどし,責任のあまり重くない仕事をつづけられるようにしてくださいました。またもや友だちとわかれるのはつらいことでした。しかし少なくとも,その美しい場所を毎年「訪ねる」ことはできます。そして実際に私たちはそうしました。

ベテルでの仕事は相変わらず楽しいものです。エホバのわざ,そしてエホバの熱心な崇拝者のために,心身を打ち込んで働くことには大きな満足があります。兄弟たちや姉妹たちが,事務所や工場でどんなに一生懸命働くかをよく知っていますから,仕事が終わったあと,彼らがいつも快適ないこいの場所をもてるように,できるだけいごこちよくしてあげようと,彼らのへやを整えるにも,おのずと力がわきます。たしかにからだは疲れます。でもエホバは,わたしたちの力を日ごとに新たにしてくださいます。そして,もしわたしたちが,頭をよく働かせ,エネルギーを注意して使い,休憩時間を賢明に活用するなら,年をとっても,驚くほどつづくものです。

健康の問題もなかったわけではありません。時にはそのために相当苦しい戦いをしたこともあります。しかしそのようなとき監督者たちは非常に親切で思いやりがあり,必要な助けを与えて下さるのが常でした。そして非常に苦しい時にはいつも,親切な医師の兄弟が助けてくださいました。まことにエホバは必要なものすべを備えてくださいます。もしわたしたちが,エホバへの献身に関係したつとめを忠実にはたすなら,エホバはその愛のこもった約束を果たしてくださいます。「あなたの大庭にいる一日は,よそにいる千日に」はるかに,はるかに「まさるのです」― 詩 84:10。

この長い年月にわたる全時間奉仕を,楽しく,満足なものにする助けとなったのは,愛する夫の,エホバとその組織に対するまったき献身でした。夫は,常に私のよき模範でした。個人的にどんなに大きな問題が出現しても,夫に相談すれば,それはもはや大きな問題ではなくなりました。夫はエホバに奉仕することをこよなく愛し,任命されたならどんな奉仕の場所においても常に満足し,神とキリストを愛するへりくだった人,また神とキリストの友として奉仕しました。このような夫のそばに長くいて,どうして献身的に奉仕せずにいられましょうか。1920年の昔,私はそうすることを夫に約束したのです。そしてその気持ちはいまも変わりません。

望むだけのことができないのに疲れてしまうときなどは,しばしばリベカのことを思います。彼女は,アブラハムのしもべエリエゼルに,喜んで水を飲ませました。そして彼がかわきをいやしたら,こんどは10頭のラクダにせっせと水を汲んで飲ませました。それだけの働きをした彼女は,相当疲れたに違いありません。でも満足していました。そして彼女は,なんと豊かな報いを受けたのでしょう。自分の望むほどできなくても,できるかぎりをした場合には深い満足をおぼえます。

野外奉仕にせよ,宣教者としての奉仕にせよあるいは会衆やベテルでの奉仕にせよ,力のおよぶかぎりをすることからくる満足は,大きな報いです。エホバにとってわたしたちはいまなおふつつかなしもべであり,わたしたちに絶えずさしのべられるエホバの大きないつくしみにくらべれば,わたしたちの働きはきわめて小さなものですが,それでも,エホバがご自分の同労者となる機会をわたしたちに与えてくださっていることは,たしかに大きな励みです。―コリント第一 3:9。

エホバが,ひとりの少女の手と声を用いて私に神のことば,聖書からの慰めを与えて下さった1917年のあの記念すべき日以来,私は同様の祝福を他の悲しむ人々にさしのべることを願ってきました。黙示録 21章1節から4節は私の好きな聖句です。悲しむ人々を救うために私はこの聖句を何度使ったことでしょう。看護婦宣教師ではなく,この特別の時代にエホバの御国の使者となるため,必要な助けを与えて下さったエホバに感謝せずにはいられません。エホバはたしかに物事を支配されます。永遠の生命と幸福に至る道をふみはずさないよう,愛をもって助けて下さったエホバと私の救い主であるエホバの御子,および多くの兄弟姉妹に,いつも感謝しています。

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