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  • あなたは霊の思いを持つ人ですか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
塔69 10/1 585–587ページ

あなたは霊の思いを持つ人ですか

あなたは霊の思いを持つ人ですか,それとも肉の思いを持つ人ですか。エホバのしもべと称するすべての人がこう自問するのはよいことです。なぜですか。コリント前書 2章15節では,使徒パウロがつぎのように言っているからです。「性来のままなる人は神の御霊ことを受けず,彼には愚なる者と見ゆればなり。……されど霊に属する者は,すべての事をわきまふ」。

コリント前書 2章15節に述べられている「霊に属する者」は主として,天的希望を持つキリストの足跡に従う者をさしていますが,神に忠実に仕える人すべては,ある意味で霊に属する人といえます。アベル,ノア,アブラハムやいく人もの忠実なヘブル人の預言者たちのような昔の忠実な人々は,地的な希望を持っていましたが,霊に属する者であったと言えます。

霊に属する人の特徴

使徒パウロのいう「霊に属する者」とは,終日信心ぶかそうな敬虔な表情をしている人のことではありません。全く違います。霊に属する人は,自分の霊性をひけらかすようなことはしません。彼らはイエス・キリストに逆らった律法学者やパリサイ人が霊に属する者でなかったことを知っています。律法学者やパリサイ人は人前で長い祈りを繰り返したり,人目を引く飾りを身につけたので,霊に属する者であるとの名声を得たかもしれません。しかしこの事はまさに彼等が肉に属する者であるという印でした。というのは彼等は人に見られるためにそうしたからです。―マタイ 6:5; 23:5。

これとまったく対照的なのは「霊に属する者」たちです。霊に属する人は神に受け入れられる唯一の方法,すなわち「霊と真」を持って心からエホバ神を崇拝します。このような人は信仰を持っています。また眼に見えるすべての被造物が神の存在を有弁に証明しているために,神の存在していること,すなわち神が生きておられることを悟っています。(ヨハネ 4:24。ロマ 1:20)霊に属する人は神が「己を求むる者に報いたまふ」方だということを知り,神に仕え,神の御子なるイエス・キリストの足跡に従うために献身しました。―ヘブル 11:6。マタイ 16:24。

「霊に属する者」にとって創造者は実在するものです。そのような人は,昔のモーセのように,見えない神を見ているかのように生活します。(ヘブル 11:23-28)神は彼にとって実在者なので,心からエホバに依り頼み,自らの悟りに依らないですべての道において神を認めます。それですから,祈りによって神と親しく語ることを喜びます。神と話すことがどれほど貴重な特権であるか,また自分がいつもどれほど神の助けを必要としているかを認識しています。そこで,一日の始めと終わりに十分の時間をかけて天の父を讃美し,感謝や願いをささげます。またどんなに急いでも,食事の前にはかならず神に感謝の祈りをささげ,食事に対する神の祝福を求めます。―箴言 3:5,6。ピリピ 4:6,7。

そうです,霊に属する人は「霊的な必要を自覚してい」ます。「人が生きるのはパンのみにはよらず,エホバのみ口から出るすべてのことばによる」ことを認識しています。衣食住やこの世の快楽を一番の関心事にするかわりに,「御国と神の義とをいつも第一にし」ます。つぎのように語った詩篇作者と同じ思いをもちます。「われはなんぢの法をいつくしむこといかばかりぞや。われ終日これを深くおもふ」。そのような人は霊に属する他の人々と交わるようになります。―マタイ 5:3; 4:4; 6:25,33,新。詩 119:97。ロマ 1:9-12。

このような理由で霊に属する人は日常の事柄から「時間を買い取っ」て神のみことばを学びます。神のみことばすなわち聖書を毎日読むだけでなく,読んでいる内容を理解したいと考えます。援助の申し出を偏見なく受け入れて,ものみの塔協会から出版されクリスチャン・エホバの証人によって届けられる聖書研究の手引きが神のみことばと目的を理解する上で非常に価値があることを知ります。その理由で賢明にも,神のみことばの理解を増すためにエホバの証人の集会が提供する機会を活用します。―使行 8:30-35。ヘブル 10:23-25。

霊に属する人のもう一つの基本的な特徴はその人の持っている希望です。それは盲目的な希望ではありません。反対に,心に降ろしたいかりのように,みことばに記録されたこれまでの神のお約束とその成就に基づくしっかりした強い希望を持っています。そのような人は神が偽ることはできないことを知っています。確かな希望を持っているために,霊に属する人は悪や暴力が増加しても,また将来の見とおしが暗くても当惑しません。彼らは,まもなく「御国がき(て)…みこころが天に行われるとおり,地にも行われ」ることを知っています。―マタイ 6:10,口語。ヘブル 6:18,19。

「心に満つるより口に言はるる」といわれているとおり,霊に属する人は神のみことばとお目的に関する事柄を喜んで討議します。社交的な集まりとか御国会館の建築やそうじあるいは大会準備の仕事などのために集まっても,他の人との交わりを楽しむ時に,霊に属する人は会話の中心を人の徳を高める霊的な事柄へと巧みにもって行きます。―マタイ 12:34。

霊の思いを持つ人は心を神に向けている

理想家で気高い心の持ち主でも霊に属する人ではないかもしれません。どうしてそうですか。というのは,霊に属する人であるためには,人道主義者のように人類の福祉を心がけるばかりでなく,それ以上の事柄が含まれるからです。

霊に属する人はつぎのことを知っています。つまり,自分自身のように隣人を愛することは第2番目の戒めにすぎず,第1番目の主要な戒めは「心をつくし,精神をつくし,思をつくし,力をつくして,主なる汝の神を愛すべし」ということです。―マルコ 12:29-31。ルカ 6:31。

そうです。霊に属する人はその心を神に向けています。人間の考えにすぎないものを導きとせず神のみことばにたよります。仕事に際しては「人を喜ばせるために目先のつとめ」をしないで,「エホバに対するように」,「エホバをおそれ」て働きます。それでカイザルのものをカイザルに返すばかりでなくて,神の物を神に返すことにいっそうの関心を払います。こうして神に専心の献身をするのです。―コロサイ 3:22,23,新。マタイ 22:21。出エジプト 20:5。

霊に属する人が監督の立場にある時

霊に属する人は仲間のクリスチャンとの関係においてキリスト教の原則を見失うことはありません。その人が他のクリスチャンを監督する場合にはとりわけその原則に従うように注意します。たとえばある会衆の監督は世俗の仕事の上でも責任のある地位にいるかもしれません。利己的な考えで動くだけでなく,やさしさや親切を示されるとそれをすぐ利用する人々と1日中接しているうちに,自分が厳しく無愛想になっているのに気づくクリスチャンもあるでしょう。

注意しなければその人は無私の気持ちで神に奉仕する仲間のクリスチャンにも同じように厳しく無愛想になるかもしれません。これはなんと愚かで浅はかな愛のない態度でしょう。あなたはこのようなあやまちを避けていますか。イエスがわずか数年のあいだにどれほど多くの事を成し遂げねばならなかったかを考えて下さい。もしイエスが能率ということだけに特別な関心を持っておられたなら,謙そんなガリラヤ人のほとんどすべてを使徒にされたのではないでしょうか。イエスはそれらの人に接するのになんという忍耐を示されたのでしょう!

今日も,会衆や大会あるいは大会の一部門などのいずれの監督であっても,忍耐を持って人に接するというイエスのこの模範に従うのはよいことです。物事を運ぶ場合に,あたかも無情で有能な社長のように厳しく無愛想に兄弟たちを扱いたいとは思わないでしょう。そこで,あなたの頭がたとえ多くの事で一杯になっていても,使徒パウロのように,相手の気持ちを汲み取る必要を忘れないでください。(コリント後 11:29)きびきびと荒々しく命令するかわりに,やさしく兄弟に話しかけ,「これをしていただけませんか。あれをしてくださいますか」と尋ねるのは確かによいことです。兄弟たちはもちろん働いてくれるに違いありません。兄弟たちは愛の心からすべてこのことを行なっているので,エホバのわざを押し進めるために自分たちができることはなんでもしたいと思っています。時間どおりに仕事を始めることばかりを気にするよりも,日々の聖句を読みその内容を検討することから一日を始めるのがよいでしょう。

クリスチャン兄弟が理解におそく,また判断がまずくても,気短かになって,このくらいのことはわかっているはずだ,という態度をとらないでください。あなた自身熱心さと実力の点で模範的であっても,他の人をせき立てたり,あなたと同じほど仕事をするように要求しないでください。むしろ兄弟に接するときにも神の聖霊の実をあらわすことを思い出してください。特に愛,親切,柔和という事柄を考えてください。―ガラテヤ 5:22,23。

霊に属するクリスチャンは,時々霊に属するのでなく,いつも霊に属していることができるでしょうか。神のわざに携わる場合,人間的な考えで兄弟たちを扱う傾向を持つ人がいます。そのような人が他の兄弟たちを監督する立場にいると,この傾向はとくに強くなります。使徒パウロのつぎのような言葉はこのような場合に適切です。「されば兄弟よ,終に我ら主イエスによりて汝らに求め,かつ勧む。なんぢらいかに歩みて神をよろこばすべきかを我等より学びしごとく,また歩みをるごとくにますます進まんことを」― テサロニケ前 4:1。

これまでに述べられたことすべての点から見て,あなたは霊に属する人ですか。この質問に「はい」と答えることができるなら,それはよいことです。そしてつぎの問題は,その面をいっそう充実させるよう努めますか,ということです。もしそうであれば,あなたもまわりの人々もさらに幸福になるでしょう。

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