覚えていますか
あなたは最近号の「ものみの塔」誌を注意深くお読みになりましたか。そうでしたら,次の点を覚えておられるでしょう。
● ローマ 8章3節に記されているとおり,イエス・キリストはどのようにして,『肉において罪に対する有罪宣告をされました』か。
人間であったイエス・キリストは,神のご意志を完全に行なうことにより,肉体を持つ人間にとって罪が必然,あるいは生得のものでないことを明証した。―453ページa
● フィリピ人にあてた書簡の中で,「そねみや対抗心によってキリストを宣べ伝えている者」について語った使徒パウロは,おもにだれのことを指していたのでしょうか。―フィリピ 1:15。
主として,クリスチャンになったと唱えていながら,純粋な使徒的教理から逸脱したユダヤ人のことを指していた。彼らは迫害や非難を受けることを恐れていた。そうした者たちは純粋な動機を抱いておらず,疑いや争いや分裂を引き起こし,パウロの業を損なおうとしていた。―488ページ
● クリスチャンは,どのように,「栄光から栄光へ」と神の像に変えられてゆくのですか。―コリント第二 3:18。
神の真理を宣明し,神のご性質と物事の扱い方に自分をますます近づけることによって,クリスチャンは栄光からより大きな栄光へと進歩する。その言葉と行ないは,彼らが生活の中で反映させようと努めている像の源であられる神になおいっそうの栄光をもたらす。―519,520ページ。
● エホバ神は常に公正に物事を運ばれると確信できるどんな強力な証拠がありますか。
わたしたちの手もとには,神がノアやアブラハムをはじめとする,大勢の人々を扱われた仕方に関する信頼の置ける記録があり,その記録は神がいかなる不義をも行なわれないことを明らかにしている。神は常に,公正さに関するご自分の不変の規準に従って行動される。―531-533ページ。
● 神がイスラエル人をご自分の民として選ばれたことは不公平な行為ではありませんか。
彼らが選ばれたのは,偉大さや数のためではなく,献身的な態度を示したその父祖たちに対する神の愛による。(申命 4:37)イスラエル人は神の律法を持たない国民よりもずっと重大な責任をエホバ神の前に負うようになったので,その処置は不公平なものとは言えない。また至高者は,全人類に祝福をもたらすよう事を運び,命のための豊かな備えからすべての人が益を得られるようにしてくださった。他の国民ではあっても,各個人が神に近づいてその恵みを受けることは妨げられなかった。―547,548ページ。
● どうすれば,自分自身が正しくないねたみの感情を抱いたり,他の人にそうした気持ちを抱かせたりしないですみますか。
仲間の人間に対するより深い愛を培うように努め,他の人の良い資質や業績を正しく評価するよう努めるべきである。他の人にねたみの気持ちを起こさせないため,言行の両面で思慮深くあることが求められる。―579,580ページ。
● ヘブライ 4章12節には,イスラエルに対する神の約束に関連して『神のことばは生きている』と記されていますが,それはどのように真実ですか。
エジプトでの隷属状態から救い出されたイスラエル人には,神の休みに入る,つまり,それまでの圧迫と隷属の状態からの休みを,生きている間に享受するとの約束が与えられていた。その約束の言葉は死んだものではなく,生きていて必ず成就するものであった。この約束に信仰を働かせた人は,約束の地における休みに入った。―631ページ。
[脚注]
a 数字は1976年の「ものみの塔」のページ数を表わします。