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  • 心温まるプログラム
  • 献堂された建物
  • なぜ住居がさらに必要なのか
  • サンズ通り90番にまつわる裏話
  • エホバの祝福は明らか
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1996
塔96 4/15 22–27ページ

エホバの祝福による拡大

その日,1995年9月18日の晩に行なわれた献堂式のプログラムで強調されたのは,エホバ神は,ご自分の証人たちの世界本部が置かれたニューヨーク市ブルックリンにおける証人たちの拡大を確かに祝福してこられた,という点です。

6,000人余りの人が献堂式のプログラムに耳を傾けました。聴衆は,プログラムの本会場となったブルックリンだけでなく,他の場所にも集まりました。ニューヨーク州パタソンとウォールキルの近郊にあるエホバの証人の大がかりな施設や,カナダのトロント近郊にある証人たちの支部も会場となりました。これらブルックリン以外の場所の人たちは,電話回線を介して一連のプログラムを聞きました。

心温まるプログラム

プログラムに耳を傾けた,ベテル奉仕者と呼ばれる自発奉仕者たちは,1万6,400人余りを数える世界的なベテル家族の大きな部分を占めていました。ベテル家族の成員は100ほどの国や地域で奉仕し,世界で7万8,600を上回るエホバの証人の会衆のために聖書文書を印刷し,支援サービスを行なっています。

午後6時30分に,歌とカール・クラインによる祈りで献堂式のプログラムが始まると,期待が高まりました。プログラム司会者のロイド・バリーは,出席者一同を温かく歓迎し,その式の意義について手短に話しました。アルバート・シュローダーが,その週の「ものみの塔」研究を取り上げた後,ダニエル・シドリックは「ベテルでの神聖な奉仕」という題の話をしました。これら最初にプログラムを扱った人は皆,エホバの証人の統治体の成員です。

続く二つのプログラム,「増大する,住居の必要を満たす,1974-1995年」,および「ブルックリンにおけるベテルの改装ならびに建設の目立った点」では,献堂された建物の建設ないし取得に関する目立った点が取り上げられました。このほど仕上がり,今では約1,000人のベテル奉仕者が住んでいる宿舎棟に関して多くのことが語られました。サンズ通り90番の,高さ115㍍のそのホームは,印刷工場群に隣接しています。

プログラムの中心となったのは,ものみの塔聖書冊子協会の会長ミルトン・ヘンシェルによる献堂式の話でした。ヘンシェルは,エホバへの奉仕に用いる建物が献堂された聖書的な前例を強調しました。歌の後,同じく統治体の成員であるケアリー・バーバーの祈りによって一連のプログラムが閉じられました。ところで,プログラムの目立った点となったのは,どんな事柄でしたか。

献堂された建物

ベテル・ホームの監督ジョージ・カウチは,前回にブルックリンでベテルの住居が献堂された1969年5月2日以来,17の住居が増設されたことについて説明しました。a 住居は新たに建てたホーム,もしくは購入してから改装した建物のいずれかです。現に,このほど献堂されたのは,これら17の建物と,二つの小さな建物 ― 1940年代に買い取っていたが,ベテルの住居として改造された ― および1982年3月15日にエホバの証人の執行部事務所が献堂されて以来,建設もしくは購入された工場ならびに事務所です。b

献堂された最大の建物は,ファーマン通り360番のビルです。エホバの証人は,1928年に創建されたこの建物を1983年3月15日に購入し,全面的に改装しました。床面積は9万3,000平方㍍ほど,つまりおよそ9㌶です。ほかにもパール通り175番の工場や,近年建てられた幾つかの大きな車庫などが献堂されました。

なぜ住居がさらに必要なのか

ブルックリン・ベテルの宿舎棟が前回に献堂された1969年に,神の王国の良いたよりを宣べ伝える証人たちの数は,世界全体で133万6,112人という最高数に達しました。しかし,1995年には,その3倍半を上回る519万9,895人が宣べ伝えていました。したがって,聖書文書の増大する需要を賄うため,1969年に正規の成員が1,042人だったブルックリンのベテル家族は,3,360人余りにまで増えました。それらの成員は今,22の住居で生活しています。

ジョージ・カウチは,さらに多くの住居の必要が1974年から1995年にかけてどのように満たされてきたかを話しました。1970年代の初め,エホバの証人は増える一方のベテル家族を収容するため,付近のタワーズ・ホテルの幾つかの階を賃借りしていました。1973年12月に,ものみの塔協会の当時の会長ネイサン・ノアは,ベテル事務所とタワーズの経営陣の双方にあてて,協会は『1974年10月1日までにタワーズ・ホテルから転出する』計画であると書き送りました。

カウチ兄弟は,自分はたいへん驚いたと言いました。タワーズに住んでいたベテル奉仕者を収容する場所は,どこにもなかったからです。同じくたいへん驚いたのは,タワーズの経営陣です。彼らは協会からの賃貸料に頼ってやりくりしていたからです。結局,タワーズの経営陣はホテルを買い取るようエホバの証人に申し入れました。「隣り合わせになってから,皆さんは拡張を続けてきました。ですから建物が必要ではないですか」。タワーズ側はそう言いました。

協会の代表者の答えはこうでした。「ほかにも借りている人が大勢います。買うのであれば,こちらの者を入れたいと思います」。

「建物はそちらに明け渡します」と,タワーズの経営陣は約束しました。ほどなくして,エホバの証人はタワーズの建物をふさわしい額で購入しました。「ノア兄弟は,なぜその手紙を書いたのでしょうか」。カウチは,話に聞き入る聴衆にそう問いかけました。「ノア兄弟自身にも理由は分からなかったと思います。しかしそれがきっかけで,タワーズ・ホテルはものみの塔協会に売却されたのです」。

話し手はまた,エホバの証人がコロンビア・ハイツ97番を購入したいきさつについても説明しました。そこは以前,有名なマーガレット・ホテルがあった場所で,元のベテル・ホームから通りを隔てた真向かいの敷地です。立地条件は申し分ありませんでした。通りの下をくぐるトンネルで,ベテルの建物群と簡単に連結できたからです。1980年2月に,その敷地の建物は改造中に焼け落ちました。その後,持ち主は問題に直面して,そこに新しい建物を建てられなかったため,地所をエホバの証人に売却しました。

カウチ兄弟はこう言いました。「これらの建物のほとんどすべてに,興味深い裏話があります。それが示していることはただ一つ,その建物を取得できるよう目に見える組織を導かれたのはエホバ神である,ということです」。

サンズ通り90番にまつわる裏話

最新かつ最大の住居は,サンズ通り90番です。エホバの証人がこの地所を購入した1986年12月には,ジェイ通り160番の大きな工場がその地所に含まれていました。c 工場は取り壊され,1990年8月30日には,その敷地に30階建ての住居用施設を建てる許可の下りたことがベテル家族に告げられました。

統治体の成員セオドア・ジャラズの司会によるインタビューで,協会のブルックリンの工場の監督,マックス・ラーソンは,サンズ通り90番の住居を建てる許可が下りたいきさつを話しました。ラーソン兄弟の説明によれば,1965年に起きたことが決め手となりました。

協会は当時,協会の他の工場に隣接するブロックに10階建ての工場を建てたかったのですが,そのブロックは2階建ての建物しか建てられない地域として指定されていました。ある建築家が,新たに話が持ち上がった工場の設計図の作成を請け負いましたが,その人は,「図面を当局に提出して恥をかこうとは思いません」と言いました。規格・不服審査局がそのブロックの用途規制を変更することは決してないと思っていたのです。その設計図が承認された時,この人は,「いったいどうしてそんなことができたんですか」と言いました。

それからラーソンはそのわけを説明しました。それによると,わたしたちの10階建ての工場が建てられるよう,そのブロックの用途規制が変更されたとき,隣接するブロックの用途規制も変更されました。ジェイ通り160番の建物があった敷地も,その対象となりました。そして驚いたことに,用途規制の変更によってホテルを建ててもよいことになりました。しかし,ラーソンが述べたように,だれもこの点を気に留めませんでした。少なくとも25年ほど後,わたしたちが新しいベテル・ホームの建てられる候補地を探し始めるまではそうでした。そのときになって,用途規制のことが再発見されたのです。

ラーソン兄弟は事情を説明しました。「30階建ての住居の図面を整えて建築課に持参したところ,『そこには住居は建てられませんよ。全部が工場用地ですし,用地指定を変えてもらうことはできませんから』と告げられました。

「『別に変えてもらう必要はありません。すでにホテル用地の指定を受けています』。わたしたちは役人にそう言いました。彼らは書類を調べて,目を疑いました。こうしてこの30階建ての建物ができたのです」。ラーソンはそのように述べて締めくくりました。

エホバの祝福は明らか

聖書の詩編作者の一人は,「エホバご自身が家を建てるのでなければ,建てる者たちがそのために骨折って働いても無駄である」と書きました。(詩編 127:1)エホバの証人による建設の業は,イエスが行なうようにと追随者たちに命じられた,宣べ伝え,教える世界的な業を促進するものであり,エホバがその建設の業を祝福してこられたことは明らかです。―マタイ 24:14; 28:19,20。

1995年9月18日にこのプログラムを聞く特権に恵まれた人たちは,エホバの僕たちの世界本部における拡大がこのように祝福されている証拠に接して感動しました。エホバの民は,エホバが命じておられることを行ない続けるとき,エホバが今後も祝福してくださることを確信できます。

[脚注]

a 「ものみの塔」誌,1969年9月1日号,533-536ページ。

b 「ものみの塔」誌,1983年3月1日号,23-31ページ。

c 「目ざめよ!」誌,1987年12月22日号,16-18ページ。

[23ページの図版]

サンズ通り90番• 1995年

[24,25ページの図版]

増設されて献堂された住居の一部

コロンビア・ハイツ97番• 1986年

ボサート・ホテル,モンタギュー通り98番• 1983年

オレンジ通り34番• 1945年

スタンディッシュ・ホテル,コロンビア・ハイツ169番• 1981年

リビングストン通り67番• 1989年

ジョラレモン通り108番• 1988年

タワーズ・ホテル,ウィロー通り79-99番• 1975年

[26ページの図版]

パール通り175番• 1983年

アダムズ通り69番• 1991年

ファーマン通り360番• 1983年

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