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  • 信仰を築き,かつ強めるためのすばらしい備え
  • 御国奉仕 1970
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  • これはあなたを助けるための備えです
  • ぜひ招待してください
  • 講演者への提案
御国奉仕 1970
宣 70/1 3–6ページ

信仰を築き,かつ強めるためのすばらしい備え

あなたは,新しい本「聖書はほんとうに神のことばですか」に対して心からの感謝をすでに神にささげておられませんか。アメリカ,オハイオ州の一兄弟は次のような手紙を寄せました。「特にこの本に対して協会に感謝したいと思います。これは貴重な知識を納めたすばらしい解説書です」。またシカゴの姉妹は,「エホバはもう1冊のすばらしい聖書研究の手引きを備えてわたしたちを祝福してくださいました」と感激のことばを述べています。わたしたちすべてはこれらのことばに同意できるのではありませんか。

昨年秋の国際大会においてこの新しい本が発表されたとき,みなさんがどのように感じたか思い出してください。本の内容の説明を聞き,またあとでこの本を手にしてそれぞれの章に目を通したとき,なんと感激したことでしょう。そのうえ,これがわたしたちの宣教にいかに有用な本であるかを示す実演も行なわれたのです。それがすばらしい備えであることに容易に同意できます。

この本を読み終えないうちに,これがある特定の人々に「まさにうってつけ」の本であることを知って,そのような人にすでに配布したかたもおそらくいるでしょう。あなたは「聖書はほんとうに神のことばですか」の本をもう読み終えましたか。まだでしたら,通読する際に何らかの助けを望んでおられますか。すでに通読した人は,伝道するときこの本のある資料をどのように用いることができるかを強調する復習を,すばやく,しかし十分に行ないたいと願われますか。まさにこれらのことをすることができるように,すばらしい備えが目下準備されています。2月からこの本は各会衆における6回の特別講演により,初めから終わりまで討議されるでしょう。

これはあなたを助けるための備えです

わたしたちはエホバのクリスチャン証人として,すでに神と聖書とに信仰を持っています。テサロニケ会衆の信者と同じく,わたしたちは聖書を,「人間のことばとしてではなく,真にそのとおりであるが,神のことばと」みなしています。(テサロニケ前 2:13,新)さらに使徒パウロはそれら同じクリスチャンに対し,彼らの『信仰は大いに成長している』と書き送りました。(テサロニケ後 1:3,新)わたしたちの信仰も成長できます。信仰は強めることができるのです。これらの講演もわたしたちの信仰の成長を図る有益なものとなるでしょう。

たとえあなたが聖書を神のことばとして受け入れるだけの確かな根拠を持っていても,いろいろな質問を受けたことがあるでしょう。たとえば,ノアの時代に全地をおおった水はどこに行ったのか。ヨシュアの時代に太陽と月はほんとうに静止したのだろうか。あわれみに満ちた神ならどうして子供たちを殺すことができるのか,といった質問です。

これらの質問に対する聖書に基づいた一般的な答えを持っておられるかもしれません。しかし,これらの事柄について詳しく,かつ満足のゆくように討議するなら,あなたの信仰を強め,他の人を援助するためのさらによい備えを身につけることができるでしょう。「神のことば」の本に基づく6回の公開講演は,この点で大きな援助を与えるでしょう。前述の質問や他の点が,釣り合いのとれた生き生きとした仕方で取り上げられるでしょう。

「神のことば」の本に基づく講演の日時に関する会衆の発表に注意してください。たいていの会衆では,2月,3月,4月の最初の2週間に行なわれるでしょう。この講演には自分の本を持参してください。そうすれば,講演者が要点を述べ,本文中の特定の資料に注意を引くとき,あなたは話について行き,この新しい備えにさらに精通することができるようになります。講演者は本文中のある引用文を読むように前もってあなたに割り当てる場合もあります。あるいは,聴衆に向かってなされた質問に答えることもできるでしょう。

6回の講演はこの本の資料の初めから終わりまで順番に取り上げます。たとえば初めの2回の講演はそれぞれ3章ずつ取り上げ,あとの4回はそれぞれ2章ずつ説明します。このようにして本全体が討議されます。証言する際に有益と思われる点に気づいたなら,それを余白に書き込んだり,その個所に傍線を引いたりすることもできます。そして,本文中のかぎとなる考えと,特定の知識を宣教に役だたせる方法を明確にすることを目的として行なわれます。聴衆への質問や聴衆からの質問,実演,円卓討議,その他の興味深い方法が用いられるでしょう。

予定の章を前もって読む計画を立てるのは望ましいことです。そうすれば資料の用い方に注意を集中できます。聴衆も討議に参加できることを忘れないでください。しかしたとえ資料に前もって目を通すことができなくても,ぜひ講演に出席して,励みを与える話から益を受けてください。

ぜひ招待してください

「ぜひ招待してください」との勧めをどのように実行できますか。あなたはだれとともに出席したいと思われますか。

使徒パウロは,『世にあって希望もなく,神もない』当時の人々について述べました。(エペソ 2:12)このことばがそのまま当てはまる知人や親族がいませんか。多くの人が信仰を失いかけ,あるいは失っている今の時代にあって,信仰を築き,かつ強めるのに有益な資料を考慮する特別な講演が行なわれるのはなんとすばらしいことでしょう。「聖書はほんとうに神のことばですか」を注意深く討議するのはまさにそのことではないでしょうか。高等批評や無神論のため神と聖書に対する信仰を失った人はあまりに多くいます。つまずきとなるおもな障害のいくつかを公正にかつ知性的に考慮するなら,そのような人が,信仰をもつ真の根拠があるかどうか,および,聖書を神のことばと信ずることができるかどうかを確かめるのに助けとなるにちがいありません。信仰なくしてはエホバを喜ばすことはできません。ゆえにこのことはきわめて重要です。―ヘブル 11:6。

あなたのまわりの人々について考えてください。あなたの配偶者は神に対する深い信仰をいだき,聖書を神のことばとして信頼していますか。高校や大学に通っている隣人や親族についてはどうですか。「創造と大洪水に関する聖書の記述 ― 真実ですか,作り事ですか」と題する講演に出席するよう熱心に招待するなら,それらの人々は出席するのではないでしょうか。

あなたの司会している家庭聖書研究の人々についてはいかがですか。その家族の人は聖書を疑問視していますか。もしくは信仰の弱い人々ですか。主人は,聖書は時代遅れで自分には関係のない本だと考えていますか。では,「あなたの命にかかわる聖書の預言」,および「神が人間のために備えられた実際的な助言」のような講演会に招待してはいかがですか。教会の信者ではない,あるいは別の宗教を持っているなどの理由で聖書を信じていないと言う人々に区域で会いますか。特別の努力を払って,これらの人々を一連の講演に出席するよう招待してください。同じ内客の話が日本と沖縄の,エホバの証人のすべての会衆で行なわれることを強調してください。いままで時たま公開講演に出席した人には,今回の講演は決して聞きのがしてはならないほど大切なものであることを話してください。これはその人たちが今まで聞いたことのない話であることは疑いありません。

確かにこの講演の取り決めは,信仰を築き,かつ強めるためのすばらしい備えです。そうであることをあなたの確信によって表わしてください。他の人を招待し,またあなた自身出席して参加する決心をしてください。

講演者への提案

昨年には,「真理」の本を初めから終わりまで考慮するために設けられた一連の特別講演がありました。兄弟たちや関心を持つ人々の反応は驚くべきものでした。そのことは,とりわけ一生懸命話を用意して話した兄弟たちに大きな喜びをもたらしました。さて講演者は再び挑戦に面しています。それに首尾よく対処するなら,出席者は再び豊かに祝福され,エホバに大きな賛美をもたらすことができるでしょう。

この講演は「聖書はほんとうに神のことばですか」の本に基づいています。それで,付加的な資料を捜す必要はありません。割り当てられた章には,話に必要以上の資料が納められています。これらの講演の目的の一つは,兄弟たちがこの本に精通するのを援助することです。本の中にあるとおりの順序にしたがいながら割り当てられた資料を取り上げて行くなら,その目的を達することができます。必ず本文に言及し,聴衆の注意を特定の節や引用文に向けさせてください。講演者はこのことをぜひ行なってください。この方法により,聴衆は本に精通できるでしょう。

割り当てられた章の全部の資料に精通する必要があるのは言うまでもありません。次に掲げる筋書を注意深く調べてください。おもな点をはっきりと理解し,それを強調してください。そうすれば,聴衆のだれかがたとえ細かな点を何か忘れるにしても,主要な点を見分けることができるでしょう。要点を表や黒板に書くこともできます。繰り返したほうがよいと思われるときはいつでもそうしてください。

聖句を取り上げる場合,自分で読むこともでき,あるいは聴衆内の伝道者に前もって割り当てて読んでもらうこともできます。できる場合には,聴衆にも参加してもらいましょう。長く記憶に残る教育的な話にしてください。

初めて集会に出席し,聖書がほんとうに神のことばであることを確信していないかもしれない人々のことを忘れないようにし,筋道の立った話し方をしてください。熱意をこめて話し,かつ,述べていることには十分の根拠があることを示してください。確信を持ち,人を確信させる話をして,新しい人々が主要な論点を理解するように助けてください。

話に変化を添えるため,次の筋書には提案が載せられています。できるだけそれらを実行してください。小さな会衆であっても,努力すれば変化に富んだ話を行なえます。円卓討議を行なうのであれば,参加者は,事前に打ち合わせをして,具体的に準備すべきです。実演は話を興味深く,実際的価値のあるものにしますが,前もってよく練習しておかねばなりません。

自分自身の「聖書はほんとうに神のことばですか」の本を演壇に携え,たびたび本を開いて用いてください。本を用いる場合,話しているページを必ずはっきり聴衆に告げてください。すべての節を詳しく取り上げることはできません。しかし,講演者は割り当てられた資料を順番に取り上げて,兄弟たちが各自自分の本を開いて話についてゆけるようにしてください。

講演の割り当ては一つの挑戦と言えます。資料も,取り上げる方法もまた講演者にとって目新しいことだからです。よく調べ,十分に準備してください。講演者の確信のある話し方によって,この新しい本がいかにすばらしい備えであるかを兄弟たちが認識するように助けてください。

次に掲げられた提案はおもに講演者のためのものです。しかしだれが読んでもかまいません。なぜなら,これに目を通されるなら,この一連の特別講演への期待はいっそう高められるからです。

1. 創造と大洪水に関する聖書の記述 ― 真実ですか,作り事ですか

二人の講演者が扱ってもよい。この話にかぎり,司会者が講演者を紹介する必要はないが,司会者は話の終わりに,閉会のことばを述べる。まず最初の講演者が1章を取り上げ,次に2番目の講演者を紹介する。彼は2章を話す。再び初めの講演者が演壇に上がって3章を取り扱う。

1章: (10分)聖書はほんとうに神のことばですか,という質問に基づく一連の講演を聞きに来た聴衆を歓迎する。資料はすべてこの本から取られている(本を聴衆に示す)。このような問い(5ページ)をする人がかなり多いので,聖書が神のことばかどうかは重大な質問。それらの問いは,なぜ聖書を調べてみるべきか,という問題を提起する。聖書を調べるべき十分な理由が少なくとも七つある。数え上げるよう聴衆に勧める(6-9ページまでの初めの七つの節のそれぞれ)。聖書を調べることを聴衆に勧める。聖書の初めのことばは創造に関する記録。この記述を事実として受け入れるのは道理にかなっているか。

2章: (30分)。聖書を初めて読む人は創造に関する創世記の記述を単なる作り事と見なす場合がある。それを注意深く調べると,これを事実として受け入れる真の理由が得られる。強調すべき要点: (1)創造の記述は神話に基づいていない。バビロニアの神話と聖書とを比較する。地球の形について述べる。ヨブ記 26:7を読む。(2)聖書は宇宙の起源について論理的な説明をしている。科学上の学説のあいまいさを示す引用文の一つを読む。学説を信じるには信仰が必要。17ページの引用文を使う。エネルギーの源に関する問題に答えるのは聖書のみ。イザヤ書 40:26を読むか引用する。(3)聖書にしるされている創造の順番は信頼できる。〔6日間のできごとを黒板にしるしてもよい〕。創造の日の長さについてごく簡単に注解する。地球の初期の歴史に関する科学上の知識が確実なものではないことを示す。創世記 1:3-5,14,16,19を読み,第1日と第4日の一見矛盾と思える問題を扱う。「第3日」の植物の生長と生存の問題を検討する。〔これら二つの問題を聴衆が持ち出してもよい〕。岩石の記録に関しては簡単に述べるだけにする。一つの引用文を使って,年代測定法の不正確さを説明する。第6日に関連して,人類の起源に関する聖書の記述が論理的であることを説明する。30ページの引用文を一つ使う。科学はすべてに答えることができず,科学上の学説を受け入れるには信仰が必要なことを指摘し,要点を繰り返す。聖書の記述は理にかなっており,信頼できる。(4)創造の記述を部分的に受け入れることはできない。マタイ伝 19:4-6を引き合いに出す。創造に関する聖書の記述を事実として受け入れるだけの十分な理由があることは明らか。

3章: (15分)。大洪水についてよく知らない人がいるかもしれないので,このことを簡単に説明する。この大洪水は局地的なものにすぎなかったとする反論を取り上げて要点を論じる。水の出所とその水がどこに退いたかに関する問題を取り上げて,この記述を作り事として非難する人がいることを述べる。水の源について軽く触れる。創世記 7:17-20を読み,そのような洪水がどのように起こり得たかを論ずる。37,38ページの引用文を使う。昔の気象状態,また昔広範囲にわたり動植物が滅びたことと合致する。洪水の伝説に関する引用文の要点を述べる。創世記 6:20を読み,42ページの4節に進む。要点を要約する。(1)科学上の発見によれば世界的な大洪水が起きたと考えられる。(2)世界中にある洪水伝説は大洪水が実際に起きたことを示す。(3)すべての動物の「種」が生き残ったと考えるのは理にかなっている。技術的あるいは科学的な理論を用いて説明しなくても,この大洪水を信じ得ることを強調する。イエスと使徒たちがそれを信じていたことから十分の確証が与えられる。これら二つの問題を調べると,聖書の記述は作り事ではなく,事実であることがわかると述べて結論とする。しかし聖書は歴史と一致するか,聖書の奇跡はほんとうに起きたのか,聖書には矛盾はないかなどの問題もある。これらの事柄は今後の講演で取り上げられる。

2. 聖書の記録はほんとうに歴史上の事実ですか

司会者は,講演者以外に,二,三人の話し手が主題に基づく歴史上の資料を述べるということを発表してもよい。

4章: (25分)。聖書の正しさは一般の歴史の資料に依存していない。聖書はそれ自体が歴史であり,他のどんな本よりも古く,信頼できる。しかし真理であるためには,歴史的な事柄においても真実でなければならない。聖書と一般の正確な歴史とを比較して,両者が一致するかどうかを調べるのは有益なことである。数多くの一致点がある。イザヤ書 20:1を用いる。ヨセフに関する記述に言及する。47ページの最初の引用文を読む。聖書は歴史と完全に一致していないという反論を取り上げる。話し手の一人を招いて,資料の一部を読んでもらい,完全に一致しなければならないとは必ずしも言えない理由を「王名表」で例証する。創世記 11:8,9を読み,またこれを支持する引用文の一つをだれかに述べてもらい,この記述が事実と合致することを示す。古代史家の記録すべてを信頼することはできない。引用文を使ってこの点を裏づける。古代の記述の信頼性について,聴衆から質問を受けることもできる。出エジプト記 12:12を使い,エジプトについて述べる。次に,アッシリアかバビロンについて,引用文を一つだれかに読んでもらい,簡単に注解する。セナケリブのことを討議することにより,古代の記録との相違があっても動揺すべきではないことを示す。歴史の年代について簡単に説明する。58ページの引用文をだれかに読んでもらう。要点を復習する: (1)聖書と古代の歴史の一致する点は数多くある。(2)歴史の記録はすべて全く正確であるとみなすことはできず,吟味しなければならない。(3)聖書と一般の古代史との間に相違があっても動揺する必要はない。聖書の記録の正直さと聖書の保存されてきたいきさつに触れて結論とする。

5章: (18分)。聴衆のある人から質問を受けたので,その質問を取り上げたいと述べることもできる。クリスチャン・ギリシア語聖書中の記録の真実性に関する話を始める。テサロニケ前書 2:13と,63ページの初めの引用文を検討する。質問をしてもらう。(1)イエスに関する福音書の記述を偽りとする本が多数著わされているが,ギリシア語聖書中のイエスに関する記述が正確であることを,どのように証明できるか。63ページの「年代記」の引用文と64ページの引用文を使う。一般の史家がイエスを賞賛することは期待できない。その理由を説明する。参考文献は反対者のしるしたもの。(2)ギリシア語聖書が歴史的事実を述べる正確な記録であることをどのように証明できるか。ルカ伝 3:1,2を読んで論じる。ギリシア語聖書の他の部分には,詳細な点に至る同様な正確さが見られる。67ページのF・ブルースのことばをだれかに読んでもらう。使徒行伝 13:7に簡単に触れる。ギリシア語聖書をしるすのに用いられた人々がどんな人物であったか述べる。(3)記録が正確で,歴史的事実を述べているなら,多くの人がこれを退けるのはなぜか。牧師を含めて多くの人が聖書を退けるのは,彼らの生き方は聖書の非とするものだからである。ある人にとっては,聖書を受け入れるために支払う代価は高すぎる。問題なのは彼らの心。要点を復習する。(1)イエスに関する福音書の記述は受け入れるだけの価値あるもの。(2)ギリシア語聖書には,その記録が信頼できるものであることを示す証拠が数多くある。(3)多くの人が聖書を退ける理由を考えるとき,わたしたちは自分の心を吟味しなければならない。ギリシア語聖書中の歴史的事実を調べることの価値を述べて結論とする。ヨハネ伝 20:31を取り上げる。ギリシア語聖書を読むよう聴衆に熱心に勧める。

6章: (12分)。いつもの講演と同じ仕方で話す。聖書を読んで,歴史的記述は受け入れられるが,聖書にしるされている奇跡は信じられないと言う人がいる。奇跡などはあり得ないと言うべきではない。75ページの引用文を使う。ロマ書 1:20を説明し,神の力を強調する。ヨシュアの経験と,おののあたまが水面に浮かんだことを説明する。イエスの処女降誕を信じない人は大ぜいいる。神にとっては生命を創造したり,生命を他に移すことが可能であると同様,これを行なうことは可能であった。科学者には未知のものがまだたくさんある。聖書の奇跡には,それが起こった十分の理由がある。イエスのいやしを,黙示録 21:4とわたしたちの将来の希望とに結びつける。イエスの奇跡を見ていないからと言って,それらが実際に起きなかったとは言えない。聖書には奇跡の最大の証拠が含まれている。奇跡は将来に対する神の御心を示していると考えるのは理にかなっている。第1部と第2部の要点を復習し,聖書の奇跡は真の科学と矛盾せず,将来に対する保証を与えることを述べ,話全体をまとめる。聖書の約束についてエホバの証人とともに定期的に学ぶように出席者に勧める。

3. 聖書は矛盾していますか,一貫していますか

ひとりまたはふたりの講演者が扱う。演壇あるいは聴衆の最前列にいる幾人かの兄弟姉妹に問題を出してもらい,講演者がひとり,またはふたりでそれに答える。

7章: (20分)。ある人は,聖書はそれ自体矛盾しているので確信を持てないと主張する。そのような人はおおむね自分で聖書を読んだことがなく,人のことばをくり返しているにすぎない。しかし,聖書は矛盾していないと誠実に考えている人のため,この問題のいくつかを検討するのは有益である。前もって割り当てられた人が質問を提出する。(1)ある特権をイエスに願い出た人物に関する,マタイ伝とヨハネ伝との記述を比較する。質問の提出者にマタイ伝 20:20,21とマルコ伝 10:35-37を読んでもらう。「大英百科事典」の引用文を使い,マタイ伝 20:24を取り扱う。同じでき事を異なる観点から記録すると一見食い違っているように見える場合のあることを説明する。(2)イエスがある時に行なったいやしに関する二つの記述は,人数と場所の点で食い違っているように見える。〔練習した時に決めた時間に応じて,適当な聖句を読むか,説明する〕86ページの引用文を取り上げる。こうして,記述者の観点や背後事情を知れば,矛盾と思える事柄も解明されるということを強調する。(3)ヨハネ伝 1:18は,神を見た者はいないと述べているが,出エジプト記 24:9,10はそれと矛盾しているように思える。〔質問した人に出エジプト記 24:9,10を読んでもらう〕。出エジプト記 24:11を用いながら,文脈を検討すれば疑問が解決されることを説明する。次に,同じような考え方をすれば,マタイ伝とルカ伝にしるされているイエスの系図上の相違〔この点はあまり詳しく述べない〕や,カインが妻をどこから得たかの問題も理解できることを説明する。カインについて簡単に触れ,創世記 5:4を他のことばで言い替える。矛盾しているように思えた事柄をこれまで取り上げてきた。しかし,(1)記述者たちはそれぞれ別の観点から記録したことを知り,(2)背後事情を調べた結果,矛盾に見える疑いも晴れること,(3)文脈を検討すればその種の問題はしばしば解決されること,を学べたとして結論とする。その種の表面上の矛盾があることは,記述者たちの間に謀議のなかったこと,およびだれも聖書の記録に「手を加え」なかった事実を示すので,聖書の真実さの証拠となる。

8章: (35分)。聖書には人間の作った法律よりはるかにすぐれた道徳的律法がある。しかし聖書にはその道徳に反するような重大な事柄が述べられていると唱える人がいる。前もって割り当てておいた人々から典型的な質問を出してもらう。(1)聖書はノアが泥酔したことの結果について述べている以上,どうして神からの道徳律の書と見なすことができるか。創世記 9:20-27を簡単に説明するか,説明してもらう。箴言 20:1を強調しながら説明する。92ページの引用文を使い,聖書の記述の率直さから何を理解できるかについて述べる。神の考えは人間の考えより高いことを述べ,エゼキエル書 18:29,30を読む。(2)ある人は,道徳を重んずる神であるなら,幼い子供を含めてカナン人の処刑を命ずることがどうしてできたのだろうかと非難する。申命記 9:5の要点を述べる。近親相姦,男色,獣姦などを含めレビ記 18章に示されている悪行について述べ,終わりに18:27を読む。94ページの引用文の初めの節を引き合いに出す。神の処置は,神が不完全な人間を直ちに滅ぼすようなかたではないことを示す。申命記 30:19,20を読み,子供の問題にふれる。96ページの最後の節と97ページの初めの節との要点を強調する。今日の親はこの実例から教訓を学べることを示す。(3)モーセの律法には「目には目を」という報復を勧めることばが含まれているが,キリスト教は相手を許すことを強調しているので,聖書は矛盾していると思う人もいる。しかし,ロマ書 12:19に示されているとおり,モーセの律法は個人的な復しゅうを勧めなかった。同様にクリスチャンも「自分で仕返し」をしてはならない。エホバご自身が『魂には魂』の原則に従われた。ロマ書 5:12とテモテ前書 2:5の要点を述べて,この点を説明する。神の目的が進展するにつれて,神が人間に求めることは変化するかもしれないが,神は変わることがない。ヘブル語聖書は戦いについて述べているが,「平和の君」についても預言している。クリスチャン・ギリシア語聖書は平和を強調するが,同時に,悪が一掃される来たるべき戦いについても述べている。要点を復習する: (1)聖書は,警告の例となる悪行をしるしている。(2)神の処置を,不完全で感情的な人間の見地からではなく,神の見地から見ることが必要。(3)神の道徳基準は終始一貫して高い。聖書を読むときのわたしたちの反応は,わたしたちの心にあるものを表わし,永遠の生命に影響することを示して結論とする。聖書の道徳基準を注意深く調べ,かつ聖書から多くを学ばねばならない。神を喜ばせたいと願う人々に対する要求が聖書にしるされていることを感謝できる。ミカ書 6:8を読み,ヨシュア記 24:15の要点を述べる。聖書は矛盾しておらず,その道徳の教えは永遠の福祉にとって大切なことを,聖書を読むときに心にとめるよう聴衆に勧める。

4. あなたの命にかかわる聖書の預言

ひとり,またはふたりの講演者が扱う。話を効果的にするかぎは,よく練習した実演。

9章: (35分)。まずイザヤ書 46:10を読んで話を始める。これは神が将来を予告される力を持たれることを意味する。神は古代の他の予言者とは異なるヘブル人の預言者を通してそうした預言を行なわれたとしばしば述べられている。103ページの引用文を使う。聖書の預言は上手な予想あるいは預言をよそおった歴史にすぎないとして,異議を唱える人がいる。わたしたちの命は聖書預言の真実性と正確さに依存しているので,注意深く考慮する価値がある。エルサレムの滅亡に関する預言を例として用いる。エレミヤ記 25:1,2に触れ,8-11節を読む。それがどのように成就したかを説明し,105ページのW・F・アルブライトの引用文を読む。バビロンに関する預言とその成就について述べる。ヘロドトスに言及するが,引用文は読まない。クセノフォンについて述べる。ギリシアのアレクサンダー大王に関する驚くべき預言がある。ダニエル書 8:1,8を読む。預言を解釈したり曲解したりする必要はない。聖書そのものに預言の説明がしるされている。ダニエル書 8:20-22を読み,その成就について注解する。聖書の預言は預言をよそおった歴史であるとの非難を再び指摘する。このような非難を述べる批判家は,そうした虚偽が行なわれたとする論理的で道理にかなった動機のあったことを実証できない。それに反して,聖書を管理した祭司たちが手を加えなかったと断定できる根拠がある。バビロンの永久の滅びのように,予想もできなかったような聖書預言もある。聖書の預言はわずかばかりの事柄に関するものではなく,あるもの,特にイエスに関する預言はきわめて詳細に書かれている。聖書の預言に関する知識は,聖書がほんとうに神のことばであることを教えるのに役だつ。「神のことば」の本を用いてこのことをどのように行なえるかを示す実演を紹介する。兄弟と姉妹が再訪問で夫婦を尋ねる。兄弟は,聖書の預言が正確に今の時代をさし示していることを述べ,この時代の重要性に触れる。家の主人は,聖書の「預言」は上手な推測にすぎないとして反論する。兄弟は相手の言うことに理解を示す。「神のことば」の107-109ページにあるダニエルの預言を引き合いに出す。主人はアレクサンダーに実際に起きたことを認める。しかし,事件後に預言が書かれたのではないかと疑う。兄弟は110,111ページの資料を使う。そして,ある預言は起こりそうもなかったことを強調する。イザヤ書 13:19,20を読む。112ページのアンドレ・パロの引用文を用いる。114と115ページの表を説明する。113ページの引用文を読む。イエス自身はエルサレムの滅びを予告して,ご自身が預言者であることを実証された,と語って,この会話は終わり,講演者が再び話す。イエスは最大の預言者であった。ルカ伝 19:41-44; 21:20-24を読み,説明する。この記述がエルサレム滅亡後に書かれたのではないことを説明する。120ページの成就に関する引用文を取り上げる。聖書中の預言は過去のでき事を扱っているだけではなく,今の時代とわたしたちの命について述べている。

10章: (20分)。〔この部分では今が「終わりの日」であることを証明するのではなく,現在成就している預言は聖書が神のことばである証拠となっている事実を強調する〕。聖書が自分たちの生活体験と直接関係のある本であれば聖書を神のことばとして信じることができると考える人がいる。聖書は確かにそのような本である。つまり,聖書の預言は今の世代に成就している。マタイ伝 24章,ルカ伝 21章に簡単に触れ,121ページ3節にある反論を取り上げる。黙示録はこれが将来に成就することを示している。黙示録 6:3,4を読む。123ページの「第一次世界大戦」の引用文を説明する。124ページの引用文の事実を述べる。しかし引用文は読まない。マタイ伝 24:7を引用し,125ページのニューヨーク・タイムズの初めの引用文を読んでもらう。これを考慮する目的は,聖書の預言がわたしたちの実生活に関係があるかどうか,したがって,聖書が神のことばであるかどうかを調べることであると強調する。黙示録 6:7,8とルカ伝 21:11を読まずに簡単に説明する。126ページの引用文を使う。127ページ2節の質問を取り上げる。ルカ伝 21:10,11を調べ,地震を強調しながら読む。地震に関する統計の要点を簡単に述べる。129,130ページは軽く触れるだけ。ある人は,犯罪の増加は報告方法の改善によるにすぎないと言う。J・E・フーバーのことばを含め,131ページの引用文に注目させる。仲間の人間に対する態度が変わった。こうした一般情勢に関する知識は,聖書がほんとうに神のことばであるかどうかを他の人が知ろうという気持ちを起こさせるのに確かに有益なもの。簡単な実演を紹介する。家から家に伝道している伝道者は,エホバの証人は聖書をあまりに文字通りに受け取っていると考える家の人に会う。聖書には良い道徳の原則が含まれているが,他の宗教的聖典についても同じことが言えると感じている。伝道者は同意するが,このことは,聖書がほんとうに神のことばであるかどうかにかかわる問題であることを強調する。他の宗教聖典には,現在成就を見ている預言は含まれていない。家の人に123ページを示し,黙示録 6:3,4を読む。「第一次世界大戦」からの引用文に注目させる。125ページのマタイ伝 24:7と126ページの初めの引用文を使う。126-128ページの資料をごく簡単に述べる。「すべてのことがこの世代のうちに成就する」の副見出しの下の資料を巧みに説明する。もしこれらの預言が実際に成就しているのであれば,そのことは聖書が神のことばであることを裏づけるものとなる。この本を読んで,さらに問題を調べることを家の人に勧める。講演者は,134ページの内容を述べ,前途の見込みのゆえにこうべを上げることを励まして結論とする。

5. 神が人間のために備えられた実際的な助言

一人の講演者が話す。必ず実演を前もって練習すること。

11章: (30分)。話の前,あるいは話の途中で,136-144ページの五つの副見出しを,話の前半の要点として黒板に書く。多くの人は,聖書は昔の人によって書かれて,もはや役だたず,時代遅れであると感じている。聖書がほんとうに神のことばなら,詩篇 119:105にあるとおり,現在の人間にも実際的な助言を与えるはず。少なくとも五つの点でそうであることを証明できる。(1)テサロニケ後書 3:10-12を用いる。いかに聖書が,とばく・喫煙・飲酒に関して人に益を及ぼすかを示す。箴言 23:29,30の要点を述べる。聖書は現在の経済問題をすべて解決するものではないが,人々に真実の助けとなることは確かである。(2)本文中の箴言 14:30を読み,137ページの終わりの引用文に注目する。エペソ書 4:31,32を説明する。聖書は心を養う健全な糧を与え,生活を改めさせる力を持つ。箴言 7:5,22-27の考えを述べ,139ページの初めの引用文の要点を示す。身心両面の健康について論じてきた。(3)139ページの2番目の引用文を読む。箴言 5:3-11,18の要点を述べる。ヘブル書 13:4を読む。(4)この部分(幸福な家庭生活)は軽く触れるだけ。(5)箴言 16:32とその聖句の出ている節の資料を取り上げる。145ページの1,2節は使わない。146ページ1節を論ずる。ある夫婦を訪問する兄弟の実演を紹介する。妻は聖書を研究しているが,夫は関心がない。夫は,妻の研究には反対しないが,聖書の研究などは女性のすることだと述べる。兄弟はそのことばを認め,多くの人が聖書は今の時代に実際的でないと感じていると述べる。「神のことば」の本に,興味深い五つの点が説明されていることに気づいたと話す。そしてすばやく,(1),(2),(3)の要点に注目させる。142ページの引用文とエペソ書 5:28-33を用いて,要点(4)を強調する。143ページの3節にあるとおり,家族にとって実際に有益であることを説明する。要点(5)を述べ,145ページの1,2節を説明する。夫は少し関心を示しはじめる。兄弟は148ページの初めの引用文(5行目)を使い,次に「真理」の本を取り出して20章について話しはじめる。再び講演者が話す。聖書が実際に即した本であることの生きた証拠は数多くある。147ページにあるイタリアの雑誌からの引用文を用いる。聖書を自分に適応することを聴衆に勧める。そうすれば,聖書がほんとうに神のことばであることを自ら確かめられる。テサロニケ前書 2:13を読み。11章の最後の節を強調して前半を終える。

12章: (25分)。今まで数週間,聖書が神のことばであることを証明する資料を考慮してきた。しかし,聖書はどのように霊感されたのか,聖書はどのようにしてわたしたちの手に伝わってきたのかという,もっともな疑問が残されている。テモテ後書 3:16を引用する。サムエル後書 23:2を調べる。聖書記述者たちは異なった方法で神のことばを受けたことを述べる。152ページの2節か153ページの2節は使わない。調和のあることと,これが霊感を裏づけていることを説明する。ヘブル語およびギリシア語聖書の本の配列を説明する。ヘブル語聖書とギリシア語聖書の二つはどちらも必要。申命記 17:18を用いて聖書を書き写すのはなんら悪いことではないことを説明する。156ページの3節と4節(157ページに及ぶ)は使わない。現代の聖書はきわめて正確で信頼できる。157ページの引用文と158ページの2番目の引用文に注目する。後代の翻訳は改善されてきた。ヨハネ第一書 5:7,8を使う。若い兄弟を紹介する。彼は,この種の知識は他の人に聖書について語るときいかに有益かを,あたかも学校の教室で話すような実演をする。彼は演壇に立ち,英語の「バイブル(聖書)」ということばを説明する。今日の聖書が書かれた時と同じかどうかの疑問を提起する。霊感について簡単に注解し,152ページの2節と153ページの2節を説明してゆく。聖書は書かれた時のままで今日まで伝わってきたかどうかを尋ねる。156ページの3,4節を説明する。マタイ伝 11:25,26を引用し,箴言 1:1-4を読んで結論とする。今の話の資料は,「聖書はほんとうに神のことばですか」から得たことを説明し,希望者はだれでもこの本を調べられることを知らせる。再び講演者が話を続け,神のことばを理解するには謙遜さが重要なことを強調する。マタイ伝 18:1-4の要点を述べ,161ページの3,4節を用いて話を終える。

6. 教会それとも聖書 ― あなたはどちらを選びますか

有能な兄弟が話す。演壇か最前列または聴衆内にいる予定の質問者に問題を提出してもらう。

13章: (35分)キリスト教世界は聖書を代表していると一般に考えられている。キリスト教諸国家の過去の行ないのゆえに,キリスト教世界は聖書を正しく代表しているかどうかという疑問が生ずる。163ページの新教に関する引用文と164ページのカトリックに関する引用文とを使う。宗教指導者はたいてい聖書を信じておらず,神をおし同然の者とし,「神は死んだ」という考え方を助長している。キリスト教世界の指導者は聖書の道徳律を支持しない。コリント前 6:9,10を読む。167-169ページの引用文を適当に選び,この聖句と宗教指導者のことばとを比べる。ある人は,そこに述べられていることばは極端で,一般の牧師の見解ではないと感じるかもしれない。マタイ伝 7:18の原則からすれば,そのような実を結んでいる教会は神の用いられるものでない。170ページの引用文を用い,マタイ伝 15:1-9と23:27,28のイエスのことばの要点を述べる。ゆえにここで動機に関する問題が生じてくる。多くの牧師は人を喜ばせるために説教し,またそうした活動を単に職業の一環とみなしている。イエスについて伝道した第1世紀のクリスチャン奉仕者たちは,キリスト教世界の牧師とは異なっていた。では,昔の状態から今の事態に陥ったのはなぜか。麦と毒麦に関するたとえを簡単に述べる。使徒行伝 20:29,30と173ページの最後の引用文を読む。十字軍について述べ,コリント後書 10:3,4の要点を話す。新教について論じる際,コリント前書 1:10-13の考えを示す。最後に178ページの引用文とテトス書 1:16を使う。黒板に要点を書いて復習する。(1)キリスト教世界は元々聖書を使わず,聖書のすべてを信じてはいない。(2)キリスト教世界の牧師は聖書を信じておらず,聖書の道徳律を教えていない。(3)キリスト教世界は予告されていた背教に陥っている。キリスト教世界の諸教会が聖書を正しく代表していないことは明らか。諸教会の前途はガラテヤ書 6:7どおりになる。聖書に従いたいと願う人の取るべき賢明な道は,キリスト教世界から離れること。

14章: (20分)。過去3か月にわたる6回の聖書講演を通して次の諸点を実証できた。創造と大洪水に関する聖書の記述は真実である,聖書の記録はほんとうに歴史上の事実である,聖書は一貫している,聖書の預言はわたしたちの命にかかわる,聖書の助言は実際的で明らかに神が備えられた,そして,教会は聖書を代表しておらず支持していないことを実証した。結論として,聖書がほんとうに神のことばであることは疑問の余地がない。しかし,聖書を幸福な将来への導きとして受け入れるかどうかは各自自分で決定しなければならない。聖書を備えられた神は,地上の諸問題の解決策をも持っておられる。神は全地の新しい管理機関を約束しておられる。聖書に述べられている御国はその管理機関。181ページのトインビーのことばを使う。全地を治めるに必要な力と権威を持つ,神の御子が政府の統治者となるゆえに,これは理にかなっている。ダニエル書 7:13,14の要点を述べる。邪悪な者は一掃される。箴言 2:21,22を読む。戦争がなくなるとき,人類は豊かな益を受ける。183ページの引用文を使い,イザヤ書 2:4を説明する。183ページ6節に示されている他の幾つかの益を述べる。楽園は地上に復興される。人間は完全な命を永遠に楽しむ。美しい楽園のすばらしいありさまを描写する。死んだ人にさえ益が及ぶ。ヨハネ伝 5:28,29を引用する。「もう少し待って様子を見よう」という態度を取ることはできない。今決定を下さねばならない。申命記 30:19を開き,みんなで声を出して読む。聖書の知識を増し加えることは大切。エホバの証人と交わることを心から勧める。「真理」の本を用いて行なう無料の6か月の聖書研究を勧める。聖書を信じ,聖書に従って行動することを勧める。箴言 3:1-5を読んで話を終える。

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