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  • 新しい家庭聖書研究を取り決める
  • わたしたちの王国宣教 1993
  • 副見出し
  • その1 ― 楽園の希望
  • その2 ― 先祖崇拝を行なっている仏教徒に
  • その3 ― 創造者
  • その4 ― 復活の希望
  • その5 ― 人間の死ぬ理由
  • その6 ― 愛
  • その7 ― 子供の成長
  • その8 ― 子供の価値規準
  • その9 ― 老後の生活
わたしたちの王国宣教 1993
宣 93/3 9–12ページ

新しい家庭聖書研究を取り決める

わたしたちは皆,家庭聖書研究を取り決めたいという強い願いを抱いて奉仕に取り組んでいます。こうした目標を達成するため,「王国宣教」には「見よ!」のブロシュアーや「家族生活」の本を用いて研究を始めるための成功例が連載されました。この有用な資料をいつでも活用することができるよう,協会は連載記事を一つにまとめた携帯用の特別な折り込みを準備しました。

この資料を実際に野外に携帯し,家から家の奉仕や再訪問活動で積極的に活用なさってください。皆さん一人一人ができるだけ多くの聖書研究を取り決め,エホバの賛美者を産出する喜びに引き続きあずかれますように。

その1 ― 楽園の希望

(「見よ!」1-4節)

「見よ!」のブロシュアーの表紙の絵を用い,最近の世の中の出来事に簡単に言及した後,次のように会話を始めることができます。

「(住んでいる町や地方の名を挙げながら)……が,このような所に変わったなら,そこに住んでみたいと思われませんか。[表紙と裏表紙にまたがる絵を見せ,家の人の感想を聞く。] 聖書には近い将来,今の問題や悩みの多い世とは全く異なる新しい時代の到来することが約束されています。一人の画家が,聖書に記されている神の約束の言葉一つ一つを描いていったところ,この絵のようになりました。ここに書かれているように[表題を見せて],地球と人類の創造者である神は『すべてのものを新しくする』と述べておられますが,いったい何が新しくなるのでしょうか。この絵を解説した文章が1節にありますので,お読みしてみます」。

その後,1節,あるいは家の人の関心に応じて2節か3節の内容を話し合います。これらの節を話し合っていくと,しばしば家の人は“理想にすぎない”とか“現実離れした話である”と感じ,関心を失いかけます。そのため奉仕者の中には,家の人の興味を引きつけながらこの部分の討議を進めることに苦慮している人もいます。それで話し合いの際,次の三つの観点から考えるよう家の人を助けてください。

(1)ここに記述されている事柄,例えば人類が一つの家族のように互いに気遣う平和な社会を形成すること,美しい自然を保ち安全に生活できる環境を維持すること,動物と共存できるようになることなどは,人間本来の強い願望である。

(2)もし全能の神が「わたしはすべてのものを新しくする」と約束しておられるなら,その約束は信頼に値するのではないだろうか。また,もし自分にその力があるとすれば,喜んで事態を改善するために行動するのではないだろうか。

(3)これらの約束は,聖書の中で神からの約束として本当に記されているのだろうか。(4ページ下欄にある聖句に注目させ,共に調べる。)

4節を扱う際,「とても信じられない」という家の人の気持ちに十分の理解を示し,これまで討議した事柄はこのブロシュアーで展開される論議の“結論”なので,本来ならブロシュアーの最後の部分で取り上げられるものであることを説明できます。しかし,聖書を学ぶことにより,これらの約束の真実性がどのように証明されてゆくかを示すため,最初にこれらの事柄が取り上げられているということを述べ,続く資料を一つ一つ検討してゆくことの価値を強調します。

その2 ― 先祖崇拝を行なっている仏教徒に

(「見よ!」6,12節)

先祖崇拝を行なっている仏教徒を訪問する場合,次のように話し合いを切り出すことができます。

「ご先祖を大切にしておられるようですね。わたしも以前は仏教徒の一人で,先祖を崇拝することについては深いかかわり合いを持っていました。ところで,___さんはわたしたちの最初の先祖はいったいだれを拝んでいたのだろうと考えられたことはありませんか。[意見を述べてもらい,5ページ6節の7行目から次の一文を読む。] ここにはこのように書かれています。『これらの聖典のうち,聖書のように,6,000年にわたる人間の歴史を最後まで正確にたどれるものは一冊もありません』。この聖書を調べると,わたしたち人間の最初の先祖は,この方を崇拝していたことが分かります」と述べ,8ページ12節の「聖書によると……エホバです」という部分を読みます。最初の話し合いを手短にし,次回の訪問で13節から話し合うことを約束します。

その3 ― 創造者

(「見よ!」12,13,17,18節)

日本人はほとんどの場合,自然そのものが神であるという概念を抱いたり,巨木や岩,そして特定の人物をその崇拝の対象としたりします。それで創造者に関する知識を分かち合いたいと思う場合,次のような近づき方が効果的です。

「聖書の神は目に見えない方ですが,その方の存在を確かめる方法をご存じでしょうか。[答えを聞く。] このような二つの方法があります。[「見よ!」のブロシュアーの8ページ13節を読む。] 神はご自分について知らせるために,例えて言うならば2冊の本を記されました。そしてこれらの本は世界中どこに住んでいる人であろうと自由に調べ“読む”ことができます。その1冊は聖書という書物であり,もう1冊はわたしたちの周囲にあるすばらしい創造物です」。

その後,多くの日本人にとってなじみのない聖書から説明するよりも,まず創造物による方法に注目させ,17節の家の例えを討議するか,18節の中から身近な創造物を例に取り,推論しながらすべてのものの造り主が存在することを指摘します。ここでは18節を取り上げてみましょう。このように言えます。

「大抵の人は美しい花を見て感動を覚えます。中には,単に白い球根がどうしてあのような美しいゆりに生長していくのか不思議に思う人さえいます。以前は鳥や花そして人体の造りを不思議に思ったことがあっても,なぜ,どうしてこれらのものが存在するのかその理由まで,深く考えることはありませんでした。どうぞ12節の最後の3行の説明をご覧ください。すべてのものを造られた創造主が存在すると考えることは道理にかなっていませんか」。

「もう一つの方法である聖書もよく調べる必要があります」と述べ,その具体的な方法について14節から調べることを勧め,次の訪問を約束します。

同様の例は「論じる」の本の129,130ページにもあります。そこには,聖書を神の言葉として受け入れていない人々のために,聖書の説明以外に世の権威者や世俗の資料に加え,道理に訴える例えが挙げられています。

その4 ― 復活の希望

(「見よ!」39節)

死者の復活に関する聖書の教えは,「優しい憐れみの父またすべての慰めの神」エホバのすばらしい過分のご親切の表われです。(コリント第二 1:3)この希望について次のように紹介できるかもしれません。

「だれにとっても,肉親や親しい友人の死ほどつらいものはありませんね。わたしたちは時々亡くなった人のことを思い出すことがありますが,そんなとき___さんは,もう一度その人に会えたらよいのにと思うことがありませんか。[家の人の考えを聞く。] このようなことをお聞きになって驚かれるかもしれません。[「見よ!」のブロシュアーの21ページ39節にあるヨハネ 5章26節から29節の引用聖句を読む。] お気づきになったかもしれませんが,聖書は単に『墓』ではなく『記念の墓』という言葉を用いています。つまり,神に記憶されている人々がよみがえらされ,永遠に生きる希望があるということです」。

それから,20ページ上のさし絵を示し,そこに描かれている人々の歓喜の様子について以下のような事柄を中心に話し合います。父親と再び一緒になれた子供たちや妻のあふれんばかりの喜びの様子が描かれている。和服を着た二人の日本人女性は,生前親しくしていた友人か姉妹かもしれない。また,いろいろな人種の人々が描かれていることから,死者の復活が世界的な規模で生じることが期待できる。さらに,復活の希望が家の人にとってどれほどすばらしい見込みとなるかについて簡単に話し合うことができるでしょう。

その後,次の訪問の土台を築くためこのように言えます。

「ところで,わたしたちは人が死ぬと極楽や地獄で魂だけが生き続けるということを教えられてきましたので,聖書の述べる復活という新しい考えに接し,戸惑いを感じられたかもしれません。それで,来週はこうした約束をなぜ驚いたり怪しんだりする必要がないのか,復活について分かりやすく説明した40節と41節を話し合えればと思います」。

その5 ― 人間の死ぬ理由

(「地上での生活を永遠に楽しんでください」)

「地上での生活を永遠に楽しんでください」のブロシュアーを用いるなら,お年寄りや健康の問題を抱えている人々,あるいは若い人たちと容易に話し合うことができます。このように言えます。

「年と共に体力が衰え,病気にかかりやすくなり,不自由な思いをしなければならないのは残念なことですね。[家の人が何らかの健康上の問題を抱えているような場合には,温かい同情心と気遣いの言葉をかけるようにする。] ところで___さんは,なぜ人は年を取り,病気になって,最後には死んでしまうのだろうかとお考えになったことはありませんか。[たいていの人は,「昔も今もそういう定めになっているので,どうしようもないことだ」と答えるかもしれません。] おっしゃるとおりですが,人はだれでも,わざわざ病気になったり,故意に老化を早めたりする生活をしているわけではありませんね。むしろ,わたしたちが少しも望んでいないのに,病気になったり年を取ったりするのではありませんか。[家の人の考えを聞く。] ちょうどこの冊子の8から14のところに,『にんげんはなぜ死ぬのですか』という興味深い問いかけの言葉があります。ここでは,今ご一緒に考えた病気や老衰,それに死という問題には,それなりの背景があると説明されています。いったいどのような理由があるのか,よろしければ少しの時間話し合うことができます。この冊子の中の文章は短く,たくさんのさし絵があるため,それほど目が疲れませんし,内容も分かりやすいものですので,だれでも理解できると思います」。

家の人の年齢や関心に応じて「だれが人をつくりましたか」の部分を話し合うことができますし,若い人とは「死とはなんですか」という見出しから話し合いに入ることもできます。1回に一つの見出しを扱い,少しずつ聖書の基本的な真理を理解させるよう努めることが大切です。

その6 ― 愛

(「家族生活」6章)

家族生活を幸福なものにするために不可欠な愛について話し合うことができます。普通,人々は愛の大切さに気づいてはいても,「愛」とは何を意味するかについては知りません。それで多くの奉仕者は折を見て,コリント第一 13章4節から8節にある愛の定義を「家族生活」の本の6章を用いて分かりやすく説明し,一般の本と聖書との違いを明確にさせながら,聖書に対する関心を高めることに成功しています。次のように会話を始めることができます。

「最近は世の中を反映してか,夫婦や家族の間でさえ,辛抱強さや親切,愛といった特質が見られなくなり,悩みや問題を抱えている家庭が多くなりましたね。よく夫婦の愛や親子の愛が話題になりますが,奥さんはこれまで,真実の愛とはいったい何だろうかとお考えになったことがありますか。実は,わたしたちが以前に考えたこともないような愛についての説明が,有名な聖書の中に記されています。[71ページ7節にある愛の定義を読んだ後,一,二の例を簡単に取り上げ,家の人の感想を尋ねる。] もし夫婦や家庭にこのような精神が行きわたってゆくなら,どんなにすばらしいことでしょう。服の破れやほつれを一つ一つ直してゆけば元通りの服になるのと同じく,愛のそれぞれの特質を学びそれを育んでゆくなら,やがて家族全員が本当の愛を身につけることができるのではないでしょうか」と述べ,9節を読み,できれば10節の「愛は辛抱強く,また親切です」の部分を話し合うことができるでしょう。家の人が愛の特質のどんな点に関心を持っているかを確かめ,次回の話し合いを約束して別れます。

その7 ― 子供の成長

(「家族生活」8-10章)

一般の家庭では,幼稚園を終えた子供が学校に行くようになると,親も子供もさまざまな問題を経験するようになります。若い母親たちの中には,こうした時期の子供のしつけや教育に不安を覚え,正しい導きを求めて,家庭聖書研究に応じる人も少なくありません。それで「家族生活」の本の8章から10章を用いた再訪問の実例を取り上げます。それぞれの章には子供の順調な成長を願う親たちの興味を引く話題が豊富に論じられています。それで,下記の例を参考にいろいろ工夫してみてください。このように言えます。

「親であればだれでも,わが子が親にとって誇らしく思えるような子供に成長してほしいと願うものですね。でも社会がこれほど悪くなり,学校生活にも影響が出てくるようになると,子育てに不安を感じると言うお母さん方によくお会いします。例えば奥さんは,子供がいつの間にか憎まれ口をきくようになったり,いら立ったりするようなことがある場合,何が原因なのだろうかと考えたことがありませんか。[家の人の見解にできるだけ同意することに努める。] もしよろしければ,一つの点をお知らせしたいと思います。まず,原因の一つは子供に対する気遣いや愛情と関係があるようです。どうぞ家族生活の問題を扱ったこの本の98ページをご覧ください」。感情面の必要を満たすことの大切さを述べた4節の後半を読んだ後,9節と10節の要点を共に話し合います。9節では,愛することは愛されることと同じように人を幸福にすること,そして人に愛を示すなら自分も愛を示されるようになること,10節では,母親が甘やかすのではなく,愛情を注ぎ愛を教えることの大切さを要点として取り上げます。そして,最初の訪問の結びにこのように言えます。

「こうした事柄については多くのお母さん方が同意していますし,奥さんもきっとそのように感じておられるのではないでしょうか。今話し合ったことを毎日意識して実行していくなら,子供たちはお母さんの優しい気遣いをすぐに感じ取るようになるでしょうね。もちろん,こうしたことは普段から心掛けておられることと思います。次にお会いするときは,子供をいら立たせることにつながる二番目の原因について話し合うことができればうれしく思います」。

2回目の訪問: 2回目の訪問では「家族生活」の本の9章11節と15節を用いて,比較したり競争心をあおったりすることの問題点について幾つかの事例を挙げながら話し合います。次のように会話を切り出すことができます。

「奥さんは,兄弟同士の場合もそうですが,子供を他の子供と比較して,やる気を起こさせるという考えをどう思われますか。[家の人の考えを聞く。] 親にしてみれば,子供のためを思ってよその子供の優れた点を口に出しているつもりでも,子供にとってはマイナスとなる場合のほうが多いようです」。11節を読んだ後,身近な,あるいはだれもがよく知っている実例を含めながら推論してゆきます。続いて15節を読み,子供をいらだたせることなく,一人一人の成長と進歩を温かく見守る親の愛ある指導のあり方を討議し,ガラテア 6章4節にある聖書の知恵の言葉に注目させ,次週の訪問を約束して別れます。

3回目の訪問: この訪問では10章を用い,一貫した懲らしめの必要性をテーマとして話し合いを進めます。このように言えます。

「子供たちの遊びや行動を注意深く観察していると,どちらかと言えば良いことよりも悪いことのほうが,またほめられることよりも叱られることをしているほうが多いことに気づかれませんか。よく見ているとあまり気にとめない親もいれば,ただ叱るだけという親御さんもいらっしゃいますね。奥さんはこのような対応の仕方をどのように思われますか。[家の人の考えを聞く。] 親の対応いかんによっては,その子が大きくなってから親に反抗するようになるか,それとも親子の信頼関係がいっそう強くなるかが決まってきます。どうぞ,ここをご覧ください」と述べ,132ページ2行目の「しつけの問題は」の部分から3節の終わりまでを読んだ後,家の人の関心の度合いや時間的な事情も考慮に入れ,7節,8節,および13節から15節の中の要点を討議します。その際,聖書そのものに注意を向けさせるため引照聖句を直接聖書から読むようにし,「家族生活」の本を用いた話し合いを定着させてゆきます。

その8 ― 子供の価値規準

(「家族生活」9章)

多くの親が,子供に物事の価値規準を教えるべきかどうか確信が持てなかったり迷ったりしています。「家族生活」の本の9章を用い,家の人に気遣いを示しつつ,このように話を切り出せます。

「近所のお母さま方の中には,子供のうちは自由にのびのびとさせて,何でも自分で物事を判断できるような子供に育てたいという方もおられれば,幼児教育に熱心な親御さんもおいでですね。奥さんはどちらですか。[答えてもらう。] 人にはそれぞれ意見がありますが,この本にはとても参考になる見方が記されています」と述べ,「家族生活」の本の129,130ページの31,32,35節を家の人と読み合います。31節の「人の人格の大部分は就学前に確立される」の部分や,32節の「子供は七歳までは順応性がある。しかし,親の指導が遅れるなら……」の部分などを効果的に用いるのは良いことです。再び訪問するための土台を据えるべく,「真の価値規準を最もよく教えているものは一体何でしょうか」と質問を投げかけ,次回の訪問に対する家の人の期待を高めます。

2回目の訪問: 130ページ34節を用いることができます。節の内容と詩編 119編105節を用いて,真の価値規準を最もよく教えているのは聖書であることを論理的に説明します。その後,「しかし,聖書を書いたのは人間なのに,聖書のことをどうして神の言葉と言うのか不思議に思われませんか」と尋ね,家の人の意見に耳を傾けます。その際,家の人がこれまで聖書を読んだことも聖書に接したこともないということが分かった場合でも,決して家の人に恥ずかしい思いをさせないよう配慮します。「実際,聖書は今から幾千年も前に40人ほどの人によって書き上げられたことをわたしは初めてこの冊子によって知るようになりました。この冊子は,聖書がどんな本なのかを簡潔にまとめていますので,ご一緒に読んでみませんか」と述べ,「見よ!」のブロシュアーの8節と9節を読んで討議します。

その9 ― 老後の生活

(「家族生活」13章)

わたしたちの奉仕区域には,人生経験が豊かで考え深い年配の方々が大勢います。そのような人々とは「家族生活」の本の13章を土台にして,次のような話し合いができます。

「老後を有意義に過ごそうとして,ある人はゲートボール,畑作り,孫の世話などに打ち込んでおられるようですが,ご主人(奥様)はどう思われますか。[家の人の考えを聞く。] 人によってそれらは気晴らしになるかもしれませんが,必ずしも生活を満足させるものにはならないと言う方もおられるようです。ところで,老後を真に有意義なものにする二つの秘訣があり,これまで大勢の方の助けとなってきましたが,ご主人(奥様)はその秘訣とは何だと思われますか」。

家の人の答えを聞いた後,「家族生活」の本の175ページにある,「人のためにすることを楽しむ」という副見出しを読み,12節の主な点を説明します。さらに13節から神に倣いたいという敬虔な気持ちを持つことの大切さを強調し,次の訪問でもう一つの秘訣について話し合うことを約束します。

2回目の訪問: このように会話を始めます。

「老後を有意義に過ごすもう一つの秘訣についてはここに記されています。それは状況の変化に順応することです。[178ページの副見出しに注目させる。] どのように順応できるか実際的な方法を調べてみましょう。[16節から20節の要点を話し合う。その後「見よ!」のブロシュアーの5ページの写真を見せる。] ところで,ここに老後に至るまで有意義な人生を送ったと言われている人の写真が載せられています。この人はインドのガンジーという人で,生涯ヒンズー教徒でした。ところが,この人は聖書をとてもよく勉強していて,あるときこう語りました。[6ページのガンジーの言葉を読む。] いかがでしょうか。ガンジーはヒンズー教ではなく,キリスト教の教えによって世界中の問題を解決できると述べています。ヒンズー教徒でありながら聖書の教えに深い敬意を示したガンジーのことを,節操のない人と思われますか。それとも心の広い人物だと思われますか。[家の人の意見を聞く。] ガンジーは,宗教が違うから聖書を勉強しても仕方がないとは考えませんでした。わたしたちも皆さんにこのガンジーのようであっていただきたいと願っています。この冊子は,これまで大勢の方に聖書の良さを理解していただくのに役立ってきたものです。是非___さんにも読んでいただきたいと思ってお持ちしました」と述べてブロシュアーを手渡すことができるでしょう。次回の訪問の際,表紙の絵と1節から4節を説明するか,家の人の関心に応じて他のふさわしい箇所を話し合うこともできます。

これら九つの実例は,1989年10月号以降の「王国宣教」で取り上げられたものであり,家庭聖書研究を取り決める上で多大の成功を収めてきました。今後,皆さんはそれぞれの実例を分析し,関心を示す人々に最もふさわしい実例を選び,話し合いを重ねるなら新しい家庭聖書研究を取り決めてゆくことができるでしょう。

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