質問箱
■ 会衆が葬式を行なう面で援助を要請された場合,次の質問が生じるかもしれません。
だれが葬式の話をするべきでしょうか。これは遺族が決める事柄です。良い立場にあるバプテスマを受けた兄弟の中から選べます。もし長老団が話し手を決めるよう依頼されたのであれば,普通は一人の有能な長老が選ばれて協会の筋書きに基づく話をします。話の中で故人を褒めあげることはしませんが,故人の示した模範的な特質に注意を引くのはふさわしいでしょう。
王国会館を使ってもよいでしょうか。長老団の許可があれば,また通常の集会の予定に支障を来たさなければ,葬式のために王国会館を使うことができます。故人が会衆の成員か成員の未成年の子供で,清い評判を得ていた人なら,王国会館を使えます。もしその人がクリスチャン的でない行ないのゆえに一般の人々の間でも評判の良くない人だったのであれば,あるいは会衆に何らかの好ましくない影響をもたらす他の要素が存在するのであれば,長老たちは王国会館の使用を許可しないことにするかもしれません。―「務め」62ページを参照。
普通,王国会館は未信者の葬式のためには使いません。ただし例外の設けられることはあります。それは,遺族がバプテスマを受けた奉仕者として活発に交わっており,未信者であった故人が会衆内の相当数の人から,真理に好意的で地域社会においても廉直な行ないゆえに良い評判の人として知られていた場合,そして葬式の内容に何ら世の風習が持ち込まれない場合です。
一般的に日本の場合,遺体が火葬に付された後に追悼の話が行なわれるので,柩が王国会館に運び込まれることはありません。柩を置いたり,故人の写真を飾ったりするなら,一般の出席者が崇拝行為をする可能性があります。
一般の人の葬式を行なうことについてはどうでしょうか。もし故人が地域社会で良い評判を得ていた人であるなら,遺族から依頼があった場合にだれか兄弟がどこかふさわしい場所で慰めとなる短い聖書の話をしてもよいでしょう。ただし,会衆は,不道徳や不法な行ないで知られていた人,あるいは聖書の原則に全く反する生活の仕方をしていた人の葬式を行なうことは辞退するでしょう。また,兄弟が僧職者と共になって信仰合同的な葬儀を司会するとか,大いなるバビロンの方法で行なわれる葬式に参与するようなことはないでしょう。
故人が排斥された人であった場合はどうですか。会衆は普通かかわりを持ちません。そのために王国会館が使用されることはありません。一方,もしその人が悔い改めた証拠を示していて,復帰したいとの願いを明らかにしていたのであれば,兄弟たちの中には,どこかふさわしい場所で短い聖書の話をして,未信者の人々への証言を行ない,遺族を慰めることを良心的に許せる人もいるかもしれません。しかし,そう決定する前に,その兄弟は長老団に相談し,長老たちの勧める事柄を考慮するのは賢明なことです。その兄弟のかかわることが賢明とは言えない状況では,遺族の一人である兄弟が話をして親族を慰めるのがふさわしいかもしれません。
葬式に関連して導きとなる資料がありますので,必要に応じ,参照してください。「ものみの塔」1990年10月15日号30,31ページ; 1981年11月15日号30ページ; 1980年6月15日号5-7ページ; 1977年9月1日号539,540ページ; 1970年7月1日号414,415ページ,また「目ざめよ!」1990年9月8日号22,23ページ; 1977年7月8日号12-15ページなどです。