エフェソス
注釈 3章
キリスト・イエスのために捕らわれている私パウロ: 使徒パウロはイエス・キリストの弟子として,ユダヤ人でない人たちの中で活動したので,同胞のユダヤ人の怒りを買った。そのため,最初はユダヤで,やがてローマで拘禁された。(使徒 21:33-36; 28:16,17,30,31)それで,自分はキリスト・イエスに関してユダヤ人ではない[人]のために捕らわれていると言うことができた。パウロはローマで1度目に拘禁されていた2年間(西暦59-61年ごろ)に,何通かの手紙を書いた。(使徒 28:30の注釈を参照。)エフェソスの手紙で,ここのほかに2回,捕らわれているとか鎖につながれていると述べている。(エフ 4:1; 6:20)
私パウロは ― : 14節につながると思われる。
神の惜しみない親切を管理する仕事: パウロには「異国の人々への使徒」として,特別な管理の仕事が任されていた。(ロマ 11:13)パウロはいわば,「私は,神の惜しみない親切の恩恵を受けられるよう皆さんを助ける責任を与えられた」と異国の人々に言っていた。「管理する仕事」に当たるギリシャ語(オイコノミア)は「管理」とも訳せる。(エフ 1:10; 3:9)
前に少し書いた通り: パウロが言っていたのは,別の手紙のことではなく,この手紙の前の方で少し書いたことのようだ。例えば,エフ 1:9,10やエフ 2:11-22。
異国の人々: つまりユダヤ人でない人。パウロは,自分に明らかにされた神聖な秘密についてエフ 3:3で述べたが,この節でその一面を取り上げている。(マタ 13:11,エフ 1:9の注釈を参照。)ここで明確にされているのは,パウロのように信仰を持つユダヤ人と共に,ユダヤ人でない人も同じ体を構成するよう招かれているということ。それはキリストの体で,イエスを頭とするクリスチャン会衆を指す。(エフ 1:22,23。コロ 1:18)
この神聖な秘密を伝える奉仕者: 直訳,「その奉仕者」。3,4節で述べられている「神聖な秘密」の奉仕者のことと思われるが,神聖な秘密と密接に結び付いている「良い知らせ」の奉仕者のことかもしれない。(エフ 3:6; 6:19)パウロは手紙の中で何度も自分や仲間のことを奉仕者と表現している。コ一 3:5,コ二 6:4の注釈を参照。
惜しみない親切という無償の贈り物: 用語集の「惜しみない親切」参照。
神聖な秘密がどのように管理されるか: または,「神聖な秘密の管理」。ここで使われている「管理」に当たるギリシャ語(オイコノミア)については,エフ 1:10の注釈を参照。
会衆を通して: このクリスチャン会衆は神の神聖な秘密の一部を成している。神は,天で栄光を受けたキリストと共に財産を受ける人を人類から選ぶことを意図していたから。(エフ 3:5-9)神は,会衆を通して行う事柄や会衆と共に行う事柄によって,ご自分の知恵が「天の政府や権威に」知られる,または明らかにされるようにしている。天使たちはこの神聖な秘密が徐々に明らかにされるのを驚きと称賛のまなざしで見ている。それで,「会衆を通して」,天使たちは「極めて多様な神の知恵」をこれまで見たことがないような仕方で目にしている,といえる。(ペ一 1:10-12と比較。)
永遠の目的: この文脈で,「目的」という語は特定の目標を指し,それはいろいろな方法で達成できる。エデンでの反逆があったものの,人類と地球に対して本来意図していたことを成し遂げる,というエホバの決意が関係している。(創 1:28)エホバはその反逆の直後,私たちの主であるキリスト・イエスに関連してこの目的を定めた。反逆者たちによって生じた悪いことを全て取り除く「子孫」が現れることを予告した。(創 3:15。ヘブ 2:14-17。ヨ一 3:8)「永遠の目的」(直訳,「時代(複数形)の目的」)といえる少なくとも2つの理由がある。(1)エホバは「永遠の王[直訳,「時代(複数形)の王」]」(テモ一 1:17)で,その目的が完全に果たされるまでに幾つもの時代が過ぎるのを許している。(2)この目的が達成された結果は永遠に及ぶ。ロマ 8:28の注釈を参照。
気後れせずに語ることができ: クリスチャンはエホバ神との良い関係を持っているので,「気後れせずに」,(または,「大胆に」,「恐れずに」)語ることができる。神の子であるイエス・キリストと贖いの犠牲に信仰を抱いているので,気後れせずに確信を持って祈りの中で神に語ることができる。(ヘブ 4:16。ヨ一 5:14)ここで「気後れせずに語る」と訳されているギリシャ語は文脈によって,気後れせずにはっきりクリスチャンの信仰について語ることを指すこともある。使徒 4:13; 28:31,コ二 7:4の注釈を参照。
皆さんのために私が苦難を味わっている: パウロはエフェソスの人たちに奉仕したために苦難を忍耐していた。その人たちが受けている祝福には苦しむだけの価値があることを示した。パウロの手本によって,エフェソスのクリスチャンは落胆しないよう力づけられたので,パウロは,その人たちのために苦難を味わっていると言えた。(コロ 1:24と比較。)逆に,もしパウロが迫害者に屈してしまっていたなら,エフェソスのクリスチャンの中には,キリスト教に苦しむだけの価値はないと結論して,落胆し諦める人もいたかもしれない。
その方によって……全ての家族が存在するようになりました: 「家族」に当たるギリシャ語(パトリア)は,「父」に当たる語(パテール)に由来し,ギリシャ語聖書に3回だけ出ている。(ルカ 2:4。使徒 3:25)その意味は広く,実際の家族に限られていない。この語は,家の人たちだけでなく広い意味で部族,氏族,国民も指すヘブライ語の訳として,セプトゥアギンタ訳で何度か使われている。(民 1:4。代一 16:28。詩 22:27 [21:28(27),LXX])パウロは,「その方によって」全ての家族が「存在するようになりました」と述べて,全ての人,ユダヤ人もユダヤ人でない人も,その起源は父であるエホバ神だということを示している。
天……の全ての家族: エホバ神は天の家族の父で,天使たちを子と見ている。(ヨブ 1:6; 2:1; 38:7)無数の星を名で呼んでいるのと同じように(詩 147:4),天使たちにも名前を付けたに違いない。(裁 13:18)
地の全ての家族: 神は最初の人間の家族を創設し,アダムとエバに子供をもうけることを許したので,地上の全ての家族や家系は神によって「存在するようになりました」(または,「名前を与えられました」)とパウロは言っている。(創 1:28。マタ 19:4,5)しかし,エホバに個々の家族に名前を付ける責任がある,と言っていたのではない。
キリストが愛と共に皆さんの心の中に住み: パウロがここでエフェソスのクリスチャンに勧めているのは,イエスの物事の扱い方や気持ちに倣うことによって,徹底的にイエスを知って愛すること。(コ一 2:16。ペ一 2:21)イエスの手本と教えが自分の考え,気持ち,行動に影響を及ぼすようにするクリスチャンは,ある意味で,心の中つまり内面にイエスにずっと住んでもらうことができた。イエスへの愛を育んでいる人は,エホバへの愛を強めて(コロ 1:15)内面を強くしている(エフ 3:16)ことにもなり,信仰の試練に立ち向かえた。
しっかりと根を張り,強固な土台の上に建てられ: パウロはここで,エフェソスの手紙のほかの箇所と同じように,要点を強調するために2つの比喩を使っている。(エフ 2:20-22; 4:16)クリスチャンは地中に根を張った木のようにしっかりとし,良い土台の上に立つ建物のように安定しているべきである,ということを示している。パウロはコロ 2:7で同じような比喩を使い,「キリストに根を下ろし,自分をキリストの上に建て」るようにと述べている。(コロ 2:6)また,コ一 3:11で比喩的な建設工事について述べ,イエスを「土台」に例えている。(コ一 3:10の注釈を参照。)エフェソスの人たちはしっかりと根を張り,強固な土台の上に建てられるために,神の言葉,特にイエスの生き方や教えを勤勉に学ぶ必要があった。(エフ 3:18。ヘブ 5:12)そのことは,エホバとの強い関係を築く助けになった。(ヨハ 14:9)
キリストの愛を知る: 聖書の中で,「知る」という言葉には,たいてい誰かや何かについての事実を知る以上のことが関係している。(ヨハ 17:3,ガラ 4:9の注釈を参照。)この文脈での「知る」は,「キリストの愛」の意味や重要性を理解することや,その愛を経験や実践を通して知ることを指す。単に事実に関する知識もしくは頭だけの理解では,本当の意味でキリストの人格を理解することはできない。そのような知識をふんだんに持つ人は,自分は優れていると感じるようになりかねない。(コ一 8:1)一方,「知識以上のものであるキリストの愛を知る」ようになったクリスチャンは,イエスの愛情深い考え方や行動の仕方に倣うよう努力する。そうすることで,知ったことをバランスの取れた,愛情深い,励みとなる仕方で生かせる。
神は……はるかに超えた事柄を行うことができます: パウロの祈りはエフ 3:14から始まっている。祈りの結びの20,21節で,エホバを賛美している。パウロは,祈りに対する神の答えは,祈る人が考え出せる事柄だけに限定されないということを言っている。問題に直面しているクリスチャンに解決策が全く分からない状況でも,神は「私たちのどんな願いや考え」をも超えた計り知れない事柄を行える。人間の想像や期待を超越した仕方で祈りに答え,約束を果たすことができる。
アーメン: ロマ 1:25の注釈を参照。