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  • エデンにかんする記憶
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目ざめよ! 1970
目70 6/22 8–12ページ

エデンにかんする記憶

読者は人間の創造と堕罪に関する聖書の記述をご存じでしょう。エデンの楽園のアダムとエバ・命の木・へび・善悪の知識の木などは一般に広く知られています。(創世記 2,3章)なぜなら,それらの事柄は,壊滅的とも言うべき影響と,ぬぐい去りがたい記憶を人類家族に残したできごとと結びついているからです。エデンにおいて何か悲痛なできごとが生じたことを人間は忘れられないでいるのです。

エデンにかんする記憶を存続させてきた要因は聖書中のその記録にあるのですが,それにしても,キリスト教以外の宗教を奉じた多数の民族の宗教的な考えが,エデンのできごとについて聖書の述べる事柄を反映しているのです。このことをご存じでしたか。

もとより,このことに関するそれら民族の宗教的な考えが聖書の記録にそっくり似ているわけではありません。しかし聖書の記述と類似しているところが確かにありますから,それらの点を考慮するのはたいへん興味深い事柄です。

このことはまず第一に,神からの真理を知らず,あるいはそれを退ける知恵のない人間の考え方がどうなるかを示しています。また,多神教のさまざまな考えは,創世記の簡潔で純粋かつ正直な記述の美しさと威厳のほどを浮き彫りにしています。これは,霊感の下にしるされた神のみことばとしての聖書に対するわたしたちの認識を深めるものです。そのうえ,真実の記述に見られるある事柄をそれぞれゆがめて取り入れたさまざまな宗教上の見解があるということ自体,かつて存在していた楽園を人間が失ったことを裏づける証拠になるのです。―ロマ 1:21-23。

創世記の記述と異なる理由

種々の民族の宗教的な考えの幾つかを検討する前に,それらが聖書の記述と異なる理由を知っておく必要があります。そうした相違が生じたのはいったいなぜですか。聖書の正確な歴史によれば,かつて人類はただ一つの言語を用いており,またエデンのできごとを知っていました。アダムはそれらのできごとを子孫に語り伝えたと考えられます。こうしてそれは当時の常識となったに違いありません。

ノアの日の洪水の8人の生存者もエデンに関するその知識を子孫に伝えましたが,その後しばらくして,大多数の人々は圧制者ニムロデに服し,神に反逆しはじめました。それら反抗的な人々がニムロデに動かされ,神に対する挑戦を表わすものとして,人間の起源に関する真理をゆがめるようになったと考えるのは当然でしょう。ついにエホバ神は,人々に突然いろいろな言語を話させて,共通の言語に基づく一致を砕き,こうして人々を地上のさまざまな場所に散らされたのです。―創世 10:8-12; 11:1-9。

それら反抗的な人々は今やそれぞれ異なった言語を話すようになりましたが,それまでの宗教的な教えは忘れませんでした。ゆえに人々はそれらの教えを携えて各地に移住し,自分たちの新しい言語でそれを表現しました。さまざまな土地で人々が築いた文化や新しい環境のためにそれらの教えが変化したことは言うまでもありません。こうして時たつうちに,楽園における人間の始まりや,罪深い不従順ゆえの楽園喪失に関する各々の民族グループ特有の物語ができあがりました。

また,エホバに敵する悪魔サタンの悪質な影響も無視できません。エデンに関する証拠をぬぐい去れなかったサタンは,エデンに関する事実を徹底的にわい曲させようとしたのです。―ヨハネ 8:44。

こうした事態の進展全体は,主題と変奏として知られる楽曲形式にたとえられるでしょう。簡潔で澄んだ主題が示されると,次に主題に装飾的な変化を加えた一連の変奏が続き,リズム・和声・伴奏などの変化で主題はゆがめられる場合さえあります。しかしさまざまな変奏にもかかわらず,元の主題はかすかに,またはその一部分を聞きわけることができます。エデンのできごとに関する歴史上の純然たる事実についても同じです。元のできごとの内容が変えられたり,ゆがめられたりしたのは,明らかに時間・民族特有の文化・地理また悪霊の影響などの要素が作用したためです。

エデンに関する古代人の記憶

古代の諸民族はエデンにかんする記憶を持っていました。考古学者は古代文明の遺跡を発掘して,その証拠を発見しました。バビロニア人・アッシリア人・エジプト人などのいだいた宗教的な考えを物語る数々の粘土版文書・円筒印章・パピルス文書・記念碑その他が発掘されたのです。

それら古代民族は,居住地を異にし,また宗教的な教えを異にしていましたが,エデンに関して何がしかの記憶を持っていたようです。古代の記録がそのことを明らかにしています。「ハーレイの聖書便覧」の著者はこう述べています。「歴史のまさに揺らん期に人類の発祥地で石や粘土板にしるされたこれら古代の記録は……アダムに関する聖書の物語のおもな事柄が原始時代の人間の考えに深く植えつけられていたことの証拠である」。

「よみがえる聖書」を著わした考古学者チャールズ・マーストン卿の次の発言はこの問題をよく説明しています。

「バビロニア・アッシリアその他の文明の発祥地から出土する,アブラハム以前のものをも含む楔形文字の古代文書や,刻印また石の彫り物などを入念に調べると注目すべき一連の証拠があらわに認められる。われわれの目につく,遠い過去のそうした遺跡の比較的わずかな部分からさえ,創造・最初の誘惑・人間の堕罪……など創世期に述べられている物語が当時の社会に広く知られていたという印象を受ける。しかもそれらの物語は,おそらく多神教的な背景を付されて,カルデア人の町ウルの学校で教えられていたのである」。

バビロニアおよびアッシリアに見られる影響

多神教的な背景を付されて教えられていたとされるのはいったいどんな事柄でしたか。たとえば,バビロニアのある刻文に示されている見解に注目してください。古代のその宗教的な刻文は,「エリドゥの近くに園があり,その中に神々の植えた神秘な聖樹,すなわち命の木があった。その根は深く,その枝は天に達していたが,園は守護の霊者たちに守られており,だれもはいらない」と唱えていることをハーレイは報告しています。このことから見て,エデンのできごとの顕著な事柄の幾つかがバビロニア人の脳裏に依然として残っていたと考えることができます。

前述の見解からすれば,命の木は古代人がエデンに関して忘れがたいものだったと思われます。ジョン・エルダーは自著「預言者,偶像そして発掘者」の中でこう評しています。「バビロニアの古代文書は,創世記 2章9節に述べられているような命の木にしばしば言及しており,雪花石こうの浮き刻りや印章には木の形をしるしたものが多い。その実は,これを食べたものに永遠の命をもたらすと考えられた。それら出土品の中のある円筒印章から得た絵は,最初の誘惑と命の木を描いているように見える」。

エルダーが述べているのは明らかに,英国ロンドンの大英博物館所蔵の円筒印章のことです。それは「誘惑の印章」とも呼ばれています。その印章を柔い粘土の上でころばして得られる跡もしくは絵は,エデンのできごとを表わしています。その絵の中央には1本の木があり,その右側には男,左側には女が腰かけています。女のうしろには,彼女に話しかけているかのように1匹のへびが直立しているさまで描かれています。このバビロニア印章に見られる象徴の意味は完全に理解されていませんが,その類似点は特記すべきものです。

エデンにかんするアッシリア人の記憶は,バビロニア人のそれと異なるものではありません。アッシリア人の宗教的な考えは,バビロニア人のそれとほとんど同じだからです。事実,一般的に言ってアッシリア人の神々また女神は,アッシュルという神のほかは,バビロニアの神々と同一なのです。

エデンにかんするアッシリア人の記憶の中で顕著なのは彼らの聖樹,つまり「命の木」です。アッシリア人の王宮跡から出土した彫り物の中には,翼を持つ二つの生き物で守られた聖樹を題材にしたものが多数あります。翼のあるそうした生き物の中には半身がそれぞれ人間と獣の形をしたものもあります。こうしたゆがめられた架空の彫像は,「生命の樹の途をまも(る)」ために配置されたケルビムに関する記憶におそらく由来するものでしょう。―創世 3:24。

1932年,ニネベの北20キロほどの地点で石の印章が発見されました。現在,アメリカ,ペンシルベニア州,フィラデルフィア大学の博物館所蔵のその印章は,エデンに関して古代人が記憶していた別の事柄を示しています。それには,悲嘆に暮れてうちしおれた様子の裸の男女がうなだれて歩いており,また,そのふたりのあとに1匹のへびが従っている様子が描かれています。その印章の発見者E・A・スペイサー博士は,それは「アダムとエバの物語を強力に暗示する」印章であると語りました。

エデンに関するシュメール人とエジプト人の記憶

エデンにかんする記憶を持っていた別の民族はシュメール人です。その粘土版文書は,ペルシア南西の地とされるディルムンに楽園があったとする彼らの信仰を示しています。一説によれば,太陽神ウツは,地から沸き出る新鮮な水をもってディルムンをうるおすことを命じられ,その水のおかげでそこは肥沃な園になったとされています。これは,地から立ちのぼる霧によって土地がうるおされたと創世記 2章6節に述べられている事実を暗示しています。シュメールの古代文書によれば,水の神エンキは,その園のたいせつな植物から取って食べたところ,死ののろいを受けました。これは,禁じられた実を食べたアダムとエバのことを思い起こさせます。―創世 3:6。

古代エジプト人も,その宗教的な考えに見られるとおり,エデンにかんする記憶を持っていました。その一例として,彼らのパロつまり王は死後,その天の父ラの領域で生き長らえるには命の木から取って食べなければならないという信仰がありました。これはエジプト人の考えとしてはきわめて異例なものです。なぜですか。なぜなら,この国の風景にはほとんど樹木が見あたらないからです。樹木はその自然を特徴づけていないのです。ところがそれにもかかわらず,人間が一度も取って食べたことのない命の木にかんする記憶が消え去らなかったようです。―創世 2:9。

エデンにかかわる歴史がエジプト人の宗教的な考えに反映している別の例はへびに関するものです。へびに関するエジプト人の考え方が悪霊の影響を受けて堕落したことは言うまでもありませんが,彼らはへびを知恵の象徴とみなして崇拝し,へびの像をパロのかぶり物の一部にしたり,また,記念碑・神殿・墓・神々の彫像などの装飾として用いたりしました。悪魔サタンがへびを通してエバにうそを語ったいきさつを思い起こせば,そうした崇拝とエデンにかんする事柄との結びつきが明らかになります。サタンはそうすることによって,自分がエバに深い知識を与えうる高度の知恵の源であるかのように装ったのです。―創世 3:1-5。

エデンにかんする記憶を持つ他の民族

エデンにかんする忘れがたい事柄を神話や信仰に取り入れた民族はほかにも多数あります。G・ダルビエラは自著「象徴の伝播」の中で,50ページ余に及ぶ1章をあてて,聖樹に関する象徴的意義と神話を論じています。多数のさし絵を掲げたその説明によれば,命の木また善悪の知識の木に関する事柄が,フェニキア人・シリア人・ペルシア人・ギリシア人・シチリア島人・マヤ人・メキシコ人(アズテック人)・ジャワ人・日本人・中国人・インドの原住民などの信仰に反映していることがわかります。

一例としてその章はこう述べています。「ペルシア人は命の木つまり,不滅性を与える樹液のあるハオマに関する伝説を持っていた」。また,「命の木に関する信仰は中国人の間にもあった。伝説によれば7本の不思議の木があり,…その1本はひすいでできており,不滅性を与える実をつけていた」とあります。

さらにその同じ章は,エデンにかんするこうした記憶がゆがめられた形でスカンジナビア人の神話に取り入れられていることを指摘し,イッグドラシルと呼ばれる聖樹があって,その1本の根の下に沸き井戸があり,あらゆる知識と知恵がその中に宿っていたと述べています。別の伝説によれば,ある女神が不滅のリンゴを箱に入れて保管し,神々はそれを食べて若さを回復させていたとされています。

A・S・マリー著「神話便覧」はその173ページでこう述べています。「ヘスペリスたちの金のリンゴ園は大洋のとある島にあったとされている。……それは古代人のあいだに広く知れ渡っていた。ゼウスの寝台のそばの,神々の酒の泉から酒が流れていたのはそこであり,地が神々の,世にもまれな恵みをあらわにしていたのも,そこだったからである。それはもう一つのエデンであった」。金のリンゴを産した木は,アトラスの娘ヘスペリスたちの世話にゆだねられましたが,娘たちは誘惑に屈し,その実をもぎ取って食べました。そこでラドンと呼ばれるへびがつかわされて,その木を見守ることになったのです。さて,こうした考えを固執したのはだれですか。古代ギリシア人です。

太平洋のパプアの原住民の多くは,目に見えない1本の木の存在を信じており,生前に正しい生活をした人は,その木の中やまわりで,なんの心配もなく永遠に幸福に暮らせると考えています。ハロルド・ベイリーは自著「失われた象徴的な言語」の中で,その地を視察したある人がこうした信仰について語ったことを報じ,こう述べています。「世界の揺らん期,そして人間が今日より創造者に近い関係にあった時期に,高度の発展を遂げた今はなき諸民族から伝え聞いた信仰に関するかすかな記憶を,〔パプア人〕が依然として保持しているのは理解しがたいことではない」。

アメリカの原住民のエデンにかんする記憶と思われるものについて,ハロルド・ベイリーはこう書いています。

「大英博物館所蔵のメキシコ人の写本には,ふたりの人間が,“われらの命の木”と称するものの実をもぎ取っている様子が描かれている。マヤ人その他中央アメリカの諸民族は,2本の枝が幹の上端から水平に突き出た十字架の形をした聖樹を数多く描いた。……メキシコに初めて足を踏み入れたスペイン人の宣教師たちは,十字架が『命の木を象徴するものとして』その地ですでに使用されていたことを知って非常に驚いた」。

へびについて言えば,北米インディアンの多くの部族は古代エジプト人と同様にそれを崇拝しています。事実,へびの崇拝は地上のあらゆる場所の民族に浸透し,それぞれの民族はその土地特有のへびを崇拝しています。

また,楽園については,人間が死後いつの日か到達できると考えられる場所というようなゆがめられたさまざまな考えを多数の民族がいだいています。

人間の記憶それとも神のお目的 ― どちらにたよりますか

エデンにかんする人間の記憶をこうしてごく簡単に考慮してみますと,人類の大多数が「人のあざむきごとと誘惑の術たる悪巧とよりおこるさまざまの教の風に吹きまはされ」てきたことがわかります。(エペソ 4:14)また,人々は「惑す霊と悪鬼の教とに心を寄せて」きました。(テモテ前 4:1)真実が変えられ,ゆがめられた結果,エデンで実際に起きたできごとに関する主要な事柄はほとんどおおい隠されてしまいました。人間の想像に基づくこうした途方もない考えにたよって,人類の最初のふた親に関する真理を知る以外にすべがないとすれば,そうした真理を知ることは不可能でしょう。

エホバ神の貴重な真理のみことば聖書があることになんと感謝すべきでしょう! 聖書をひもとけば,エデンにかんする実際の歴史を知ることができるのです。そして,エホバ神がエデンのことや,エデンで結んだご自分の約束を忘却しておられないことを知るのはなんと大きな喜びでしょう。(創世 3:15)それはとりもなおさず,悪魔サタンを滅ぼし,人間のために単に地上の一地区のみならず全地に楽園を復興するという約束なのです。イエスは,ご自分とともに処刑された悪人の復活を約束されましたが,それはこの復興される楽園によみがえることだったのです。―ルカ 23:43。ペテロ後 3:13。詩 72:16。

神が復興なさるその楽園にはいる機会は今あなたの前に開かれています。聖書を研究すると,どうすれば楽園にはいれるかを学べます。エホバの証人はこの面であなたを援助したいと願っていますから,その申し出をお受けになってはいかがですか。―黙示 22:17。

[9ページの図版]

ケルビムのような者が聖樹の前に立つさまを彫った古代アッシリアの石板の一部。アッシリア人はエデンの命の木について知っていたのだろうか

[10ページの図版]

およそ6000年前のエデンのできごとを反映するものとされる古代バビロニアの円筒印章の絵。類似点に気づかれるであろうか

[11ページの図版]

メキシコのアズテク人のへび崇拝を証拠づける,クアッツァルコアトルの神殿を飾るへびの頭の像

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