ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目70 11/22 26–28ページ
  • 輸血なしで心臓手術

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 輸血なしで心臓手術
  • 目ざめよ! 1970
  • 関連する記事
  • わたしは心臓手術を受けた
    目ざめよ! 1977
  • 一婦人の命を救った決定
    目ざめよ! 1979
  • 魔術師でも神でもない
    目ざめよ! 1994
  • 幼いピーターはその後どうなりましたか
    目ざめよ! 2000
もっと見る
目ざめよ! 1970
目70 11/22 26–28ページ

輸血なしで心臓手術

1963年11月22日,アメリカの大統領の死にあ然とした世界は,その死をいたんでいました。わたしたちは,その日のうちに,自分の家族が衝撃を受けるなどとは夢にも思いませんでした。

ま夜中に,7歳になる一番幼いピーターが,金切り声を上げてわたしたちの寝室はいってきました。「ママ,床が回っているの。ぼくのほうに向かって来るんだよ」。

ピーターの息づかいは,荒くなっているように思われました。抱き上げて,台所へ連れて行くと,ピーターがうわごとを言っていることがわかったので,わたしは,夢中になって,冷たい水に浸した手ぬぐいでピーターをふいてやり,小児用のアスピリンを1錠与えて,ピーターの気持ちを落ち着かせようとしました。

午前7時,わたしは,かかりつけの医師に電話をしました。医師は到着するや,ピーターを診察し,むずかしい顔をして,急に,「この子の心臓は,どれぐらい前から,こんな状態なのですか」と聞きました。

「こんな状態と言いますと」と,わたしは聞きました。

医者は,ピーターの心臓はたいへん悪い雑音をたてていると説明し,弁膜に欠陥があるにちがいないと言いました。多くの質問をした後,医者は,ピーターが生まれながらにそうした欠陥を持っている,つまり,先天的な弁膜症であると結論しました。わたしたちはすっかり驚いてしまいました。というのは,ピーターが生まれた時には,別にどこといって欠陥のない,たいへん健康な赤ちゃんだったからです。

「この病気には手術ができるのでしょうか」。わたしたちは尋ねました。

「ええ,できると思います」と医師は答えました。しかし,こうつけ加えたのです。「あなたがたがその信仰を持っておられる限り,できません」。

わたしたちは,ことばもなく,うなずきました。わたしたちはエホバの証人であり,血を取り入れることは,「血……を断ってい(なさい)」と明白に述べられている神の律法に反するため,輸血をしないのです。―使行 15:20,29,新。

「心臓運動表を取りますから,金曜日に,病院にお子さんを連れてきてください。確かめたいと思いますので」と,医者は帰りがけに言いました。

病院に行くと,ピーターには,肺に流れる血液の量を制限する障害があるという,医師の診断がまちがっていなかったことがわかりました。それは,肺狭窄と呼ばれています。しかし,その医者は,別の見解を求めるためと,レントゲンを撮るため,ある専門医の診察を受ける日取りを取りきめてくれました。

専門医は,わずか数分で診察を終えると,ピーターに,自分で服を着るように言い,わたしを別の部屋に呼びました。

「あの子は,手術をしなければ死んでしまいますよ」と彼は言いました。

医師が話し終えた時,「その手術は輸血なしでできないでしょうか。代用血液を使って」とわたしは提案しました。

「いいえ」。専門医は強い口調で言いました。「それは絶対不可能です。わたしが今,話していることには全くまちがいないのです」。

「先生,わたしは,あなたが,誠実な気持ちから,ご自分にまちがいないと考えておられることはわかります。でも,どうか,ピーターを連れて行ってレントゲンを撮影してやってください」。わたしは懇願しました。

「お連れしましょう。しかし,それは時間の浪費ですよ」。ピーターの手を引いて,彼はレントゲン科へと,廊下を歩いて行きました。

二,三日して,わたしたちの家庭医はレントゲン撮影の結果を報告してくれました。それも,彼の診断の正しさを確証するものでした。今度は,わたしたちが講ずることのできる方法を見いだすことでした。心臓病と近代的な手術の方法に関する知識を得るため図書館で調べてみましたが,何も見つけることができませんでした。

そうしているうちに,ある日,わたしたちは答えを見いだしたのです。それは,「ものみの塔」誌,1963年12月1号の「輸血なしで心臓の手術」と題する,ごく短い記事の中にありました。そこには,血液の代わりに,ブドー糖と水で間にあう,新型の人工心肺装置についての説明がなされており,また,ミネソタ大学医師たちによる,輸血なしで行なわれた心臓切開手術は,200件に上ることがしるされていました。

わたしたちはすっかり感激しました。わたしには,家庭医の病院に着くのも,もどかしく思われました。わたしは,すぐさま,見つけた記事のことを話し,それを医師に渡して読んでもらいました。読み終えた彼はこう言いました。「確かにこれは,信頼できる情報です。わたし自身,ミネソタ大学のことはよく知っています。アメリカで,こうした手術が行なわれているのでしたら,この手術を施すことは,ここでもきっとできます。さて,問題は,カナダでこの手術をしてくれる医師を捜すことですね」。彼は,そのような医師を捜し出すため最善をつくしますと,わたしに,言いました。

二,三日後,卒中にかかって心臓の弁に障害を起こした,ひとりの友人が,カナダのトロントに住む,ある有名な外科医に,輸血なしで手術を施してもらったということを耳にしました。わたしたちが,医師にそのことを電話で話すと,彼はたいへん喜んで,さっそく,面会の手はずを整えましょうと言いました。

ピーターが,トロントで診察を受ける日が来ました。わたしたちは,その医師の部屋で,診断の結果を待っていました。医師は,ピーターが非常に悪質な肺狭窄症であり,したがって,そのために心臓がはなはだしく肥大しているという,わたしたちの家庭医の診断を確認しました。

それから彼は,疾病児病院の,ある著名な小児科の外科医に電話を掛けるため,席をはずしました。再び部屋にはいってきた時の医師の顔は輝いていました。彼は次のように言いました。「T先生が君をすっかりなおしてくれるだろう。君の症状を説明しておいたからね。すぐに,その病院へ行って,ロビーで待っていなさい。先生が君を迎えに来るから」。

わたしたちは,そのとおりにしました。現われた医師は,たいへん親切でした。彼は,わたしたちのかかえている問題を理解しており,新しい手術方法は非常に効果的であると語りました。そして,必要な場合は,「代用血液」を使うことを保証してくれたのです。彼が手術の手続きをすることに同意したわたしたちは,感謝の気持ちでいっぱいでした。

数日後,ピーターが疾病児病院に4月15日付で入院することを許可された旨の通知を受け取りました。入院した最初の1週間,ピーターは検査を受け,十分に調べられました。4月22日に予定された手術の前に,T博士は,彼が治療に用いようとしている方法について,ピーターにやさしく説明しました。目がさめて,たくさんの管を見ても心配しなくてもよい,それは,ピーターのからだに注射した血でないのだから,と話してくれたのです。

手術の日の朝,ピーターは食物や飲み物を禁じられました。そして,2時ごろ電話が鳴りました。それは看護婦からでピーターを下に連れて来るようにと言いました。ピーターが車輪付き担架で運ばれるとき,わたしたちは,ほほえみをかわしました。ピーターは,手術が成功することを疑わなかったのです。

午後7時30分,わたしはT博士の部屋に呼ばれました。「あなたのお子さんは無事ですよ」。あとのことばは,聞きとることができませんでした。しかし,後ほど説明を受けたところによれば,弁がはなはだしくいたんでいたため,一部分を切り取り,残りの部分で新しい弁を作らなければならなかったということです。手術がどれほど成功したかは,時間がたたなければわかりません。

ピーターの回復には著しいものがありました。2週間後には,退院するまでになり,それから2週間後に,再び学校へ行くようになりました。6か月後に行なわれた初めての検査で,心臓が正常の大きさに戻りつつあり,弁は十分に働いていることがわかりました。1年後の検査報告は,ほんとうにすばらしいものでした。心臓の大きさが正常になっていたのです。現在ピーターは,普通の人と変わらない,活動的な生活を送っています。

わたしたちは,血の神聖さに関するわたしたちの信仰を尊重し,こうした手術を可能にするために,わたしたちに協力してくださった家庭医,および他の良心的な医師たちに,深く感謝しています。―寄稿。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする