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目ざめよ! 1971
目71 1/8 20–23ページ

西ドイツに良いたよりを広めた大会

西ドイツの「目ざめよ!」通信員

1970年に開かれた,「善意の人々」地域大会のおかげで,良いたよりは西ドイツ各地に住む,多くの人々の間に広められることになった。地理的に重要な都市が合計13,大会開催地として選ばれたことも,良いたよりを広める一因となった。大会に出席する計画をしていた人々は,最も都合の良い大都市を選ぶことができ,しかも,どの場所でも,まちがいなく同じプログラムが組まれているのを知っていた。

ベルリン,ジュセルドルフ,シュッツトガルトなどの大都市をはじめ,森林地帯にあるオッフェンブルクや,肥よくな北部ドイツにあるノイミュンスターなどの,風光明びな小都市も大会開催地に選ばれた。エッセン,マンハイムあるいは,“フォルクス・バーゲン市”と知られているウォルフスブルクなどの大工業中心地,さらには,海港都市ハンブルグや,コンスタンス湖の北岸にあるフリードリヒスハーフェンなどにも行くことができた。さらに,三十年戦争の終わりを告げた,ウェストファーレン平和条約の結ばれた歴史的な都市であるミュンスター,ならびにカトリック系の南ババリアのシュトラウビングも選ばれた。そして最後に,カッセルも大会都市として選ばれた。カッセルは,大会の少し前,東西両ドイツの首脳が会合したが,同意に達しえなかった場所である。

大会主催者たちはそれら13都市の幾万という家庭を訪問した。その戸別訪問を通して,たいていの場合,次の三つの事柄が達成された。すなわち,大会都市を訪問するエホバの証人のために,宿舎として部屋を提供してもらうこと。また,「王国によって,人類を救う」と題する公開講演に市民を招待し,かつ,耳を傾ける人に聖書にしるされている,たいへん喜ばしい音信を伝えることであった。

注目される大きな増加

大会都市の人々は,エホバの証人の組織が拡大し,繁栄していることに気づかづにはおれなかった。たとえば,1948年,エホバの証人は戦後二度目の全国大会をカッセルで催し,その時には約2万人の代表者が出席した。ところが,1970年には,カッセルは13の大会都市の中の一つにすぎず,出席者の全合計は10万人を優に越えた。カッセルの大会に出席した7,800人は,西ドイツおよび西ベルリンのエホバの証人から成る,78の巡回区(いくつかの会衆の集合群)のうち,わずか八つの巡回区の成員数に相当する人数であった。したがって,そのうちで,1948年の大会に出席した人たちといえば,ごく少数にすぎない。当時,爆弾のさく裂した跡が56か所も口をあけていた野原が,70年の大会では美しい大会会場に一変していた。

報道員たちは,多数の若い出席者が注意深くプログラムを見聞きしていること,さらに必要な仕事ならなんでも手伝っているのに気づいた。1970年7月17日付,シュトラウビンガー・ターゲブラット紙(シュトラウビンガー日刊新聞)は,次のように報道した。「大ぜいの若いエホバの証人は特に目だった存在であった。われわれの文明社会における宗教団体の中で,自分たちの教えを広めるために若者が自分の時間を犠牲にし,説教者の話を聞くだけのために,キャンプ小屋に宿泊したり,空気ざぶとんに腰をおろしたりすることをじさない,といった団体は皆無と言えよう。どうしてそういう行動を取るのか,という問いに対して,20歳のある若者はこう答えた。『わたしたちは自分の信仰に関心をいだいているからです。―それに,そうするようわたしたちは訓練を受けました』」。

大会の公開講演の出席者合計は11万506人に達し,西ドイツおよび西ベルリンで活発に奉仕する9万余のエホバの証人を相当数上回ることとなった。

実益を伴う,すぐれた劇

大会で演じられた実益を伴う,すぐれた劇も,西ドイツに良いたよりを広めるのに貢献した。土曜日の晩の主要なプログラムは,「あなたの援助を必要としているのは誰ですか」と題する劇であった。聴衆の中の若者は,親や会衆内の責任者から実際に援助を受ける必要があるということを学んだ。親は道徳に関し,むすこや娘と腹臓なく話し合う必要性を明示した,実際に即した実演を見ることができた。大会に訪れた人は,クリスチャンの家庭すべてでキリスト教の原則がどのように実施されるべきかを見ることができた。

バプテスマを受けて1年になる,ウォルフスブルグの15歳の学生は次のように語った。「なにもかも全く実演のとおりでした。学校やロッカー室で不道徳な行為が実際になされていることは,わたし自身証明できます。うんざりするような仕方でみだらな行為がなされているのです」。

ハンブルグでは,11歳のむすこを持つ父親がこう語った。「今日の若者の行ないや話し振りを考えると,親と子を保護するため,両者を対象にしてこの問題を取り上げたのはよいことだと思います」。また,4人のむすこを持つ父親は,シュトラウビングでこう語った。「わたしたちが親として,子どもに何を,また,どのように話すべきかを示してもらい,感謝しています」。

大会で行なわれたもう一つの劇は,「愛は一致のための完全なきずな」と題するもので,相当行き届いた宣伝がなされた。オッフェンブルグでは,テレビ局の代表者たちが写真撮映のために練習に出席し,劇が実演される金曜日の晩に先立って,その一場面が放映された。それに興味をそそられて,一般の人々が大ぜいその劇を直接見ようと大会会場に集まった。ベルリンでは,オペラ・ハウスが劇のために無料で衣装を借してくれ,出演者となった証人は自分の役に最も合った衣装を選ぶことを許された。

エッセンのテレビ局カメラ班の人々は,神の民のために,勇敢にも献身的な態度を取った王妃エステルを描いた劇の写真をとった後,感激のあまりこう述べた。「今まで見た,非職業的な演出の中で,これは最善のものだ」。聴衆の多くは目に涙を浮かべて見入っていたが,それは,劇が聴衆の心臓に深い教訓を与えずにはおかなかったことを如実に物語っていた。

深い感銘を受けた傍観者

1970年の大会に関連して,多くの官吏その他の人々がエホバの証人と接する機会を得たが,それらの人はどんな影響を受けたであろうか。エホバの民の音信や,大会におけるそのふるまいは,そうした人々に印象を残したであろうか。彼ら自身の話が実状を雄弁に物語っている。

シュトラウビングの建築委員会の責任者は,大会会場の種々の施設を点検した後,同僚にこう語った。「他に比類のない一致した組織だ。あなたがたも行って,見てくるとよい。そして,演壇で話されることに特に注意していなさい」。同氏は,大会の主題,つまり,エホバの証人の「善意の人々」地域大会について話していたのである。

組織の秩序立った,すぐれた運営ぶりを,なんといって説明できますか,とある証人に問われた,エッセン警察の一職員は,「こうした運営が可能なのは,神の聖霊の働きによるにちがいありません」と答えた。

マンハイムでは,西ドイツ・英国・ギリシアからの代表者のために,喫茶と下水の設備を必要としたが,衛生当局の責任者は点検後,次の感想を述べた。「この大会では問題の生ずる余地がない。これは単なる,ありきたりの大会ではない。それどころか,ここでは正しい精神が発揮されているのである」。

シュツットガルトの展覧会場で働く夜警の責任者は感嘆の声を放った。「たいしたものだ。この会場に7,000もの人が集まったのに,たったこれだけのごみしか出ない」。そのごみは,コップが八つとキャンディーの包み紙が6枚だけであった。エホバの証人でない別の団体が同じ会場を使用した際,5,000人が集まり,トラック1台分のごみくずを処理しなければならなかっただけに,係員の感嘆ぶりはひとしおであった。

フリードリヒスハーフェンの展覧会場の管理者は,使用契約の際に通常記載される規定条項を課さなかった。その理由について,ひとりの係員はこう説明した。「エホバの証人は静かで,忍耐強い人たちです。この種の契約を結ぶのは,エホバの証人とだけで,他のどんな団体とも結ぶわけにはゆきません」。

同じ理由で,ジュセルドルフ商工会議所長の力添えがあり,大会の模様が新聞に報道され,公開講演の宣伝がなされた。大会のために新聞がさいた紙面欄の合計は,6メートル余に達した。

大会の組織と,各大会で提供された教訓は,教育者にも感銘を与えた。シュトラウビングのある高等学校の校長は,大会の始まる前からその内容に関する知らせを求め,かつ,子どもの教育と宗教的な訓練に関し,大会で提供されることになっていた資料に深い感銘を受けた。大会の初日,学生たちがプログラムを見聞きするために出席し,たくさんの質問をした。というのは,学生たちは大会に関する感想文を書く宿題を出されたからである。

10人分の宿舎を提供した,フリードリヒスハーフェンに住むある友好的な婦人も同じく感銘を受けた。二家族の宿泊を引き受けた理由について尋ねられた際,婦人はこう答えた。「エホバの証人について私が気づいたのは,あなたがたが幸福な人たちだということです。皆さんはいつも家族ぐるみでいらっしゃるから,結婚生活も家庭生活もきっとしあわせでしょうね。それは皆さんの信仰のせいであることに,まちがいありませんわ」。

逆効果を招いた反対運動

それらの大会が西ドイツ全土に豊かな霊的祝福と,良いたよりを広めたにもかかわらず,大会に反対した人々もいた。たとえば,エッセンではルーテル教会が,「彼らを自分の家に宿泊させるべきか」と題するちらしを配布した。それは,大会出席者のために宿舎を提供しないよう教会員に警告したものであったが,それはどんな反応を招いたであろうか。大会出席者の宿舎を探す仕事の妨害となったであろうか。むしろ,ちらしを配布した人たちに対して,かんばしくない報道を招く結果となった。

1970年7月22日付,ベスト1ドイチェ・アルゲマイネ・ツァイタンク(西ドイツ一般新聞)紙は次のような見出しを掲げた。「反教会的態度を取り上げる教会当局者。“エホバの証人”の前には“無力”な多数のルーテル教会員」。その記事は一部こう述べている。「シュツットガーテル本部事務所(ちらしはここで出版された)からの本文は,エッセンの新教徒が“信心を持つクリスチャンとして,他からの訪問者に接する”ことに“自信があり”,かつ用意ができているかどうかについて疑問を表明している」。

記者会見が行なわれた後,多くの新聞はエホバの証人の立場を明らかにした記事を掲載した。7月23日,西ドイツのテレビ局,第一チャンネルは,前述のちらしの出版に関係した,ある教会の指導者と報道員との会見の模様を放映した。その牧師は,報道員の次の質問に答えねばならなかった。「この態度は,隣人に対するクリスチャン愛に欠けているとは言えませんか。それとも,あなたの兄弟や姉妹たちの信仰はそれほど不確かなものである,と考えているのですか」。数百万人に上るテレビの聴視者は,引き続いて,その牧師の教会は,黙示録の中に記されている“大なるバビロン”に属しているか,に関しての報道員の質問に対して,牧師がこう答えるのを聞いた。「はい,そのとおりです。教会が世俗の権力と結び付き,それに協同する立場に陥り,その結果福音を欺くことになったため,彼ら[エホバの証人]はそういうのです」。

そのちらしを配布する運動は,実際には,その運動を開始した側を不利にしたばかりでなく,問題が報道陣に取り上げられたため,大会と最終日の公開講演をかえって広く宣伝するのに役だつ結果となった。

関心を集めたバプテスマ

エホバの証人の音信に対する関心を引き越こし,注意を集めるものとなる,大会のもう一つの重要な行事としてバプテスマがある。西ドイツにおける13の大会でバプテスマを受けた人の合計は,2,070人であった。

シュツットガルトで,神に対する献身の象徴としてバプテスマを受けたある男の人は,イエズス会の修道院付属学校に9年間通っていた。そこで彼は,教義や哲学について多くを学んだが,今度は,エホバの証人とわずか3か月間,「とこしえの命に導く真理」と題する本を勉強しただけで,神の意志を理解することができた。

シュトラウビンガーでバプテスマを受けたある夫婦は,長年,聖書の真理に反対していた。その夫は,司祭を養成する神学校で7年間勉強し,教会の管理に活発に携わっていたが,「とこしえの命に導く真理」と題する本が郵送されたことがきっかけとなって,その生活に大きな変化が生じた。近い親戚からの反対にもかかわらず,ふたりは偽りの崇拝にかかわる物品を捨てて家を清め,ついにエホバ神に献身した。

フリードリヒスハーフェンでは,ふたりのトルコ人がバプテスマを受けた。そのうちのひとりは,40年間回教徒であったが,今になってはじめてコーランがわかってきたと語った。コーランの中にキリストに関して書かれていることが多いので,彼は驚いていた。

大会の残した有益な影響

西ドイツで開かれた,エホバの証人の「善意の人々」地域大会が,多くの良い実を結ぶことはまちがいない。人々はエホバの民が幸福であることに気づくであろうか。政府諸機関の官吏は,証人の良い行ないと,その清潔さに気づくであろうか。エホバの証人をも含めた一般市民を相手に仕事をしている人々は,深い感銘を受けないでおられるだろうか。そうした人々の中に,自分の見聞きしたことを熟考して,それが王国の良いたよりになんらかの関係がある,と結論する人がいないとは言いがたい。

西ドイツのエホバの証人はというと,彼らも多くの事柄に幸福を感じている。その中でも顕著なものは,1970年に出席した前述の楽しい大会が,必ずや良いたよりの進展に寄与するであろうということである。

[21ページの写真]

オッフェンブルグの大会出席者。13の大会会場で公開講演を聞いた人の数は110,506人であった

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