ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目71 8/22 3–8ページ
  • 大学教育を考えなおす

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 大学教育を考えなおす
  • 目ざめよ! 1971
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 不適当な課程
  • 財政問題
  • 暴力と冷笑的な態度
  • 道徳的風土はどうなっているか
  • 麻薬使用の場
  • 予期されるもの
  • 就職の機会
  • 他の仕事
  • 読者の声
    目ざめよ! 1988
  • 補足的な学校教育を受けるか,受けないか
    目ざめよ! 1994
  • 親の皆さん ― お子さんにどんな将来を望んでいますか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2005
  • 読者の声
    目ざめよ! 1985
もっと見る
目ざめよ! 1971
目71 8/22 3–8ページ

大学教育を考えなおす

むかしはほとんどの人が,成功と幸福への道は大学教育を受けるにあると考えていました。しかし現在では多くの人がこのことを考えなおしています。

この態度の変化は何に原因しているのでしょうか。10年か20年前にはあまりはっきりしなかった種々の要素が組み合わさっています。現在これらの要素は多くの国の“高等”教育を危機に追い込むまでに増大しています。

アメリカのカーネギー社団法人はこのほど,教育が直面する問題にかんし,非常に広範囲にわたる調査を行ないました。この調査に参加した,編集者であり元大学教授であったチャールス・シルバーマンは述べました。「調査に着手したとき,われわれは学校のきびしい批判者たちを,大げさにすぎると考えていた。しかし今では,彼らはまだ控えめであったと考えている」。

不適当な課程

ひとつの批判は,多くの大学の研究課程と関係があります。ある教育者たちは,それらの課程が多くの場合,若い人たちに,将来携わる分野または一般生活にはいるための準備をさせるものとはなっていないということを感じています。

たとえば,全教育機構の基礎は,教師の養成です。しかしシルバーマン氏は,この重要な領域について次のように述べています。「中流階級の住む郊外の学校の教師で,自分の受けた準備教育は適切であったと多少でも考えている教師に私はまだ会ったことがない。反対に,大多数の教師は,エール大学のセイモア・サラリンの,『教師教育の内容と順序は,往々にして,実際に教える仕事とはっきりした関係がない』という意見に賛成している」。

これと同じ批判は,教師の養成のみにとどまらず,教育の他の分野にも向けられています。学生たちが卒業後にすることとはあまり,またはまったく関係のない勉強の行なわれていることがあまりにも多いのです。そのために,とくに教養課程では,実際には決して使いもしない諸事実の学習に力を入れるよりも,学問のしかたを学ぶことのほうに重点を置くべきだと考えている教育者はたくさんいます。しかしそれには教師に相当の技能が要求されます。そしてカーネギー報告が示すように,教師自身その用意がないことを認めています。

また,問題をいっそう複雑にするのは,一般の教師にとって,学生に必要な個人的な注意を払うことがますます不可能になってきていることです。なぜですか。「今日の大きな大学では,学生は仲間の学生という迷宮の中に見失われている。教師たちが小さなクラスを持ち,一度に10人あまりの学生が,質疑応答の形で授業を受けた時代は終わり,混雑した状態がそれに取って代わった。クラスは大きく,校庭は大都市の街路のように混雑し,寄宿舎はせまくるしく,ある寄宿舎は勉強に向いた静かなところとはとても言えない」。―US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート。

こうして大学はしだいに,生涯の仕事に対して準備不足の,頼りない卒業生を生産する大工場の様相をおびてきています。

財政問題

教師をふやし,よりよい設備がつくられるどころか,状態はその逆になっています。なぜですか。ダートマウス大学の学長ジョン・G・ケメニーは,「高等教育は,公立私立を問わず史上最悪の財政危機に直面している」と答えています。

大学の運営費は急速に上昇しますが,収入は急速には増加しません。したがって多くの大学は,拡充を必要とするときに,職員や設備を削減しなければならなくなっています。アメリカではすでに500もの大学が,深刻な財政難に陥っており,その2倍もの数の大学が同じ方向に進んでいます。「一部の小さな私大はすでに基金不足で閉鎖され,他はいまにもつぶれる危険にある。ほとんど全部の公立大学がかろうじて運営をつづけており,たいへん規模の大きい裕福な名門校も,大きな赤字をかかえている」と,ウォール・ストリート・ジャーナルは述べています。

プリンストン大学は今年度,200万ドル(7億2,000万円)以上の赤字を予想しています。コロンビア大学の,1969年秋にはじまった学年度の赤字は1,100万ドルで,1970年度にはそれをさえ上回るようです。エール大学の最近の学年度における赤字は次のとおりです。1967年度 ― 30万ドル,1968年度 ― 90万ドル,1969年度 ― 125万ドル,1970年度は推定175万ドル。エール大学の総長キングマン・ブリュースターは次のように警告しています。「もし現在のような基金減少が続くならば……われわれは現在行なっている教育の質をおとす,つまり教育活動の顕著な分野を大幅に放棄するか,または,富,人種,遺産などによらずに才能によって物事を達成する努力を放棄するかのどちらかにしなければならなくなるだろう」。

もちろん全部の大学が深刻な財政問題をかかえているわけではありませんが,そういう大学がふえていることはたしかです。また,学生個人の費用も急激にふえています。そのために,このように費用のかかる,しかも将来のはっきりしない改善の見込みのたたない大学に子どもを入れることがはたして賢明かどうか,真剣に考えている親もいます。

暴力と冷笑的な態度

学園紛争も“高等”教育をそこなう要素のひとつです。ベトナム戦争,国家主義,人種差別,大学自体の役割などの問題をめぐり,世界中の大学で暴力事件が発生しています。

学生たちは強硬な意見をもっています。一部の学生は,たとえそれが暴力や反乱を意味しても,自分の意見を表明することをためらいません。そのために授業はしばしば妨害されます。アメリカでは,「昨年の春終わった1969 ― 70学年度に,学園紛争で6人の学生が死亡し,何十人かが負傷し,学生ストライキで125校が時を異にして学校を閉鎖し,高等教育はきわめてきびしい挑戦,つまりそれ自体の生存競争に直面した」と,ニューヨークのサンデー・ニューズ紙は伝えました。授業が行なわれなかったために,親や学生の中には授業料の払い戻しを要求した者もいました。

学園紛争の調査に当たった政府の一委員会は,「学生たちは武器を貯蔵し,しかも他の者たちは反抗者たちに対して自分勝手に制裁を加える準備を進めているという,無気味な恐るべき報告を入手した」と述べました。

そういうわけで,大学は多くの若い人の場合,別の種類の教育,つまり反抗と暴力の教育を受ける場所ともなっています。崇高な希望をもって子どもを大学に入れたのに,そのひどい変わりようにショックを受けている親は少なくありません。

1970年の秋,大学が授業を始めたとき,職員たちは息を殺していました。しかし前年ほど暴力は見られませんでした。なぜですか。学生の多くは,政府に対しても,また先輩や学校の職員に対しても,意義ある変化がもたらされるとの信頼感をすっかり失って,深い冷笑的なムードに陥っている,と学生をよく知っている人たちは感じています。

そうした強硬な冷笑的態度は,しばらく学園を静かにするものとはなっているけれども,長いうちには,はるかに危険なものに変わるかもしれない,と専門家たちは警告しています。いま一度危機が訪れれば,その冷笑的な態度は,かつてないさらに激しい行動に変わるかもしれないということです。

道徳的風土はどうなっているか

大学内で進行している革命的な活動は,暴力と反抗だけではありません。別の種類の革命も広がっています。それは生活様式と関係があります。男子と女子を同じ寮に入れることを許し,監督もしない大学がふえています。昼夜を問わず何時でもお互いのへやに自由に行き来できる学校もあります。

これが性道徳の低下につながることはないと結論した教育者はかなりいます。たとえば,あわてた親が,娘の行っている大学の男女共学の寮の当否について質問したとき,大学のある職員は,「あなたはお嬢さんの寮の男子学生たちが,あなたのお嬢さんを単なる性の対象としてではなく,妹として見るかもしれないということをお考えになったことはありませんか」と答えました。

これは極端にうぶな見方です。放任主義の中で育った今日の若い男女が,監督もなしに同じ家に入れられて,お互いを兄弟姉妹とみなす,と考えるなどもってのほかで,全くの酔狂と言わねばなりません。

一部のおとなは,もし学生たちが大学にはいる前に善悪の区別を学んでいないなら,いったん大学にはいれば,もう手おくれだと考えています。しかし,たとえ何が正しいかを学んでいても,「悪しき交際は善き風儀を害ふなり」という聖書の確かな原則は真実です。(コリント前 15:33)ふしだらな性行為を悪と考えない若い男女に囲まれ,周囲からの強い圧迫のもとにいれば,それまで高い道徳基準をもっていた若者も,その標準を低下させるおそれはあるのです。

もちろん学校の職員,親そして学生の中には,高い性道徳に無関心な人もいます。しかしもし,あなたのお子さんが高校生で,大学に入れることを考えておられるならば,あなたはそのことを気にされますか。もしそうならば,次の冷厳な事実を直視しなければなりません。つまり大学は疑いなく性道徳を低下させるということです。大学に行った人に尋ねてごらんなさい。正直な人ならば,自分の道徳が向上したことを認める人はまずいないでしょう。

著述家であり,ニューヨーク大学医学部の卒業生でもあるL・T・ウッドワード博士によると,高等学校でも性の不道徳は急激に増大していますが,「大学ではもっと広まっていて,最高学年の男女学生全員をインタビューすれば,性行為の経験のない学生はごくわずかであることがわかり」ます。同博士の指摘するところによると,多数の学生は童貞で大学にはいりますが,「4年たって卒業するまでには,童貞でない学生の割合は非常に高くなって」います。

これは否定できない事実です。若くて感じやすい,おそらくはじめて家を離れた学生にとって,普通,大学は性道徳を破壊するところです。自分の子どもは例外だと考えうる理由は一つもありません。

麻薬使用の場

性道徳の崩壊に拍車をかけているのは,今日見られる麻薬の大流行です。大学生のほとんどは,少なくともある種の麻薬をためした経験を持っており,致命的なヘロインの常用者はふえています。

ニューヨークのある大学の構内で,政治学の助教授マーシャル・バーマンは言いました。「多くの若者は,自分の生活が崩壊してゆくのを見て,人知れず苦悩しているのだと思う。そのために彼らはそうした崩壊を見守り,楽しむことができるようにヘロインを使うのだ」。

大学内での麻薬の使用はもうふつうのことのようになっているので,ニューヨーク・タイムズ紙は,「ある学生たちは……市立大学の構内の芝生で宿題をするが,それと変わらないおおっぴらな態度で,他の学生たちは芝生に集まってヘロインを買って使う。……芝生とか簡易食堂など,ある場所では麻薬使用者の存在がよく目立つ。正午,クラスが入れ替ったあとの15分間に,12人の学生が麻薬を買っているのが観察された」と伝えています。

予期されるもの

暴力,性,麻薬に対して同様の態度が町々,国々に広く見られることは事実です。しかし大学ではそれがもっと集中的であり,若い人々が何でも実験してみる年ごろ,家庭の監督から離れているときにのぞみます。

それからどんな結果が生まれますか。親ならばだれも望まない行状の大きな変化です。子どもの性格が変わってしまって,親が涙を流すこともしばしばあります。若い人々は,暴力,冷笑的な態度,性病や望まぬ妊娠を伴う性の不道徳,幻滅を感じて麻薬に走るといった風潮にさらされているのです。あなたがお子さんのために望んでおられるのはそのような風潮ですか。

このうえになおどんなことが予想できますか。無神論的な考え方がほとんどすべての大学に広まっています。大学は進化論的な考えに支配されています。進化論的な考えは人々のものの見方をいっそう動物的にするものであり,人の生活を律する,もしくは導く力をほとんど持ちません。これは聖書の高潔な原則を捨てることにつながります。聖書の高潔な原則は,そうした高い規範を信じて実行しているエホバの証人によってその真価が実証されているとおり,神を恐れる人々の生活に非常に有益なものです。

就職の機会

それにまた,人々が大学に行くおもな理由のひとつ,つまり大学へ行けば,より良い職業につくための準備ができるという理由についてはどうですか。現在ではそれさえ疑問視されています。多くの国で,大学卒業者の就職の機会はかつてないほど減少しています。

大学の就職指導者たちの報告によると,会社の大学卒雇用は大幅な低下を見せています。ミシガン州の職業安定所所長はこれを,「26年の歴史をもつ当職業安定所史上最悪の職業市場」と呼んでいます。そして大学は,以前よりも少ない就職口を求めて互いに競争する記録的な数の学生を卒業させています。

高い学位をもつ卒業生でさえ苦労しています。モービル石油会社の,大学への求人係りの責任者ロバート・ブロックスバンクは,「将来の報酬をあてにして実業学校に進学した者の多くは,今年は失望するだろう。多くの会社はこれまでの何年来初めてMBA[事業経営学習士]の雇用を削減している」と述べています。

科学者,教育者,技師,会社の専務取締役など,修士号や博士号をもつ人々が何千人も,経済事情の困難なこの時代に職を失いました。「専門職や技術者のあいだの昨年の失業率は67%に上昇した」とウォール・ストリート・ジャーナル紙は伝えています。1年に4万ドルの収入を得ていたある化学者は,経費削減のため一時解雇になりました。「私は600通余の手紙を書いたが,確実な仕事はひとつも得られなかった」と彼は言いました。

もうひとつの問題は,ある仕事に対して資格がありすぎると考える人の雇用を会社がためらうことです。博士号をもつ人が,窮余の策として,給料の安い職を申し込むかもしれません。しかし会社はふつうそのような人を雇うのをちゅうちょします。そういう人は,すぐに不満をもつおそれがあるし,さらによい職が見つかればやめるだろう,と会社は考えます。

ある人々は一時解雇にならなくとも,給料の高い職を自分でやめました。なぜですか。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は次のように述べています。「会社における出世コースをやり過ごして,それから離れた人のほとんどは,めったに後悔することはなく,後悔することがあっても,それは一時的なものだと言う従来の古い生活や仕事の様式に対する彼らの幻滅感はあまりにも強烈で,うしろを振り向こうとする考えは圧倒されてしまうほどである。これは行く先きを知らない人,心を和らげようとして苦慮している人々についてさえも真実である」。

ちょうど多数の学生が大学での『激越な競争』から手を引いているように,多くの重役たちが,大学卒業後,高遠な希望をもってはいった事業経営,つまり専門職の『激越な競争』から手を引いています。これは大学教育が約束した生活にかんする悲しい注釈と言うことができるでしょう。

事実,大学の目的と結果に対する幻滅が非常に大きいため,大学にはいって4年の課程を修了する者は今ではわずか3分の1にすぎません。1971年3月にスタンフォード大学で発行された「高等教育にかんする報告」は次のように述べています。「退学者の大多数は,学校をやめるおもな理由として,大学への不満と,自分個人の目標と関心を再考したいという希望とをあげる。……大学は多くの学生の注意と熱意を引くことに失敗している。ある学生にとって,大学生活は確かに消極的な経験なのである」。

他の仕事

過去においては,大学はたしかに良い地位を見つける助けになりました。しかし時代は変わっています。今日では,大学教育を必要としない給料のよい仕事がたくさんあります。それらの仕事をしている人は,多くの場所で使える職業技術を身につけることができます。

最近まで,自分の手で働く人は品位ある仕事をしていないように思われてきました。そういう人は,ほんとうに成功した人とは考えられませんでした。ところが今日では,多くのいわゆる『品位ある』大学卒の専門職の人々が,次の食事をどうするか心配しているときに,大工,鉛管工,事務員,電気工など手に職のある人,自分の手で働く人たちには仕事があるのです。あるごみ収集人は最近,1年に1万ドル(360万円)の収入を得ます。

人が仕事を習い,自分の手で働くのは少しも恥ずべきことではありません。それどころか,今日ではそれは実際的なことになってきています。これもまた,ある親たちが大学教育の問題を考えなおしている理由のひとつです。彼らは,そうした職業技術を少なくともある程度習える高等学校にむすこや娘を入れて,より有用な職業への道を進ませています。高校卒業後は,つづけてしばらく職業学校にかようか,または貴重な実地訓練を受けるかもしれません。こうして彼らは職を身につけ,責任ある地位に立つ人々がしばしば経験する苦しみを避けます。

エホバの証人である親は,子どもに有用な職業技術を身につけさせる,もうひとつのきわめて確かな理由をもっています。彼らは聖書の預言の成就から,今日の工業社会が終わりに近づいていることを知っています。まもなく,全能の神ご自身によって死の一撃を加えられます。(箴言 2:20,21。ヨハネ第一 2:17)そのあと,神の新秩序のもとで再建の仕事が行なわれ,全地は楽園に変えられるでしょう。(ルカ 23:43)その時,農業や家庭管理の技術など,いろんなタイプの職がたいへん役にたつでしょう。ですから,エホバの証人である親は子どもたちを今日のいわゆる“高等”教育から遠ざけることにより,ますます堕落していく環境に子どもをさらさないようにすると同時に,新体制での生活のための準備をさせているのです。

[5ページの図版]

大学教育はどれほど有益ですか

より良い就職のための機会をもたらすものとなりますか

学園における交わりは精神的また道徳的に人を向上させるものですか

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする