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目ざめよ! 1971
目71 11/8 13–16ページ

レンズを通してものを見る

新聞を持つ腕をいっぱいに延ばして読みにくそうにしている人をわたしたちはよく見かける。かと思うと,紙面をぐっと目に近づけなければ読めない人もいる。ものを見る仕方がなぜこんなにも違うのだろう。これは目のレンズの働きと大いに関係がある。

光を屈折させるレンズ

わたしたちの周囲にある物体が反射した光は,目のレンズを通過し,眼球のうしろにある網膜の上に像を結ぶ。これは脳に通ずる神経を刺激し,脳はそのようにして結ばれた動く映像をいわば現像する。しかし,なんとそうした像はさかさま,すなわち倒立像なのである。目の設計者はまたそうした像をどのようにして正立像として受けとめられるかをも脳に教えられたのは,たいへんありがたいことである。

像が目に映るとき,さかさまになるのは,人間の目のレンズがアスピリン錠大の凸レンズだからである。この型のレンズは,通過する光線を「曲げ」させ,光線の結ぶ物体の像を倒立させる特異な性質をもっている。

このことは拡大鏡で説明できる。拡大鏡は2枚の皿のふちを合わせたときのように,中心部が端よりも厚い。このレンズは,通過する光線を屈折させるので,特定の距離のところでは,物体を拡大して見るのに使える。ひょっとするとあなたも,そうしたレンズの助けを借りてこのページを読んでおられるかもしれない。しかしながら,そうした拡大が起こるのは,見ている物体をレンズの近く,すなわちレンズの焦点距離の2倍以上近くにもってきたときだけである。では,目と拡大鏡の間の距離を広げてみよう。腕をいっぱいに延ばして,壁にかかった絵を拡大鏡を通して見ると,すべてがさかさまに見える。なぜだろう。光線がレンズを通過するときに内側に屈折するからだ。像が倒立するのである。

凸レンズの中心を通過する光線は,目につくほど曲がらない,つまり屈折しない。しかし,レンズの中心から離れた部分に当る光線は,焦点と呼ばれる明確に限定された一点を通過するために屈折する。この点とレンズの中心との距離は焦点距離と呼ばれる。

あなたは拡大鏡で火を起こした経験はないだろうか。古代のギリシア人やローマ人は,水を満たしたガラス容器を,「天日取り」として用いたと言われている。太陽光線が水を通過して,燃えやすい物質の上の焦点に集まり,それを燃やすのである。このことを証明するものとして,レンズと紙との間の距離を調節しながら紙の上に小さな白点をつくり,太陽光線を紙の上に集中させる。白点はすぐ熱くなり,紙は燃え出す。なぜなら,その白点は実際には,レンズの焦点に現われた太陽の像だからである。レンズ,とくに望遠鏡や双眼鏡で太陽を絶対にのぞかないようにするのはいうまでもなく賢明なことである。そんなことをすれば,目は取りかえしのつかない害を受けるおそれがある。

他の型のレンズは,凹レンズと呼ばれ,2枚の皿の底を合わせたときのように,中心部よりも端のほうが厚い。このレンズは通過する光線を分散させる。すなわち広げさせるのである。凹レンズは凸レンズとの組み合わせにいちばんよく用いられ,光線を広げさせるその能力は,視力を補正するのに用いられる。

めがねのレンズに伴う問題

すでにお気づきかもしれないが,レンズは,窓ガラスのようなガラスではなく,レンズ製造者の複雑な方式にしたがって角度や弧形を注意深く計算して作られたガラスである。光学器械に使われるものは一般に,手に持つ読書用のレンズよりもずっと薄い。

単レンズには幾つかの問題がある。そのうちいちばんありふれた問題は球面収差と色収差のそれである。単レンズによってスクリーンに映し出された像をよく見ると,球面収差と呼ばれるものが見られる。これは像のゆがみで,物体からの光線がそれぞれわずかに異なる角度でレンズを通過し,結果として一点にくっきりと集中しないために生ずる。人間の目にはこの問題がない。また,レンズの端のほうでは映像の鮮明さが鈍るということもない。しかし人間の作ったレンズにはこのことも生ずるのである。

また,人間の目は色収差にも悩まされない。「白色光」は十分に屈折すると,スペクトルの七色(赤,だいだい色,黄,緑,青,あい色,紫)に分かれる。おのおの色の光線はわずかに異なる角度で屈折して,他の色の前方に集中する。一番前は紫で,最後は赤である。これが,像に虹色のにじみを与える,色収差と呼ばれるものである。

人間が作るレンズに伴う収差すべてを補正するのは不可能であるが,数個の精密レンズを組み合わせることにより効果的にそれを消すことができる。それらのレンズは,北アメリカのバルサムモミの木の樹脂であるカナダバルサムではり合わされる。あるレンズには「複像」や反射を防ぐためにコーティングが施される。

望遠鏡,双眼鏡,顕微鏡などにも複雑な仕組みが用いられている。それは,顕微鏡または望遠鏡の鏡筒内に像を結ぶ凸面対物レンズの原理を応用したものである。像はどのスクリーンにも現われないが,接眼レンズの焦点距離内に投ぜられるようになっている。そこで作られる像は接眼レンズを通して見られ,物体は拡大されて見える。顕微鏡では,像の倒立する性質は実際には問題にならない。(見るスライドを最初からさかさまにしておくこともできる)しかし,船の船長は,次に寄港する港がさかさまに映るような双眼鏡または望遠鏡は喜ばないだろう。そのために,倒立像を正立させるレンズまたはプリズムが,対物レンズと接眼レンズの間にいれられて,問題が是正されている。

理知を持つ人間によるレンズの作製には,目,光の屈折にかんする数式などの徹底的な知識,およびこの技術にたけた人から長年訓練されて習得し蓄積した忍耐強い技術が関係している。そうである以上,生命の起源について論じたアイザック・ニュートンのことばを借りて言えば,『ある人々はどんな推論によって』,自然界の複雑をきわめる驚異が,理知ある創造者なしで存在するようになったという,『つじつまの合わない結論に達するのであろう』。

優秀な,目のレンズ

人は目の中の「黒い穴」を見るとき,実際にはレンズをとおして眼球の暗い内部をのぞき込んでいるのである。小さなレンズは,虹彩のうしろにあって,毛様筋でささえられており,人間が人工レンズに応用しているのと同じ原理に従う。脳は,網膜から伝えられる神経衝動を,実物そのままの色彩の立体的な動く映像に変えることにより,網膜上の像よりも大きい,しかしながら常に視覚上人体につり合った大きさの,胸を躍らせるような正立像を見せてくれるのである。これは,1個の豆や皿,花びんにいけたライラックの花であろうと,雪をいただいた雄大な山であろうと同じことである。

ひざの上に広げた地図をちょっと見たかと思うと,今度はすぐ目を転じて何キロも離れたところの景色や山々を望見できるということは,目のレンズが完全に設計されていることを物語っている。目のレンズは,人間の作るレンズに見られる収差を自動的に是正し,ただちに焦点を鋭敏に合わせることができる。頭の動きにつれて絶えず変わったり,いろいろな色が周囲ににじんで,ゆがんだりした像をいつも見るとすれば,どんなに混惑させられるだろう。

光を屈折させたり一点に集合させたりする目の働き,レンズそのもの,角膜(湾曲した透明の目のおおい)はほんとうに,理知を反映させる創造者の手のわざを物語るものである。チャールズ・ダーウィンでさえ,目のことを考えたとき,自分の自然選択説の不条理を認めて,こう語った。「距離の相違に対応する焦点の調節,種々の光景の光の入射を許すこと,また球面収差や色収差の調整など,模倣を許さぬ仕組みを備えた目が自然選択によって形成されたとするのは,あからさまに言って,きわめてばかげた考えである」。―「種の起源」190ページ。

めがねのレンズ

目のレンズは非常に融通性に富んでいて,曲げることも,ひき出す,つまり長くひきのばすことも,押して平たくすることもできる。敏速に,しかもゆがみを出さずに光線を一点に集めることを可能にするのは,角膜の屈折力と関連するこの能力である。しかし,老化作用はレンズやそれにつながる毛様筋を硬化させ,調整(視力調節と呼ばれる)や焦点を所定の場所に明確に合わせることなどをむずかしくする。眼球の形状が,24ミリとされる平均の長さよりもおそらく長かったり短かったりして,普通とは変わっているために,焦点を合わせる上で欠陥のある人がいる。

目のレンズは,遠い物体を見るときには休んでおり,近くの物体を見るときには,毛様筋に圧搾されて厚くなる。筋肉がこのように活動するため,目を近づけて仕事をしたり,読み書きをしたりすると,眼精疲労を起こす。

もし眼球が長すぎると,像が網膜の前方で結ばれ,かすんで見える。これが近視である。近視は凹レンズのめがねの使用によって矯正できる。凹レンズは目にはいる光を分散させて,目の凸レンズが網膜の上に正しく像を結ぶ(焦点をつくる)のを助ける。他方,遠視は,眼球が小さすぎて,像が網膜のいわば後方で結ばれるために起こる。目の前に置かれた凸レンズのめがねは,入射する光線を集め,それを正しく網膜の上に導く。

また,目のレンズの視力調節力が減退して,近くの物体をはっきり見るのに必要な,深く湾曲した形をとらなくなるときにも,遠視が起こる。この状態はふつう中年の人に生じ,「老視」として知られており,それを矯正するには,めがねに凸面の部分をもうけることが必要になる。

目はたいせつにしなければならない。もし小さな砂粒がはいったなら,目の中をつつきまわしたり,汚い指や布でこすったりしないこと。だれかにきれいなハンカチで注意深く異物を取り除いてもらうのがよい。必要であれば,おそらく医師に見てもらうのがよい。また夜間の読書には,照明を施して周囲を一様に明るくしたへやを使うほうが,1箇所を照らす光の下で読むよりも目が疲れない。

他の動物の目のレンズ

あるこん虫の目のレンズをのぞいてみると,それが,素早く飛び立ったり,速度を判断したりするのに役だつものであることがわかるだろう。こん虫の目は,それぞれ個別に像を結ぶ無数のレンズでできている。像が目の中の個々のレンズから他のレンズに移るさいに経過する時間は,対象物の速度を示すものとなる。

脊椎動物はものを見るために一対のレンズを備えている。馬のように,パノラマ式に,つまりほとんど四方の見える動物もいる。人間をも含めて,フクロウやサルなど他の動物の目は頭部の前方にあり,両眼の像は重なって映る。鳥の目は,望遠鏡的効果と顕徴鏡的効果を発揮する,きわめてすばらしいレンズを備えている。このため,鳥類は全生物の中で最も鋭敏な視力を持っている。それで,ワシやハゲタカその他この類の鳥ははるかかなたにある小さなものでも見ることができる。

人間は屈折と視力にかかわる原理が自然界の中でさまざまに応用されていることに驚嘆するとともに,創造者の御手のわざを学んだのち,知力を働かして,それを自分たち自身の便宜を図るために活用してきたのである。

[15ページの図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

近視眼: 眼球が長すぎて,像が網膜の前方に結ばれる

近視は凹レンズの使用によって矯正される。凹レンズは,目のレンズが焦点を網膜上に正しく結ぶのを助ける

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