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  • 「バイブル・ベルト」の教会をゆすぶる人種問題
  • 目ざめよ! 1973
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目ざめよ! 1973
目73 5/22 21–22ページ

「バイブル・ベルト」の教会をゆすぶる人種問題

19世紀の初頭北部アメリカと南部アメリカには,同じ宗教組織が存在していました。黒人奴隷制度も同じく,南部にも北部にも登場しました。しかし,商業,工業,西部への進出により多くの力をそそいでいた北部では,黒人奴隷制度は勢いを得ませんでした。それに反し,綿の裁培を経済の基盤としていた南部では,奴隷制度は安い労働力を供給しました。

南北アメリカが奴隷問題をめぐって分裂した時,両者は宗教的にも分裂しました。北部の諸教会は奴隷制度を『信仰に反するもの』として非難し,南部はそれを『信仰に即したもの』と主張しました。南部の宗教家たちは,少しも関係のない聖書の句をひっぱり出して,黒人奴隷制度施行の妥当性を支持することに努めました。1844年,南部と北部のメソジスト教会は黒人奴隷の問題をめぐって分裂し,バプテスト派も一年後に分裂しました。ついで1861年,南北戦争のはじまった年に,長老派が,政治上のメイスン・ディクソン線を境にして分裂しました。

ノース・カロライナ州,ローレイのプレン・メモリアル・バプテスト教会の牧師E・M・ポティートによると,南部の諸教会は奴隷の売買にさえ関係していました。同牧師は次のように述べています。「キリスト者の男たちが,神の栄光のために奴隷を所有していたばかりでなく,教会自身もしばしば,神の家の動産となっていた奴隷を借し出すことによって天国の仕事を促進した」。

こうして黒人奴隷制度は南部に深く根をおろしました。しかしながら,もし黒人奴隷制度が,南部に先がけてそれを有していた北部で経済的に成功していたなら,北部の諸教会は疑いなく,南部の彼らの片割れ同様熱烈にそれを支持していたにちがいないことを忘れてはなりません。

南北戦争後の人種的偏見

1865年に南部が敗北して南北戦争が終わりをつげたあと,南部の牧師たちは依然として彼ら独自のもの,すなわち「バイブル・ベルト」新教主義にしがみつきました。同盟の解体にあたって,ミシシッピー州の一牧師は,「もし政治的独立を得られないのであれば,少なくとも精神的独立を確立しよう」と主張しました。K・K・ベイリーの著わした「20世紀における南部白人新教主義」という本は次のように述べています。「南部の指導者たちは,南部の白人の宗教は,北部の同じ教派の宗教よりも純粋の形態のものであることを確信していた」。

奴隷たちは南北戦争後,法律の上では解放されていたかもしれませんが,黒人は社会的には依然として追放されたままの状態でした。南部の過激派は白人上位を固執し,メソジストやバプテストの伝道師たちまであの恐ろしいク・クラックス・クランに加わって,解放された黒人たちを苦しめました。1863年の奴隷解放宣言後も,南部の黒人人口の大部分は,何十年もの間,貧困と文盲の手錠をかけられたままでした。

その結果,追放された黒人たちは,無教育のため,聖書を読むだけの力がありませんでした。白人の教会には歓迎されないのが常だったので,彼らは自分たちだけの礼拝を行なうようになりました。最初それは,普通の話しや歌よりは少しましな程度のものでした。彼らは彼ら自身の歌,すなわち“黒人霊歌”をつくりました。どの説教もたいてい,父親からむすこへ語り伝えられた,そしてその間にひどく尾ひれのついた,聖書物語以上のものではありませんでした。

しかし,たとえ白人が彼らの教会にはいることを黒人に許しても,それを喜ぶ黒人はいなかったでしょう。「ディープ・サウス」の著者は次のように述べています。「彼らが知っていたのはアングロ・サクソン人のバプテスト派とメソジスト派の信徒によって象徴されたキリスト教でしかなかったし,またそれが白人のボスや地主を強く連想させたので,彼らは,白人の神が自分たちの上に,長い間経験してきたのと同様の残虐と不正をひきつづき押しつける場所で,永久に生活することを余儀なくされるのではないかという恐れをいだいていた」。

アメリカの歴史は,黒人が白人主義者の神と関係を持とうとしなかったことを物語るものです。大多数の黒人は,彼ら独自の正統派宗教を好みました。

現代の変革が南部の教会におよぼした影響

そして1954年,南部の状態に劇的な変化が生じはじめました。アメリカ最高裁判所は,学校における人種差別を打ち砕きました。その時以来,黒人は「バイブル・ベルト」をかき回しています。100年にわたって黒人の心と精神を奴隷にしていた壁はくずれつつあり,黒人の大学卒の世代が出てきて遠慮なく発言し,白人との平等を要求しています。

昔の南部の白人上位主義者の宗教上の主張は,相ついで制定される法律や国民的支持を有する反対運動の前にその力を失いました。多くの人は,以前人種的偏見をいだいていた教会を捨てました。とはいえ,過去数年間に生じた激しい変化の中で,南部の黒人の教会も無きずではすみませんでした。

黒人の教会は抗議運動やデモを組織するための集会場と化しました。社会正義のための闘争で著名な黒人牧師たちは,市会議員から上院議員に至るまでのすべての政治的地位をねらうことさえしました。

さらに一般の黒人は,平等を要求した結果,以前よりもさらに物質主義的になりました。U・S・ニュース・アンド・ワールド・リポート誌は,「黒人牧師たちは,かつて黒人教会を生活の大黒柱としていた人びとの間に,宗教への無関心が広がっているのを感じ取っている」と述べています。(1972年9月25日号)南部の黒人の多くが非常に宗教的で聖書を尊敬していることは事実です。しかし,社会的,宗教的状態の急激な変化によって,ひとつの新しいムードが生まれてきています。ある白人が言ったとおり,南部の黒人は今,「教会を捨てて懐疑主義者,あるいは無神論者になるとしても,ほとんどうしろめたさを感じません」。

人種差別の撤廃と黒人勢力の台頭は,「白人」と「黒人」の正統派宗教が,「バイブル・ベルト」で足場を失う原因となっています。しかし,他にどんな要素が,これまで堅固であった南部の宗教戦線にくさびを打ち込んでいるのでしょうか。

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