ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目74 1/22 21–23ページ
  • たこを上げるのは楽しいこと

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • たこを上げるのは楽しいこと
  • 目ざめよ! 1974
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • たこはどのようにして上がるのか
  • 新しい娯楽ではない
  • たこの持つ宗教的意味
  • 益と危険
  • 日本の空高く舞い上がる
    目ざめよ! 1977
  • とび,II
    聖書に対する洞察,第2巻
  • 注意してたこを上げましょう
    目ざめよ! 1977
  • 世界展望
    目ざめよ! 2008
もっと見る
目ざめよ! 1974
目74 1/22 21–23ページ

たこを上げるのは楽しいこと

「自分で作ったたこを自分で上げることは,からだじゅうの血が沸き立つ思いがします。しっかりした計画を立てるなら,設計,製作,操作のすべてをじょうずにやり遂げることができます。あなたは,設計者,製作者,パイロットに続けざまになります。棒切れと紙と膠を使って仕事に取りかかり,糸を取り付け,首をひねって考え,努力し,時にはいくらかいらだちながら,たこができあがります。それは自分の自慢の種であり,たこを上げた,気持ちのよい午後のひと時は楽しい思い出となります。たこが木にひっかかっても,その喜びは少しも損われません。そのたこは飛びましたし,あなたがそれを作りました。そして何よりも,あなたがそれを上げました」。

これは,たこ上げの大好きなある人が語ったことばです。洋の東西,また老若を問わず,多くの人がこの人と同様に感じています。あなたの住んでおられる土地にもよりますが,よく晴れた風の吹く日に,色とりどりのたこが空高く威風堂々と舞っている姿を目にすることがあるでしょう。

東洋に住んでいる人にとっては,空を舞っているたこはごくありふれた光景です。一方,他の土地では,そうした光景はめったに見られません。しかし,たこが上がっているのを見る時,わたしたちはいつでも,あの糸の端でだれがたこを操っているのだろうか,と考えずにはいられません。ズックをはき,しま模様の丸首シャツを着た,赤毛でそばかす顔の丸ぽちゃな少年がいるのでしょうか。それとも,自慢そうに目を輝かして糸を引いている老人でしょうか。おそらく,子どもにこの楽しい遊びを教えている父親かもしれません。それがだれであっても,その人がたこ上げを楽しんでいることは確かです。

たこはどのようにして上がるのか

たこはどのようにして上がるのだろうかと不思議に思ったことがありますか。たこは,幾つかの複雑な空気力学的要素があいまって初めて上がります。簡単に言うと,たこの下方の気圧が上方の気圧より大きいときに,たこは上昇します。もし,上方の気圧が大きくなってくるなら,たこは下がります。

しかし,たこをどうやって地面から上げるのでしょうか。あなたの持っている長い糸あるいはひもは,たこの裏面に取り付けてある短い糸につながっています。そのおかげで,たこは風に飛ばされずにすみます。この糸は安定装置のような役割も果たしており,それを操ってたこの安定を計ることができます。たこを地面から上げるのに適しているのは,屋外のいくらか風のある場所です。たこのひもを手にして,たこをうしろに引きづりながら,風上に向かって少し歩くか走るかすると,たいていたこは上がって行きます。たこが傾斜しているため,風が前面のへりに吹き当たると,たこは上昇するのです。

たこはいろいろな大きさや形に作ることができます。しかし,必要な要求を満たすように正しく製作されないと上がりません。1本ないし数本の短い糸を木の骨組みに取り付けることは重要です。あなたの持つ長いひもにつながっているこれらの糸は,空中の変化する空気の流れにたこを自然に調整させるものとなります。また,たいていのたこの後尾についている尾は,たこに上向きの傾斜を持たせるのに必要な適当な荷重を与えます。そのため,たこは背面を流れる風による上向きの浮力を得ます。

おそらくこうした事がらのすべては,たこ上げはどのようにして始まったのだろうかという好奇心をあなたのうちに引き起こすでしょう。

新しい娯楽ではない

興味深いことに,たこ上げは最近になって考えだされた娯楽ではありません。人間は何千年にもわたってたこ上げをしてきました。中には,西暦前4世紀のアルキタスという名のギリシャ人が最初のたこを組み立てたと考えている人もいます,しかし,それよりもずっと以前に東洋の人びとはたこを上げていたようです。

たとえば,朝鮮の人びとの主張するところによると,はるか昔に,朝鮮のある武将は配下の兵士を鼓舞するためにたこを考え出しました。その武将がちょうちんを取り付けたたこを上げると,その光を見た兵士たちはそれが上がっている間,天の助けが自分たちとともにあることを示す新しい星が出たと考えたとのことです。一方,中国人は,中国の賢い武将が最初のたこを作ったと主張します。彼らの説明によると,その武将は竹製の音のでる装置を取り付けた幾つかのたこを,真夜中に敵陣の上空に上げました。風が竹製の装置の中を吹き抜けると不気味な音が響きました。敵兵は,保護を与える天の使いたちが,差し迫った危険を知らせているものと考えて逃げ去ってしまいました。

だれが最初のたこを作ったのか,あるいは何年にそれを作ったのかは実際だれも知りません。しかし西暦前4世紀までには,たこは中国人の間でよく知られていたことは確かです。

たこには,風の吹く小高い丘の斜面で少年たちが楽しむ以上の多くの用途がありました。たこは,人間が飛行機を発明する上で一役かいました。飛行の原理を知るための実験で,繰り返したこが使用されました。

ベンジャミン・フランクリンの,かみなりに関する,たことかぎの実験をおそらくあなたもご存じでしょう。この場合にたこは,かみなりと電気が同一のものであることを証明する助けとなりました。しかし,フランクリンは非常な危険を冒したといえます。というのは,万一かみなりがしんちゅう製のかぎに落ちたなら,彼はその電気ですぐさま感電死していたからです。

またたこは,橋梁工事や写真術,無線通信や気象観測などに関連しても役立ちましたし,戦時でさえ,上空に人間を運んで敵の動きを探るのに用いられました。

おそらく西洋人にとっては,たこが宗教と関連して用いられていたこと,また今でもそうであるという事実は大きな驚きでしょう。

たこの持つ宗教的意味

たこは原始的な人びとの間で宗教的な意味合いを持っていました。彼らはたこを,神々や勇士のものと思われる外界をさまよう魂とみなしました。また,それらのたこを,天界と交信する手段とも考えました。例として,ポリネシア人の持つたこに関する信仰をあげることができます。彼らにとって,たこは神々を表わします。ポリネシアのある勇士はたこになって天に昇り,昇って行く間たこの歌をうたっていたと言われています。

朝鮮の人はたこに,『災い去って福きたれ』などと言った標語を書き付けます。そして,たこが飛んで行くことによって悪運が取り去られると考えて,ひもを切ってたこを遠くへ飛ばします。地面に落ちたそうしたたこのそばを通る人は,以前の持ち主の不幸が身にふりかかるのを恐れて,そのたこには触りません。

中国では9月に,たこの日あるいは昇高祭とでも呼ぶべき祭日が祝われます。その日には,老いも若きも急いで風の吹く高台に行き,さまざまな形のたこを上げます。たこが上がると,彼らはそれをたぐり寄せずに,糸を付けたまま飛ばしてしまいます。朝鮮の人と同様に中国人も,たこが病気や災厄や悪運などを運び去ってくれるものと考えています。

また中には,音楽を鳴らすたこを上げる人もいます。そうした人びとは,たこの発するもの悲しい音が悪霊を驚かして追い払うと信じています。彼らはしばしば,こうしたたこを自分の家の上に夜どおし上げています。

西洋に住む人びとにとっては,そうした考えはばかげているように思えるかもしれません。しかし,アメリカ,アリゾナ州のあるユニテリアン派の教会で一昨年の初頭に行なわれた説教によると,たこにまつわるこうした宗教観は東洋の国々に限られてはいません。同教会の牧師は,宗教雑誌のある婦人編集者がこの説教をするよう取り決めました。その主題はたこに関するものでした。その日,教会の壁と天井はたこで飾られていました。そして後に,会衆はそれらのたこを外へ運んで,務めの一部として上げました。

その説教で,話し手が語ったことに注目してください。「たこが,重力の束縛下に置かれたわれわれの,現実からの解放を願う熱意の表われであろうと,神を探し求める努力の一環であろうと,われわれの夢の発想であろうと,われわれは常に,たこがわれわれ自身や神やわれわれの夢と関係しているという望みをいだいてそれらを見ている」。

こうした考えはある人の感情に訴えるかもしれませんが,それは理にかなっているでしょうか。それは真実なことでしょうか。たこが,神との交渉において助けになるとお考えですか。「天の天」におられる神のもとに達するほど高くまで,たこを上げることができるでしょうか。(列王上 8:27,新)神はどのようにしてわたしたちと連絡を取るでしょうか。たこを引くことによってですか。そうした方法で,人類に対する神のご意志や目的を知る助けが得られますか。もちろんそうではありません! それゆえにこそ神は,ご自身について説明した文字になった記録,つまり聖書を備えたのです。たこを上げることではなく,その聖書が,神の律法や原則を学ぶ点であなたを助けるものとなります。―詩 119:129,130。

このことは,たこにまちがった宗教的意味合いが付されているため,たこ上げをすることは悪いという意味でしょうか。それはたこ上げをするときのあなたの動機に依存しています。また,他の人はそれをどう解釈するでしょうか。こうした考えの強い東洋に住んでいる人なら,それを避けるほうがよいと感じるかもしれません。しかし西洋の国々では,おおかたの人は楽しみのためにたこを上げます。そして,もしそうした土地に住んでいるのなら,他の人に自分の動機を誤解される心配なしに,たこ上げを楽しむことができるでしょう。

益と危険

新鮮な空気の中でたこを上げることは,体の健康にも役立ちます。歩いたり駆けたりすることはよい運動です。また,たこを上げるなら,飛行の原理や天気の模様などに関する知識が広まります。大気という,神の創造物に対する認識も深まります。

さらに,たこを作ることによって技能が上達します。確かに単純で,作るのにそれほど費用もかからないかもしれませんが,もし正しく作られないなら,たこは上がりません。公共の図書館にある本の中には,たこに関する数多くの異なった図面が載っているものがあります。

家族そろってたこを作ることもできます。それによって家族の絆はいっそう親密なものとなります。そのうえ,たこ作りは一定の季節に限られてはいません。木枯らしの吹く晩とか雨の降る日の自由な時間などを用いてたこを組み立てることができます。たこに模様を描くことは家族の芸術性を高めます。最後には,春か夏か秋の風の吹く日に,家族そろって自分たちの作ったたこを上げ,とても楽しい経験ができます。

しかし,たこ上げには危険も伴います。飛行場のそばでたこを上げるのは思慮に欠けた行ないです。というのは,たこが飛行機の安全を脅かすことがあるからです。たこを作るさいに,針金や金属を絶対に用いてはなりません。金属類に落雷することがあります。雷雨の時にたこを上げるのも絶対に避けるべきです。また,電柱や電波塔や高圧線の近くでも上げるべきではありません。ぬれたひもや電線などによって,思わぬ死を招くことがあります。

少しの注意を払うだけで,たこに宗教的意味があると思われていない地域に住む人は,たこを上げるのは楽しいことだと気づくでしょう。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする