世界展望
トルコのエホバの証人に有罪判決
◆ 1973年10月17日に,トルコのアンカラにある第三刑事裁判所は,13人のエホバの証人に対して,重犯罪者用刑務所での1年間の服役刑を宣告した。これらの証人たちはこれに先立ち,すでに4か月にわたる監視措置を受けていた。この事件は,証人たちが互いに集まって聖書の討議をしていたある個人の家が警察の捜索を受けた1968年10月以来争われてきた。何回か公判が開かれた後,1970年には13人全員が無罪とされた。同法廷は,違法行為が犯されたことを示す「証拠は何もない」との判断を下した。その判決は,イスタンブール大学法学部の3人の教授の提出した意見書を考慮した上で決められた。しかしながら,1971年に上級裁判所への審理請求が認められた。新法廷は,法律顧問1人とアンカラ大学イスラム教学部の宗教関係の講師2人に意見書の提出を要請した。このうちの1人は,エホバの証人に対して初めから偏見をいだいており,まちがった見解を持っているとの理由で,すでにアンカラの軍事法定で専門家証人としての資格がないとされていた。それゆえ,最近の判決がエホバの証人を“有罪”としたからといって驚くにはあたらない。なお,本件は最高裁判所に上訴された。
輸血をしないほうが“良い結果”が得られる
◆ 心臓切開手術には輸血が必要だろうか。あるいは少なくとも,治療上有効だろうか。ジェローム・ハロルド・ケイ博士はザ・ジャーナル・オブ・ディ・アメリカン・メディカル・アソシエイション誌(アメリカ医学協会機関誌)の中でこう述べている。「増加の一途をたどる血液の需要と……肝炎の罹患率および死亡率を考慮して,われわれは極力輸血を避けた。……ロサンゼルスの聖ビンセント病院内のわれわれ医師団は,これまでに約6,000件の心臓切開手術を行なってきた。大半の患者に輸血を施さなかったが,われわれの印象としては,そのほうが良い結果が得られるようである」― 1973年12月3日号,1,231ページ。
年少患者の権利
◆ アメリカのペンシルバニア州最高裁判所は,17歳の脳性小児麻痺患者の意志を尊重し,輸血を伴う手術を子どもに受けさせたくないと主張している彼の母親の立場を強めるものとして,その少年の意志を考慮に入れるべきであるとの判断を示した。アメリカン・メディカル・ニューズ誌はこう報じている。「証言聴取にあたって,少年は何のためらいもなくすべての質問に答えた。彼は,手術を受けることによってもたらされる益と,受けないことによってもたらされるかもしれない結果について十分理解しているように見えた」。現行法のもとでは,その少年は無視することのできない一個の人間であるとして,同法廷は,輸血に反対しない新たな保護者の指命を求める申請を却下した。
新たに発行された応急手当便覧
◆ 応急手当法の進歩と,人口の四分の一に相当する人々が毎年なんらかの応急手当を必要としている事実から,アメリカ赤十字社は,新しい救急処置法を勧める教本を最近発行した。それには,第一度および第二度のやけどの傷口に水をかけること(1966年10月22日号の「目ざめよ!」誌を見よ); 腕を上げる人口呼吸法の代わりに口による人口呼吸法を行なうこと(1973年9月22日号の「目ざめよ!」誌を見よ); 止血帯を用いるよりも傷口を直接押えて圧力を加えることなどが書かれている。止血帯を長い間かけておくと,壊疽にかかる危険がある。ある医師は,アメリカのハイウェー上の事故による年間死亡者5万7,000人のうちには,「みんながあわてふためき,だれも正しい処置を講じなかったために,いわば不必要な死を遂げた人が少なくない」と語っている。
国連で力を失う宗教
◆ 宗教の自由に関する討議が国連では13年間も行なわれてきたが,結局何の文書も発表されなかった。最近提出された同宣言起草案は,主にソビエト・ブロックからの反対を受けた。ブルガリアは,「宗教を,憎しみや敵意をかりたてたり,政治上の目的を遂行したり,平和を乱して害悪を引き起こしたりするために用いるべきではない」ことを明文化した声明文の発表を望んだ。
『分裂している家』
◆ 「最近創設されたばかりの北アイルランド会議が今日当地で開かれた。その席上,互いに対立しているプロテスタント各派の間で初めて激しい騒動が持ち上がった」と,ニューヨーク・タイムズ紙は報じている。「少数者であるローマ・カトリック教徒と権力を分け合う」問題をめぐってこうした争いが生じた。中には,「政治上の権威を放棄することに反対した」新教徒もいる。
急増する離婚
◆ 最近の統計によると,現在アメリカでは,5組の新婚夫婦のうち2組までが離婚に終わっている。離婚率は1970年以来25%以上も上昇した。
『真理を悟った』人
◆ 最近,イエズス会の雑誌「アメリカ」はオーストラリアの農夫フランツ・ヤゲルシュトラッターの30回忌に関連した記事を載せた。彼はナチズムとかかわりを持つことを拒否した数少ないカトリック教徒のひとりであった。しかし,同教会の残りの信者についてはどうだったろうか。執筆者のゴードン・ツァーンはこう言っている。「われわれの前には,辺地の村に住むこの小作農にカトリック教会を代表させざるをえなかったという歴然たる事実がある。もし,彼が真理を悟ることができたのであれば,カトリック教徒の責任ある指導者たちが……そうできなかったのはなぜかと問わざるをえない。ドイツ(およびヤゲルシュトラッター自身の国であるオーストリア)のカトリック司教が,ヒトラーの不当な戦争をいさめなかったどころか,その戦争に加わることは『クリスチャンの義務』であるとの誤まった信念のもとにヒトラーの軍隊で戦った忠実なカトリック教徒を激励したり,賞賛したりしたのはなぜか」。