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目ざめよ! 1979
目79 1/8 27–29ページ

弦と弓で音楽を奏でる

オーストラリアの「目ざめよ!」通信員

イタリアの名バイオリニスト,ニッコロ・パガニーニが1828年にウィーンで演奏した時,全市はその卓越した技量と絶妙なテクニックに魅了されました。詩人はパガニーニの音楽の“魔術”を詩で表わし,レストランは料理の品名を彼にちなんだ名前に変え,菓子屋はバイオリンをかたどったパンや菓子を作りました。そして,パガニーニの肖像はおしろい箱やネクタイからパイプや玉突きのキューに至るまで,様々なものに現われました。

クラッシックのバイオリニストにはそれほど感動しないけれど,ジプシーの奏でる物悲しくも情熱的なバイオリンの音には感動を覚えるという人もあるでしょう。田舎の舞踊楽団のバイオリン演奏を聴くのが好きな人もあるかもしれません。もちろん,この難しい楽器をマスターしようと努力している最中の人のバイオリンを聴くと,バイオリンの音というのは,首を絞められたネコの鳴き声のようだと思うかもしれません。

しかし,バイオリンは,上手に弾くと,人間の音声の質とほぼ同じ優れた質の音を出せるので,あらゆる種類のムードや情感を表現できます。バイオリンは,何世紀にもわたって,無数の人々を魅了し,楽しませてきました。この楽器の製作や演奏,あるいは単なる収集に,自分の生涯を投じた人も少なくありません。しかし,その起源は依然として神秘に包まれており,多くの点がまだなぞのまま残されています。

300年以上も昔に作られたバイオリンが今でも使われていることをご存じでしょうか。事実,実験や科学的な分析や改良がなされたにもかかわらず,現在製作される優れたバイオリンとされるものでも,音質や音調の点で,幾百年も昔に作られたこれらの名器をしのぐことはおろか,これに比肩しうるものすらないのです。

初期の歴史

現在のような形のバイオリンが最初に作られたのは16世紀の半ばごろでした。しかし,バイオリンに個有の特徴はそれ以前の様々な楽器に見られます。

例えば,卵形をした楽器リビーベ(rybybe)は,5度間隔に調弦された4本の弦と独特の棹<ネック>を有していました。この楽器は,奏者の肩かひざの上に置かれて演奏されました。フィディル(fydyl: これから“フィドル[バイオリンを奏でるという意味の英語]”という語が派生した)には,弦が3本あったものと思われます。これらの弦も5度間隔に調弦されていました。また,この楽器の指板には,フレットつまり指板を横に区切る小突起は付いていませんでした。奏者はこれを肩に構え,フィディルスティックを使って演奏しました。東洋のレベック,ゲール族のクロウス,ギリシャのリラなどにも,バイオリンと共通する幾つかの特徴が見られます。しかし,様々な特徴を一つに組み合わせて,400年来基本的に変わっていないバイオリンの最終的な形状を実際に定めた人物は不明です。

16世紀の後半までには,ガスパロ・ダ・サロやアンドレア・アマーティ(長期にわたって多数の名工が輩出した名バイオリン製作家集団の創始者)などの北イタリアの職人が,美しいバイオリンを作るようになっていました。バイオリンの製作技術は17世紀から18世紀初めにかけてその極致に達し,この時代の名工に匹敵する技術を有するバイオリン製作者はその後も現われていません。

バイオリン製作の巨匠

一台のバイオリンを購入するのに5,000万円を支払うことなど想像できますか。1972年,一般に世界最高のバイオリン製作者と考えられているイタリアのアントニオ・ストラディバリ(1644-1737年)が丹精込めて作り上げたバイオリンのために,これだけの額のお金が動いたのです。1684年にアマーティが死んだ後,ストラディバリのバイオリンの形は著しく改良されました。これは,ストラディバリが,バイオリンの形状や寸法,構造を少しずつ変えながら絶えず実験を行なっていたからに外なりません。彼の楽器は卓越したその技量を反映して,非常に強い力と輝かしい音色を持つようになりました。こうして,ストラディバリのバイオリンは,しだいに他の追随を許さなくなっていったのです。

ストラディバリは1,100ほどの楽器を製作したものと思われますが(彼は93歳で死ぬまで楽器を作り続けました),そのうちバイオリンが540台,ビオラが50台,チェロが10台,現存していることが確認されています。これらの美しい楽器は,いずれも耳を楽しませるために設計,製造されたもので,現在でも同様の役目を果たすことができます。しかし,今日,実際に使用されているのは,そのうちの50台ほどにすぎません。残りは,あまりに貴重もしくは美しすぎていつも使うのは惜しいと思われているのでしょう。ガラスのケースに収められ,演奏用というよりも観賞用になっています。

他のバイオリン製作者によっても,数多くの名器が作られています。ジュゼッペ・アントニオ・グァルネーリ(1683-1745年)はその中でも特に有名です。しかし,バイオリンの質は,製作者によって,また同じ製作者の作ったものであっても楽器によって,それぞれ異なっています。“ストラッズ”(ストラディバリの製作した楽器)の中にさえ,優れたものと並のものがあります。もっとも,劣った質の“ストラッズ”であっても,楽器としては優れています。

バイオリンの優劣を定めるのは何でしょうか。これに対する明確な答えはありません。時々,名工の作った幾つかのバイオリンの演奏を聞き,その中から最高のものを選ぶよう,専門家に依頼することがあります。しかし,専門家の意見が一致することはほとんどありません。つまるところ,それは,バイオリニストの個人的な好みや楽器の“感じ”,演奏される音楽の種類によるのです。

バイオリンと弓に加えられた変化

ストラディバリの時代以降,バイオリンの棹は胴と平行ではなく,ある角度を持つようになりました。ピッチも上がりました。また,こまは高くなり,指板は長くなりました。ほかにもこまごまとした改造がなされました。こうした調整が加えられた結果,指使いの範囲が広くなり,よく通る輝かしい音色が出るようになりました。

弓も18世紀の初めに大きな改造が加えられました。パリのフランソワ・トゥルト(1747-1835年)は,毛に対してそり返るようになっている弓を紹介し,同時に弓の標準的な長さを確立しました。トゥルトは,ブラジル産のペルナンブコ材が弓の材料として理想的であることを発見しました。また,毛の選択規準(白馬の毛150本から250本)も確立しました。棒の厚さの変化とか弓の重心の位置などの他の詳細な点にも変更が加えられました。

トゥルトの行なったこの偉大な改革の価値は音楽家の間ですぐに認められるところとなり,トゥルトは注文に忙殺されました。それ以来,彼は弓造りの規準を設定しました。金のちりばめられたトゥルトの弓は,今日では400万円ほどの価値があるでしょう。経験を積んだ演奏者は,この弓を用いて,以前よりも力強い音を出したり,より強く“アタック”したり,弓を弾ませて演奏したりできるようになりました。しかし,音楽の種類によっては,旧式の弓の方がひきやすいこともあります。

今日のバイオリン製作

優れたバイオリンを作る上で最も重要な要素となるのは何でしょうか。現代のバイオリン製作者が,昔のバイオリンの音色に匹敵する,もしくはそれより勝る音色のバイオリンを作ることができないのはなぜでしょうか。これも議論をかもす分野です。多くの人は,木材の質や楽器の寸法,製作者の技量が重要な要素であると考えています。しかし,最も重要な要素はただ一つ,ニスであると考えている人もいます。そうした人々は,昔の楽器が優れているのは,かつての名工が,今日では知る由もないニス塗装に関する秘伝を有していたからであろうと考えています。

過去の名工と同じく,現代のバイオリン製作者“ルシヤー”も,反響板の選択に細心の注意を払います。a 木材を切って厚さ3.8㌢の板を作り,これを10年間乾燥させます。通常,表面の板つまり表板(バイオリンの実際の響板)とバス・バー(支柱),サウンドポストは,まっすぐな木目の柔らかい松かトウヒで作られます。裏板と横板,棹,頭部には,これより堅いカエデを使うのが普通です。指板と緒留板はコクタンで作られます。

鋳型を使って裏板と表板の形を描き,それを弓のこで切ります。ルシヤーはまるのみと指で動かす小さなかんなを用いて,巧みにそして極めて正確に木を曲げ,求められている通りの厚さにします。中には,厚さがわずか二㍉しかないところもあります。マッチ箱の壁の厚さほどしかない薄い横板は,熱せられて,折り曲げられます。角の部分は留め継ぎにされ,そこに横板の強度を増すための松かヤナギの木片がはり付けられます。表板と裏板の縁に沿って,リンゴの木とコクタンで作った,三本の細長く薄い飾り板が取り付けられます。この作業工程は“パーフリング”として知られています。これらの板は,装飾用だけでなく,板の割れるのを防ぐ役目も果たしています。表板のf字孔を注意深く切り抜いた後,バイオリンの各部がはり付けられます。くぎやねじは一本も使われません。

次に行なうのがニス塗装です。ニスを塗らない楽器は10年ほどでその音色を失いますが,正しくニスを塗った楽器はいつまでも変わることがありません。バイオリンの本体は二,三週間でできますが,ニス塗装には数か月を要します。ニスとその塗布方法が,りっぱな楽器ができるかどうかを左右することさえあります。ニスを厚く塗りすぎたり,ニスのきめが荒かったりすると,音色に影響が出ます。

最初に楽器を着色し,次いで下塗りを三回行ないます。その後,仕上げ塗りを八回行ない,色塗りと上塗りをします。

バイオリンを演奏する

初心者がバイオリンを弾くと,どうしてあのような耳障りな音が出るのだろうか,と不思議に思う人がおられることでしょう。

バイオリンの演奏法を習得しようとする人は,それぞれ独自の挑戦に立ち向かわねばなりません。音楽的に敏感な耳が大切です。バイオリンをあごと肩の間にはさんで支えること,指で弦を正しく押さえること(バイオリンにはフレットが付いていないことを思い出してください),弓の角度や力の入れ具合いなどのすべてに習熟するには,多くの時間と忍耐が求められます。こうした技術を習得した後でさえ,様々な美しい音色を出せるようになるまでには,多くの事柄を学ばねばなりません。弦と弓で音楽を奏でる楽しみを味わえる人は,時間があり,しかも進んで努力を払う人です。

ですから,この次,バイオリンの上手な演奏をお聞きになる時に,バイオリンの演奏をマスターするために演奏家の払ったあらゆる努力について,幾百年もかけてバイオリンと弓の完成に没頭した数多くのルシヤーたちについて,またあなたの聞いているそのバイオリンの製作者について考えることができるでしょう。あるいは,屋根裏部屋で捜し物をしている時に,おばあさんがよく弾いていたバイオリンが見つかったなら,それは一つの財産とも言うべき,長い間うずもれていた絶品かもしれないということを忘れてはなりません。たとえそうでないとしても,弦と弓で音楽を奏でてみたいと思うことでしょう。

[脚注]

a バイオリン製作に関する詳細については1971年5月22日号の「目ざめよ!」誌,20-23ページをご覧ください。

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