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目ざめよ! 1980
目80 3/22 12–16ページ

原子の世界の素粒子

国際的な刑事たちが捕らえ所のないお尋ね者に肉迫しています。このお尋ね者は変装と逃亡の名人です。手掛かりは豊富にあります。証拠となる足跡は残っており,“手口”も判明しています。そのうえ写真さえあるのです。追跡班の探知器機は着実に進歩していますが,相手はますます不可解で捕らえ所がなくなっていくようです。

追跡班が追っているのは大物ではなく,小物,それもとても小さなものです。この刑事とは原子科学者のことであり,捜査の対象は物質宇宙の構成素材である素粒子です。

この捜査の始まりは少なくとも西暦前4世紀にまでさかのぼります。その当時の哲学者たちは,物質を繰り返し,次々に分割していったらどうなるかについて深く考えました。その結果,いつまでもそれを続けることはできず,最後にはそれ以上分割できない物質の断片に達するはずであるとの結論に達しました。デモクリトスは物質のその最小単位に“原子”という名を付けた人物とされています。ところが,20世紀に入って,原子そのものの構成要素を見つけ出すことに努力が集中されるようになりました。

最初の“素粒子”が発見される

1897年に,J・Jトムソンが電子の実体を突き止めました。トムソンは,電流がおびただしい数のこれらの粒子から成っていることを発見したのです。電子は非常に小さいので,100㍗の電球の中を1秒間に6,000,000,000,000,000,000個も通過します。捕らえ所のない素粒子の中にあって電子は最も解明が進んでいますが,それは,ちょっとした摩擦が生じるだけであちらこちらへと移り住む気まぐれな放浪者のようです。じゅうたんの上を歩くなら,靴が幾十億個もの電子を拾い上げ,それが体じゅうに広がることになるでしょう。そして,電気のスイッチに触れると,体に蓄積されていた電子がスパークのようになって指先からいっせいに飛び出し,空中を伝わって行きます。

1911年に,アーネスト・ラザフォードは,原子のすべての正電荷とその質量の大半が原子そのものの大きさの1万分の一の範囲に存在していることを示しました。これによって,原子といったときに大抵の人が頭に描く広く知られたイメージが作り上げられました。巣の周りを飛び回るハチのように,中心の小さな核つまり原子核の周囲の軌道を電子が高速で動くあの姿です。

1932年までには,原子核が陽子と中性子から成っていることが判明しました。陽子は原子の正の電荷を担います。電荷の量は電子と全く同じです。ただ,電子は負の電荷を帯びているのに対し,陽子はそれと逆の電荷を帯びています。陽子の質量は,電子のおよそ1,800倍で,その比率はちょうど冷蔵庫とビスケットの重さの割合に匹敵します。陽子よりわずかに重い中性子は電荷を帯びていません。1940年代には,様々な実験や理論によって,原子核の中で何らかの役割を担う数々の付加的な粒子がベールを脱いでゆきました。科学者が頭に描く原子核像はこれまでよりはるかに複雑なものになっていきました。

検出の方法

物理学者は,粒子と物質の相互作用の跡を調べることによって粒子を“見”ます。これらの相互作用の跡はいたずら小僧の通った跡になぞらえることができます。その子は,花壇を駆け抜けたり,くず入れをひっくり返したりして周囲を混乱に陥れます。しばらくすると,近所の人々は,被害の傾向を見分けて,犯人を突き止めることができます。原子の“家”から解放されて動き回っている荷電粒子は乱暴を働く子供のように振る舞います。他の原子にぶつかって,そこの電子を追い出し,あとに電荷を帯びた原子を残して行きます。

粒子を検知するのに用いられた初期の装置に霧箱があります。荷電粒子の進路にある原子は粒子の通過に伴って影響を受け,その原子を中心に蒸気が凝結するため,霧箱の中には荷電粒子の作る蒸気の飛跡が残ります。それは高空を飛ぶジェット機の飛跡のようなものです。今日では泡箱のほうがより一般的に用いられています。この泡箱は媒体に沸騰寸前の液体が用いられており,その中で粒子の飛跡が泡の連なりとして表われます。

逃亡の名人

粒子は途方もない速さで動きます。光子は中性微子<ニュートリノ>や重力量子<グラビトン>と並んで速度の最高記録を保持しています。これら三つの粒子はいずれも質量がなく,そのため光の速さ(毎秒30万㌔),つまり1秒間に地球を7周以上する速さで動きます。

質量のある粒子の速さが光速に近づくことは可能ですが,決して光速に達することはありません。事実,原子核の周囲を回っている電子の速度はどんなにスピードを上げてもせいぜい光速の十分の一ほどです。この速度と最も速い粒子の速度を比較することは幹線道路を走る自動車と超音速ジェット機を比較するようなものです。

早変わりの達人

粒子の存在時間は寿命と呼ばれます。電子と陽子は安定しています。別の言い方をすれば,その寿命は無限です。しかし,たいていの粒子はごく短時間“生きる”にすぎません。例えば,大気上層部で宇宙線の相互作用によって造り出されるミュー中間子と呼ばれる粒子の平均寿命は100万分の二秒です。ミュー中間子が“死ぬ”と,代わりに電子1個と中性微子2個が突然姿を現わします。強盗が銀行から数歩外に出たかと思うと,奇跡的に3人の異なった人間になり,その各々が別の方向に逃げて行くようなものです。

寿命の短い粒子を研究しようとする際,突然姿を変えるこの現象は科学者に少なからぬ問題を提起します。生成されてから百万分の何秒かの間に,一つの粒子が二つかそれ以上のより小さな粒子に分裂し,それがさらに,別の小さな粒子に変わることがあります。安定粒子が造り出されるまで,この過程が続きます。粒子が姿を変える場合,それは“崩壊する”と言われます。ところで,質量を持つ粒子の中で電子と陽子だけが崩壊しないのはなぜでしょうか。保存則と呼ばれるものがあるためです。

保存則

簡単に言うと,保存則とは,何かの保存量をある出来事の前に測定しておくと,その出来事が終わってからそれを集計しても同じ量になるという法則です。

これを例えで説明するために,ボールが外に出ないように高いフェンスで囲まれた4面のテニスコートを想像してみてください。選手が到着すると,各組の選手に同じボールを10個ずつ与え,初めのボールがどこかへ行っても心配しないように告げておきます。4面で同時に試合が行なわれるうちに,ボールは隣のコートに飛び込み,そこで使用されることでしょう。中には,最終的に,すべての選手によって使用されるボールもあるかもしれません。すべての試合が終了したあと,ボールを集めます。最初に渡したのと同じ数のボールが戻ってくることが期待されます。もし数が足りなければ,ボールがフェンスを越えて飛んで行ったか,まだコートに残っているか,選手に持って行かれたものと結論することでしょう。テニスボールが消えてなくなることはありませんから,他の説明は意味を成しません。この場合,『テニスボールは保存されています』。

物理の世界は保存則に支配されています。保存則を破るようなことは何一つ起きえません。素粒子の世界に法律違反者はいないのです。

電子が安定しているのは,質量と電荷の保存と関係があります。電子は最も軽い荷電粒子です。電子より軽い粒子もありますが,そのいずれも電荷を有していません。電子がこれらの軽い粒子の一つに崩壊するとすれば,その電荷を捨てなければなりません。これは電荷の保存則を破ることになるので不可能です。電子が自分より重い荷電粒子に崩壊することはありません。それは質量の保存則を破ることになるからです。1斤のパンをスライスして,薄切りにされたそのパンを集めても2斤のパンにすることができないのと同じです。ですから,電子は『どこにも行き場所がない』ので崩壊できないのです。

陽子が安定しているのは,それが崩壊すると,別の保存則を破ることになるためです。一方,中性子は,陽子と抱き合っている限り安定しています。中性子を“独房”に入れてみましょう。そうすると15分ほどで崩壊します。

ケネス・フォードは,保存則の重要性を強調して,自著「素粒子の世界」の中にこう書きました。「粒子が崩壊して,自分より軽い他の粒子に変換するのは『正常』なことである。十分に理解されていないある理由によって崩壊することのない二つの『異常』な粒子がある。それは陽子と電子である。粒子をこのように広い視野からながめると,これら二つの粒子の崩壊をたまたま阻んでいるある種の自然の規則(保存則)の存在することが分かる。この偶然によって,物質世界を築くことが可能になっている。

「当然のこととして,ただ一つの宇宙,一組みの自然法則しかないのであるから,世界の物事の特定の状態が偶然に存在していると言うのは,ひどく道理に欠けたことである。しかし粒子の多様性に関するこのような見方は自然の設計を目にして人間がますます謙虚な気持ちにひたるというコペルニクスの時から始まった過程の続きである。幾つかの粒子を安定させ,通常は混乱状態にある超微視的世界の上に秩序ある世界を築くことを可能にしているある種の保存則のおかげで,我々とこの世界は存在している」。

保存則は“中性微子”の存在を予告する

原子を構成する粒子の研究における初期の実験結果は,中性子が保存則を破るような仕方で崩壊することをうかがわせました。中性子が陽子と電子に崩壊すると,崩壊後の運動量とエネルギーが崩壊前よりかなり少なくなることに研究者たちは気づきました。これらの量は保存されるはずのものですから,ここでは保存則が成り立たないように見えました。核物理学者にとって,この結論は受け入れ難いものでした。

これらの保存則を成り立たせるために,理論物理学者たちは中性微子なるものを考えだし,中性子の崩壊過程には不可分のパートナーとして必要とされるすべての特質をこれに付与しました。中性微子を“見る”ことはできませんでしたが,保存則は十分信頼に足るということを学び取った科学者たちの信仰の産物として,この粒子が存在するという仮説が立てられたのです。

中性微子が信仰のもとに受け入れられてから25年後の1956年に,科学者はこれを捕らえました。なかなか捕らえられなかったのも不思議ではありません。中性微子は,電荷も明確な質量もない上に,光と同じ速さで動いています。中性微子は物質とほとんど相互作用を起こしません。そのため,ほとんどの中性微子は,銃弾がティッシュペーパーを突き抜けるのと同じほど容易に,地球を通り抜けて行きます。中性微子の存在を証明しようとして,あるとき研究者たちは,計算上100,000,000,000,000個の中性微子を厚さ13㍍の鉄を通して検知箱に送り込みました。それでも,捕そくできたことが記録されたのはそのうちのわずか29個にすぎませんでした。これは,世界中のすべての人が体重計のある小さな部屋を通ったにもかかわらず,わずか100㌘しか記録されなかったことに匹敵します。

分類の試み

1960年までに非常に多くの粒子が明らかになっていたので,科学者たちは,以前に見たことのない動物が多く住む島に,難船して打ち上げられた動物学者のように感じていました。種々雑多な粒子の集団を整理する一つの試みとして,物理学者は似通った特性を基に粒子を幾つかのグループに分類しました。動物学者が様々な動物を哺乳類やは虫類などに分類するのと同じ方法を用いたのです。

比較的重い粒子はハドロンと呼ばれます。ハドロンの中でも特に重い粒子はバリオンと呼ばれます。バリオン(陽子,中性子など)は原子を構成する粒子の動物園の“ゾウ”に当たります。ハドロンの中の軽い粒子は中間子(パイ中間子,K中間子など)と呼ばれ,これはどちらかといえば“トラの大きさ”に当たります。レプトン(電子,ミュー中間子,中性微子)は一般に粒子の世界の“昆虫”に相当します。

実際の分類システムは大きさや重さを基にしているのではなく,各組の粒子が互いに作用し合う可能性を基にしています。他のゾウに対するゾウの働きかけは,昆虫に対する働きかけとは異なります。事実,昆虫が食べている葉をゾウが食べるのでない限り,昆虫とゾウは互いに見向きもしないでしょう。ゾウに似たハドロンは強い力と呼ばれるものによって相互に作用し合います。昆虫のようなレプトンは強い力とは全く無縁です。二頭のゾウが争い合ったとしても,それはバッタの知ったことではないでしょう。しかし,レプトンの中の電荷を帯びた粒子は電磁気力に反応します。これらの粒子は電磁気力の法則に従ってハドロンと相互に作用し合います。小さな生き物が大きな動物の目に飛び込むと,両方の動物が注目し合わなければならないようなものです。

さらに“基本的”な粒子があるか

人間が原子を注意深く調べ,それをばらばらにするようになって以来,300種ほどの粒子が発見されてきました。その大半はハドロンです。レプトンは本当の“素”粒子(基本粒子)のように思えます。つまり,大きさは識別できず,内部構造もないようです。その上,知られているレプトンは6種類にすぎません。このように数が少ないことは単純さを示唆しています。ハドロンはそれほど単純ではありません。かなりの大きさを有しており,数も幾百種にも上っています。ハドロンが崩壊すると,その生成粒子から別のハドロンが放出されます。

1960年代に,マレー・ゲルマンとジョージ・ツバイクが新粒子,クオークの存在を提唱しました。二人の理論によると,すべてのハドロンは2個ないし3個のクオークが組み合わさったものであるとされました。理論上の粒子クオークにある特性を付与することによって,ゲルマンとツバイクは,既知のすべての核粒子(ハドロン)がわずか3種の異なったクオークから成り立っているという説明を行ないました。それら3種のクオークには,“アップ”,“ダウン”,“ストレンジ”という名が付けられました。この理論の思わぬ結果として,これまで発見されていなかった粒子の存在が予告されました。そして後に,この粒子が造り出され,それには予期されていたとおりの特性が備わっていました。これによって,この理論は広く受け入れられるようになりました。最近の実験は,“チャームド”,“トゥルース”,“ビューティ”と名付けられたさらに3種のクオークが存在することを強く示唆しています。

この記事を書いている時点では,検知されたことが確認されたクオークはまだありません。クオークは分離できないのではないかと考えている人もいます。しかしクオークは,すべての素粒子物理学者にとって,確固とした理論上の基本原理となっています。中性微子の場合と同じく,確認されてはいなくても,科学者はその存在を信じています。というのは,クオークを用いて,原子内の検知可能な粒子の,ある条件下における動きを予告することができるからです。

現在の理論を作り上げているクオークの数で,今後発見されることになる新しい粒子についても満足のいく説明を行なえますか。ほかにもクオークのあることが明らかになるでしょうか。そもそも,クオークを分離することは可能なのでしょうか。クオークは,本当に原子核の究極的な“素粒子”なのでしょうか。もしそうでないとすれば,クオークは何からできているのでしょうか。

「それが何からできているか」という問いの答えが完全に与えられることはないかもしれません。物質の詳しい研究が行なわれて理解が一歩深まるごとに,いわゆる“素粒子”はもっと単純な何かによって作り上げられているように思えてきます。(現在では“にかわ粒子”のことが話題に上っています。)この探求には終わりがないのでしょうか。わたしたちの好奇心が完全に満たされることはなさそうです。ある人々にとって,そうした見込みは,落胆を覚えるどころか,期待をかきたてられるように思えます。それらの人々は,クリスチャンの使徒パウロと同様に次のように感じています。「ああ,神の富と知恵と知識の深さよ。その裁きはなんと探りがたく,その道はなんとたどり出すことのおよばないものなのでしょう」― ローマ 11:33。

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