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目ざめよ! 1982
目82 2/8 27–28ページ

イフガオ族をかいま見る

フィリピンの「目ざめよ!」通信員

マニラの北400㌔の壮大な山脈の中にあるバナウェの見事な棚田は,長い間,フィリピンを訪れる人々が足を運ぶ主な名所となってきました。ここでは幾千年にもわたって,イフガオ族が険しい山腹を切り開き,連綿と続く階段状の見事な棚田を作ってきました。狭いたんぼすべての端と端を結び付けて広げると,地球を半周するほどの長さにまで達すると言われています。

観光客のほとんどすべては,この記念碑的な棚田を見るだけのためにここにやって来ます。しかし,エディータとプリスキラはイフガオ族の中で暮らし,そこで働くことを選びました。その結果,ごく少数の人しか味わったことのない,心の通じ合った,報いの多い経験をしてきました。ご一緒に,この二人の経験にあずかることにしましょう。

第一印象

イフガオ族の言語が私たちにとって最初の挑戦となりました。わずかばかりの距離の違いで発音が変化し,隣村でさえ発音が違うといった有様です。しかし,十分に練習を重ね,市長の母親が親切にも貸してくださった簡単な辞書の助けを借りて,やがてその障壁を乗り越えました。

この涼しい山の上では,歩くことが生活と切り離せないものになっています。とはいえ,棚田の縁にある,人がやっと通れるほどの小道を歩いて行くのはちょっとした経験です。つまずいてころぶなら,片側の水田のぬかるみに落ちるか,6㍍かそれよりも下にある反対側の棚田の次の段に突っ込むかのいずれかです。しかし,勇気を出してください。やがてそれに慣れるでしょう。

ようやくたどり着いた村は,高さ1.2ないし1.5㍍の土台柱の上に造られた小屋の集まりにすぎません。各土台柱のてっぺん近くと家そのものの下には大きな木の円盤があります。これは家の中にネズミがはい上がって来ないようにするために用いられているのだそうです。これらの家は一間で窓がなく,入口も一つしかない造りになっています。家に入るにははしごを用いますが,夜間にはそれは引き上げられてしまいます。草を葺いた丈の高いピラミッド型の屋根は,米を納める倉になっています。

民間の儀式

イフガオ族の慣習の幾つかは,私たち外部の者にとっては実に奇妙なものに思えます。例えば,ある辺ぴな土地では死者を埋葬するということをしません。死がいは布に包まれてつるされ,腐敗してゆく間に体液がたれるにまかされます。次いでそのがい骨は織って作った,死の毛布にくるまれて,小屋の軒下に保存されます。

死んだ祖先をなだめ,相続人たちを慰めるために,“カニャオ”と呼ばれる手の込んだ儀式的な宴会が開かれます。祭司が呪文を唱えて,病人を連れて行かないように故人に嘆願します。そして,動物の犠牲をささげます。先祖たちがそれを人間の魂の代わりに受け入れると信じているのです。時には,自分たちの聞いたことのある聖書物語をその儀式に組み入れることもあります。例えば,動物の犠牲をささげる時に,アベルの捧げ物に関する物語を詳しく話すのです。

犠牲の周りでの踊り,酒のにおいやカモやニワトリの肉が煮えるにおいなどは,遺族の悲しみを消散させずにはおかないようです。大抵の場合すべてがうまく終わります。もっとも,二日酔いは別ですが。

生来の親しみやすさ

イフガオ族は極めて理知的で親しみ深い人々であることが分かります。私たちがたんぼに沿った狭い小道を歩いて行くと,腰をかがめて田植えをしている女の人が顔を上げて私たちにあいさつをします。人々は,私たちの訪問を心から喜んでいることを話してくれます。やっとのことで村に着くと,私たちは一つ杯で酒を飲むよう勧められ,歓迎されます。これは友好の印です。村人たちと話してみると,その多くが旅行したことがあり,近代的な生活様式についてある程度のことを知っているのが分かります。

イフガオ族は共に聖書を研究するようにとの私たちの勧めに喜んで応じます。一人の人は仕事の手を止めて,グループ討議のために従業員たちを呼び集めます。一人の女性は先祖たちが自分のところを訪れたと話します。どうしてそのようなことが分かるのでしょうか。その女性の米つぼがぴくぴく動き,米のごく一部が悪くなったのです。この女性にとっては,それが先祖の訪れた証拠でした。私たちは聖書からその女性に,死者はちりに戻ることを示します。死者に意識は無いのです。この欺きの策略をろうしているのはサタンです。サタンはエバに,あなたは決して死なないと言わなかったでしょうか。しかし,私たちの最初の先祖が死んだ時,サタンは自らを取り繕うために何らかの手を打たなければなりませんでした。ですから,死んだ後も,体の中にあった目に見えない何かが生き続けるという概念の背後で糸を引いているのはサタンなのです。―創世 2:7; 3:4,5。

伝統的なスカートや袋や毛布などを織る腕のいい別の女性は,「親族の墓の前を通ったあと病気になるのはなぜかね」と尋ねます。私たちはその女性と共に推論します。そのご親族は生前あなたを愛していたでしょう。あなたが病気になると,あなたのために祈り,よくなるようにと薬や薬草を手に入れたはずです。それが今になってあなたを病気にしようとしているなどとどうして思えるのですか。そして聖書から,死者の置かれている本当の状態を彼らに示します。―伝道 9:4-10。

一緒に座って食事をしている最中に,一人の現地の女性がビンロウジをかむことに関する聖書の見方について尋ねます。この習慣は,歯を黒くし,歯茎を損なう上,やめるのが非常に難しい習慣です。そこでその女性に,のどの渇いた旅人に汚いコップに飲み物を入れて与えるかどうか尋ねてみます。人々はいっせいに鼻にしわを寄せて嫌悪の情を表わします。もちろん,コップはきれいな物でなければなりません。そこで私たちはこう説明します。私たちは,霊的に渇いた人々に真理の水を与えるためエホバが用いることのできるコップのような存在です。ですから,清い者となり,ビンロウジやニコチン,麻薬などで汚されていてはならないのです。人々はすぐにその要点をは握します。「あなたはイエス・キリストがビンロウジをかんでいる姿を想像できますか」と私たちが尋ねると,いっせいに笑い声が上がります。

今では,私たちはイフガオ族の地域社会の一員のように感じています。土地の人々は私たちのことをアナッコと呼ぶようになりました。それは“我が子”という意味です。私たちは彼らの家族の一部とみなされていることをうれしく思っています。古くから存在するこの理知的な種族の個々の人々が自分たちの考え方を徐々に変化させ,その先祖の神々を離れて真の神エホバに仕えるようになるのを見る時,私たちの心はこの人々にいっそう引き寄せられていきます。

確かに,イフガオ族を知るようになれたのはまれに見る特権でした。そして,私たちは皆さんが同行してくださったことをうれしく思っています。

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