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  • 私は売春という職業から救い出された
  • 目ざめよ! 1983
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目ざめよ! 1983
目83 9/22 24–27ページ

私は売春という職業から救い出された

また一日が始まろうとしていました。私は汗をかいてベッドに横になっていました。起き上がろうとしたのですが,めまいがしてまたベッドに倒れてしまいました。確かにぐあいがよくありません。しかし,突然ドアを激しくノックする音がして,私の雇い主の一人である中年の女が入って来ました。

「どうしたの,あんた。まだ寝てるの」。

「奥さん,私とても気分が悪いんです。きょうだけ休ませていただけないでしょうか。明日はきっとよくなると思いますから」と頼みました。

「よく聴いておおき。私はこの仮病という手はよく知っているんだからね。さあ,起きた,起きた。今夜はいい商売になりそうだよ」。

読者は売春宿の奥まった部屋での私の生活をかいま見たのです。お察しの通り,私は売春婦でした。確かに人に誇れた職業ではありません。9年という長い間,うつろな作り笑いを浮かべながら破廉恥な取引を行なっていました。たまに独りになると,どうにもならないものを感じて,悔恨の涙にくれました。もちろん,どれほど逃げ出したかったか分かりません。でも,しっかり縛りつけられていて自由になることなど決してないように思えました。それにしても,どうして売春婦になったのだろう,とお考えでしょう。

今から29年前,私は中部ヒマラヤ山脈の懐に抱かれた,山深い小さな村に生まれました。まだ3歳だった時に父が亡くなり,それから間もなく,母はほかの男と同棲するようになったので,私は一番上の姉夫婦に引き取られて育てられました。

14歳になった時,姉夫婦の計らいで25歳年上の男と結婚することになりました。私は夫の家に連れて行かれましたが,貧乏染みた体一つで行っただけで持参金は一銭もなかったために,夫の両親は私をひどく卑しめました。私の人生のこの面はわずか2年続いただけで短かったとはいえ,私の思いにいつまでも消えない深い疑いの影とさまざまな問題を投げかけるには十分でした。

夫は近所のある女性と関係を持つようになりました。そのように身持ちが悪かったにもかかわらず毎週お寺参りをしましたし,夫の招きでヒンズー教の坊さんが私たちの家に来ることもありました。しかし,坊さんたちは叱責の言葉は一言も口にしませんでした!

売られて売春婦になる

そうしたある日の晩,母と同棲していた男が,一つの話を持って私に会いに来ました。その男は,あんたの生活もつらくてたまらなくなってきているのではないかという気がしたので,助けてあげたいと思ってね,と言いました。ちょっと仕事をするだけでたくさん金のもうかる大変いい仕事がある,と言うのです。でも,村の“美人”数人のグループと一緒にその男に付いて遠くの町まで行かなければなりません。家には私を引き止めるような感情的なきずなも物質的な魅力もなかったので,私は一緒に行くことに同意しました。こうして数日のうちにその旅が始まって,私はそれまで聞いたこともなかったある町へ行き,全く夢にも思わなかった生活を始めることになりました。

ボンベイに着くとその男は私たちをある家に連れて行きました。その家には私たちと同じような若い女が大勢いました。ただ彼女たちは私たちよりもずっと良い衣装を着け,厚化粧した顔を誇示していました。中に入ると私たちは二人の女に引き会わされました。二人は私たちを,頭のてっぺんから足の先まで満足そうな目でながめ回しました。すると私たちを連れて来たその男は,その日の後刻にまた来ると約束して出て行きました。

私たちは売られたのです! その男は私たちを一人500ルピー(約1万3,400円)で売り渡していたのです! その男が去るが早いか,私たちはその男が持って行ったお金を返済しなければならないと言われました。いいえ,500ルピーではなく5,000ルピー(約13万4,000円)です!

「どうしてですか」と,私たちは尋ねました。

「そういう決まりなんだよ!」と,二人は有無を言わさぬ調子で言い渡しました。

それから,逃亡を企てる者が出る場合を考えて脅しがかけられました。しかし私は逃げることができませんでした。私には行く所がなかったのです! それで5,000ルピーというその最初の借金を払うことを承諾しました。その借金にはすぐに利子が付きました。その借金から自由になる道は一つしか残されていませんでした。それは二人の女が私たちにさせる“仕事”をすることでした。つまり売春婦になることです!

宗教的偽善

しかし,驚いたことに,自分の生まれた時からの宗教の“木”が結んだ実を,はっきりと大写しで見せつけられたのは,売春婦だったその9年の間のことでした。不道徳と偽善は切り離せないものでした! 例えば,私の雇い主の一人は熱心なイスラム教徒で,毎年,長期にわたるラマダンの断食を守りました。寺院<モスク>では,いかにも敬虔な態度で乞食たちに施しをしました。イスラム教の信者仲間は,何のためらいもなく彼女と交際をしました。全くあくどい商売をしていたにもかかわらず,彼女の宗教社会では信者の一人として受け入れられていました。

そしてほかの雇い主たちも似たようなものでした。一人はせっせとヒンズー教の寺院に通い,もう一人はキリスト教世界の教会の一つに通っていました。その人たちの私生活は,それぞれの宗教の指導者や友人たちに知られていたのですが,それでもそれぞれの宗教社会の成員として尊敬されていたのです。早く言えば,その人たちの宗教が公に非としている行為,つまり売春をだれもが黙認していたのです。それは偽善ではないでしょうか。

私もほどなくその偽善に感染しました。ですから土曜日の朝になると身を洗い,友だちと一緒に女神マハラクシミの神殿に参拝し,砂糖菓子とお金を供えて,良心の痛みを和らげられた気持ちになって売春宿へ戻るのでした! 私たちが頼むとヒンズー教の坊さんたちは私たちの所に出向いて宗教行事を執り行ない,私たちがお布施を渡すとそれを受け取って立ち去りました。私たちを堕落のふちから引き上げるような助言をしてくれるわけでもなければ,私たちが心から望んでいた慈父のような叱責を与えてくれるわけでもありませんでした。

投獄

私が売春宿に来てから9年目に入ったばかりの時に,雇い主たちの間に仲たがいが生じました。その雇い主のうちの一人が警察に密告したため,私たちの売春宿は手入れを受け,全員が警察署へ連行されました。全員といっても雇い主たちは例外です。彼らは自分たちの大きな,“恥ずかしくない”家に隠れていました。

それから2週間,私たちは刑務所の冷たい床の上に寝ました。食物と言えば,人間の食べる物とは言えないような干からびた,半焼けのパンで,それに時々青い物の取り合わせが付く程度でした。

私たちを訪ねて来るのは,ヒンズー教の聖歌を教えて私たちを助けたいという考えの,篤志家のある婦人グループだけでした。しかしそのグループの試みは気の毒になるほどの失敗に終わりました! 私たちにとって本当に必要だったのは,人生の目的についての真理,神についての真理を知ること,創造者が存在するかどうかを知ることでした。そして存在するとすれば,創造者は私たち人間のことを気遣っているのでしょうか。もし気遣っているのであれば,私たちがしているような不潔な行為をなぜ今まで許してきたのでしょうか。しかしその婦人たちは,意図は大変良かったにしても,答えを持っていませんでした。

刑務所で14晩過ごしたことは体にひどくこたえ,私はひどい病気になりました。それで病院に連れて行かれ,そのあと17日間病院で寝ていましたが,その間に体は以前の半分にやせてしまいました! 退院した時,雇い主たちは幾らかの静養期間をくれました。それで私は,家に戻り,家の者たちとしばらく一緒に過ごし,山の空気の中で静養し,そして最後に,自分のいるべき場所と考えていた所,つまりあの売春宿に帰るようにしよう,と考えました。

転機

生まれ故郷の村の様子は,夫の愛人だった人が彼の妻になり,夫の子をもうけていたほかは,あまり変わっていませんでした。姉たちは相変わらず日の出から日の入りまで畑で働いていました。最初の数日間は,ごきげんうかがいにあちこちの家を訪ね,思いついて準備してきたささやかな贈り物を配って歩きました。しかし,そうした日々の物珍しい気持ちも次第に薄れ,私は考えるようになりました。自分は一体人生に何を求めているのだろう。家の者たちが村で送っているような生活を望んでいるのだろうか,それとも町での生活を望んでいるのだろうか。この二つの生活様式は異なってはいるものの,どちらも意味がなく,真の目的に欠けていました。

そのころ二人の婦人が私たちの家に立ち寄りました。私たちは二人を中に招じ入れ,(土地の習慣にしたがって)たばこを勧めました。でもその婦人たちはたばこは結構ですと言ったので,その理由を尋ねると,その人たちは,とてもすばらしい話を聞いて今町から帰って来たばかりです,と言いました。それで姉と私は,その話を詳しく聞かせてください,と頼みました。

その人たちの話によると,私たちが崇拝してきた神々は,真の神つまり私たちの造り主とは全く別のものです。真の神の名前はエホバです。エホバは私たち人間すべてを愛しています。エホバは間もなくあらゆる形の悪を除いて,正にこの地上に,義と平和と安全の新秩序をもたらされる,と二人は説明しました。その新秩序に入って住むようにという招待はすべての人に差し伸べられているとも教えられました。しかし,その招待に応ずるということは,今自分の生活に必要な調整を加えることを意味します。

「あなた方のおっしゃることが真実だということはどうしたら分かるのですか。そしてその必要な変化というのは何ですか」と,私たちは言葉をはさみました。

すると二人は続けてこう語りました。「それには聖書を研究しなければなりません。聖書は神の与えてくださった唯一の真理の本です。聖書を研究すれば,知らなければならないことはすべて学べます。変化を遂げるという点では,私たちは一つの点でもう変化を遂げています。私たちはたばこをやめたのです」。

「でもたばこを吸うことと神とどんな関係があるのですか」と私は質問しました。

すると二人はすぐにこう答えました。「聖書には『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』と書かれています。でも自分の肺を有害なたばこの煙で満たしていて,どうして自分自身を愛していると言えるでしょうか。それは不潔なことなのです。エホバ神は私たちに清くあることを望んでおられます」。―マタイ 22:39。コリント第二 7:1。

私はびっくりしました! 憂うつな心の奥底のどこかに表現し難い喜びの感情が生まれてくるのを覚えました。私はたばこを外に投げ捨て,それ以後たばこには二度と手を触れませんでした。毎日,20本ものたばこを吸っていたのですから,それは本当に大きな変化でした。

疑問の答えを得る

私はすぐに姉たちと,町へ出てこのエホバという神についてもっとよく学ぶための計画を立て始めました。私たちが紹介された家族はエホバの証人でした。それまで私はエホバの証人のことを一度も聞いたことがありませんでした。私は,その家族と聖書研究ができるように,その町に住んで働く決心をしました。その家族は私を喜んで家に迎えてくれました。私たちは毎朝少なくとも1時間,聖書についての討議を行ないました。短い結婚生活の間に,また売春宿での奴隷の生活を何年も送る間に感じるようになっていた疑問や,長く尾を引く疑いの影は徐々に消え始めました。

私は人生に目的があるということを初めて学びました。そして,神は人間が地上で永遠にわたり平和で幸福な生活を送るように創造されたこと,また死は人間に対する神の最初の目的の一部ではなかったということが聖書に教えられているのを知りました。私たちの最初の人間の親と,生まれてくる子孫たちとの前には,偉大な創造者についての知識を得,自らの手の業を楽しむことによって日を満たすというすばらしい見込みが置かれました。―創世記 1:28; 2:16,17。詩編 37:29。

私はまた,神が今まで悪と汚れた行為の存在を許してこられた理由を知りました。私たちの最初の人間の親は神に反逆し,その代わりに神の敵悪魔サタンの導きに従いました。(創世記 3章)それで偉大な裁き人であられるエホバは,神の支配を離れた人間の支配が成功する可能性のないことを疑問の余地なく証明するために,時の経過を許されたのです。サタンの支配下にある人間の支配を神が許している期間は急速に尽きようとしているということを知ったとき,私はもううれしくてたまりませんでした。しかし,以前売春婦だったこの私はどうなるのでしょうか。

私は,私に聖書を教えてくれていたその家族に自分の背景を残らず話しました。するとその家族は,イエス・キリストの贖いの犠牲の慈しみ深い益について聖書から説明してくれました。それを聴いているうちに喜びの涙がとめどなくほほを伝わりました。私の過去は許され,消し去られるかもしれないのです! 義にかなった状態のもとで永遠に生きる希望が私にも差し伸べられているのです。そしてその壮大な希望が実現するまでの間,私は,聖書の教えを実行するために最善を尽くす人々,そして自分たちの間に腐敗が存在することを許さない,清くて正直な人々の間で生活することができるのです。

聖書を勉強しているうちに何か月かが飛ぶように過ぎ去りました。それで1979年に早速水のバプテスマによってエホバ神への献身を表わしました。それ以来私は,キリスト教徒として宣べ伝える業にあずかり,自分が聖書から学んだ慰めに満ちた真理を他の人々に分かつ特権を味わっています。

私は天の父エホバとそのみ子キリスト・イエスに対して限りない感謝を抱いています。このお二方のおかげで,私は売春という職業からまさに救い出されたのです!―寄稿。

[24ページの拡大文]

私たちは売られたのです! その男は私たちを一人500ルピーで売り渡していたのです!

[25ページの拡大文]

私は逃げることができませんでした。私には行く所がなかったのです!

[26ページの拡大文]

たまに独りになると,どうにもならないものを感じて,悔恨の涙にくれました

[27ページの拡大文]

自分の過去は許されるということを学んだ時には,喜びの涙が私のほほを伝いました

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