読者の声
学習困難症
1983年5月8日号(日本語版1983年8月8日号)の「目ざめよ!」誌の3ページから13ページには,学習困難症や活動過多の問題を持つ子供たちについて幾つかの優れた記事が載せられていました。(「お子さんは学習上の問題を抱えていますか」)
さて,私の勤める高校の生徒と教職員のためにこれらの記事を75組コピーする許可をいただければ幸いに存じます。生徒たちがこれらの記事を読んで,そのような困難症を持つ子たちに対してもっと理解を示すようになり,助言や助けを必要としているそうした子たちの助けになってくれればと思っています。
学校の教職員は,このようなよく書かれた,励みを与える記事から益を受けることでしょう。私どもが受け取る学習困難症に関する情報は,非常に難しい専門語で書かれていることが余りにも多く,啓発的というよりはけむに巻かれたようになってしまいます。この記事の論調は消極的ではなく,むしろ励みを与えるものです。
L・F・Z,国語教師,米国ウィスコンシン州
コピーが生徒や教職員の個人的な使用のためであり,商業的な目的で用いられないという理解のもとに,許可が喜んで与えられました。これらの記事が良い結果を生み出すよう願っております。―編集者。
学習困難の子に対する真の関心を示した5月8日号(日本語版8月8日号)の主要な記事を読んで,この感謝の手紙を書きたいと思いました。これらの記事の中に載せられている豊富な知識は,私が大学教育の課程で長い時間をかけて受けたのと同様の教育上の益にあずかる機会を読者に提供していました。この記事の書き方は,理解しなければならない人々すべてが容易に理解できる仕方で書かれているので,この号を大勢の教師や私の担当する生徒の親たちと一緒に読む機会を持てるよう祈っております。
M・F,特殊教育の教師,米国コネティカット州
地元のエホバの証人であるP夫人から今日,5月8日号(日本語版8月8日号)の「目ざめよ!」誌を1部受け取りました。それには読書障害に関するすばらしい記事が次から次へと載せられていました。それなのにどうしてこの言葉を避けているのでしょうか。読書障害を扱ったこの本当にすばらしい論議を載せた雑誌を800万部も発行していながら,一度も“読書障害”という語を使っていないのです!「学習困難症」というのではあいまいすぎます。
M・M,退職した矯正指導の教師,英国
本誌が“読書障害”という語を避けたのは,この語が人に恥辱をもたらすと感じたからではなく,読書障害が何を意味するかについてある専門家たちの間で混乱があるためです。例えば,「ワールドブック百科事典」によると,この語は元来,「中枢神経系の障害の結果と考えられた困難症だけを指していた」とされています。しかし,今ではさまざまな読書困難症を指すものとしてこの語を用いる人は少なくありません。それゆえ,「ワールドブック百科事典」はこう述べています。「数多くの教育者たちは,その意味するところについて混乱があるため,この語をもはや全く用いていない」。―編集者。
テレビ
わたしは10歳の女の子でデボラと言います。そして,ボローニアに住んでいます。「テレビ ― それがもたらす益と……及ぼす影響」(日本語版1983年1月22日号)という記事をありがとうございました。この記事のおかげで,お父さんがテレビを処分することにしたとしても,お父さんが正しいことを理解できました。
D・M イタリア