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  • 私のギター,私の音楽,そして私の神
  • 目ざめよ! 1985
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目ざめよ! 1985
目85 3/8 16–20ページ

私のギター,私の音楽,そして私の神

その日,つまり1963年10月30日は,私にとって非常に特別な日でした。私は,モンテビデオの一流劇場で開催される2時間にわたる古典音楽のプログラムで,午後7時半にギターの独奏をすることになっていました。この催しは広く宣伝されており,ウルグアイ全体に放送されることにもなっていました。

その朝,目覚めた私は,注文の多い大勢の聴衆の前に出ることを考え,神経が張り詰めていました。いつもより時間のたつのがひどく遅いように思えました。そしてこの神経の緊張はますます高まってゆきました。しかし,いったん聴衆の前に出たなら,意識をはっきり保ち複雑な指さばきに気持ちを集中するために,神経を完全にコントロールする必要があるのです。音楽会で演奏できる見込みがありながら,自分の神経過敏の犠牲者となり,失敗してしまった人は少なくありません。場合によっては,精神的な機能が停止してしまったり,軽い記憶喪失症になったりすることがあります。それだけではなく,演奏会用のギターは非常に恩知らずな楽器です。人をすぐに飽きさせてしまいます。全くの素人の耳にさえ,繊細な音色を伝える時のごくわずかな誤ちがそれとすぐに分かってしまうのです。

演奏会での試練

午後6時半近くになると,聴衆が会場に着き始めます。その中には一般の人々に加えて,プロの演奏家,多くのギター愛好家,音楽の教授や先生,音楽を学ぶ学生やファンなどが含まれています。すべての人に共通する一つのこと,それは,気持ちの良い演奏会を楽しみたいという願いです。同時に,レベルの高い音楽技術をも期待します。耳ざわりで不協和音の多いロック音楽とは対照的な,静かで美しいハーモニーの良さを認める人々がまだ大勢いることを知るのはうれしいことです。

すでに午後7時20分です。いきなりだれかが楽屋のドアをノックし,あと5分でステージに出なければならないことを気づかせてくれます。これは3回ある知らせのうちの最初のものです。次の知らせは開幕3分前,そして3番目はわずか1分前に伝えられます。神経をすり減らすこのような秒読みが行なわれるのはなぜでしょうか。地元のラジオ局がその音楽会の模様を放送網に乗せてほとんど国内全体に送り出すので,勢い“放送中”の合図は実際の開始時間と完全に合っていなければならないのです。

あと1分で出なければなりません。このころになると神経の緊張ははなはだしく高まってきます。観客席の主要な部分のライトが消え,ステージだけがくまなく照らし出されます。私の名を呼び,「さあ,出番です」と言う声が聞こえます。

これがいちばん大変な時です。私の心臓は,あたかも胸から飛び出してしまうかのように激しく鼓動します。私はステージの中央,下りているカーテンの前に足早に歩いて行きます。幕が開いて私が少し前へ出ると,聴衆はいつもと同じように温かな拍手で私を迎えてくれます。これで私は気分がほぐれ,神経の緊張もいくらか和らげられます。聴衆とのコミュニケーションは一層容易になります。

のるかそるかの正念場

演奏を始める前には,試験的にすばやく弦に触り,楽器がきちんと調律されているかどうかを最終的に調べます。そして,出だしのところをゆっくりと弾き始めます。最初の数小節では,手がぶるぶると震えますが,少しずつ安定してきて,やがて完全に制御できるようになります。音楽は一層鋭く,明確できちんとしたもの,正確なものになってきます。2曲目にかかるころには,不安感や震えはほぼ完全になくなります。

短い楽節のフレージング,異なるデリケートな種々の音色,迫力,そして全体的な豊かさ,つまり響きの密度なども大変よくなってくるのを感じます。聞き耳を立てる聴衆は,どんな音をも聞き漏らすまいと静まり返っているように思えます。聴衆の最後の熱心な拍手により,私は試験に合格したことを確信するのです。

拍手とかっさいで私の努力は報われるように思えます。でも,公演を行ない続けるよう私を促しているものは一体何なのでしょうか。幾たびとなくこれを繰り返すよう私を動かしてきたのは拍手とサイン狂だったのでしょうか。利己主義や個人的な虚栄心の問題にすぎないということはないのでしょうか。

音楽会で演奏できるギタリストになったいきさつ

幼いころ,私は目に見えないある力のとりこになってしまったらしく,演奏家になりたいという気持ちをどうしても抑えることができませんでした。私が音楽に向いていることは,早くも5歳のころに明らかになりました。ギターを弾きたいという気持ちがいつもありました。両親はこの気持ちにあまり注意を払ってくれませんでした。ちょっとした思いつき,一時的な気まぐれと考えていたのです。それからさらに5年が過ぎ,やっと私のことを真剣に考えてくれるようになりました。そういう訳で私は10歳の時に正式にギターの勉強を始めました。

15歳の時には聴衆の前に出るようになりました。そして1959年には,コンクールで初めて優勝しました。ベルギーの国際団体の主催する年1回の催し物で一等賞を取ったのです。1961年には,ウルグアイの三つの主要な音楽団体が組織した競技会でまた優勝しました。それからは頻繁に公演するようになりました。

1964年になって,ピアニストと一緒に米国に旅行しました。米国のワシントン特別区では一連の演奏会を開きました。1965年に帰国してからも,音楽生活は順調に続きました。ラジオ局やテレビ局との契約をいつも果たしていました。そしてウルグアイではどこへ行っても大抵よく知られ,認められるようになりました。

心霊術では満足が得られなかった

これより前のことですが,私は心霊術者の宗教をやっていました。霊媒やいやしを行なう者になったことさえあります。でも,私が最も強い関心を抱き,誠実に願っていたのは,神をもっとよく知ることでした。ところが,オカルトの世界から明らかに矛盾する“通信”を受けて,いくらかの深刻な疑惑が生じ,心霊術に対する信仰は崩れてしまいました。このような心霊術者の集まりに行き渡っていた無秩序のために,真の神であればこのような慣行を是認されるはずのないことが明らかになりました。それで私は,真理の探求をやめた訳ではありませんが,心霊術からは手を引きました。

1965年には,ヨーロッパを回って多くの主要な都市で独奏会をしてほしいという申し出を受けました。それは常日ごろ私が望んでいたことだったのです。ところがそのころ,私はひとりのギターの先生と親しくしていました。この交わりのおかげで,私の人生と,わたしたちの創造者と私との関係に大きな変化が生じました。

聖書と調和しているか

神と聖書についての私の考えは漠然とした,混乱したものでしたが,私のギターの先生である友人が私を訪問した時から,物事は変化し始めました。定期的に会っては,演奏したり時事問題について話し合ったりすることが習慣になりました。宗教や政治も話題になりました。その先生は無神論者でしたが,聖書を勉強することに決めました。そのような訳でその人は,エホバの証人の若い二人の宣教者と毎週家庭聖書研究を行なっていたのです。神について学びたいという私の強い関心を見て取ったその先生は,私にも出席するよう誘いました。私は喜んでその誘いに応じました。

私たちが学んだのは「御国のこの良いたより」という小冊子でしたが,私の質問が多過ぎて,小冊子そのものの勉強はなかなか進みませんでした。それでも,これは自分が探し続けてきた真理であるとすぐに分かりました。矛盾の多い,混乱した偽りの宗教の教えに,論理的で調和の取れた真理が取って代わりました。それは私の耳には音楽のようでした。エホバについて学び,悪をもたらした原因と,人間の諸問題に対する唯一の有効な解決策が神の王国によるものであることを知り,私は本当に元気づけられました。過去,自分が悪霊の霊媒として悪霊と直接に交渉を持ったことがいかに危険であったかを理解したときにはぞっとしました。―申命記 18:9-13。イザヤ 8:19。

私がエホバの証人と勉強を始めたころ,婚約者のミリアムはアドベンティスト派の人と勉強を始めていました。私たちは互いの家を訪ねては,自分たちの学んでいることについていつも考えを交換しました。ミリアムは,三位一体,地獄,復活,王国などの主題について私がはるかに多くを学んでいることを知って驚きました。ミリアムがこの同じ時期に学んだことといえば,“安息日を守る”ということだけでした。私は,安息日に関する律法が,イスラエル人にだけ与えられたもので,ほかのだれにも与えられていないことを知っていました。(詩編 147:19,20)その律法はイエスの死によって成就され,終わりました。(エフェソス 2:14-16。コロサイ 2:16,17)私はミリアムがこの点を理解するよう助けました。ミリアムもアドベンティスト派との勉強をやめ,エホバの証人と勉強を始めることを決意してくれました。

私たちは1967年に結婚し,1970年に共にエホバへの献身の象徴として水の浸礼を受けました。私を真理に導く点で非常に大きな役割を果たしていた,私の先生であった友人は,残念ながら長続きしませんでした。

新たな価値基準

私はエホバの証人のひとりとして,新たな価値基準を学びました。不完全で限界はありますが,エホバが見られるように物事を見るようになりました。そのため,自分の人生の目標をもう一度考え直し,重要な調整を施すようになりました。エホバとの間に新しく形造られた関係に照らして,自分の音楽家としての生活を分析しました。演奏会の準備や旅行,それに度重なる公演のために多くの時間を費やしていることについて深く考えました。そのことは,創造者に対する献身を果たすことにどのように貢献するでしょうか。

音楽会で演奏できるギタリストとしての私は将来を嘱望されていましたが,このすべてを変化させるようなことが生じていたのです。『行って,すべての国の人々を弟子としなさい』というイエスの言葉を考慮する時,その華々しい将来の見込みもすべて無意味なものとなり,重要性を失ってしまいました。聴衆にとって重要なのは,ギターの演奏を聞くことだろうか,それとも神の王国の良いたよりを聞くことだろうかと考えてみました。エホバを賛美し,聞き手に命をもたらすような調べを奏でることは,すべての人にとってはるかに報いの多いものです。私のギターによって一時的に気分が晴れやかに,楽しくなるとしても,神の言葉からいま私が言うことと教えることは,恒久的な益をもたらし得るのです。―マタイ 28:19,20。

聖書によって訓練された私の良心は,肝要な決定をするための力となりました。私は,音楽会で演奏できるギタリストとしての生活を捨てるほうが勝っているという決定を下しました。ヨーロッパの劇場を巡る旅を含む契約を解消したことを後悔していません。「エホバよ,私はあなたに仕えますが,まず私がしたいと思っている他の事柄すべてをさせてください。そしてそれが終わってから戻ってきて,あなたに忠実を示します」と言うのは正しいこととは思えませんでした。―ルカ 9:57-62。

予想どおり,この決定をしたために手厳しい批判を浴びることになりました。私の親族,友人,それに音楽界の重鎮の大部分は,私の頭がおかしくなってしまったと考えました。そのような人たちは,私の頭が以前の混乱状態から脱しつつあったことをまったく理解していませんでした。私の新しい宗教が演奏会を続けることを禁じたという誤った結論を下しました。この決定が私の個人的な決定であることを理解させるのは難しいことでした。私は良心に動かされて,宣べ伝える業,およびクリスチャンとしての他の活動など,はるかに緊急な業を始めるようになりました。演奏旅行を続けながらクリスチャンの集会に出席し,宣べ伝える業にあずかるのは事実上不可能だったでしょう。

私の音楽と私の崇拝

エホバに命を献げた時以来クリスチャンとして味わっている喜びと満足感は,自分にとって演奏会がすべてだったころに経験したどんなことよりずっと優れたものです。“音楽の響き(サウンド・オブ・ミュージック)”よりもはるかに持続性のある美しい“真理の響き(サウンド・オブ・トゥルース)”を知るよう他の大勢の人々を助けるのは真の喜びであり,特権です。これまで私は,関心ある人々の家で,また演壇から定期的に宣べ伝えることだけではなく,クリスチャン会衆内の一長老として数多くの仕事に没頭してきましたし,そうした仕事によって私の生活は価値ある活動で満たされてきました。実際のところ,私の生涯の職は大きく変化しました。私の音楽活動は生活の中で正しい場所に置かれてきました。私は今『王国を第一に求めて』いるからです。―マタイ 6:33。

演奏活動をせずにどのように生計を立てたのでしょうか。数年間は芸術大学の教授として働きました。1977年にはブラジルのポルトアレグレで開かれた国際ギターコンクールの5人の審査員の一人に選ばれました。同時に,その地での国際音楽セミナーの授業も行ないました。

1980年に私たちはスペインに移り,ここで今私はギターの個人教授をしています。このように私のギターは,私と妻がエホバへの奉仕を続けるのに役立っています。時折,クリスチャンの大会で用いられるオーケストラに混じり,エホバを賛美する調べを奏でることもありました。言うまでもなく,クリスチャンの社交的な集まりでは指をしなやかに動かし,自分の十弦のギターを演奏することができます。友人たちは喜んでいるようです。

神が間もなくもたらされる新しい事物の体制では,生来の能力と才能を培うための時間がもっと多くあり,神と人にとって大きな喜びまた楽しみとなることでしょう。とこしえの命が与えられて身体的にも精神的にも完全になれば,今は理解することも考えることもできない目標に到達し,多くのことを達成できるようになるでしょう。新秩序での音楽は,演奏家や作曲家に栄光を帰するものではなく,創造者を賛美するものとなります。

私は,詩編作者で演奏家,また作曲家であったダビデの気持ちに共感を覚えます。ダビデはこう述べています。「義なる者たちよ,エホバのゆえに喜び叫べ。廉直な者たちにあって賛美はふさわしい。たて琴を奏でてエホバに感謝せよ。十弦の楽器を弾いて神に調べを奏でよ。新しい歌を神に向かって歌い,喜びの叫びとともに,最善をつくして弦を奏でよ」。(詩編 33:1-3)私は,宣べ伝えて,また私の十弦のギターを演奏してエホバを賛美するよう最善をつくしたいと思います。―ヘルマン・ピツァネリの語った経験。

[18,19ページの図版]

私はよくテレビで演奏した…………が,今では友人のために演奏する

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