退院 ― 家を失う主要な原因
1752年,ベンジャミン・フランクリンの勧めにより,家のない精神異常者の看護を助けるため,米国初の国立病院ができました。その後の2世紀間には米国内の各州で精神病院が開設されるようになりました。次いで1940年代の半ばには,精神病者の窮状が次第に表面化し,過密化した州立病院の恐ろしい状態が公にされました。
1954年には,フランスで開発されたクロルプロマジンという薬を精神病者の治療用として米国に入れることが許され,その薬のおかげで患者の気分は静まり,妄想や幻覚も抑えられるようになりました。4年後には「精神病と健康に関する合同委員会」が発足し,この委員会を通して精神病の全国的な治療体制の整備が求められるようになりました。その計画には遠大な目標,つまり地域社会内で入院患者を治療するという目標がありました。言い換えれば,その新薬で治療ができ,病気を抑えることのできる人たちで,他の人に危害を加えることのない人たちは,収容している場所から出さなければならないということです。
1971年には,精神的な治療目的のために強制入院させられた患者の益を図って,アラバマ州で集団訴訟が起こされました。裁判所は,患者を精神病院に入院させるには,特定の厳密な必要条件にかなっていなければならないと裁定しました。そして,「患者が入院させられてから15日以内に,病院長,もしくはその任命を受けた専門的な資格のある代理人が,入院させられた患者を調べ,その患者に引き続き入院が必要かどうかを見極める。……入院の基準に照らしてもはや入院が必要ないのであれば,あるいは治療の計画がまだ実施に移されていないのであれば,患者が自発的に治療を続けることに同意していない限り,患者を直ちに退院させなければならない」という裁定も下しました。
この法的な決定が下されると,精神病院は入院患者をかつてなく多く退院させるようになりました。1982年までに精神病院の入院患者数は55万8,922人から12万5,200人へと減少しました。
しかしながら,良い意図で講じられたこの措置も期待はずれに終わりました。提案されていた,地域社会による治療のための総合施設はできませんでした。院外患者は最終的には市が世話をするようになりました。米国政府の精神衛生関係の一行政官は次のように語りました。「大勢の元患者は,その症状ゆえに,地域社会の総合施設と連絡を取る方法が分からなかった。それで,退院させられてから家の戸口に現われるまでは,だれも彼らの姿を見ることがなかった」。また,「今日の心理学」誌の1984年2月号には,「家のない人々のほぼ3分の1ないしは2分の1は精神病者と考えられており,主として強制退院という処置によって宿なしになった」と記されています。
一部の大都市の場合,その割合はもっと高く,60%に達しています。例えば,家がないため,ニューヨークの三つの施設に避難している450人にインタビューしたところ,次のことが分かりました。「患者の54%は州立病院に入っていたことがあり,75%は精神病で入院した経歴があった。患者のうち精神分裂病と診断された人々の割合(53%)は極めて高い。……それらの患者の多くは,病院の生活から地域社会の生活への変化に適応する上で助けとなる適切な地域社会事業や援助制度もないまま,自分でやってゆくよう地域社会にほうり出された」―「病院と地域社会の精神病学」誌,1983年9月号。
この雑誌は,家のない123人の男子を対象にロンドンで行なわれた調査についても伝えています。まとめられたその資料によれば,15%の人々は精神分裂病と診断され,8%の人々には情緒障害があり,29%の人々には精神病で入院した経歴があるということです。