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目ざめよ! 1990
目90 1/8 8–11ページ

家のない子供たち ― 解決策はあるか

仲間の人間のことを本当に気遣う人々は,家なき子にしてやれることはこれ以上何もないかのようにあきらめることは望んでいません。ストリート・チルドレンが風雨をしのぐ場所以上のものを必要としていることを彼らは認めています。子供たちは,思いの平安,楽しい仕事,健康,自信などがあれば,うまくやっていきます。利他的な人たちは,家のない人々に進んで手を差し伸べます。そのことは称賛に値します。しかし,そのような努力が払われているにもかかわらず,ストリート・チルドレンの問題はなかなか解消しません。

それは,家なき子を生み出す状態を永続させている現在の体制は修正不可能だからです。それは修理不能な壊れた自動車のようなものです。わたしたちは現実的になって,人間の独創力だけでは正しい人間社会は造り出せないことを認めるべきではないでしょうか。

しかし幸いなことに,変化は可能です。ただしそれは人間の手による変化ではありません。地にとって有害なものを一掃する能力と知恵があるのは,全能の神だけです。神の言葉である聖書は,神の天の王国による管理について,またこの地上に義にかなった状態が出現することを希望する人間の願いがその管理によってどのように満たされるかについて教えています。―ダニエル 2:44。

神の気遣い

あなたは,神が現在の体制を除き去り,新しい生活様式を導入することは可能だと思いますか。もしそう思われるなら,これには人間の救いだけでなく,とりわけ神のみ名が関係しているということを忘れないでください。神は,秩序正しさと時間厳守の最高の模範である創造者ですから,ふさわしい時にふさわしい行動に出ること,それもご自分の王国を通して行動することを保証しておられます。実際にその王国というのは,漠然としたあいまいなものではなく,人間の真の必要を満たすために指揮したり,漸進的に指導したりできる天の政府なのです。―イザヤ 48:17,18。

家のない子供は,「わたしの父とわたしの母がわたしを捨て去ったとしても,エホバご自身がわたしを取り上げてくださることでしょう」という,詩編 27編10節のダビデの言葉を心に留めることができます。また,世での身分が低くても,そのために神のご意志を学ぶ資格がなくなるわけではないことを覚えておくのも励みになります。箴言 22章2節はこう述べています。「富んだ者と資力の乏しい者とが互いに会った。それらすべての造り主はエホバである」。そうです,恵まれない境遇の人たちは,誠実であれば,エホバ神が喜んで助けてくださるということを確信できます。―詩編 10:14,17。

エホバはわたしたちの福祉に関心を抱いておられ,わたしたちの正当な願いを満たす方法を知っておられます。かつて神は預言者イザヤを通してイスラエル人にこうお尋ねになりました。「これがわたしの選ぶ断食ではないか。……それは,あなたのパンを飢えた者に分け与えること,また,苦しんでいる,家のない者たちを自分の家に入れることではないか。裸でいる者を見るなら,あなたはその者を覆わなければならないということ……ではないか」。(イザヤ 58:6,7)これこそ神がご自分の王国政府を通してもたらされる平等と公正です。だれも無視されたり,存在しないかのように扱われたりすることはありません。ですから,詩編 145編19節は,「神はご自分を恐れる者たちの願いを遂げてくださり,助けを求めるその叫びを聞き,彼らを救ってくださいます」と述べています。神と仲間の人間に対する愛が,人類家族を一致させる主要な力となります。その結果,家のない子供たちの問題は解決されるでしょう。見捨てられて独りぼっちになる子供はもういません。

神の目的は人間の不完全さのために阻まれるか

いいえ,人間に悪い傾向があっても,地球を喜びの楽園に変えるエホバの目的が阻まれることはありません。聖書に述べられているようにハルマゲドンの戦いを生き残るか,死人の中から再び地上に復活させられるか,いずれかによって神の新しい世で生きる特権にあずかる人たちは,自分の最善を尽くすよう励まされるでしょう。―ヨハネ 5:28,29。啓示 16:14,16。

それにこたえ応じる人の働きが無駄に終わるようなことは決してありません。その人の働きはそれに応じた報いを受けるでしょう。どうぞ神のこの約束に注目してください。「彼らが建てて,だれかほかの者が住むことはない。彼らが植えて,だれかほかの者が食べることはない。わたしの民の日数は木の日数のようになり,わたしの選ぶ者たちは自分の手の業を存分に用いるからである。彼らはいたずらに労することなく,騒乱のために産み出すこともない。彼らはエホバの祝福された者たちからなる子孫であり,彼らと共にいるその末孫もそうだからである」。(イザヤ 65:22,23)あなたは家族と共にこの言葉の成就を見たいと思われませんか。その時には,飢きん,貧困,失業,あるいは家のない子供たちはどこにも見られないのですから,何と喜ばしいことでしょう。

家のない子供たちと同じように,現在窮乏している人たちは,幸せな家族や居心地のよい家庭というもののありがたさを他の人より一層深く味わうに違いありません。イザヤ 65章17節に,「以前のことは思い出されることも,心の中に上ることもない」とあるとおりです。その時に生きる特権にあずかる人たちは,不利な状態が永久になくなっており,あらゆる国籍・国語・人種の人々が,愛ある兄弟関係を保って一緒に働くのを見るでしょう。生き残ってその時代に入る各家族は,引き続き神の栄光をたたえるに違いありません。詩編 37編11節は,地上の楽園についてこう述べています。「柔和な者たちは地を所有し,豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだすであろう」。

どうすれば将来に備えることができるか

命を与える知識を得,愛や親切といった望ましい特質を培うことは今でも可能です。どうしてそう言えるでしょうか。エホバは人類を愛しておられ,み子イエス・キリストを通して人々をみ言葉とご自分の民に接触させることにより,『キリストに引き寄せて』おられるのです。(ヨハネ 6:44)また,教育プログラムを有する組織を地上に持っておられ,それによってあなたが神のご意志を行ない,いつまでも幸福で有意義な生活が送れる時を待ち望めるようにしてくださいます。そのために神の王国の良いたよりは,困窮している人たちに宣べ伝えられているのです。(マタイ 24:14)神の言葉は,「仲間の者をさげすむ者は罪をおかしている。しかし,苦しむ者たちに恵みを示している人は幸いである」と述べています。(箴言 14:21)恵まれない人たちでも,動機が正しければ神に近づくことができるというのはうれしいことです。詩編作者はこう書いています。「しかし,わたしは苦しんでおり,貧しいのです。神よ,わたしのために急いで行動してください。あなたはわたしの助けであり,わたしを逃れさせてくださる方なのです。エホバよ,どうか遅すぎることがありませんように」― 詩編 70:5。

そうです,あなたは神の言葉から将来に対する真の希望を得ることができるのです。しかし,「希望」という言葉の一般的な用法は,必ずしも確実さを意味してはいません。ブラジルでは,「人間は決して希望を捨てない」という文句をよく耳にします。その意味は,希望の根拠が何もないように思える時でも希望を捨ててはならないということです。それとは対照的に,聖書は神への強固な信仰と神の約束に対する希望を抱き続けられる確かな根拠を与えています。ローマ 10章11節には,「彼に信仰を置く者はだれも失望させられない」とあります。そのような聖書に基づく希望がかなえられずに終わることはありません。この地球の様々な驚異が,現実のものであり,エホバの知恵と愛を証ししているのと同じように,数々の聖書預言が成就しているということは,将来に対して積極的な見方ができ,純粋の希望を持つことができるということです。―ローマ 15:13。

神の王国は,家のない子供たちにとって,いや,正しいことを愛するすべての人にとって真の解決策です。今,聖書の正確な知識を得るなら,神の新しい世における幸福と永遠の命を享受することが可能になります。そうした約束に対する期待は,空想の所産ではありません。箴言 11章19節で言明されているとおりです。「義を固く守る者は命に至り,悪いことを追い求める者はその死に至る」のです。

[11ページの囲み記事]

一時的な解決策?

思いつめた表情で手を差し出す浮浪児を見ると,心を締めつけられる思いがします。しかし,この問題を心配している人たちは,どうしたら家のない子供の助けになれるのか迷います。後ろめたい気持ちを和らげるために,子供の手に数枚の硬貨を渡して足早に立ち去る人もいます。しかし,その施し物が食物や住まいのために使われる可能性は薄いのです。むしろ麻薬やアルコール飲料に使われるのが落ちでしょう。それで市民の福祉を考える大人の中には,地元で行なわれるホームレス児童の援助になりそうな政府後援の計画に注意を向け,お金を出す人もいます。さらには,家のない子供はきちんとした援助施設に連れて行くほうが実際的だと考える人もいます。問題を憂慮する市民はこのようにして,自分たちは地域社会をより人間味のある所にするよう努めていると考えています。

[9ページの図版]

「彼らが植えて,だれかほかの者が食べることはない」― イザヤ 65:22

[クレジット]

FAO photo

[10ページの図版]

「わたしの民の日数は木の日数のようにな(る)からである」― イザヤ 65:22

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