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目ざめよ! 1987
目87 4/22 5–8ページ

僧職者が政治に介入するのはなぜか

読者は影響を受けるのですから,「なぜか」と問う十分の理由があります。

もっとも,政治に介入してきた司祭や牧師その他の宗教指導者すべてに当てはまる単一の動機があるというわけではありません。人々が大抵は非とするような動機を持つ人もいれば,貧しい人々に対する気遣いといった称賛に値する理由に基づいて行動する人もいることでしょう。

そのような人たちの動機を見抜けるなら,この問題に関する神の見方をよりよく考察し,何が前途に控えているかに関して神の言われる事柄をよりよく認識できるようになります。

地位,利得,および政略

僧職者が政治に介入する一つの理由を理解するために,1世紀当時のある宗教指導者たちのことを考えてみましょう。それらの人,つまり祭司長や,パリサイ派やサドカイ派の成員は,ユダヤ人の高等法院を構成していました。彼らはイエスがラザロを復活させたことで当惑し,「彼[イエス]をこのままほっておけば,みんなが彼に信仰を持つだろう。そして,ローマ人たちがやって来て,我々の場所も国民も奪い去ってしまうだろう」と考えました。―ヨハネ 11:48。

「我々の場所も国民も」。そうです,それらの人は,国家主義的な利害はすべて二の次にして,自分たちの地位や影響力や権力のことを心配したのです。(マタイ 23:2-8)中には,政治家たちに取り入って,重要な立場に就いていた僧職者たちもいました。そうすることはまた,多くの人にとってぜいたくな生活をするための手だてともなってきました。事実,聖書巻末の書には,「恥知らずのおごりの力」のことで知られた「大いなるバビロン」と呼ばれる「女」が描かれています。聖書と歴史の示すところによると,その女は全地に行き渡っている偽りの宗教を象徴しています。―啓示 17:1-5; 18:3。

中には,上記のような理由で政治に介入する僧職者もいます。その証拠をこれから考慮しましょう。「宗教と革命」という本には次のように書かれています。「1774年から1790年までの間,フランスの司教192人のうち173人は貴族階級に属していた。司教団の約半数はパリに住んでおり,フランスの首都の華やかさを満喫していた。ポリニャック枢機卿は,15年前に任命されていた大司教管区を一度も訪れることなく,1741年に死んだ。だらしのない気風が高まって各地の修道院を悩ませたが,それら修道院の多くは非常に裕福だった」。上級の僧職者たちはぜいたくな生活をしていましたが,教区司祭たちの中には貧しい人が少なくありませんでした。

メキシコにも別の例があります。1810年のこと,村の司祭であったミゲル・イダルゴは,スペインから独立するための闘争を指揮しました。グェンター・レウィー教授は次のように解説しています。「ローマ法王と,実際に司教団全体は,[それらメキシコの]愛国者たちを非難した。上級の僧職者たちは[後に]転向して熱心な独立支持者になったが,その偽善的な安逸さは……すべてあまりにも見え透いていたため,信用できない特殊利益集団という教会のイメージが出来上がってしまった。……教会は土地や建物をたくさん所有しており,ある筋によれば,国の不動産の半分以上を占めているという」。

自分の宗教がプロテスタント,カトリック,ユダヤ教その他どんな宗教であれ,僧職者たちは高められた場所を確保しようとして政治に介入すべきではないということには,だれでも同意するのではないでしょうか。ところが,全く逆のことがしばしば生じています。

ナチス・ドイツの時代から今日まで

ナチの時代を振り返ってみると,宗教と政治とのかかわりをもっとよく見抜くことができます。『カトリック教会やルーテル教会の僧職者たちは,ヒトラーとその残忍なナチスとどんな取り引きをしたのだろう』といぶかってきた考え深い人は少なくありません。

基本的には,その取り引きは,ナチス支持,もしくは少なくとも共存ということでした。宗教の側からの抗議の意見はほとんど出されませんでした。T・A・ギル教授は一つの例外について,「[神学者,ディートリッヒ・]ボンヘファーは,15歳のころからその父や兄たちから聞かされていた事柄の真相をついに知った。つまり,自分の命をささげることを正当化するのに大いに関係のある事柄の点で,教会はもはやあまり重要な存在ではなくなったのである」と書いています。ヒトラーに対する支持もしくは黙従の態度を取った教会にうんざりしたボンヘファーは,ヒトラー殺害の陰謀に加わりました。とはいえ,ボンヘファーは例外でした。

ポール・ジョンソンの著した「キリスト教の歴史」という本には,当時一般の情況が次のように説明されています。「どちらの教会も概して同政権に大々的な支持を与えた。……福音派の牧師1万7,000人のうち,[ナチ政権を支持しなかったために]長期間服役した者は,どの時点でも決して50人以上はいなかった。カトリック教徒のうちでは,一人の司教が教区から追放され,もう一人の司教は通貨違反で短期間の服役に処せられた」。また,自分の信条を固守した人たちについては,「最も勇敢だったのはエホバの証人で,彼らは初めから自分たちの教義上の徹底した反対の態度を明らかに表わし,ナチ国家との協力を一切拒んだ」と述べられています。

その時以来,他の宗教指導者たちは,威信,権力,富という自分たちの場所にとどまろうとして,残忍な諸政権に協力してきました。ナショナル・カトリック・リポーター紙の一論説は次のように述べました。「アルゼンチンにおけるカトリック教会の度重なる失敗の物語は,沈黙と冷酷な軍事政権との共謀の物語であり,近代史上最悪のものである。……したがって,教会の高位聖職者たちは,思い切ってものを言い,形勢を変えたり,軍事政権から宗教的な大義名分をはく奪したりすることもできる立場にあった。ところが,ほとんどだれも何も言わなかった。軍服を着た聖職者も含め,一部の高位聖職者は,拷問と処刑を支持した」― 1985年4月12日付。

公民権,社会正義

しかし,さきに述べたとおり,別の理由で政治に活発に参与し,重要な役割を果たしているとして大いに称賛されている宗教指導者もいます。

米国の例では,人種差別撤廃を求める長年の公民権運動の指導者であった,バプテスト派のマーチン・ルーサー・キング2世牧師がいます。そのほかに,婦人の権利や特定の少数派を擁護するための闘争の急先鋒となった僧職者もいます。司祭や牧師は,選挙権,同一労働同一賃金,雇用の機会均等などを目指す運動を支持して政治活動に活発に参加するようになりました。ごく最近では,生活困窮者に土地を分配するなどして貧しい人たちを救済しようとして,“解放の神学”が推し進められてきました。

読者は,社会運動や“世俗的人間主義”と呼ばれることもあるような論争を推し進めるあまり,政治に熱中する宗教指導者のことをどう思われますか。僧職者の中にさえ,自分たちの目にする現行の出来事を快く思っていない人がいます。根本主義者のケイス・ゲファルト牧師は,「自分が育ち盛りだったころは,教会は政治に手を出すべきではないと,いつも聞かされていた。ところが今では,関与しないことは,まるで罪でもあるかのように思われている」と述べました。宗教問題の一新聞記者は,「根本主義を奉ずるクリスチャンは,1970年代初期のころから徐々に,政治活動に活発に加わることは義務であると考えるようになってきた」と述べました。

たとえ主義主張が称賛に値するように思えるとしても,僧職者がその行動をどこまで進めているかを考慮して,そのような行動に同意できるかどうか考えてみてください。

解放の神学は何をもたらしているか

ペルーのカトリック司祭,グスタボ・グティエレスは,貧しい人たちの窮状に対処するために“解放の神学”を展開している,と一般に考えられています。この傾向は中南米その他の国々の僧職者の間に広く見られます。英国のマンチェスター・ガーディアン・ウィークリー誌の報道によると,ダーラムの主教は政府の政治理論を攻撃し,「“解放の神学”の運動推進」を勧めました。

その種の神学は,ただ,聖書の勧める,貧しい人々への配慮を強調するものでしょうか。とてもそうは言えません。同ガーディアン誌によると,その主教は,「英国の解放の神学によれば,マルクス主義の見解のあるものがまじめに考慮されるようになる」ことを認めています。これには,マルクス主義の考え方を用いて,貧しい人たちの階級闘争を解釈することが関係しています。結果はどうなりましたか。

ナショナル・カトリック・リポーター紙(1986年7月4日付)には,「ブラジルの土地をめぐる戦いのため教会は国と対決する」という見出しが掲げられました。この紛争の底流となっているのは,ごく少数の「大地主が土地の83%を押さえている」という事実です。僧職者の指揮する大会やデモ行進も,「土地をめぐる戦い」の一部です。それに,「戦い」という言葉がぴったり当てはまります。その記事は,「昨年,土地をめぐる700件余の紛争で,6月11日に暗殺されたブラジル人の司祭で,土地改革の指導者であったヨジモ・タバレシ神父を含め,218人の死者が出た」と報じました。

解放の神学は人気を得つつあります。ニューヨーク・タイムズ紙の社説は,僧職者は派閥政治に関与すべきではないというのがバチカン当局の公式の立場であることを認めましたが,さらに,バチカン当局は「やはり,キリスト教の福音は政治的自由と生活の自主管理を求める貧しい人々の闘争を正当化するものであるという解放の神学の基本的な原理を受け入れている」とも述べました。

カトリックの伝道会であるメリノール会も,「解放の神学と社会主義政策の福音を広めて」きたとして,同様の論調で非難されています。1985年の研究論文である「革命院外団」という本は次のように非難しました。「メリノール会は,暴力革命というマルクス-レーニンの音信を首尾よく民衆に受け入れさせてきたが,それは同会がカトリック教会の腕として働くのを許されてきたからにほかならない。その音信は教会に通う普通の人々だけでなく,アメリカの指導的な政策決定者にも伝わっている」。

神は是認されるか

今日,明らかに宗教は世界中で政治とかかわりを持っています。またそれには様々な理由があります。しかし,神はそのことをどのように感じておられるでしょうか。聖書によれば,神は間もなくご自分の立場をはっきり示そうとしておられます。では,読者とその愛する方々はどのような影響を受けるでしょうか。また,読者の現在の態度や行動とどんな関係があるでしょうか。

[6ページの囲み記事]

「ドイツのカトリック教会は生っ粋のドイツの教会であったから,プロテスタント教会と同じように,ドイツ国家とその権威を支持した」―「ヒトラー配下のドイツの諸教会」。

「ロシア正教会は昨日,その地位を大いに利用してゴルバチョフ氏の軍縮提案を支持した。……同教会は[その提案を]『キリスト教の取り組み方と完全に調和している』と述べた」― ガーディアン紙(ロンドン),1986年4月9日付

[7ページの図版]

人種差別撤廃運動を支持してきた宗教指導者の中でもマーチン・ルーサー・キング2世は有名

[クレジット]

UPI/Bettmann Newsphotos

[8ページの図版]

貧困と不公正のゆえに解放の神学が生み出された

[クレジット]

J. Viscarrs/WHO

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