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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1966
塔66 1/15 61–63ページ

聖書の質問に答える個人的な助け

「聖書をもっと理解できたらなあ」。あなたはこのように言ったことがありますか。誠実に聖書を読む人で,このように言う人は少なくありません。そうした人々は,1世紀の著名な一人物とよく似ています。

その人はエチオピアの女王カンダケに仕える宦官でした。多忙な日を送っていたとは言え,彼が聖書を読まなかったわけではありません。割礼を受け,ユダヤ教に改宗した者として,礼拝のためエルサレムに上った宦官は,帰りの馬車の上での時間を利用し,聖書のイザヤの預言を声を出して読みました。もとよりこれは聖書の朗読に最適の場所ではありませんが,宦官の熱意があらわされています。

神の聖霊に導かれたクリスチャンの弟子ピリポは動く馬車と並んで走り,宦官を会話にさそいました。ピリポは尋ねます,「あなたは,読んでいることが,おわかりですか」。この言葉は宦官の心にひびきました。彼は理解したいと思っていたのです。彼は助けの必要なことをすぐに認め,ピリポが自分の馬車に乗り,今日イザヤ書 53章として知られる部分についての疑問に答えてくれるようにと言いました。ピリポはこれに応じ,さらに進んでイザヤの預言が成就した「イエスのことを宣べ伝え」ました。自分が聞くことの真実さを知ったエチオピアの役人は,神に対する人の責任をはっきり悟り,ためらうことなく浸礼を受けました。―使行 8:27-38。

今日,このエチオピアの宦官と同じような心の人は多くいます。その人々も,聖書が霊感による神のことばであることを信じています。その人々は時おり聖書の一部を読みますが,十分に理解するためになんらかの助けが必要なことを素直に認めます。その中には助力を求めて自分の牧師に近づく者もあります。しかし,牧師は忙しすぎる事が多く,あるいは,そのようなことを気にかけるべきでないと言います。しかし質問者は気にかかります。そして,弟子ピリポがエチオピアの役人に近づいたように,エホバの証人が聖書を論ずるために人々の家をたずねる時,こうした真理を誠実に求める人々は,たずねてきた証人が家にはいり,自分の疑問に答えてくれるようにと言います。エホバの証人は喜んでこの人を助けます。

全世界で活動するエホバの証人は,昨年,このような奉仕のために総計1億6200万時間をささげました。聖書の質問をする人々を個人的に助けるため,喜んで5600万回近くの再訪問をしました。そして74万1000以上の家庭を定期的に尋ね,多くの場合は毎週1時間ずつ,その家族が神のことばを理解するのを助けました。神と仲間の人間に対する愛に基づき,これらはすべて無料で行なわれました。

学ぶことがら

そうした週毎の聖書の論義を,家庭で恐らくは1年間つづけて,人はなにを学ぶのですか。こうした論議の基礎として,聖書とあわせて用いられる手引書の一つを見るなら,どんな事柄を学ぶかが理解できるでしょう。1965年の夏に開かれた「真理のことば」地域大会において,エホバの証人はこうした活動に使う新しい書物を受け取りました。それは美しいさし絵のはいった416頁の本,「神が偽ることのできない事柄」です。この本は英語地域の多くですでに使われており,翻訳がすみ次第,他の言語の奉仕者たちにも利用されるようになるでしょう。

聖書とこの本を使うエホバの証人は,関心のある人々と共に,「神は生きている! どうしてわかるか」,「どの宗教の聖典が真理か」などの論題を取り上げます。ついで聖書全編の内容を要約します。ここでは聖書の主要な考えが明白にされ,それがどのように互いに関連し,神の目的を明らかにしているかが示されます。

以上の事柄を基礎としたのち,だれでもが疑問とする事や聖書の問題点に注意が向けられます。たとえば次のような問題です。宇宙と生物,また人間と霊者はどのようにして存在するようになったか。聖書に従えばたましいとはなにか。そのたましいは死ねばどうなるか。人はなぜ死なねばならないのか。いつまでもそうか。復活に関する聖書の約束は,すでに死んだ人々と実際に再会できるという意味なのか。どこに復活するのか,天か地上か。その時どんな有様が見られるか。ヘブル語聖書すなわち「旧約聖書」の預言や,アブラハム,モーセ,ダビデなどに関する記録は今日の私たちに何を教えるか。神はひとつか,それとも三つでひとつか。私たちはモーセを通して与えられた律法を守らなければならないか。十戒についてはどうか。安息日はどうか。神はなぜ悪の存続を長い間許してこられたのか。不正は終わるか。いつ? そのことをどのように確かめられるか。これらは取り上げられる問題の数例であり,いずれも納得のゆくように答えられます。

定期的な家庭聖書研究

エホバの証人は,どこの家庭においても神のことばに定められた原則にしたがって,聖書の論議をすすめます。たとえばガラテヤ書 6章6節は,「御言を教えてもらう人は,教える人と,すべて良いものを分け合いなさい」と述べています。それゆえ,論議を導く奉仕者は自分ばかりで話さず,家族の人々の注意を学ぶ知識に向け,各自が自分の理解したところを述べるようにすすめます。

こうした家庭聖書研究に加わる人に望まれるのは,一人一人が自分の聖書と聖書研究の手引書とを持つことです。論議に先だって学ぶところを読み,さらに,大切な考えに傍線を引いておくことも望まれます。こうする人は早く進歩します。前もって学ぶところを読み,要点を理解している人に対しては,訪問する奉仕者も基本以上のことを説明できるからです。

この種の家庭聖書研究が,すでに読んで覚えた事柄の単なる復習でないことがおわかりでしょう。まず,学ぶ者にとってはほとんど新しいことばかりです。それゆえ,他の人と討議することによって,見落としたところがないかどうかを確かめられます。人々が日常読む事柄の中には数日にして忘れられるものが多くありますが,このような家庭聖書研究によって大切な点をしっかり心にとめることができます。

しかしそれ以上に,学ぶ事柄は理解されるのですか。本にある答えを復唱できても,それを十分に理解しているとはかぎりません。聖書の箴言 4章7節に次のような助言があります,「知恵を得よ,あなたが何を得るにしても,悟りを得よ」。この言葉どおりにしているなら,基礎的な考えだけでなく,なぜその考えが正しいのかをも知るでしょう。また新たに学んだ事柄とすでに知っている事柄との関連を知り,それが自分の生活にどう影響するかをも知るでしょう。さらにまた,学んだ事柄を実際に応用して,自分と他の人々の益をはかる方法をも学ぶでしょう。

研究の時間は,本の中の参照句を聖書から読み,学んでいる事柄との関係を考えるためにもあてられます。こうして人は自分の聖書の内容に通じ,種々の問題に答える聖書の言葉とその前後の文脈とを理解するようになります。聖句の場所を知って,同じ聖句を再び引用できるようにもなります。また,聖句に対する注解のしかたをも教えられ,同じことを他の人に説明できるようになります。

理解が進むにしたがって,感謝の心も深くなるでしょう。頭に知識を入れることだけでは不十分です。心からの感謝も大切です。霊感による箴言に次の言葉があります。「すべてのまもるべき物よりもまさりて汝の心を守れ,そは生命の流これよりいづればなり」。(箴言 4:23,文語)これは身体的な面にもあてはまりますが,それ以上に霊的な面にあてはまります。私たちはエホバに対する強い愛と,エホバがそなえられたものに対する深い感謝を持たねばなりません。良いことを愛し,悪いことを憎むようにならねばなりません。これには時間がかかり,本をいそいで読んでも得られません。しかし,神のことばの真理を毎週討議し,それをゆっくり考えるにつれて,学ぶ真理は人の生活を動かす力となります。これはエホバの証人が司会する定期的な家庭聖書研究の益です。

エホバの証人は,可能なら,家族の全員がこうした家庭聖書研究に加わることをすすめます。これは家族を一致させることになり,家族の一致は今日の危急な時代においてきわめて大切です。伝説,儀式,寄付などを重視する宗教に関心をもたない人がいるのは事実ですが,そうした人々の多くも理性的な聖書の論議を喜ぶでしょう。また,聖書に書かれていることが実生活の経験と一致していることを認めるでしょう。自分の疑問について納得のゆく聖書の答えを得るなら,そうした人々は応ずるでしょう。また,聖書の原則を適用することが家族のきずなを固くすることを知るなら,自分の家族がそうした教訓を得る機会を率先して求めるようにもなるでしょう。

もとより,神の目的に関心をもつ人が家族に一人しかいない場合もあります。その場合でも,その一人の益をはかり,家族の他の活動を妨げない時間を選んで個人的な家庭聖書研究が取りきめられるべきです。エホバの証人はそのような人をも喜んで助けます。やがて,家庭聖書研究を取りきめることの益を見て,家族の他の者が関心を持つようにもなるでしょう。

しかし,なぜ?

これらのことは一体なんのためにするのですか。エホバの証人はなぜこのような家庭聖書研究を無償で申し出るのですか。

それでは,第1世紀のイエス・キリストの弟子たちは,『行って,宣べ伝えよ』とのイエスの言葉になぜ応じたのですか。(マタイ 10:7)エホバの証人は聖書を信じ,そこに緊急な音信があることを知っています。また,聖書を学び,それに従って行動することに永遠の命がかかっていることを知っています。エホバの証人は,全人類のために,永遠の命を可能にされたエホバ神の愛に対する感謝の心に動かされ,同じ希望をとらえるようにすすんで他の人を助けます。今日,全世界の190以上の土地で,エホバの証人が聖書の質問に答え,あらゆる人々に個人的な助力を申し出ているのはこのためです。

あなたが,聖書にあるエチオピアの宦官と同じように,神のことばを理解したいと思われるなら,宦官と同じ精神をもって下さい。エホバの証人が戸口にたずねてくるなら,それを喜んで迎えなさい。その人々にあなたの聖書の疑問をたずねてごらんなさい。毎週1時間ずつあなたの家をたずね,神のことばの理解を助けることをエホバの証人に求めなさい。

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