「福音」大会に出席して何を学びましたか
聖書のヘブル書 10章24,25節にも命じられているとおり,エホバの証人は老若を問わず,喜びのうちに大会に集まります。それで,幾十万もの人々が長途の旅をもいとわず,「すべての国の民に対する福音」大会の一つに出席したのです。昨年7月と8月中,北半球では25の土地の120あまりの都市でそれらの大会が開催され,彼らは群れをなして集まりました! 出席者数はほとんどの土地で,前年より10ないし30%多く,合計,92万8756人でした。
これらの大会には若い人々も数多く出席しました! 一般の報道機関もしばしばこの点を報じ,証人たちの間には『世代の隔たり』がないことを指摘しました。それで,(デンマーク最大の日刊紙の一つ)B・T紙は,多数の若い証人たちとの会見記を載せ,聖書,道徳,結婚,服装その他に関する彼らの見解を報じ,その紹介のことばは一部次のとおりです。
「それは老人のための事柄ではない。比較的に若い夫婦や独身の人々,青年男女,10代またそれ以下の子供たちなど大勢の人々が出席して,年上の者たちの話や聖書の説明にみな落ち着いてじっと耳を傾けている。エホバの証人の間には若者の反逆は見られない。彼らを固く結び合わせているものは,一言でいえば,真理である。それにしても,青少年の心を完全にとらえ,その生活態度を完全に変えさせ,また,同じ年齢の他の若者とほとんどすべての点で異なった生き方をさせるほどに強力なその真理とは,いったいどんな種類の真理であろうか」。
これら若い人々の大会に対する認識のほどは,彼ら自身も携わるプログラムの一端にも伺えるとともに,喫茶,食堂,清掃など色々な部門でのその熱心な働きぶりや協力にも示されています。さらに大会に出席するために払われた努力にも表われています。全部の親たちが家族全員を大会に出席させるだけの余裕があるわけではないからです。アイルランドの,7歳と8歳になる二人の少年は,木を切って,たきつけを作り,それを売って,大会に行く旅費を生み出しました。アメリカ,ワシントン州の一部の少年たちは,漁師が使う大みゝずを何千匹も取っては,1匹1セントで売り,大会への旅費を補いました。ニューヨーク市ブロンクス地区の十代の少女たちは,学校を終えたのち夜に子守りをしたり,一少年は新聞配達をしたりしてお金を貯え,それぞれワシントン市での大会に出席しました。
この大会に出席した人がすべて,特別手当とでも言える数多くのさゝやかな祝福にあずかったことは確かです。楽しい食事をとり,兄弟たちや長年の友人に会ったり,新しい友人を見いだしたり,賛美の歌に声を和したりしました。しかし,より大きくて重要な霊的祝福にあずかることを考えれば,こうしたさゝやかな事だけで満足したのでは,まちがいでしょう。大会に出席した人は,プログラムからどれほど多くを学びましたか。あなたはどれほどの益を得ましたか。それで,大会のプログラムを一日ごとに簡単に復習し,顕著な点を心にとめるのは有益なことでしょう。
第一日
大会は,「『福音』により私たちは集められた」と題する歓迎のことばで始められ,話し手は開口一番こう尋ねました。「もし福音のために生きるのでなければ,あなたは今どこにいるでしょうか」。そして次のように続けました。「皆さんの中のある人々は生きてさえいなかったかもしれません。わたしたちはこの福音によって生活を変え,心の平安と安全を得ました。生きるための何ものかが与えられたのです。この大会で備えられる充実した霊的な食物を注意深く取り入れるとき,この大会はクリスチャンとしてのあなたの生涯の里程標となるに違いありません」。
次は,「神が私たちになさった事を感謝する」と題する司会者の話でした。なかでも話し手は小さなトランジスタから外洋航路の巨大な客船まで作り上げた人間の手や,映画の撮影機の見事に作られた球状の小さな二つのレンズに似た人間の目など,創造の驚異の数々を指摘しました。また,数多くの霊的な祝福についても述べました。その主要なものの一つは,人類の贖い主として与えられた神の御子です。それは,神のなさった事柄に対する認識を深めさせるすばらしい話で,大会の初日を飾るすぐれたものでした。
次は,「あなたは自分の生命をどのように用いていますか」と題する,劇を含むプログラムで,これは多大の成功を収めました。そして,クリスチャンの,社交的な集まりの際に聖書の特定の個所を,一度に二,三節ずつ読んで討議すれば,霊的に有益な時を過ごせることが示されました。また,家督の権を軽んじたエサウは,自分の相続するものに対する認識に欠ける今日の一部のクリスチャンにとって警告となることが示されました。(マタイ 25:34)そのうえこの劇は,アブラハム,イサク,ヤコブそしてエサウのことを,かつてないほど生き生きと聴衆の心に印象づけました。アブラハムがイサクをさゝげる場面を描写した感動的な部分では,聴衆の多くが目に涙を浮かべました。
晩のプログラムは全時間の開拓宣教に携っている若い人々の興味深い経験やりっぱな話で始まりました。なかでも次のような典型的な感想が述べられました。「単に開拓奉仕をしたいと希望するだけではなく,開拓奉仕をする決意が必要なことを知りました」。「開拓奉仕をすれば,多くの人々を献身に導く深い喜びを味わえます」。高校卒業後,開拓奉仕をするために,大学で学ぶための奨学金を断わった経験が話されたのは一,二の大会にとどまりません。
これらの話の次に行なわれたのは,「宣教に加わる若者は何をしていますか」と題する2時間の劇でした。およそ30人の配役がそれぞれみな自分のせりふに従って話し,物質主義のわなや淫行への誇惑など,宣教に携わる若いクリスチャンが直面する問題と,それらに首尾よく対処する方法が率直かつ劇的に取り扱われました。現実の生活で起こる事柄をおもに取り上げたこの劇では,子供を助けるために親は何を行なえるかが強調され,話し手は親に向かって力強くこう告げました。「あなたの子供が単に集会に出席し,伝道に行くだけでは不十分です。子供がなぜそうするかをご存じですか。子供がいったいどんな見方を持ち,どんな志望をいだいているかをご存じですか。子供にとって本当に興味のあることが何かを知っていますか」。そして次のように結びました。「子供はあなたの手の中にある粘土です。誉れある用途のための器としてエホバにより形作られるのを助けることもでき,また……現在の体制のなすがまゝに不名誉な用途の器として形作られるよう放置することもできます。あなたはそのいずれかを選ばねばなりません!」
第二日
大会の二日目,金曜日の朝には,「『福音』にこたえるバプテスマ」と題する浸礼の話が行なわれ,次の諸点が説明されました。献身は清い良心を得るための要求であり,献身するのは,永遠の命に通ずる賢明な行ないで,神がわたしたちのために行なわれた事柄に対する感謝の心からすべき愛の行為です。しかし決して取り引き契約ではなく,むしろ,神への信頼に基づく無条件降服です。そして119の大会で合計1万7613人の人々がバプテスマを受けました。
この朝バプテスマを受けた人々の幾人かの述べた興味深い経験に続いて,金曜日午後には,マタイ伝 11章28-30節に基づく話が行なわれました。この世のくびきと荷は,はびこった利己主義と悪のゆえにか酷で重く,人間の罪のために,罪の重荷は苦しいものであると示されました。しかし献身のくびきと荷は,エホバ神とイエス・キリストが愛と分別のある主人であられるゆえに,軽くてにないやすいものです。そして信仰,従順,正しい考え方,クリスチャン兄弟との交わりによってその荷はいっそう軽くなります。
次の話は,「将来の試練に対していま備えをしていますか」と題するものでした。どのように備えられますか。自分の考えの制し方を学び,良い研究の習慣を身につけ,国家主義,性的不道徳,物質主義,御国の音信に対する無関心などから生ずる現在の種々の試練に首尾よく対処することによって備えられます。娯楽も選択することが大切です。「テレビを見過ぎるなど,自分の霊の思いを弱めることは退けなさい」と聴衆は勧められました。
次の話し手は,「『福音』の伝道者をさらに必要としているのはどこですか」と題する話をしました。人口5000人につき御国の伝道者ひとりの比率の土地はまだ多く,ある土地ではその比率が84万人にひとりですから,昔のマケドニア人の声は今も響いています。もしこの声を聞いて,答え応じるなら,あなたは豊かな祝福にあずかれます。しかし慎重な計画はきわめて大切です。遠い外国に行けないなら,あなたの住んでいる国の中にも,必要の大きなところがあるかもしれません。(使行 16:9,10)この話に続いて,「偽りの宗教のない世界にかんする『福音』」と題する,大会の基調をなす力強い話が行なわれました。この話の全文は,当「ものみの塔」誌に掲げられています。
この話の終わりに,「とこしえの命に導く真理」(英文)と題する聖書研究のための新しい手引きが発表されました。これは192頁のポケット版の本です。その内容について,デンマークから寄せられた1通の感謝の手紙は一部こう述べています。
「それは読者あるいは研究生の心を最初からひきつけ,考えさせます。それは特定の問題とともに,問題に対する読者の態度の両方を論じています。そして,論じられている資料に関して,多くの決定を下すように読者に訴えており,これは読者が真理にはいる助けとなります。結局のところ,この本を研究し終えたのちに一つの決定を下しただけで真理にはいれるのではなく,知識が増すにつれて,多くの決定を下した結果,真理にはいれるのです…この本とその研究予定は,これまでに与えられた助けの中でも最も時宜を得たものの一つと言えます」。
これらの大会にかんする発表を載せた1968年4月15日号「ものみの塔」誌はこう述べました。「金曜日には皆さんを喜ばせると同時に驚かせるものが用意されています。それは今後何年もわたしたちが行なうわざに,大きな影響を及ぼす事柄です」。「驚かせるもの」に含まれていたのは,新しい本だけではありません。6か月の聖書研究計画が含まれていたのです! この新しい本は研究生自身に考えさせるようにできているため,約6か月で研究し終えるまでには,何らかの行動を起こすよう研究生の心を動かすに違いありません。研究生が,取り入れる知識に従って行動することもないまゝに何年も研究司会をすることはもはやありません!
晩のプログラムは聖書研究で成功した経験の話で始まりました。アメリカのメーン州ルーイストン市の大会では,この点できわめてまれな「成功談」が発表されました。二人の特別開拓者は,10人の成人と,その何人かの親たちが比較的短期間に神の真理の側に立つのを助けたいきさつを話しました。それはいわば連鎖反応のようなものでした。そして,その中の10人が順番に演壇に呼ばれました。12人の人々が過去8か月間にバプテスマを受けたとのことです。
次に,聖書研究のための新しい手引きの多くの顕著な点を取り上げたプログラムがあり,この本を一般の人々にどのように提供するかが論じられました。この本には,たいていの人の知る必要のある,またきわめて興味深い問題がわかりやすく論じられています。その論調は親切ですが確固としたものがあり,論議は次から次に展開され,事態の急を告げる響きを伴っています。また,クリスチャンの行為や家庭生活にかんする助言,および人工中絶や心霊術などの慣行にかんする聖書の見方を示しています。
未信者の配偶者を持つ人々すべてにとって特に興味深かったのは,「分裂した家庭を一致させる」と題する次のプログラムでした。そして,自ら忠実を保ち,不信者が信者となるのを助けるという聖書的な責務の二つの面が,思いやりのある仕方で明確に説明されました。その実演は,やさしい心づかいと巧みさ,そして妥協を拒むことの大切さを示しました。「悪口を受けるのは,与えるよりもまさっている」と述べられ,「クリスチャンの妻にとって,従順は,神の国の福音の伝道と同様に大切な要求です」とさとされました。どのようにすれば,家庭の分裂を初めから回避できますか。聖書の討議に最初から夫婦二人を含めること,また,「ただ主にある者」とのみ結婚することによって回避できます。
第三日
土曜日午後のプログラムではまず最初に,何人かの監督が,集会の出席者数を増加させることに成功したいきさつを経験として話しました。幾つかの会衆では出席者数が伝道者総数の100%を優に上回っています。十分の練習を行ない,会衆の事情に合わせた内容のプログラムを用いて集会を開き,群れの書籍研究で集会の出席を強調し,また,大多数の人の都合の良い時間に集会を開く,その他のことを行なって成功しています。
これらの経験に続いてなされたのは,「すべての守るべきものにまさって,あなたの心を守りなさい」と題する熱心な話です。健全な心臓がからだの健康にきわめて肝要であるように,霊的な心臓,つまり感情,動機,欲望の中心である健全な心は,健全な霊的健康に不可欠です。どんな欲望を培うか,またその度合は,どのように知識を取り入れ,また矯正に服するかによって左右されます。正しい欲望であれば,適度に満たせますが,不正な欲望は除去あるいはきびしく制御しなければなりません。悪い欲望は心の中に生じます。それは,あれこれと欲しがってだだをこねる幼い時期に生じます。健全な心を持たない者はみなハルマゲドンで滅ぼされるでしょう。
「善悪をわきまえるよう訓練をつむ」と題する次の話はすぐれた助言を与えました。確かにクリスチャンは善悪をわきまえていなければなりません。それには聖書の原則の十分な知識と健全な考え方が必要です。このプログラムで行なわれた興味深い幾つかの討議により,クリスチャンは婚約を重大な事柄とみなし,タバコをのむのは不潔で,賭博は利己的な行為とみなすべきこと,その他が示されました。土曜日午後のプログラムは,「『エホバをおのが神とする国民』の幸福」と題するすぐれた話で結ばれ,エホバの民が心ゆくまで幸福を味わえる理由を思い起こさせました。この話の全文は,当「ものみの塔」誌にまもなく掲載されます。
土曜日晩には,首尾よく子供を育てた親たちが経験を述べました。それらの親は,子供と一緒に定期的に聖書を研究し,集会や大会のすべてに子供を伴い,また,聖書のゲームをしてひとときを過ごし,なかんずく,全時間宣教の目標を子供の心にいだかせました。なかでもきわだった経験は,フランスのレンヌ市の大会で語った,農業を営む父親の話です。その6人のむすこのうち,二人は家庭を持つ監督で,独身の4人のむすこのひとりは,ものみの塔協会のフランスの支部事務所で奉仕し,別のむすこは巡回のわざに携わり,他の二人は特別および正規開拓者として奉仕しています。また,3人の娘のうち長女は,かつて特別開拓者でしたが,今はりっぱな一監督の妻となり,他の十代の娘たちは休暇開拓者で,一番下の娘は研究を自分で司会しています。
こうしたすぐれた経験の話ののち,「エホバの道は勝利の道」と題する2時間の感動的な劇が行なわれました。それは,最初,退けられたエフタがのちにイスラエルの裁き人に選ばれたいきさつや,エホバの崇拝に戻ったイスラエル人をアンモンのくびきから首尾よく解放した物語を描いた劇で,これらの出来事に相当する現代の事柄も説明されました。それは,現代のアンモン人つまり政治支配者がエホバの民を圧迫し,またその民は「エフタ」を選び,つまりイエス・キリストの下で神権的な指導を受け入れ,その後,エホバによって勝利の与えられたことを示すものでした。また,ドイツのナチの手による迫害やアメリカのカトリック・アクションの圧迫に直面したエホバの民の,緊迫した感動的な情景も含まれていました。多くの大会では,出席者全員に見てもらうため,この劇は2回上演され,また他の大会では第2会場の聴衆が閉回路テレビでこの劇を見ました。
最後の日
朝,その日の聖句の討議を行ない,祈りをささげたのちに,「互いに徳を高める」と題する心暖まる話がありました。それは,「生死を左右するほどの力が舌にある」ことを強調する話でした。使徒パウロが模範を示したように,正しく用いれば,舌は聞く人に命をもたらしますが,古代イスラエルの10人の斥候のように,誤った仕方で用いると,死をもたらします。確かに,舌を用いて徳を高めることもできれば,そこなうこともできるのです。からかったり,不平をこぼしたりすることは避けてください。それは徳を高めることではありません。会話を正しい方向に導いてください。どんな話題にしても,それに関係する聖書の原則に注目すれば,徳を高める話にし得ます。このことを行なっているのは「目ざめよ!」誌です。その手本に従い,率先して,徳を高める会話をしてください。時にはわずかひとことを必要とする場合があり,だれかがそのひとことを話さねばなりません。特に家族内では互いに徳を高め合う多くの機会に恵まれています。また,行ないで互いに徳を高めることもできます。病気や身体障害の人を見舞う場合,よく気を配って,励ましのことばを述べる以上のことをしてください。何かしてあげられることがありますか。食器を洗い,洗濯をし,買い物をしてはいかがですか。困っている時に,こうしたことをしてもらえば,心が強められます。
「平和に役立つことを……追い求めなさい」と題する話もまた大変実際的なものでした。真の平和とは,物事が自分の思いどおりに進んでいるときの快い気持ちよりもはるかに深いものです。わたしたちは不完全ですから,いつも互いに接していると,あつれきが生じて,ともすれば,平和な関係が脅かされそうになります。口論が生じたなら,全力を尽くしてやめさせようとしますか。実際のところ,平和を追い求める力は,エホバとの平和をどれほど求めるかにかかっています。清い良心を持ち,精神的な緊張をさけるなら,他の人の不完全さのゆえに生ずる緊迫した状態に耐えられるでしょう。不当な自尊心を持つと,平和を追い求めるのが困難になりますから,平和のために謙遜になってください。
「いっそう深く心にとめなさい」という題の次の話では,物事を心にとめる能力は正しい方向付けを必要としていることが示されました。わたしたちはこの能力を働かせて,神への愛を表わせます。心にとめるとは,心を向けることです。心にとめる物事から影響を受けないでいることはできません。それで,心にとめる物事を選択しなければなりません。日常生活の事柄もある程度は心にとめねばなりませんが,深く心にとめねばならないのは神のみことばです。集会では,パウロのことばに心をとめたルデヤのようになりましょう。
昔の衣装をつけて行なわれた,「あなたは自分をささげますか」と題する聖書劇で午前の部は終わりました。それはエフタの娘が父の誓いに喜んで従い,おとめのまま宮で仕えたことを題材にした劇です。この感動的な劇は多くの聴衆の涙をさそうものでした。それに相当する現代の事柄も説明されました。つまり,エフタのような油注がれた「残れる者」は,自分たちの勝利の実である「他の羊」の大ぜいの群衆を,エフタが娘を宮の奉仕にささげたと同様にさゝげるのです。そしてこの劇は,全時間の宣教に自らをさゝげることを若いクリスチャン奉仕者に勧めることばで終わりました。この訴えのことばの一部は,最後の軽快な歌の中でも歌われましたが,その一節はおよそ次のような意味でした。
今日自らをさゝげなさい
全時間の御国奉仕に
宣教者の隊伍に加わって
いつまでも歩み続けなさい
野外は刈り入れの時を待ち
働き人を召す声は響く
自分自身をさゝげなさい
開拓奉仕にはいりなさい
これらの大会の最高潮を成す主要な話として広く宣伝された公開講演は日曜日の午後(賛美の歌のすぐれたプログラムののちに)行なわれ,「人間の指導にかわってまもなく始まる神の指導」と題する福音が論じられました。この講演の全文はすでに1月1日号当「ものみの塔」誌に掲載されました。この講演の出席者数は合計約92万5000人でした。
短い休憩ののち,大会のもう一つの貴重な話である「閉会のことば」が述べられました。アメリカの三つの大会では,ものみの塔協会のN・H・ノア会長がこの話を行ない,「1968奉仕年度は驚くべき年になりました!」と出席者たちに語りました。「福音」の伝道にこれほど多くの人々が携わったことはかつてありません。昨年4月には,一昨年の平均の10%増加に相当する120万4288人の伝道者最高数を見ました。そして雑誌や本はこれまでにないほど数多く配布され,とくに「進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか」(英文)の本の配布はまさに驚くべきものでした。メキシコ,ブラジル,エクアドルなどその他多くの国々では20%以上の増加が見られ,鉄のカーテンの背後の土地でさえ4.5%の良い増加が得られました。
また,1969年の国際大会の諸計画も説明されました。アメリカとカナダで合計六つの大会が開かれ,(今では,カナダのトロントで7月6日-13日まで行なわれるものを含めて七つの大会となり)他の多くの大会がヨーロッパその他の地域で開かれます。外国の任命地で働く宣教者の大多数は,各自の故郷に最も近い土地の大会に招待されますが,このことはワシントン市の大会で発表されました。結びのことばとして,1969年の大きな仕事は,「とこしえの命に導く真理」と題する新しい本を用いるわざであることが指摘され,話し手はこう述べました。「時は縮まっています。聖書研究を司会して,人々が大いなるバビロンからのがれるのを助け,また,自分の個人的な研究をするのはきわめて大切なことです。あなたの生活からこのことを押しのけてはなりません。この大会は,あなたの歩むべき道を示しました。勇気を出し,忙しく働き,前途の日々を,エホバの御名の賛美の毎日にしてください。イエスのことばのとおり,『あなたがたは身を起こし,こうべを上げなさい。あなたがたの救いが近づいているからで(す)』」― ルカ 21:28,新。
そして,感謝を表わす賛美の歌,「エホバよ,われら感謝せん」をともに歌い,願いと感謝の祈りがささげられ,こうして「すべての国の民に対する福音」地域大会の幕は閉じられました。これらの大会のプログラムは豊かな霊的祝福で本当に満ちあふれたものでした。「これまでの最善の大会!」ともう一度評するのにまさにふさわしい大会でした。(大会にかんする報道その他の事柄をさらに知りたいと思われるかたは,「目ざめよ!」誌1969年2月8日号をごらんください)
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父の誓いについて聞かされたエフタの娘,ブラッセルの大会での劇の場面