ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔70 6/1 328–331ページ
  • あなたはご自分の学んだ事柄に関して何をしておられますか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • あなたはご自分の学んだ事柄に関して何をしておられますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 聖書の研究のもたらすすぐれた報い
  • あなたはどんな進歩をとげておられますか
  • 学んだ事柄を適用しておられますか
  • 集会に出席していますか
  • あなたは他の人に良いたよりを分かち合いますか
  • 銘記すべき要点
  • 彼らは学んだ事柄を実行している
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
  • あなたは6か月間聖書を勉強しましたか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
  • 宣教を真剣に考えることによってもたらされる祝福
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
  • 人々を弟子とする緊急な業に関する漸進的な考え方
    わたしたちの王国宣教 1998
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
塔70 6/1 328–331ページ

あなたはご自分の学んだ事柄に関して何をしておられますか

1968年6月のこと,ものみの塔協会の刊行した,「とこしえの命に導く真理」と題する本を読んだ人々から,感謝の手紙が送られてきたかどうかを尋ねられたある事務員は,感激にあふれる返事をしました。その本は,普通では考えられないほどの深い感謝の気持ちで受け入れられたのです。

寄せられる関心がたいへんなものだったので,その本の在庫を確保するのは容易なことではありませんでした。この本は最初のわずか1年半の間に,31か国語に翻訳され,2,309万5,000冊も発行されました。すでに,西洋では,聖書を別にすれば,これだけの発行部数を持つ本は他にありません。しかも,これはほんの始まりにすぎないのです。

読者の反応は好意的なものが圧倒的で,次のような賛辞が寄せられています。「『真理』の本は知識の宝庫です」。「目をみはらされるような本です」。「聖書に関して読んだ本の中では最善のもの」。「真の宗教と偽りの宗教との違いがわかる本」。「資料の提供の仕方がたいへん明りょう,かつ適切であり,わたしはエホバに仕えるよう自分の生活を調整しないではいられませんでした」。「これこそ真理です!」

「真理」の本はただ読んで楽しむためだけに書かれたのではありません。もっとも,読むだけでも十分楽しむことができますが,この本は何よりも聖書研究の手引きです。多くの宗教があるにもかかわらず,信仰の欠如した今日の世界にあって,真の宗教とはどんなものであるかを明らかにするのがその目的です。この本は,神を崇拝する正しい仕方を聖書から説明しています。この本はわかりやすく,明りょうで,しかも要領をえた仕方で書かれていますから,誠実な読者であれば,自分の宗教あるいは崇拝の仕方が正しいかどうかを確かめることができるはずです。

しかし,この本の最も顕著な特徴は,なんと言っても,それが家庭聖書研究と家族の聖書研究に適している点でしょう。事実,エホバの証人は一般の人々にこの本を提供する際,それを印刷代の寄付で求めるかたに,その家でこの本を用いる,6か月間の組織的な無料の聖書研究をすすめています。今日に至るまで,文字どおり何十万もの人々がこの取り決めを利用し,豊かな益を得ています。

聖書の研究のもたらすすぐれた報い

聖書を研究すれば,生活がそれによって良い方向に変化するという祝福が得られます。(ヘブル 4:12)たとえば,ある婦人は「真理」の本を3度勉強しただけで,「霊と真理とをもって」神を崇拝しなければならないことに気づきました。(ヨハネ 4:23,24,新)その婦人は特に次のような聖句に注意を引かれました。「偶像から身を守りなさい」。「偶像を拝することを避けよ」。(ヨハネ第一 5:21,新。コリント前 10:14)その次の週,彼女は,家族全員が長年拝んできた宗教画を壁から取りはずしました。なぜそんなことをしたのですか。その婦人は次のように答えました。「神だけを崇拝しなければならないからです」。―マタイ 4:10。

教会のいろいろな行事をたいへん活発に支持していたあるカトリックの婦人は,司祭のところに行って神のお名前を使うことについて質問しました。婦人はそのときの様子をこう話しました。「司祭は神のお名前がエホバであることを認めました。しかし,それを使わなくても良いということでした。彫像,肖像メダルについて尋ねてみましたら,それはみんな迷信だ,と答えました。司祭はわたしに聖書を読むことをすすめてから,こう言いました。『聖書には力がある。エホバの証人になることで,イエス・キリストへの愛が心にわくなら,ぜひそうすべきです』。2週間後,わたしはローマ・カトリック教会から完全に脱退しました。偽善的な崇拝の仕方はできないと悟ったからです」。

ある日曜学校の教師は,「真理」の本を数回勉強した後,彼女の教会の牧師のところに行ってエホバの証人になりたいと伝えました。そして,日曜学校の教師の職を辞退し,自分の名前を教会の会員名簿から除くように依頼しました。彼女の主人も自分の名前を除いてもらいました。

ある麻薬常用者は他の6人の中毒患者と共同生活をしていたときに,エホバの証人のひとりの奉仕者と聖書の研究を始めました。彼はこのように語っています。「わたしたちの生活はすばらしい変化を遂げました。今の生活の1時間に比べると,麻薬によるいわゆる『霊的体験』はまったくむなしいものです。もう8か月になりますが,妻もわたしも,神権宣教学校と野外奉仕に参加しながら,近くバプテスマを受けることを心から待ち望んでいます」。

これらは,聖書研究のもたらす驚くべき益を示す,数多い実例のほんのわずかにすぎません。しかし,それらの人々が益を刈り取る前に,霊的な成長を遂げることが必要でした。研究生各人は,自分の生活を神のみ心に一致するものにしたいという誠実な願いを表わさねばなりませんでした。そうしてはじめて,祝福が得られるのです。

あなたはどんな進歩をとげておられますか

あなたの場合はいかがですか。「とこしえの命に導く真理」の本を求めた後,その本に関して何を行なわれましたか。その本をすでにお読みになりましたか。それはたいへん良いことです。きっと楽しまれたことでしょう。しかし,その本の価値はそれだけで終わりではありません。その本は神の御心と目的にそった生活をする人に,聖書が約束している輝かしい報いを差し伸べています。それは,今のあなたに対する豊かな幸福と,将来における永遠の命とを意味しているのです。―ヨハネ 17:3。

もし「真理」の本を用いて聖書研究を行なっておられるのでしたら,あなたの進歩の状態はいかがですか。学んでいる事柄に満足を覚えておられますか。あなたの生活は変化しましたか。クリスチャンの使徒パウロは,学んだ事柄を熟考するよう若いテモテにすすめました。「あなたの進歩がすべての人に明らかになるよう,これらのことに専念しなさい。自分と自分の教えとに絶えず注意を払いなさい。これらのことを行ない続けなさい。そうすることによって,あなたは自分自身とあなたのことばを聞く者とを救うことになるからである」。(テモテ前 4:15,16,新)あなたは霊感を受けたこの助言に従っておられますか。すでに学んだこと,現に学んでいる事柄を熟考しておられますか。それらの事柄が,あなたとあなたの生活態度に関してどんな意味を持っているかを一心に考慮しておられますか。これらは重要な質問です。なぜなら,神のみことばの真理がその人の生活にどの程度の影響を与えているかを明らかにするものだからです。―コリント後 13:5。

聖書研究による霊的な進歩が思うようでない場合,なにが問題となっているのでしょうか。その人自身の関心の深さと予習に問題のある場合がよくあります。答えとなる個所に傍線を引き,理解した内容をどのように自分のことばで表現しようかと考えながら予習をしないかぎり,速く進歩することは望めません。若い夫婦とその家庭で聖書研究を始めたある奉仕者はこう述べています。「この夫婦は,毎週注意深く研究し,わたしとの研究に備えて,前もって二人で資料を討議し合いました」。その夫婦は霊的な面で速く進歩しましたが,それは当然なことと言えるでしょう。

エホバの証人の奉仕者が,人々の家庭で聖書研究を司会するために時間と奉仕を無償でささげるのは,そうした研究を望まれるかたが真の神エホバを誠実に崇拝し,かつ仕えたいと希望しておられることを信じているからです。しかし,もし研究生が予習をしないなら,奉仕者はどう考えるでしょうか。その人が誠実な人であると,どうして信じられますか。研究生は,自分のために奉仕者が払っている努力と犠牲に十分感謝していると言えますか。宇宙の創造者に関して学ぶという,まれに見るとうとい特権を研究生が認識しているかどうかさえ疑わしくなります。どうも進歩がおそいと思うかたは,こういう点について反省してみてください。それらのものを一心に考慮してください。

人々が心から聖書研究にこたえ応じるなら,奉仕者にとってこれほど楽しいことはないと言えるでしょう。奉仕者は,他の人々が霊的な事柄を理解するのを助けるという特権に,文字どおり心の踊るのを感じているからです。研究生が予習し,自分のことばでどんどん注解するとき,なんという喜びを味わえることでしょう。なぜなら,それは関心のある証拠であり,進歩と霊的な成長を反映するものだからです。―テサロニケ前 1:6,9,10。

学んだ事柄を適用しておられますか

理解できないというよりも,学ぶ事柄を生活に適用しようという意欲が欠けているために,進歩がはばまれている場合がよくあります。神のみことばが生活の仕方と深い関係を持つことに気づかないのです。あなたは神のみことばから学ぶ事柄をご自分の生活に適用しておられますか。そうしなければ,進歩はほとんど,いいえ,まったく望みないことを銘記してください。「[息]なきからだの死にたる者なるがごとく,行為なき信仰も死にたるものなり」とあるとおりです。―ヤコブ 2:26,[新]。

あなたはどんなことを行なっているでしょうか。神がだれであり,祈りによって神に近づくことができるという点を学んだなら,その驚くべき取り決めをほんとうに活用しておられますか。あなたはエホバに祈りをささげていますか。

彫像や偶像崇拝について聖書がなんと述べているかを学んだなら,清い崇拝に関するそうした要求にかなう生活をするために何を行ないましたか。

「真理」の本の第7章には「邪悪な霊者が存在しますか」という題が付されています。その章で学んだ事柄を適用して,悪霊が人類を誤導するために用いているさまざまの慣行を避けていますか。

また,聖書の研究の結果,あなたの関係している教会が神のみことばの真理を教えていないことに気づいたにもかかわらず,相変らず教会に出席し,教会員の資格もそのままにしておられますか。もしそうでしたら,それはなぜですか。そうした組織内にとどまるのは神に喜ばれることですか。(ヤコブ 1:6-8)先に引用した実例では,いずれの人も,聖書研究で学んだ事柄を自分の生活に適用しています。彼らは必要に応じて生活を変えたのです。その後,進歩は目に見えて明らかになりました。

集会に出席していますか

戸別宣教で会った若い婦人と「真理」の本の研究を始めたある奉仕者は,その婦人について次のように述べています。「研究は第1回目からほんとうに驚くべきもので,その人が霊的に速く進歩することは目に見えるようでした。2回目の研究では2章をいっぺんに終え,3回目の研究のときには,その婦人はすでに木曜と日曜日の全部の集会に出席していました。彼女は,これが真理であることを確信し,真理を望んだのです」。

霊的に速く進歩する人はきまって会衆の集会に出席する人です。神の民との交わりを喜んでおり,近くの御国会館でそうした人たちといっしょになることを楽しみにしているのです。それはほんとうに良いことです。なぜなら,聖書の次の命令に従っていることになるからです。「集まりを怠るある人々の習慣にならわず,互いに励まし,かの日の近づくのを見て,ますますそうしようではないか」。(ヘブル 10:24,25,新)この助言に従う人は,かならず神の祝福を受けます。

エホバの証人の集会に出席なさいましたか。まだでしたら,それはなぜですか。不便だからですか。気まずい思いをするかもしれないと考えるからですか。近所の人々がどう思うだろうかと心配しているかたがいるかもしれません。しかし実際のところ,ためらうべき理由は少しもありません。エホバの証人が確かに神の民であるならば,あなたがその人たちと交わるのは肝要なことです。そして彼らがどんな人々かを正しく知る最善の方法は,その集会に出席することです。そこで,いろいろなエホバの証人と直接話し合うことができます。―マルコ 8:38。マタイ 25:40。

あなたは他の人に良いたよりを分かち合いますか

「与ふるは受くるよりも幸福なり」とイエス・キリストは言われました。(使行 20:35)さてあなたは他の人と自由に分かち合えるどんな事柄を学ばれましたか。それは神のみことばの真理です。そして,永遠の命をもたらしうることばを親族や友人そして隣人に分かち合うほど喜ばしく,かつ貴重なものがあるでしょうか。

学んだ事柄を喜んでおられるなら,そうした事柄を他の人と分かち合ってみましたか。ぜひそうしてください。「人は心で信仰を働かせて義とされ,口で公に言い表わして救われるからである」。(ロマ 10:10,新)神の国に関する良いたよりを分かち合うことは,それほど重要なのです。

銘記すべき要点

次の四つの基本的な事柄を心に留めてください。まず,家庭聖書研究に備える予習です。あなたはどの程度予習しておられますか。この点に関し,聖書の次の原則があてはまります。「少くまく者は少く刈り,多くまく者は多く刈るべし」。(コリント後 9:6)十分努力しないなら,多くの報いは期待できません。努力をすればするほど,受ける霊的な祝福は豊かになります。

2番目の点は,神のみことばから学んだ事柄を日常生活に適用しなければならないということです。弟子ヤコブはこう述べています。「人善を行ふことを知りて,これを行はぬは罪なり」。(ヤコブ 4:17)学んだ事柄を適用することは,クリスチャンとしての成長と生活に重要な役割を果たすのです。

3番目に,神の民と交わりたいという意欲を持つべきです。お近くの会衆の取り決める集会に出席したいと願うべきです。そうした交わりを持つ人は,神の民のひとりに数えられたいという願いを表わしていることになります。―詩 22:22。

最後に,あなたの学んでいる事柄が差別なく人を永遠の命に導くものであるなら,それを分かち合うのは,思いやりのあるクリスチャンにふさわしいことと言えるでしょう。そして,そうする際には,自分の愛している人々,親族,そして隣人から始めるのが最も妥当なことでしょう。―ヨハネ 1:35-42。

どうぞ次のように自問してみてください。「神のみことば聖書の研究から学んだ事柄に関して,自分は何をしているだろうか」。あなたはご自分の進歩に満足しておられますか。はい,と答えられる人はなんと幸いでしょう。もし,生活を調整しなければならないのでしたら,そうしてください。イエスはこう言われました。「狭い戸口からはいるため,力をこめて努力しなさい。わたしは言う,はいろうと努めながらはいれない者が多いからである」。(ルカ 13:24,新)その狭い戸口は永遠の命に通じているのです。約束されている,とこしえの命の希望を実現させるため,全力を尽してください。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする