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  • 宣教を真剣に考えることによってもたらされる祝福
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
塔71 7/15 440–444ページ

宣教を真剣に考えることによってもたらされる祝福

もしあなたが真のクリスチャン奉仕者であるならば,あなたは非常に有利な立場にあります。エホバ神に対するあなたの信仰の基礎はしっかりしたものです。またあなたは,神の王国という,将来の明るい希望をもっています。―ヘブル 11:6。黙示 21:3,4。

これらの良いものを他の人々に分け与えるのはあなたの特権ですが,あなたはそうした人たちにどれほど深い関心を持っておられますか。ほんとうにその人たちの永遠の福祉に関心をもっておられますか。もしお持ちなら,イエス・キリストが使徒たちに与えられた次の指示に留意なさるでしょう。「それゆえ,行って,人々を弟子とし……わたしがあなたがたに命じた事柄すべてを守るように教えなさい」。また,「なんぢ御言を宣伝へよ,機を得るも機を得ざるも常に励め」という聖書の命令を真剣に考慮されるでしょう。―マタイ 28:19,20,新。テモテ後 4:2。

宣教の重大さ

神のしもべたちが,伝道し教えるこの仕事に参加するのは,実際どれほど重要なことでしょうか。それは,怠っても神の恵みを得られるような仕事でしょうか。

クリスチャンの使徒パウロは,同労者テモテを励ますにあたり,宣教の重大さを次のように指摘しました。「自分自身と自分の教えとに絶えざる注意を払ってください。これらの事柄のもとにとどまってください。そうすることによって,あなたは自分自身と,あなたに聴く者とを救うことになるからです」。宣教は実際にそれほど重要なものです。良心的にそれに参加することは,神の王国の祝福を永遠に楽しむことと,命を永遠に断ち切られることほどの相違を意味します。―テモテ前 4:16,新。

エホバ神のしもべたちは今日,2,500年ほどの昔の神の預言者エゼキエルと同様の立場にあります。エゼキエルは,きたるべきエホバのさばきを人々に警告する守望者として奉仕しました。神は彼に次のように言われました。「されば人の子よ我汝を立てイスラエルの家の守望者となす 汝わが口より言を聞き我にかはりて彼らを警むべし 我悪人に向ひて悪人よ汝死ざるべからずと言んに汝その悪人を警めてその途を離るるやうに語らずば悪人はその罪に死んなれどその血をば我汝の手に討問むべし」― エゼキエル 33:7,8。

今日のクリスチャンも警告をする仕事をもっています。彼らは,現在の事物の全体制と,その体制の一部としてとどまる人々を滅ぼす「大患難」の接近を警告する使命を神より受けています。したがって,命が関係しているのです。警告を受ける側の人々の命のみならず,警告する使命を受けた,神ご自身のしもべたちの命もそれにかかっています。

ですから,クリスチャンの奉仕者たちは,問題が重大であるだけに,宣教を徹底的に行なう必要があるのです。あなたの宣教の仕方はそうですか。あなたは宣教をほんとうに真剣に考えていますか。

不在の家を再び訪問する

イエスとその使徒たちの模範にならって,エホバのクリスチャン証人たちは,人々を自宅に訪問します。しかし,だれもいなかったらどうしますか。そこに住む人々のことを忘れてしまうなら,宣教を実際に真剣に考えていると言えますか。

るすだった家の人に会うには,たいてい別の時間に訪問しなければなりません。なぜかというと,たとえば,毎日曜日の朝,教会に行く人々の場合のように,ある人たちは特定の時間に家をるすにするからです。そういう人は,日曜日の午後か,週中の別の時間に尋ねなければなりません。もし都合がわるくて別の時に訪問できなければ,だれか仲間の奉仕者に尋ねてもらうことができるかもしれません。

すべての家の人に会うよう努力することのたいせつさを示すものとして,3年間,家の人に一度も会えなかった,ある家の例をあげましょう。ついにその家の婦人に会えたところ,その人は,エホバの証人が来て,そこに引っ越してくる前にしていた聖書の勉強を再開してくれるのを,その3年間ずっと待っていたことがわかりました。

もうひとつの例では,ひとりのクリスチャン奉仕者が,ある不在の家の再訪問をやめようかと考えました。というのは,以前訪問したときに,その家の人は,聖書の音信に強く反対したからです。それでも奉仕者は努力して再訪問しました。ところがおどろいたことに,その家には新しい家族が引っ越してきていたのです。奉仕者は次のように報告しています。

「その家の婦人は私を中に入れてくれました。私が聖書の話をしたところ,彼女は『目ざめよ!』を予約しました。私はその最初の訪問でその婦人と聖書の勉強を取り決めることができました。その人は3週間もしないうちに王国会館の集会に出席しました。そして,協会の映画,『「永遠の福音」を宣明する』を見てから,証人たちが神のことばを正しく理解していることを認め,王国の良いたよりの伝道に参加しはじめました。そして,私がこの『不在の家』を訪問してから6か月もたたないうちに,その婦人はバプテスマを受け,エホバのご意志を行なうべく献身を表わしました」。

たしかに,宣教を徹底的に行なう王国伝道者たちは,多くの祝福を楽しんでいます。以前,不在だった人たちにも会えるものだということがこれでおわかりになりましたか。

再び訪問する

関心を示した人すべてを再び訪問することにも気を配る必要があります。次の実際の経験は,そういう人たちと会うために熱心な努力が必要なことをよく示しています。

あるクリスチャンの奉仕者は,海兵隊を除隊したばかりのひとりの青年に2冊の雑誌を配布しました。その青年は,何かより良いものを求めているように見えました。それで,その青年に雑誌を配布した奉仕者は,再び訪問することにしました。しかし青年は家にいませんでした。その後二,三回訪問しましたが会えないので,リストの中のその名前を消してしまいました。

ところが,ある日,1年に2回行なわれるエホバの証人の巡回大会でその青年に会ったのです。青年は,彼を見つけて巡回大会に連れてきた別の奉仕者といっしょにいました。年かっこうも他の関心事もにかよっているということで,最初の奉仕者が青年と聖書を勉強することになりました。

その元海兵隊員は急速な進歩を見せ,やがてクリスチャンの宣教に参加するようになりました。ある日,二人で戸別伝道をしたあと,奉仕者は,古い伝道記録を調べていました。そして,その元海兵隊員の名前が,興味なしとして消されていたのを見つけました。二,三回訪問したけれども,不在だったからです。しかし青年はそこにいて,奉仕者のそばにすわっていたのです。しかも彼自身,エホバの証人として!

このことから,その若い奉仕者は,あきらめずに再び訪問することのたいせつさをきもに銘じました。そうです,すんでのところで,その人を永遠の命への道に導く祝福を得そこなうところだったのです。あなたは,関心を示した人たちに会う根気強い努力を払わないために,こういう祝福をのがしていますか。

同じ点,つまり関心のある人たちが見つかったときでも,多くの場合,根気強さが必要であるということを示す,もうひとつの体験があります。

一奉仕者がある家族に2冊の雑誌を配布しました。彼はその家族のことを気づかって,再び訪問することにしました。その訪問で彼は「目ざめよ!」誌の予約を得ることができました。根気強く訪問をつづけた彼は,2か月目の終わりに,その家で聖書研究を始めることができました。勉強が始まったとき,親は子どもたちに,勉強のじゃまにならないよう,別のへやへ行っていなさいと言いました。しかし,そのクリスチャンの奉仕者は,子どもたちの霊的な福祉をも考えていたので,子どもたちもそのへやにいて,勉強に参加するように提案しました。両親はその提案をたいへん感謝しました。

奉仕者はさらに,王国会館で開かれる集会にその家族を招待して,それらの人々に対する関心のほどを示しました。彼らはすぐその招待に応じました。そして,集会に出席するようになってからは,いっそう進歩しました。それで,聖書の勉強が始まって6か月もたたないうちに,両親は,エホバ神とその王国の側に立ち,エホバに仕えるべく献身し,バプテスマを受けました。

もしあなたがクリスチャンの奉仕者ならば,家の人が興味を示すときにはいつも再び訪問しますか。聖書研究を始めるために,根気よく努力しますか。そうするならば,あなたも同様の祝福にあずかれるでしょう。

反面,また伺います,と言っておきながら,再び訪問しないなら,相手をひどく失望させることになるかもしれません。たとえば,一奉仕者は聖書研究の手引きを2冊,ある婦人に配布し,再び尋ねることを約束しました。しかし何かの理由で奉仕者は,その約束を真剣に考えませんでした。いままで何度もいろんな人を再び訪問したけれども関心がなかった,とでも考えたのかもしれません。しかし,たとえそうであったにしても,この婦人の場合はそうではなかったのです。彼女はほんとうに関心をもっていました。ですから,2冊の本をすぐに読んでしまいました。

奉仕者が約束どおりにこないのでがっかりしたその婦人は,その本の発行者である,ものみの塔協会に手紙を書いて,関心のあることを伝え,だれかに来ていただきたいと頼みました。そこで協会は,その婦人が住む地域を受け持って伝道している会衆に手紙を送りました。その手紙のことを聞き,また,その婦人が自分の訪問した人であることに気づいたとき,奉仕者はどう感じたでしょうか。彼はたしかに,宣教をもっと真剣に考える必要を痛感しました。

偶然の証言

また,偶然の証言,つまり日常生活の中で偶然に会う人々に,場所や時間を問わず神の目的について話すことはどうですか。そうした機会をめざとく捕える人たちは,しばしば大きな喜びと祝福を得ます。たとえば,プエルトリコのある宣教者は,タクシーに相乗りをした大学生に車の中で証言しはじめました。この偶然の証言がその青年を命の道へむかわせました。今日,その青年はある会衆でしもべとして仕えています。

ある日のこと,ひとりの女性のクリスチャン奉仕者は,勤め先で,ある女の人が世界の諸問題の解決策は社会主義以外にはないと言っているのを耳にしました。そこで,証人はこの機会をとらえて,自分のもつ王国の希望をその人に話しました。職場でのそうした話し合いから,やがて定期的な家庭聖書研究がはじまりました。二,三か月のうちにその女の人はほかの人々に証言するようになり,今では彼女自身,そしてご主人も熱心なクリスチャン奉仕者です。

また,ある男の人は,たいへんまじめなカトリック教徒で,放送事業にたずさわっていました。大学で4年間高等数学を勉強しましたが,内心では聖書の真理を求めていました。ある日,彼は,ひとりの部長の事務室へ,その部長が述べたとされる発言について少し聞きたいことがあって行きました。ところが,たまたまその部長がエホバの証人だったのです。そして,部長はそれまでに偶然の証言をしていたのですが,その発言がまちがって伝えられていました。彼は,真理を求めていたこのカトリック教徒に喜んで正しい知識を与えました。しかし,こういう話は,会社の勤務時間中よりも,家に帰ってするほうがいいということになりました。

数日後,彼はまたやってきて,いつ会って話ができるか,証人に尋ねました。そこで,訪問の約束がなされ,聖書研究の手引きが数冊その人に渡されました。

1週間後,彼は,集会のひとつに出席することについて尋ねましたが,勤務時間が午前4時からだったので,最初の集会,つまり神権宣教学校にしか出られませんでした。しかし集会が非常におもしろく,研究生たちが自信と知識に富み,学校のしもべの話すことが非常に教訓的だったので,自分の耳が信じられないほどでした。楽しかったかどうかについて尋ねられたとき,その人は,「私は今までこんなに親しみやすい,自信のある人々に会ったことがありません。……子どもたちまでそうなんですからね」と言いました。

その人は次の集会のことを尋ね,日曜日の午前中,集会があることを教えられました。そのころ,その人の奥さんが二,三週間るすだったので,証人は集会のあと,その人を昼食に招待しました。それは,午後2時から11時半まで話し込む結果になりました。その間に彼は,さらに多くの聖書研究の手引きを求め,「エホバの証人の年鑑」(英文)も求めました。翌週その人は,火曜日の夜と木曜日の夜の会衆の集会に出席し,集会に参加することさえしました。

次の日曜日もだいたい同じようでした。集会,昼食,そのあと2時から11時半まで,「とこしえの命に導く真理」の本を勉強しました。そして,その週の水曜日に「真理」の本の勉強は終わりました。そこで彼は,「私がバプテスマを受けるのに何のさしつかえがありますか」と言いました。それで,会衆の監督に会うようすすめられ,そのとおりにしました。彼は,「あなたのみことばはわたしの足のともしび」,また,「神の自由の子となってうける永遠の生命」の本もすぐに読んでしまいました。「真理」の本の勉強をはじめて ― 6か月ではなく ― 3週間たたぬうちに,その人はバプテスマを受けました。

この人は今も熱心な,エホバのクリスチャン証人で,月平均40時間から60時間をおもに戸別伝道に費やしています。世俗の仕事の時間の関係で,週中の伝道活動を指導することができます。奥さんが二,三週間るすをするまえまでは,彼は勉強を始めてもいませんでした。しかし,奥さんが帰ってきたときにはすでに神のクリスチャン奉仕者として献身し,バプテスマを受けるばかりになっていました。これは奥さんにはたまらなかったようですが,しかし,彼女もいく度も勉強しないうちに,聖書から学ぶすばらしい事柄を親せきの人たちに話すようになりました。偶然の証言はなんとすばらしい祝福をもたらすのでしょう!

ですから,もしあなたがクリスチャン奉仕者ならば,宣教を真剣に考えてください。良いたよりをたずさえて戸別伝道をするさい,不在の家の人々すべてに会うよう努力しましょう。神の目的に関心を示す人を,必ず再び訪問してください。偶然の証言をする数多くの機会を見のがさないようにしましょう。豊かにまく者は豊かに刈り取るということを忘れないでください。―コリント後 9:6。

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