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読者からの質問

● 異教徒が故人のために花の供え物をした事実を考えると,クリスチャンが葬儀のために花を贈ったり,墓地に花を置いたりするのは正しいことでしょうか。―アメリカの読者より

古代の異教徒が故人のために花の供え物をしたのは事実です。R・ブラッシ著,「それはどのように始まったか」という本はこう述べています。「葬儀のために花輪を贈ったり,それをひつぎや墓地に安置したりするのは,古代の迷信や偶像崇拝のなごりである」。

昔のそうした行為にはどんな目的がありましたか。同じ出版物の著者はこう付け加えています。「花輪は,何かを供えて死人は慰めねばならない,とする信仰の遺風である。同時に,たむけられた花は,文字どおり,花の供え物,つまり,死人に対するささげ物とみなされた。それは,死者がうかばれないと,幽霊となって遺族にしばしば現われるということを恐れて,故人の冥福を祈ってささげられたのである」。ですから,異教徒は,死人には不滅の魂があるとする誤った信仰のゆえに,花の供え物をもって死人をたたえました。

とはいえ,花を作ったのは異教徒ですか。異教徒が死人に対する犠牲として花を用いたからといって,葬儀などに関連して花を用るのはまちがっていると結論してしかるべきでしょうか。前述の著者ブラッシがさらにこう述べているのは興味深いことです。「こうした初期の由来はみな忘れられており,花輪には,魔術に類することは何もつきまとってはおらず,“思いを花で伝える”というのが西洋の習慣となっている」。

西洋では概して,故人を慰めるために花がたむけられるのではなく,たいていの場合,花は遺族に対する親切の表われとして贈られています。しかも,花は,エホバが人間を喜ばすために創造されたものですから,人の気持ちを晴れやかにさせる力を確かにもっています。

したがって,花の贈り主が故人をたたえるためにたむけるのであれば,その人は異教徒がしていたことをしているわけです。そうした動機は,クリスチャンの見地からすれば,誤っていると言えるでしょう。それに反して,悲しい時に少しでも気持ちを引きたてられるようにするため,花を贈って遺族を慰めるのであれば,それは少しもさしつかえありません。

とはいえ,遺族を思う気持ちから花を贈るのがならわしになっているにしても,そうしなければならないというのでは決してありません。事実,それ以上に有意義なことを遺族のためにしてあげられるのです。悲しみのうちにある遺族はほかにもこまごまとした心配事をかかえているので,なかには花を贈るかわりに,食事を整えたりして遺族の手伝いをしてあげる人もいるでしょう。あるいは,親切にも,葬儀がすむまで,幼い子どもたちの世話を引き受けたいと申し出る人もいるでしょう。葬儀その他がすんだのち,未亡人など,故人の近親者の寂しさには,ひとしお深いものがあります。そのような人を食事に招いたり,誘い合って,どこかに出かけたりするのは親切なことです。そうすれば,当人は,自分を顧みてくれる人がいること,また,自分とともに何かをしたいと願う友がいることに気づくでしょう。ヤコブ書 1章27節(新)が述べるとおりです。「わたしたちの神また父の立場から見て,清く,汚されていない崇拝の方式は,すなわち,孤児や,やもめをそのかん難の時に世話し,かつ,世からのよごれを持たぬよう,みずからを守ることである」。

ですから,花を贈るのは,その行為の背後にあるものが異教の信仰とは無縁で,正しい動機でなされるなら,さしつかえないとはいえ,それ以上に助けとなる事がらをほかにも行なえることがわかります。しかも,そうした事がらは,単に花を贈るだけで個人的には何も援助しない場合よりも,ずっと感謝されるでしょう。

葬儀のために贈られた花は,式がすむと,あとは墓地に残されることがよくあります。しかしその場合でも,そうした花を何かほかの方法で用いる人もあるでしょう。他の人にあげるとか,めったに花など手にはいらない人や病人あるいは,老齢の人などに持って行ってあげるとかする人もいます。花は生きている人にこそ価値のあるもので,故人は花を賞美できるわけではない以上,墓地に置いたところで,たいした用をなさないと考える人もいるでしょう。―伝道 9:5。

故人をたたえるためではなく,単に墓地を美しくしたいと考えて,花を墓におく人も,もちろんいるでしょう。それもやはり,自分自身で決めるべき事がらです。

したがって,正しい動機を持ち,死人に何が生ずるかを理解してさえいるならば,花に関して何をするかは,個人的な決定に属する事がらです。とはいえ,故人の遺族のためにも,また,花の使用に関しても,さらに有意義な事がらがほかにも行なえるということがわかります。

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