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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1991
塔91 12/15 30ページ

覚えていますか

「ものみの塔」誌の最近号を深く考えながらお読みになりましたか。では,興味深く次の点を思い起こすことができるでしょう。

□ わたしたちは「大患難」に直面する際,エホバの戦いに関する聖書の記録からどのように確信を得られますか。(マタイ 24:21)

常に事態を掌握しておられるエホバは,敵に勝る考えをお持ちであり,ご自分の民を救うために状況を意のままに操られることを示してこられました。―8月15日号,27ページ。

□ 子供との意思の疎通を維持するために,親は喜んで何を行なわねばなりませんか。

親は子供と共に時を過ごさねばなりません。また子供の精神的,身体的,霊的な成長のために喜んで犠牲を払わねばなりません。―9月1日号,22ページ。

□ イエスの変ぼうは今日のわたしたちにとってどんな意味がありますか。(マルコ 9:2-4)

変ぼうは,エホバの預言の言葉に対する信仰を築き,神のみ子また約束のメシアとしてのイエス・キリストに対する信仰を強めるものです。また,イエスが霊の命に復活させられたことに対する信仰を強化し,神の政府に対する信仰を増し加えます。―9月15日号,23ページ。

□ イザヤ 11章6節の「しばらくの間」とはどういう意味ですか。

この節を注意深く訳すと,おおかみと子羊が新しい世において常に一緒にいるわけではないことが分かります。そのような動物はやはりそれぞれの生息地を持ち,最初の楽園の場合と同じように『家畜と野獣』に分類されるのかもしれません。(創世記 1:24)しかし,動物はお互いに仲良くなり,一緒にいても危険ではなくなります。―9月15日号,31ページ。

□ 真のキリスト教のかぎは何ですか。

真のキリスト教のかぎは愛です。信仰も業も正しい交わりも,絶対に欠くことのできないものですが,愛がなければ,それらのものの価値は表われません。それは,エホバが何よりも愛の神であられるからです。(コリント第一 13:1-3。ヨハネ第一 4:8)―10月1日号,20ページ。

□ 伝道の書 3章2節の,「誕生のための時があり,死ぬのに時がある」という表現は,わたしたちの死ぬ時を神が前もって定めておられるという考えを支持していますか。

いいえ。ソロモンは,不完全な人間を苦しめる生と死の途切れることのないサイクルについて論じていたにすぎません。伝道の書 7章17節には,「邪悪に過ぎる者であってはならない。また,愚かな者となるな。自分の時でもないのに,どうして死んでよいであろうか」とあります。もしも人の死ぬ時が前もって定められているとすれば,この諭しはどんな意味をなすというのでしょう。―10月15日号,5,6ページ。

□ 使徒ペテロが最初のローマ司教ではなかったことを示すどんな論拠がありますか。

ペテロがローマを訪れたという証拠はありません。またペテロは,自分自身がキリストの一使徒以上の者であるとは決して言いませんでした。(ペテロ第二 1:1)―10月15日号,8ページ。

□ 葬式のために花を届けるのはクリスチャンにとってふさわしいことですか。

もし自分が住んでいる地域で現在,ある習慣(または十字のような図案)に宗教的な意味のあることが知れ渡っているなら,それは避けるべきです。それで,クリスチャンは十字の形の花束を届けることはしないでしょう。また,完全に偽りの宗教にまつわる意味を持った何らかの正式な方法で花を使うこともしないでしょう。しかし現在,宗教とは無関係に花を持って行く習慣が一般的になっている地域も少なくありません。悲しい場に明るさを添えるため,また同情や気遣いを示すために花を届けるようにしてきたクリスチャンもいます。―10月15日号,31ページ。

□ 三位一体について,公式の定義からどんなことが明らかになりますか。

公式の定義から明らかになるのは,三位一体の教理は単純な考えではないということです。むしろそれは,いろいろな考えの複雑な組み合わせであり,それぞれの考えが何世紀にもわたって一つに重なり合わされたものです。三位一体論者をはじめ,多くの学者たちは,聖書の中に三位一体の教理が実際には含まれていないことを認めています。―11月1日号,20-22ページ。

□ 西暦29年が聖書の歴史の要となる年代であるのはなぜですか。

聖書の正確な情報と,ティベリウスの治世に関する世俗の年代とを合わせて考えることにより,聖書研究者は,ヨハネの宣教が西暦29年春に始まったこと,さらにはその6か月後の西暦29年秋にヨハネがイエスにバプテスマを施したことを算定できるからです。―11月15日号,31ページ。

□ ヘブライ語を話す人々にとって「崇拝」は何を意味しましたか。このことは今日のエホバの証人にどのように適用できますか。

「崇拝」に相当するヘブライ語は「奉仕」とも訳すことができます。ですから,ヘブライ人の考えでは,崇拝は奉仕を意味しました。そのことは,今日のエホバの民にとっても同じです。それで,宣べ伝える業という敬虔な奉仕は,真の宗教の非常に重要な特徴です。―12月1日号,19ページ。

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