あなたは弟子をつくるわざにあずかっていますか
もしあなたが,主イエス・キリストの,献身しバプテスマを受けた弟子であるなら,あなたは,弟子をつくるわざにあずかりなさい,という命令のもとにあります。この命令は,ひとりの人間,または人間の一組織によって与えられたものではありません。あなたはこれを,「み使いたちにまさる者となられた」,そして「み使いたちより優れた名を受け継」いだかたから受けたのです。(ヘブル 1:4,新)このかたは主イエス・キリストです。(マタイ 28:18-20)イエスの名前は,エホバから任命された王としてイエスが所有する広範な行政上の権能を表わすので,み使いの名前よりも「優れた」名なのです。
そのような権能を持つかたからまかされたわざにあずかることは,ほんとうに大きな特権です。あなたはそれにあずかっていますか。あるいはそれに,いっそう多くあずかることができますか。
今日,人びとは,おもに聖書研究を通して,主イエス・キリストの弟子となるための援助を受けています。1972奉仕年度中,日本では毎月平均25,102の聖書研究が行なわれました。この方法で多数の人びとが,真理の正確な知識に至るよう助けられていることを知るのは,ほんとうに大きな励ましになります。しかし,さらに多くの聖書研究が司会できるのではないか,という疑問も生じます。
もっと多くの人びとを,家庭聖書研究によって助けられるような徴候があるのです。日本では,1972奉仕年度に,1971奉仕年度よりも21万8,077冊多くの本が,関心ある人びとに配布されているのです。ものみの塔協会に手紙を書いたり,王国会館にきたり,エホバの証人に電話をかけたりして,聖書研究の援助を求める人は珍しくないのです。街頭で雑誌を配布する兄弟姉妹たちに近づいてそのことを頼む人たちもいます。
『嘆き悲しむ』人たちはまだたくさんいる
キリスト教世界や,この不敬けんな体制の残りの部分で行なわれている憎むべき事柄のために嘆き悲しんでいる人はまだたくさんいます。ですから,あなたがそのような心の正しい人びとを捜すためにもっと多くの時間を費やすなら,そういう人を見つけ出す可能性はそれだけ大きくなります。区域内に住む心の正しい人がひとりでも放っておかれたり,見のがされるようなことがあってはいけないという心配から,あなたは宣べ伝えるわざにできるだけ多くの時間を費やさずにはいられない気持ちにかられますか。あなたの心配は,関心を示した人を再訪問するためにあらゆる努力を払うほどのものですか。
わたしたちは命が危機にさらされていることを考えて,羊のような人びとを捜すためにできるだけ多くの時間をもうけようという意欲を持たねばなりません。クリスチャンの奉仕には自分の家族の世話をし家庭を顧みることも含まれていますが,この責任を果たすからといって,家庭外での王国の伝道や弟子をつくるわざにあずかる義務から解放されるわけではありません。クリスチャンのりっぱで模範的なふるまいも証言になります。しかし,他の人びとが主イエス・キリストの弟子になるには,その模範だけでは不十分です。弟子をつくるわざには教えることが要求され,そしてそのように教えることを始める前に,進んで教えを受けようとする人を見つけ出すことが必要です。
責任に対する平衡のとれた見方
このことは,平衡のとれた方法で責任を果たす必要を強調するものです。この点で忘れてならないすぐれた模範はノアです。ノアは,夫として,また父親として,家族が霊的にも物質的にも十分のものを得るようにしなければなりませんでした。また,箱舟を建造したり,同時代の人びとに伝道したりする時間が持てるように,生活上のきまった仕事を調整しなければなりませんでした。しかもノアは,数年だけ仕事をやりくりすればよかったのではありません。ノアの伝道と建造の仕事は,おそらく,40年から50年の期間におよんだでしょう。ノアの忠実な努力にもかかわらず,ノアの家族7人のほかは,ひとりも洪水を生き残る側に来ませんでした。しかしノアは,同時代の人びとがかたくなであるために,失望して箱舟の建造や伝道を中止するようなことはしませんでした。ノアがそれをしなかったことを,わたしたちはほんとうにうれしく思います。もしノアがそれを中止していたなら,わたしたちはみな,今日生きてはいなかったでしょう。
ノアの模範にならって自分のすべての責任を果たすことの重要さはよく承知している一方,自分には家庭聖書研究を司会する能力がない,と感じている人があるかもしれません。しかし,イエス・キリストが弟子たちにお命じになったわざに参加することに関しては,未経験や能力のことで失望する必要はありません。もしクリスチャン会衆のかしらであるイエスが,多くの知識と能力のある者たちだけに弟子をつくるわざをさせたいと思われたなら,イエスはそうおっしゃったでしょう。
これが能力よりもむしろ心からの願いと誠実さの問題であることは,外国で奉仕している多数の新しい宣教者の場合によくうかがえます。彼らの語いは限られています。彼らの話し方は多くの場合ためらいがちで,ぎこちないところもあります。ことばを理解するということになると,完全にはほど遠いものです。それでも彼らは家庭聖書研究を司会することができるのです。ですから,あなたが,ほかの人のほうがうまく話せると考えてしりごみする必要は確かにありません。それに,経験のある兄弟または姉妹が喜んであなたに同行して,必要なときにあなたを援助してくれます。また,聖書研究の監督も喜んで助けてくれるでしょう。
弟子をつくりなさい,というイエスの命令がイエスのみ父の意志と一致している以上,あなたにはさらにエホバの支持とエホバの聖霊の助けがあります。ですから聖書研究を始めたなら,自分には能力がないから失敗するのではないか,と心配する必要はありません。エホバに頼って最善をつくすなら,エホバはあなたが他の人に真理を教えることに失敗するのを許されないでしょう。
祈りに含める
もしあなたが現在聖書研究を司会していないなら,そのことについて祈ったことがありますか。オーストリアのある兄弟はそうしました。聖書研究が始められるような人を見つけさせてください,と一か月以上エホバに祈ったのです。この兄弟は祈っただけでなく,巡回監督の訪問期間中に三日間世俗の仕事を休みました。この兄弟がある夫妻と勉強を始めたのは,巡回監督の訪問期間中のある朝,伝道で最後の家を尋ねた時でした。
エルサルバドルの一宣教者は,自分の聖書研究生の多くが進歩していないことに気づきました。そこで彼女は,神の新秩序での生活の真価を理解する人を見つけ出させてください,と熱心に祈りました。その後宣教者はある事務所でひとりの秘書に会いました。その秘書は進んで雑誌を求め,宣教者に自分の住所を教えました。宣教者はこの婦人と聖書の勉強を始め,最後には夫もその勉強に参加するようになりました。今では会衆の書籍研究がその夫妻の家で行なわれており,その夫妻と5人の子どもは,王国会館で行なわれる集会に定期的に出席しています。
心の正しい人たちのところへ導いてくださいと祈ることに加えて,その祈りと全く一致した行動を取り,聖書研究を始める機会を決して見のがさないようにすることもたいせつです。あなたは最初の訪問で聖書を勉強するように人びとに勧めますか。あなたが過去に訪問した人の中で,現在聖書研究をすることに同意しそうな人がいますか。ご自分の記録を調べて,関心を示した人びとを訪問するよう特別の努力をしてみるのはいかがですか。
時には会衆の中に新しい聖書研究の可能性のあることもあります。たとえば,アメリカ,オレゴン州のある会衆の一監督は,自分たちの区域に移転して来た伝道者たちの不信者の夫に聖書研究を勧めてみることにしました。ひとりの不信者の夫は,この監督と会ってから10分もたたないうちに聖書を勉強することに同意しました。別の夫の場合は,親せきでしたが,親しくなるよう努力したために,別の兄弟がその家を訪問したとき,聖書研究の勧めを受け入れました。そのふたりの夫は今ではバプテスマを受けており,最近の話によると,彼らの親族のうち40人以上が現在,研究中か,あるいは献身してバプテスマを受けたエホバの証人になっています。
今わたしたちと勉強している人びとや,またわたしたちが訪問している人々びとも,他の関心ある人びとを見つけ出すのに助けとなる人たちです。あなたはその人たちに,聖書研究をするかも知れない人を知っているかどうか,尋ねてみたことがありますか。
伝道の日以外の時の証言
あなたの会衆には,有望な人を全部訪問しきれない,あるいは,これ以上家庭聖書研究を司会できない状況にある兄弟姉妹がいるかもしれません。それで聖書研究の監督のところに行って,その面で援助したい旨を申し出るのもよいでしょう。
職場や学校での打ち解けた証言もしばしば良い結果をもたらします。あなたは,職場の同僚や学友と聖書の勉強を始めるのに,そのような機会をよく活用していますか。
自動車修理工場で働いているノルウェーのある兄弟は,あらゆる機会を捕えて職場の同僚に話します。昼食の時間に従業員たちはいろいろな問題について討論します。その兄弟もたびたび意見を述べるよう求められます。ある時従業員のひとりが,その兄弟のことを,いつも明確で論理的な答えを出すので感心する,と言いました。そこでその兄弟はいく冊かの雑誌をその人にあげ,それがきっかけとなって家庭聖書研究が始まりました。その従業員はついにバプテスマを受けて証人となり,後日職場を変わりましたが,そこで,打ち解けた証言を行ないそれを通して,他の二家族が真理を受け入れるのを援助しました。
プエルトリコに住むある少年は,学校で,先史時代のことが書かれている本の一部を読むよう指示されました。そこで少年は,クラスの生徒の前で話をする許しを求め,「進化」の本を基礎にして聖書の教えをじょうずに説明しました。教師と生徒はそれに感動し,その日に18冊の本が配布されました。翌日,教師はその少年にクラスの前で話をつづけるよう頼みました。さらに6冊の本が配布されました。今では級友たちとの研究をふたつ司会しています。
伝道し弟子をつくる責任をイエス・キリストからゆだねられていることを認識しているなら,あなたは確かにそのわざに最大限に参加することを希望されるでしょう。同胞に対する愛も,あなたがそうすることを促すでしょう。祈りのうちにエホバの導きをあおぎ,聖霊によってあなたを助けてくださるエホバの能力を信じてください。