開拓奉仕から得られる数々の祝福
1 「この3年間はわたしの人生で最も幸福な時でした」。「わたしにとって最大の祝福は,エホバとの新たな,強められた関係を持てたことです」。「わたしは先月に初めて試みましたが,もっと前にしておけばよかったと思います。……喜びと思いの平安を本当に見いだしました」。これらの言葉は,正規また補助開拓者として奉仕することの祝福を経験した人たちの注解です。
2 コリント第二 9章6節で述べられていることを考えてみれば,それらの注解は不思議ではありません。「惜しみなくまく者は豊かに刈り取るのです」。論理的に言って,奉仕をより多くする人は,より大きな喜びや祝福を刈り取ることでしょう。(使徒 20:35)事情があって正規開拓者に対する要求時間を満たせない人で,物事を取り決めて毎月補助開拓奉仕をしている人たちがいます。できるだけひんぱんに補助開拓奉仕をするよう計画している人たちもいます。1か月だけ補助開拓奉仕をした人たちが関心ある人を見いだし,それが多くの再訪問や聖書研究につながり,その後数か月間ずっと忙しいということは少なくありません。
3 同じように,補助開拓奉仕ができなくても,宣教への参加を増し加えることができた人たちもいます。それらの人たちも「惜しみなくまく」ことにより多くの祝福を刈り取ります。
どのような祝福か
4 1年間補助開拓奉仕をした後,ある兄弟は協会にその活動を励ましたことに対する感謝の手紙を書いてきました。得た喜びと益についてこのように述べました。「わたしは戸口での自分に一層自信が持てるようになりましたし,より良い教え手になりました。……人々と聖書を研究することから最大の喜びを得ました」。
5 正規開拓者も同様の経験をしてきました。ある姉妹はこのように述べました。「わたしはまだ1年と少し正規開拓奉仕をしたばかりです。この間にわたしの信仰はエホバの活動力によって確かに増し加わりました。……良いたよりの全時間宣明者として経験できる喜びについて今知っている事柄を以前に知っていたら,わたしはもっと早く正規開拓奉仕を始めたに違いありません」。このように述べた人もいます。「開拓奉仕はわたしに,物事を決定する際に以前には決してなかった安定性を与えてくれました。真に難しい決定が持ち上がる時わたしは,自分の開拓奉仕にどう影響するか自問しました。答えが容易になりました。開拓奉仕によってわたしは,使徒 20章35節の言葉が実際にどれほど真実かを理解するよう助けられました」。
6 開拓奉仕学校は,少なくとも1年以上正規開拓奉仕をしてきた人が得られるもう一つの祝福です。この学校に出席したことのある人は何と述べているでしょうか。「わたしにとってそれは開拓者としての経験の中で際立ったものでした」。「わたしは,研究や黙想の仕方,またより賢明な時間の用い方を真に学びました」。「その学校は,エホバに一層頼るよう,またエホバの業において忙しくあり続ける必要を知るよう助けてくれました」。「わたしは,自分が建て始めるためのすばらしい土台を得たように感じます。確かにわたしたちはすべての資料をすぐに適用できませんが,熟考するための何という宴でしょう。失望しないための確かな備えです!」
あなたは正規開拓者になれますか
7 補助開拓者として定期的に奉仕してこられたとしたら,予定の中になんらかの調整をしなければならなかったでしょうし,恐らくはある程度生活様式を変えることさえしたことでしょう。得た祝福と比べてみる時,それらの変化は価値ある努力だと思ったのではありませんか。予定をさらに改善することにより,毎日野外奉仕に費やす時間を増し加えて,この冬に正規開拓者として奉仕し始めることができるでしょうか。そのことを祈りのうちに考慮してごらんになるようお勧めいたします。