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  • フィリピ 3:13
    新世界訳聖書
    • 13 兄弟たち,私は賞を得たとは思っていませんが,1つのことは確かです。私は後ろのものを忘れ+,前のものに向かって身を伸ばし+,

  • フィリピ 3:13
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 13 兄弟たち,わたしはまだ,自分が[それを]とらえたとは考えていません。それについては一つのことがあるのみです。すなわち,後ろのものを忘れ+,前のものに向かって身を伸ばし+,

  • フィリピ
    ものみの塔出版物索引 1986-2025
    • 3:13 塔研19.08 3-4; 塔12 3/15 28; 塔08 8/15 28; 塔96 5/1 31; 塔90 11/15 25; 目87 10/22 14

  • フィリピ
    ものみの塔出版物索引 1951-1985
    • 3:13 塔85 5/1 16; 塔84 12/15 10-15; 塔82 9/15 5-9; 塔75 83; 塔73 692; 塔70 187; 塔69 452; 目62 1/22 26

  • フィリピ
    エホバの証人のためのリサーチガイド 2019年版
    • 3:13

      「ものみの塔」(研究用)

      2019/8,3-4ページ

      「ものみの塔」

      2012/3/15,28ページ

      2008/8/15,28ページ

      1996/5/1,31ページ

      1990/11/15,25ページ

      「目ざめよ!」

      1987/10/22,14ページ

  • フィリピ 注釈 3章
    新世界訳聖書 (スタディー版)
    • 3:13

      後ろのものを忘れ: パウロがここで使った「忘れ」に当たるギリシャ語には,「気にしない」という意味もある。明らかに,「後ろのもの」はパウロの記憶から消えていない。パウロは直前でその幾つかを挙げている。(フィリ 3:5の注釈を参照。)パウロはクリスチャンになって以来,走者がコースの先に集中しているのと同じように,前にあるものに集中していた。(この節の前のものに向かって身を伸ばしに関する注釈を参照。)そのようにした結果,ユダヤ教の熱心な支持者として得ていた恵まれた環境や将来の可能性といった「後ろのもの」を忘れる,つまり気にしないでいることができた。自分にとってもはや意味がないものだったので,そうしたものについて考え続けたりはしなかった。フィリ 3:8の注釈を参照。

      前のものに向かって身を伸ばし: パウロの言葉遣いからすると,自分を走者に例えているようだ。ギリシャの競技会の競技者のことを考えていたのかもしれない。(コ一 9:24の注釈を参照。)この題材はギリシャ・ローマ世界によくあるもので,走者はしばしば彫像の題材になったりつぼに描かれたりした。競走の走者は後ろにあるものに注意を向けたりはしなかった。スピードが落ちるだけだったから。2世紀のギリシャ語著述家ルキアノスも同じような題材を取り上げ,こう述べている。「良い走者は,出発点にある障害物が除かれた瞬間から,勝利を得るために前へ進むことだけを考え,思いを決勝点に向け,自分の足に期待をかける」。走者は,ゴールラインという目標に達するためにあらゆる努力を惜しまなかった。パウロは,後ろにある以前目標にしていたものではなく,前にある報いにずっと注意を向けていた。フィリ 3:14の注釈を参照。

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