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『こうべを上げ』て救いを知らせるものみの塔 1969 | 10月1日
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たでしょう。現在までに4つの分会が組織され,それに加えて地方にも多くの群れができました。この兄弟は都市のしもべの一人として奉仕していますが,奉仕の数々の特権に関して現状を維持することに満足しませんでした,彼の長女が結婚し,その夫と孤立した区域で特別開拓奉仕をはじめると,家族に対する責任も軽くなりました。その兄弟は妻と残った10代の息子とともに奉仕の特権を拡大できないでしょうか。この神権的な家族はついに目標が達成されるまでそれを追い求め続けて,働き人を大いに必要とする大きな都市でふたたび奉仕しています。しかし今度は3人とも特別開拓者です。そして,さらにもう一つの会衆がまもなく組織されるでしょう。このように,一時は開拓奉仕を妨げる聖書的な義務があっても,家族全員で最大の奉仕をしようという精神を培うことはなんと大切なことでしょう。
多くの場合,特別開拓者の姉妹は新しい土地で奉仕を始め,将来の会衆の基礎を備えることができます。しかし,一家族が姉妹たちのあとからそこへ移り住み,会衆を組織するのを手伝うならば,それはなんと大きな助けとなるでしょう。そのような一つの例があります。開拓者の姉妹はある大きな都市で12人の伝道者の群れを作りました。そのために神権的な一家族がその区域に移転することができました。一家が移って以来,家族とその群れはなんという祝福を楽しんだことでしょう。その時から9か月のあいだに伝道者の数は60パーセント増加しました。この家族の頭はある資格を持つしもべであり,このしもべから今訓練を受けている兄弟たちが将来建てられる会衆のいろいろなしもべの務めを果せるようになるのもま近でしょう。一家の頭としてこの兄弟は,ここに移転してきたことが,家族全員の霊的状態にもよい影響を与えたと述べました。家族は宣教者が経験する喜びを大いに味わうことができ,また家族のきずなは密接になって事を一層円滑に運び,御国の関心事の拡大にできる限り参加するという共通の目標に向って努力を続けています。
すべての兄弟が他の区域に移転できるわけではありません,しかし,あらゆる証言の機会を利用すれば,いつも伝道されている区域からすこし離れた所に住む人にも音信は行きわたります。タクシーの運転手はしばしばこうした人々に証言することができます。タクシーの運転手をしているある人の話によれば,その人は1か月に76冊の本をお客に配布し,1年を通じて1か月に平均100冊以上の雑誌を配布しているということです。
つぎの経験からは,クリスチャンの良い行ないが永続的な効果をもたらすことがわかります。保険の外交員が保険証書をつくるためにある家を訪問しました。彼は協会発行の雑誌がテーブルの上に数冊あるのを見つけると,その雑誌はプロテスタント系のものですかと尋ねました。出版物がエホバの証人のものであることを聞くと,およそ6年前軍隊に招集された時に深い感銘を受けた経験を話しました。その時彼と同じ年齢の若いエホバの証人は与えられたいろいろな命令に従いましたが,クリスチャンの伝道者は政治の事柄に厳正中立の立場をとるので,軍部で働くことは良心的にできないと述べました。そして多くの嘲笑を浴びたにもかかわらず自らの立場を静かに保ちました。このように忠実を保つ人々とふたたび接することができ,この男の人はどれほどうれしく感じたことでしょう。この外交員は生命保険証書のことなどすっかり忘れて,夜がふけるまでつぎつぎに聖書について質問しました。つぎの日曜日にこの人は「ものみの塔」研究に出席しました。そしてその時にはすでにこのよい事柄を親族にも伝えはじめていました。夏の大会では神への献身をバプテスマによって表わしました。この人はつぎのように語っています。「わたしは死んだ時の保険証書を売るために訪問しましたが,永遠の生命という神のお約束のすばらしい保証を得ました」。
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読者からの質問ものみの塔 1969 | 10月1日
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読者からの質問
● 聖書に記録されているいくつかの長い祈りから考えて,長い,くどい祈りを非とするマタイ伝 6章7節のイエスの助言は,個人の祈りと公の祈りにどのように適用されますか。―アメリカの一読者より
イエスは山上の垂訓の中で,「人に見せようとして,会堂…に立って祈る」ことを好む宗教的な偽善者を非難しておられます。(マタイ 6:5)彼らの動機はまちがっていました。彼らの祈りは,誠実と謙そんの現われではありませんでした。それでキリストは忠告されました。「祈る場合,異邦人のように,くどくどと祈るな,彼らは言葉かずが多ければ,聞きいれられるものと思っている」。すなわち,「祈りが長いゆえに神に聞きいれられると思ってい」ました。―マタイ 6:7,口語。「現代の英訳聖書」。
イエスが地上にこられるまでに,ユダヤ教の偽善的な宗教指導者たちは,祈りをするときの姿勢や身振りについて細かい定めをもうけ,くどい祈とう文をつくっていました。これらのために公の祈りは,人にほめられる,いかにも敬虔そうな,独善的なものに堕していました。そのような指導者たちは,だまされやすい人たちを感動させたかもしれませんが,神を感動させることはできませんでした。よりきびしいさばきが,「長い祈」をするそれらの偽善者たちを待ち受けていました。―ルカ 20:47。
聖書に記録されている正しい祈りの中に,かなり長い祈りがいくつかあることは事実です。聖書にしるされている宮の献堂式の時のソロモンの祈りは,10分近くかかったものと思われます。(列王上 8:23-53。歴代下 6:14-42)ヨハネは,イエスが最後の晩に弟子たちとともにされた祈りを記録していますが,これは26節にわたります。(ヨハネ 17:1-26。ネヘミヤ 9:5-38もごらんください)これらの祈りは,特別の時にささげられた,特別の公の祈りです。神はソロモンの祈りを聞き,これをよしとされました。イエスの祈りもそうされたことは確かです。(歴代下 7:12。ヨハネ 11:42)そしてわたしたちはこれらの長い祈りが聖書に記録されていることを感謝しています。
聖書中に,神の喜ばれる祈りの例があることからすると,イエスが批判したのは祈りの長さというよりも,長くて,くどい,うわべを飾った祈りの背後にあるまちがった動機であったことがわかります。したがって,ソロモンやイエスのように,霊の思いをもつ,心の平衡のとれた人たちが,正しい動機で,心から長い祈りをささげたときは,エホバはそのような祈りを退けませんでした。
公の祈りや個人の祈りの長さについて規則は必要ありません。聖書にもそれは定められていません。ですからいろいろな祈りがあっていいわけです。
特別の試練や問題,または事態に直面したときの,とくに個人の祈りは,長い祈りが適当かもしれません。ゲッセマネの園ではイエスはかなり長い間祈られました。また12使徒を選ぶ前にも,「夜を徹して神に祈られ」ています。―ルカ 6:12,口語; 22:41-45。
他方,聖書には,当面の問題だけを取りあげた,きわめて簡潔な,すぐれた祈りがたくさんしるされています。(ネヘミヤ 2:4。列王上 18:36,37。列王下 6:17,18。ヨハネ 11:41,42。使行 1:24,25)それらの問題には他のいろいろな事柄が関係していたかもしれませんが,その場では,そうしたことを含めるのは適当でしたか。祈った人たちはそう考えなかったようです。またわたしたちは,イエスの模範的な祈りが簡潔であったことを思い出します。―マタイ 6:9-15。
祈りをするとき,その場の事情を考慮に入れねばならないことは明らかです。イエスは夜を徹して祈ることになんの不都合もないことを知っておられましたが,4000人の人間に物を食べさせる前に,極度に長い祈りをされましたか。聖書はこう述べています。「イエスは……七つのパンを取り,感謝してこれをさき,人々に配るように弟子たちに渡され(た)」。(マルコ 8:6,口語)同様に今日の会衆の集会でも,事情を考慮しなければなりません。たとえば主の晩さん式では祈りが4回行なわれます。もしこれらの祈りがみなひどく長いならば,式場の使用にかんするきちんとした取り決めや,式の話そのものが不必要に妨げられます。ですから平衡を保ち,よい判断を働かせることが必要です。
つまるところ,わたしたちが,宗教指導者たちの祈りにかんするイエスのことばから学ぶべき重要な点は,正しい動機と考えの大切さです。祈りをささげるクリスチャンは,人から「気高い」と思われるために祈りをするということがないようにしなければなりません。聞く人を感動させようとして麗々しいことばを使うべきでもありません。慈愛深い天の父に祈るということはすばらしい特権ですから,人は誠実な,へりくだった態度で,絶えずこの特権にあずかるべきです。(ルカ 18:13,14)もしわたしたちが祈りをこのように見れば,わたしたちの祈りの長さや内容は,公のものにせよ私的なものにせよ,時にかなった,そして必要を満たすものとなるでしょう。
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「あまり科学的ではない」ものみの塔 1969 | 10月1日
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「あまり科学的ではない」
● 進化論者が,証拠もないのに進化論を事実と断定していることに注目して,「聖書の洪水と氷河時代」(英文)と題する本は240ページで次のように述べています。「ダーウインは遺伝に関する自分の思いつきを,科学的な発見として発表したが,それはあまり科学的ではない。……かれを教育者や科学者ではなく宣伝家と考えるなら,かれの独断的な考えや,救世主的ともいわんばかりの自信のほどが理解できる。自分の態度が自信に満ちていれば,証明は必要なし,とかれは考えた。そして,証明なくして,他の学者はダーウインの考えを強力に推し進めた」。
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