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  • 互いに熱烈な愛を示し合う
    王国宣教 1974 | 5月
    • 互いに熱烈な愛を示し合う

      1 私たちはすべて人間としての不完全さや欠点を持っています。クリスチャン会衆内で行なっているように,密接な関係を持って働く場合,問題が生じたり,ひょっとすると問題がひどく大きくなったりする場合さえあります。しかし,私たちはみな知っているとおり,キリスト教を証しする刻印の一つはアガペー,つまり原則に基づく愛です。ではどうすれば個人的にも,また集団的にも私たちの生活上のこのきわめて重要な特質を完成できるでしょうか。私たちはクリスチャン会衆とともに奉仕しているので,明らかに私たちはみな,会衆の一致と調和に貢献したいと願っています。このことに関連して,ある人々が時々直面する事情の幾つかを再検討するのは有益でしょう。

      2 例えば,王国会館での行儀のことで自分の息子が長老から助言を受けたため,姉妹としてあなたが気持ちを乱しているとしましょう。もしかしてあなたはその助言を非難したり,あるいは怒りの言葉をもってその兄弟に応酬したりしたい気持ちになるかもしれません。しかし,愛は『刺激されてもいらだたず』,「愛は辛抱強く,また親切で」あるということを思い起こすのは良いことではないでしょうか。年長の兄弟たちは私たちや私たちの家族に関心を持っていること,しかし私たちの家族の事柄に不当に口出しする理由は持っていないということを,もし私たちが正しく認識しているなら,助言が与えられる際に示されるのと同じ精神をもって助言を受け入れることができるのではありませんか。(箴 15:31。詩 141:5)もちろん,普通長老たちは確かに,まず最初親の注意をそうした事柄に向けさせ,親に勧告を行なって,問題を親に処理させます。とは言え,王国会館で行儀よく振舞わなかったりするようなことが続くなら,長老たちは親と子供の双方と一緒に話し合って適当な助言や助けを与えることにするかもしれません。確かに私たちは王国会館である程度の礼儀を保たねばなりません。

      3 もしかするとあなたは,長老ならもっと上手に話せる人,あるいは物事をもっと組織的に上手にやれる人であるべきだと感じている人の一人かもしれません。それに加えて,問題の長老は少し癖を持っていて,それがあなたの気にさわるかもしれません。率直に言って,あなたはその長老の資格について疑問を感じているかもしれません。そして,恐らく,演壇でなされるその人の話を聞いても楽しく思えず,会衆に対するその助言を内心不快に感じているかもしれません。こうした事情の場合,「愛はねたまず」「すべての事に耐え」るということを熟考するのは良いことではないでしょうか。恐らくあなたはその兄弟を自分自身の見地から,つまり人間的な規準に基づいて評価しているのでしょう。ところが,長老や奉仕のしもべのための資格は神のみ言葉の中に述べられているものなのです。そのうえ,愛は他の人たちに与えられる良いものをうらやましく思わず,かえって仲間の人がより大きな責任を伴う立場につけられるのを見て喜びます。それで,霊的な資格という観点からその兄弟のことを考え,人間的な不完全さを見のがして協力するほうが勝ってはいませんか。(ヘブライ 13:7,17)批判的な態度で聞くのではなく,その兄弟が述べる助言や教訓の益をくみ取るのは明らかに愛のあることです。というのは,本当に重要なのは,だれが述べるかではなく,神のみ言葉が何と述べているかということだからです。

      4 終わりに,長老たちは,多くのものを与えられた者にはより多くのことが要求されるということを認めて,思慮分別を働かせる必要があります。(ルカ 12:48)長老が下品な話し方をしたり,あるいは自分の力で物事を成し遂げているといわんばかりの印象を与えたり,もしかすると成し遂げたことを自慢さえしたりするのは確かに不適当なことです。というのは,愛は「みだらなふるまいをせず」,「自慢せず,思い上が」ることがないからです。助言を与えたり,話をしたり,牧したり,教えたりする際,そうです,何事をするにしても,自分たちもやはり学ぶべき事柄があること,また他の人々にもやはり良い考えがあることを認めて,愛と謙遜の模範を示すのは長老の責任です。私たちすべてにとって,日々互いに熱烈な愛を表わし合うのは何と大切なことでしょう。―エレミヤ 9:24。コリント第一 1:31; 13:4-7。

  • 聖書を提供する6月のわざ
    王国宣教 1974 | 5月
    • 聖書を提供する6月のわざ

      6月中,私たちすべてはエホバへの奉仕において着実な働きを表わす優れた機会に恵まれます。つまり,私たちは「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」と「真の平和」の本を400円の寄付で提供します。できるだけ聖書を主な提供物として勧めますが,聖書はあるので,もう1冊求める気持ちはないと言う人がいたら,「真の平和」の本だけを提供してもかまいません。私たちの提供する優れた翻訳を考えて,十分の熱意を示してください。この翻訳の価値を示すさい,適当な聖句(フィリピ 4:8,9; コロサイ 3:12-14など)を用いるのは良いことです。神のみ名が用いられていること,索引などの特色を指摘してください。この聖書を求めた人たちを再び訪問して,それを用いて有益な研究を行なえるよう助けましょう。

  • 家から家への奉仕で,わかりやすい証言を行なう
    王国宣教 1974 | 5月
    • 家から家への奉仕で,わかりやすい証言を行なう

      1 「組織」の本の113ページの最後の節には,「わたしたちの目標は,聖書の理解と認識をもたらすことです」とあります。私たちは人々の家を何度も訪れますが,そうすることによって,人々が聖書の真価を,つまり創造者エホバ神や地上が楽園となるすばらしい希望,この邪悪な体制に臨む滅び,道徳上の健全な導きや家庭生活に関する優れた教えなどを徐々に知るよう,私たちは愛の心から人々を助けたいと思います。

      2 しかし,そうするには,多くの問題を克服しなければならないことをも知らねばなりません。一つには,日本で聖書が翻訳され,人々の手に入るようになったのは,わずか百年ばかり前のことであり,それ以前の何千年もの間,日本人には神のみ言葉は知らされてはいませんでした。しかも,エホバの証人による良いたよりを広めるわざも,第二次大戦後行なわれたも同然で,一般の人々が聖書の知識を持つという点では,西洋諸国に比べて大きな隔たりがあります。

      3 従って,証言の初めのほうで,「今まで聖書をお読みになったり,聖書の話をお聞きになったりしたことはないようですが,聖書という本があることはご存じだと思います。聖書は書かれてから何千年も経ちますが,今までに何十億冊以上全世界の人々に配布されてきました。宗教や信仰にあまり関心のない人でも聖書を読んで益を得ている場合がよくあります。例えば,あなたも日常生活で直面するさまざまな問題の解決策をいつでも聖書から見いだすことができます」と話すのも一つの方法です。(それから,特定の話題に結びつける。)

      4 さらに,明治の初期,日本はいわゆる西洋文明と言われる西洋の文化や科学技術また医学などを導入しましたが,そのあるものが聖書と深いつながりを持っていることに人々は気づきませんでした。それで,キリスト教や聖書に関心のない家の人に次のように話した人もいます。「例えば,ここにカレンダーがありますね。今私たちは一週間単位の生活を繰り返し,定まった休日を取っていますが,こうした習慣はどこから,またいつごろ日本に入ってきたのでしょうか。また,年号には西暦紀元を用いて,今年を1974年と数えますが,これはどの年から数えているのでしょうか。(多くの人々はこうした事柄を知らないので)今では私たちの生活にすっかり溶け込んでいるこうした事柄も実は聖書に由来しています。ですから,聖書は世界中の人々の生活に関係を持っていることがわかります」。このようにして,家の人の関心を少し高めてから,聖書の話に入ることもできます。

      5 「組織」の本の114ページの2行目には,わかりやすい話し方をするように勧められています。多くの伝道者は聖句を単に家の人に向かって読むだけに終わる傾向があり,わかりやすく説明する人は少ないようです。聖句の意味,特定の用語(楽園,ハルマゲドン,神の王国など)をわかりやすく話さないかぎり,人々はやがて関心を失い,言い訳をして断わり始めます。それで,家から家への奉仕のさいの私たちの証言を改善し,聖書を目だたせ,その貴重な音信を理解しやすい仕方で説明できるよう,積極的に努力しましょう。

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