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  • 法と秩序を求める声
    目ざめよ! 1970 | 1月8日
    • 法と秩序を求める声

      今あなたは,20年前,否,5年前と比べてさえ,自分の安全を脅かすものがより大きくなったと感じますか。暗くなってから街路を歩くことを,前より不安に感じますか。お子さんの身の上を,以前より心配されますか。家の戸じまりの必要を,昔よりも意識されますか。

      今,世界のたいていの人は,このような質問に肯定の答えをします。いたる所で,犯罪や暴力行為がふえ,人の身に及ぶ危険が増大しているからです。

      なるほどあなたご自身は,賊に襲われたり,暴行を受けたり,強盗に会ったりしたことがないかもしれません。しかし,そのような経験をする人はしだいに多くなっています。

      このことは大都市において特にそうです。タイム誌はこう述べました。「夜間に街路を歩いて少しも不安を感じないような大都市は一つもないであろう」。ある人は,1969年5月20日付ニューヨーク・タイムズ紙に寄せた手紙の中で,こう書いています。

      「わたしたちの町において,襲撃事件が毎日何百件,何千件と起きていることを知り,わたしは,自分と仲間のニューヨーク市民の置かれた状態に,深い悲しみを感じます。……

      「冷たくとがった鋭い刃物を,顔からわずか数センチのところに突きつけられた経験のある人なら,人間的な信頼感をいだいて見知らぬ男の顔を見ることはもうできなくなるでしょう。わたしはそのような経験を2度もしました。この町で夜間に出歩く人は,敵地にひとり残された兵士のような恐怖を感じ,時には白昼にそうした気持ちになることさえあります」。

      これに暴動,学生の騒乱などを加えれば,最近の一調査において,その対象となった人の81パーセントが,「法と秩序は乱れている」ということばに同意した理由もうなずけるでしょう。このことは地上のどこの国でも,おおむね似たような状態になっています。アメリカのコロンビア放送会社社長は語りました。

      「社会の規律はくずれつつある。……この混乱ぶりは悲惨であるが,ジェームズ・レストンが書いたとおり,『今日の世界で最大のできごと』となっているのだ」。

      同社長はまた,問題をつきつめれば,「法と秩序を守るかどうかというごく簡単な事柄」になると述べました。

      法と秩序。今日,人々が叫び求めているのはこれです。しかし,法と秩序が守られるとはどういうことですか。多くの人,そしておそらくあなたにとっても,それは,襲撃,強盗,強姦などの不安を感じずに街路を歩けるような状態を意味しているでしょう。それは自分の家財や仕事を人にそこなわれないような状態でもあるでしょう。

      しかし,すべての人がそのように考えていますか。

  • ある人は法と秩序をどう見るか
    目ざめよ! 1970 | 1月8日
    • ある人は法と秩序をどう見るか

      現在の法と秩序は実際には自分たちの益になっていないと感じている人が少なからずいます。そうした人は単なる路上の安全や資産の保障以上のものを求めています。

      たとえば,アメリカ,テキサス州ヒューストンのクロニクル紙は,「若者の中には,法と秩序ということばを不快に感じている者もある」と伝えました。多くの若者は,自分たちよりも年配の世代が造り上げた周囲の世界に反発しています。USニューズ・アンド・ワールド・リポート誌は,そうした反発の理由の一つを次のように述べました。

      「戦死した者の約半数は,たいていの州においてまだ選挙権も与えられないような若者であった。年齢別に見ると,20歳の戦死者がいちばん多かった。……そうした若者のほとんどは職業的な軍人ではなく,軍服を着てまだ一,二年にしかならない者たちであった」。

      自分たちが制定せず,また承認もしなかったにもかかわらず,自分たちが殺し,殺されることを求める法律に対して不満を感ずる若者が多くなっているのです。そうした若者はその種の法律を不当なものと見ています。

      社会の少数者グループも現行の法と秩序に対して異なった見方をいだいているでしょう。ニューヨーク・タイムズ紙はアメリカの黒人の多くについてこう伝えました。「アメリカでの法と秩序の維持が強調される場合,黒人はそれを,自分たちの犠牲においてなされるものと見ている」。それで彼らが求めているのは,彼らに対して社会正義と機会の均等とを実現する法と秩序です。

      また,貧しい土地に住む人々は,自分たちが圧迫されてやせた狭い土地に拘束され,経済的な隷属状態にあるのは,現行の法律のためであると感じています。

      またある人々は,たとえそれほどの貧困を経験していなくても,ある種の法律を不当なものと感じています。たとえば,自分がかなりの所得税を払っているのに比べ,富裕な人々が免税項目への投資によって,ほとんどあるいは全く所得税を納めていないのを見るかもしれません。また道路の指定された側とは反対の側に車を止めて罰金を課せられた人もいます。十分な駐車地がなく,そこがただ一つのあいた場所であったのかもしれません。こうした事柄がいろいろ重なって不満がつのり,反抗気分になる人々もいます。

      今日,物事の行なわれる方法に何か欠陥があることは明らかです。今日の世界の状態に対しては,至る所で不満が増大しています。どうしたら解決できますか。法律をいっさいなくし,秩序を全く無視してしまうことですか。そして,すべての者が自分の好むままに行動することですか。これは無政府状態,つまり全くの混乱に終わるでしょう。そうした状態を望む者はまずいません。なんらかの法が必要であり,なんらかの秩序が存在しなければなりません。

      しかし,問題は,だれの法,まただれが定める秩序を求めるかということです。法と秩序が守られ,しかもすべての人に真の正義と平等を実現するような体制が存在しますか。では,今日までにどんなものが試みられてきましたか。人間が造り出したさまざまな体制は成功してきましたか。人々は問題の解決策を持っていますか。もしそうでないとすれば,だれが解決策を持っていますか。それはどんな解決策ですか。

  • 人々は解決策を持っているか
    目ざめよ! 1970 | 1月8日
    • 人々は解決策を持っているか

      今日増大する不法に対してどんな解決策が提出されていますか。

      ときに提案されることの一つは,もっと力を行使せよということです。「警察力を増強し,刑罰を重くせよ」と叫ばれています。

      犯罪者が自分の悪行に対してなんらかの刑罰を受けるべきことを,正当に否定できる人はいないでしょう。聖書は,神が,ご自分の民であった古代イスラエルに対し,悪行者に対する刑の規定を含む律法を与えたことを述べています。その中には死刑も含まれていました。(民数 35:31。出エジプト 22:1-6)そして,今の時代にあって取り締まりを緩和するならば,事態はさらに悪化することが予想され,これを否定できる人もいないでしょう。

      それで問題点は,今日の人間社会における法律的な取り締まりを強化すれば,犯罪の上げ潮を食い止めるのに効果があるかということです。

      取締当局は問題を解決できるか

      犯罪の増加に伴い,多くの土地では警察力が増強されています。しかし,警察力による犯罪の防止は,公衆の協力に依存するところが大きいという点を忘れてはなりません。今日,多くの土地において,警察に対する協力は最低の状態になっています。これに加えて,警察官自身も,心を腐敗させる誘惑的なさそいを受けやすいという立場にあります。

      今日,警察力を増強することは,安全を守るという点でどの程度効果があるでしょうか。タイム誌1969年6月3日号がニューヨーク市について伝えた次の事柄は,あなたにとっても興味のあるものでしょう。

      「同市の一区画ごとに警官を配置し,1日24時間パトロールさせるとすれば,年間250億ドルの費用がいる。これは[アメリカ]国防省の年間総予算の3分の1にあたる。

      「これが可能であるとしても,それによって犯罪を食い止めることはできないだろう,と警察当局者は語っている。犯罪の過半は,住居,飲食店,建物内部の通路,エレベーターなど,警察官がパトロールしない場所で起きているからである」。

      問題のむずかしさを認めた,アメリカ全国犯罪委員会の前委員長ジェームズ・ボレンバーグは,「単に法律を執行しても完全には処理できない犯罪行為が多い」と語りました。なぜですか。

      なぜなら,法律の執行だけで,人の誤った欲望や憎しみの感情を正すことはできないからです。それは人の基本的な態度を形づくるものではありません。考え方の基本が誤っている場合,法律を執行するだけでそれを矯正することはできません。

      また,法律を執行するだけで,不正,偏見,貧困などを取り除けるわけではありません。それは貪欲な人を寛大にならせ,ごう慢な人を謙そんにならせるわけではありません。法律を執行するだけで,不満や犯罪の原因となる状態をなくせるわけではないのです。

      政府は何をできるか

      地方当局者よりは大きな権力を持つ国の政府は問題を解決できますか。国々の政府はどんな実績を残していますか。

      たとえば,諸国家の政府は相互の間に平和な関係を保ち,なんらかの問題が生じた場合でも,正当な原則に従い,秩序だった仕方で解決してきましたか。あなたご自身がその答えを知っておられます。1914年以来,諸国家は破壊の程度において先例のない大戦争に介入してきました。そのために,1億以上の人が殺され,またけがをしてきたのです! 家屋その他の資産に与えた損害は膨大な額に上ります。どの国も敵国に対する憎悪をあおりたててきました。それは自国の国民にどんな影響を与えてきましたか。それは国の法と秩序に対する敬意また忠誠心を育てましたか。ルック誌はこう答えます。

      「世界の諸国民は,一般公衆もその指導者も,他の人間に対してなされるいかなる暴力行為をも正当化するすべを常に心得ているようである。……容認された暴力行為の存在することが,法と秩序に対する人々の尊敬心をすり減らしている[もしくは,むしばんでいる]ことは確かである」。

      オランダのワールド・ユニオン誌1969年5月号は,国際連合についてこう述べました。

      「国際連合……は,国際的な秩序の確立という点でなんら成功を見ていない。その創設以来,我々は人類史上最も気違いじみた軍備競争を目撃し,第三次世界大戦の絶えざる脅威の下に生きてきたのである」。

      そうした軍備競争のために毎年巨額の資金が投ぜられているのです。

      諸国の政府が問題を解決していないことは明らかです。そうした政府内の人個人がどれだけ誠実であるとしても,政府そのものは,法と秩序が十分に守られた,真の安寧をもたらし得ないことを示しています。

      経済体制についてはどうか

      経済状態が改善されれば不法は必ず減ると言えますか。決してそうは言えません。やや逆説的ながら,世界の富裕国は最高の犯罪率を示しているのです! そして,豊かな国における少年犯罪の増加は当局者を大いに悩ませています。カナダ国立銀行の定期刊行物マンスリー・レター1969年3月号は次の点を認めました。

      「経済上の繁栄と並行する犯罪増加は,カナダ国民に容易ならぬ問題を提起している。貧困は犯罪を生むというのが通説であったが,カナダ国民はこれを修正しなければならない事態に直面している。つまり,裕福なことも犯罪の温床になりやすいことを認めねばならないのである」。

      世界の経済体制は,犯罪の一因となる,人の不満を決して減少させていません。買い物をしなれているかたなら,最近の物価が絶えず上昇していることを知っておられるでしょう。国民の所得に対する税の割合も終始高くなっています。この経済上の圧迫は人々の不満を助長しています。所得税をごまかす人や,万引き行為が著しく増加していることに示されるとおり,ある人々はこうした経済上の圧迫に対し,犯罪的な行為で答えています。

      自らほとんど不断の危機をかかえている世界の経済体制に救いをあおぐのは,実際的なことですか。国際的な経済危機がひん発していますが,一危機が過ぎた時,ニューズウイーク誌は,「世界の微妙な金融機構は大混乱のせとぎわに立って再び動揺した」と述べました。金融問題の権威者アルバート・ハーンは,世界の経済体制について,「この体制がいつの日か崩壊することはまちがいない」と語りました。これが安定した社会の基盤となり得るでしょうか。

      世界の諸宗教はどうか

      では,少なくとも世界の幾つもの宗教組織は,法と秩序の守られた平安な社会に向かって人々を導いていますか。

      キリスト教世界の諸教会についてはどうですか。今日,わたしたちは,暴力,政治への介入,婚前性交,また淫行や姦淫をさえ許容し,弁護する牧師がしだいに多くなっているのを見聞きしています。そして教会そのものは論争や反抗のために分裂している場合が少なくありません。

      その上,M・マーティーが「有用な将来の探求」の中で述べたとおり,「世論調査的な結果からすれば,人道また倫理上の重要問題に関し,クリスチャンは非クリスチャンとの差をほとんど失っている」のです。それゆえキリスト教世界の諸教会は,自らが“異教徒”と呼ぶ人々と比べ,なんらまさっていません。

      キリスト教国諸教会の力が衰えている原因の一つを指摘して,USニューズ・アンド・ワールド・リポート誌はこう述べました。

      「世界におけるキリスト教の威信がはなはだしくそこなわれたのは,キリスト教を奉ずるはずの国民が,国際変革の手段として,くり返し暴力に頼ってきたためである」。

      しかし,戦場であるいは暴動や反抗に携わって互いに戦い合ってきたのは,キリスト教国諸教会の信徒だけではありません。キリスト教以外の宗教の人々も実質的に同じことをしてきました。回教徒は他の回教徒と,仏教徒は他の仏教徒と,そしてヒンズー教徒は他のヒンズー教徒と戦ってきました。

      法と秩序の守られた真の安寧は,人々の心に根ざすものでなければなりません。世界の諸宗教は人々の心を教え導く者と自負してきました。したがって,社会の法と秩序が崩壊していることに対する主要な責任は,そうした宗教組織の歩みに求められるのです。世界の諸宗教は,真に道義的で平安な社会に向かって人類を導くという点で失敗してきました。

      科学は答えを与えるか

      科学は秩序ある社会の基盤となりますか。

      科学技術の進歩は幾多の機械と道具を作り出し,人の喜ぶところとなっています。しかしそれとともに出現したのは大都市であり,大都市は今や行き悩み,さまざまな問題の集中するところとなっています。科学は高速の運輸手段をも生み出しました。しかし今,空,および陸上の交通はもつれて多くの問題を生み,毎年幾千幾万の人が事故で死んでいます。

      また水と空気,そしてわたしたちの食物をさえ徐々に汚染している物質や機械類はどこから来ていますか。そして,この時代に幾千万の人々を殺した破壊的な兵器はどこから来ましたか。科学からです。

      科学は人間を月に送ることをさえ可能にしましたが,そのための費用はまさに莫大なものでした。その一方においては,幾千の人々が日ごとに餓死し,都市は混乱し,犯罪は著しく増加しています。

      科学は人類にとって真に重要なそして最も緊急な問題を解決していると言えますか。実際は,アムハースト大学のH・S・コメイガー教授がサタデー・レビュー紙の中で述べたとおりです。「科学技術が空前の進歩を見た世代の末に,人類は,飢餓がより広範囲になり,暴力的な傾向がいよいよその度合いを強め,人間の生活がいっそう不安定になったことを知った」。

      また,オーストラリア,メルボルンのヘラルド紙は,科学の進歩が人類を導く方向に関して次のことを伝えました。「その発明によって米国原子力潜水艦の父と称せられるハイマン・リッコーバー海軍中将は,……科学技術はその活用が正しく制御されないなら,『フランケンシュタインのごとく,その考案者を滅ぼす結果にもなりかねない』と警告した」。

      ここに人間のあわれむべき記録があります。幾世紀にもわたる機会があったにもかかわらず,人間は真の正義と平等,また平安と秩序のある社会をもたらし得ませんでした。人間は問題の解決策を持たないのです。

      それはなぜですか。人間のもくろみが失敗してきたのはなぜですか。今日の社会秩序の乱れは実際には何を意味していますか。

      [7ページの図版]

      抗議!

  • 社会秩序の崩壊は何を意味するか
    目ざめよ! 1970 | 1月8日
    • 社会秩序の崩壊は何を意味するか

      確かに,社会秩序の崩壊したことは,人類史上の他の時期にもありました。ローマ帝国の衰亡期には,それが大きな規模で起こりました。今日の犯罪と暴力を『ごく正常なもの』とみなし,『歴史はくり返すのだ』と論ずる人がいるのはそのためです。

      しかし,今日の社会秩序の乱れにはそれ以上の意味があります。それは単に一か国の問題ではないのです。地上のすべての国で,社会のあらゆる要素がこれほどの崩壊を同時に経験したのはかつてないことであり,問題の担当者はその点を悟っています。

      しかしこれは人口の増加と報告方法の進歩のためであると言う人がいます。それはほんとうですか。

      人口の増加と報告方法の進歩のためですか

      社会秩序の乱れが単に人口の増加によるものならば,犯罪の増加は人口の増加とほぼ同じような比率を示しているはずです。実際にそうですか。

      フランスの事情について,フィガロ紙は,「少年非行は1955年以来4倍に達した」と述べました。しかし,その間の少年人口は増加していないのです。スウェーデンの場合,犯罪は人口の12倍の速さで増加しています。ドイツにおいては10倍であり,アメリカについて見ると,1960年から1968年までの8年間に,犯罪は人口の11倍もふえました。そして,1968年1年間だけについて見ると,犯罪は人口の17倍の速さで増加したのです!

      警察当局者によると,犯罪の過半ではないまでも,その多くは報告されていません。この点も考えてください。報告件数の3倍の夜盗が起き,それを上まわる強姦事件の起きている場所もあります。そして,ある種の犯罪については全体の10分の1しか報告されていない都市もあります。

      人口の増加と報告方法の進歩がほんとうの理由でないことは,AP通信の次の報道に述べられています。

      「アメリカ連邦検察局のJ・エドガー・フーバー長官は,きょう,青少年人口の大幅な増加,および警察当局の資料の完備をあげて米国の犯罪問題を軽視する人々を強く非難した。……同長官によると,『犯罪統計の背後にある恐るべき事実を言いのがれ』ようとする者は必ず失敗に終わる」。

      ただ“犯罪分子”だけの行動か

      こうした不法な傾向に加わっているのはいわゆる“犯罪分子”だけであると考えてもなりません。アメリカ,フィラデルフィアのサンデー・ブルテン紙はこう伝えました。「犯罪の大部分は,上等でこぎれいなシャツを着て毎日職場に通い,昼食時には職場の食堂や町のレストランに集まって,社会の不法と無秩序ぶりを責める人々によってなされている」。

      同じ新聞は,“卑しからぬ”とされる人々が,凶器を持って侵入する強盗などの何倍もの商品や金銭を,自分の職場から盗み出していることを示しています。アメリカの場合,この種の人々が会社から盗み取った金品は年額40億ドルに達し,外部から侵入するいわゆる“犯罪者”が盗んだ5,300万ドルの70倍以上に及んでいます。

      それで,問題に関係しているのは常習的な犯罪者だけではありません。盗み,不正,また暴力に訴える傾向などは,人類家族の大きな部分に浸透しているのです。

      明白な一つのこと

      この広範囲な秩序の乱れには一つの明白な意味があります。政治評論家ディビッド・ローレンスはその点をこう述べます。「我々は言いわけを求めれば求めるほど,地上の不幸が,人間によるものであることを認めざるを得ない。我々の根本的な弱みは,自らを治めるという問題を,いまだに解決していないことである」。人間は自らを治めるという点で成功していないのです。

      確かに人間は知的な面ですぐれた能力を備えています。人間は驚くべき機械を発明し,大洋の底を探検し,月にロケットを打ち上げました。しかしその知恵と判断力をもってしても,人間は人間どうしの関係を正しく保つという点でうまくいっていません。

      人間はまだ十分な試みをしていない,とは言えません。歴史は,これまで数千年にわたり,人間が行なう支配という面で,考え得るかぎりのものが試みられてきたことを示しています。それで,いま少しの時間が必要であると論ずることはできません。そして,人間の企てにおいて成功を期待すべき時代があるとすれば,それは今の時代です。ところが今日,人間は,秩序の維持という点で最悪のものを経験しています。

      どこに頼るべきか

      失敗の明白なものに導きをあおぎ続けるのは分別のないことです。わたしたちはどこかほかの所に導きを求めねばなりません。

      しかしどこにですか。人類がかかえる諸問題の解決は,人間を創造されたかたにあおぐべきではありませんか。人間のかかえる問題が最初に始まった時,今日のわたしたちはだれも生きていませんでした。しかし創造者はその時にも存在しておられました。創造者は今日の危機に至ったすべての経過を見てこられました。確かに人間の創造者は今の人類社会が崩壊過程にある理由を最もよく知っておられます。そしてそのための解決策をも知っておられるのです。

      またわたしたちはその解決策がどんなものかといぶかる必要もありません。神はその重要な知らせを,それを誠実に求める人すべてが学べる形で備えられました。その真実で納得のゆく解答は,人類家族を導くためのものとして神が霊感の下にしるさせた聖書の中に収められています。『聖書はすべて神の霊感によるものであり,物事を正すのに有益』な本です。―テモテ後 3:16,新。

      人間が失敗する理由

      神に創造された人間は,自分の創造者なる神から離れて自らを成功裏に治める権利また能力を与えられませんでした。聖書はこの点を明確に示しています。エレミヤ記 10章23節(新)はこうです。「地上の人間の道は人間が決めるもので(は)ない……自分の歩みを定めることさえ,歩く人に属してはいない」。

      人間に必要な食物を例にしてこの点を説明しましょう。人間が生命を維持するには食物を欠くことができず,神はそのようなものとして人間を創造されました。人間は食物なしでは生きられません。食物を取り入れることをやめるなら,人のからだは衰弱します。

      同様に,神は精神面での正しい糧が絶対に必要なものとして人間を創造されました。精神面での正しい糧とは,神の教え,および神からの導きです。人間はそれなくしては健全な生活を営めません。(マタイ 4:4)もしこの導きを退けるなら,人間の行なう物事は破たんを招きます。それは,食物を取らず,あるいは栄養の欠けた食事をするなら,身体的な破局を招くのと同じです。それゆえ箴言 3章5節はこう助言しています。「こころをつくしてエホバにより頼め,おのれのさとりによることなかれ」。

      ここに根本的な問題があります。人類は概して神の至上の知恵を無視し,自らの劣った考えに頼ってきました。神の導きに逆らった,わたしたちの最初の先祖の場合がそうでした。(創世記第3章)以来6,000年近くにわたり,民および支配者のほとんどは,同様の行動をとってきました。人間を倫理面で自由な行為者として創造された神は,人間がそうした道を選択することを許されました。しかし,人間は自分の選んだ行為に対する責任を負わねばなりません。

      そうした歩みの結果はわたしたちの目の前にあります。それは「人が人を治めて傷つけた」という聖書のことばどおりです。(伝道 8:9,新)神の導きから離れた人間の支配は破たんをもたらしました。それは不可避なものでした。神は人間が勝手な道を求めるという悲劇的な経験を許されましたが,同時にその期限をも明確に定められました。神は不法な事態が無制限に続くことを許されないのです。―エペソ 1:10。黙示 11:18。

      今日の崩壊が真に意味するもの

      今日,全世界に見られる法と秩序のはなはだしい乱れには重大な意味があり,聖書はその点を明示しています。つまりそれは神から離反した今の事物の体制が,神の許された期限の終わりに近づいたことを示しているのです! この事物の体制はその最期を迎えようとしています。

      聖書に頼って物事を判断しない人々でさえ,世界が大詰めを迎えようとしていることを意識しています。ノーベル賞を受けたハーバード大学のジョージ・ワルド博士は,1969年4月9日付,カナダ,ビクトリアのデイリー・タイムズ紙の中でこう述べました。

      「過去数年の間,わたしは何事かがはなはだしく誤っていることを感じてきた。この意識はしだいに強くなり,ことしは昨年よりずっと強く感ずる。……我々は大きな決定の時期に来たと思う。それは単に我々の国,また人類全体だけではなく,地上の生物全体にとってである」。

      英国の大学教授フレッド・ホイルは,社会は「すでに崩壊しはじめている」と警告しました ― 69年3月4日付,メルボルンのエイジ紙。

      これこそ,神の許された人間による支配が終わりを迎えた時に起こる事として,聖書が予告していた点です。テモテ後書 3章1節(新)は,「終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来るであろう」と予告していました。

      聖書預言の成就となったすべての証拠は,「終わりの日」が1914年に始まったことを示しています。タイム誌1968年8月30日号は,「20世紀の運命を決定した最大の年は1914年であった」と述べました。第一次世界大戦のぼっ発によって,現在の体制は人間による支配の最終期にはいりました。史上最悪の秩序崩壊が始まったのです。以来,それはしだいに度合いを強めてきました。

      この「終わりの日」のしるしとして聖書があげる事柄をご自身でお読み下さい。テモテ後書 3章は細かな点を述べています。マタイ伝 24章はイエスの語られたしるしについて多く述べています。その一つは,「不法が増す」ことであり,わたしたちは至る所にそれを見ています。―マタイ 24:12,新。

      しかし,「終わりの日」に生きているということは,前途に希望がないという意味ではありません。正義と公正,また法と秩序の守られる良い状態が決して実現しないという意味ではないのです。

      むしろ,その正反対であり,今日の全世界的な秩序の混乱は,誠実な人々の待望する健全な状態の実現が近いことを示す明確な証拠なのです!

      [8ページのグラフ]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      140%

      120% 犯罪

      100%

      80%

      60%

      40%

      20%

      人口

      1960年から1968年にかけて,アメリカの人口は11%増加した。しかし,同じ期間の犯罪の増加は122%であり,人口増加の11倍である!

  • 法と秩序の守られる人類社会の実現は近い!
    目ざめよ! 1970 | 1月8日
    • 法と秩序の守られる人類社会の実現は近い!

      人類社会を,犯罪,暴力,戦争,不正,貧困などからほんとうに解放する政府の下で生活したいと思われませんか。

      そうした数々の益をもたらす政府は,失敗を重ねてきた人間の古桶の底をたたくだけでは到来しません。それは,全宇宙的な法と秩序を確立する能力をすでに実証したかたによってのみもたらされるのです。そのかたは創造者エホバ神です。創造者の能力は天空に明白に実証されており,核科学者セシル・B・ハマンはそのことについてこう語りました。

      「目を上げて天空を見る時,我々は星その他の天体の整然とした広がりに驚かざるを得ない。宇宙のさまざまな世界は,日ごと,季節ごと,年ごとの変化を幾千年にわたって整然と続けてきたのである。星の運行はきわめて規則的であり,日食,月食,星食は幾世紀も前から正確に予告できるのである。……星の運行に一定の法則がなかったならば,七つの海を越え,標識のない大海を航行する際の助けとして,人間が星に頼ることはなかったであろう」。

      全宇宙にわたり,そうした驚嘆すべき法則と秩序とを定めた神は,一つの小さな惑星である地球の上にも,整然とした法と秩序を確立することがおできになるはずではありませんか。しかも神は,まさにそのことを行なうための一つの政府を,わたしたちの時代に建てるというお目的を明示しておられるのです。聖書はこう予告しました。

      「それらの王たちの日に,天の神は決して滅びることのない一つの国を建てられます。この国がほかの民に渡されることはありません。それはこれらの国々すべてを打ち砕いて終わらせ,自らは限りなく続くでしょう」― ダニエル 2:44,新。

      ダニエルのこの預言は,神の建てる一つの政府が,人間の建てたすべての政府に取って代わることを示しているのです! 神の建てる政府はくずれゆく人間製の体制をつくろうのではなく,それを打ち砕き,待ち望まれた変化のための道を開くのです。(マルコ 2:21,22)そしてその政府は天から支配するのですから,人間がこれをあやつり,また腐敗させることは決してできません。

      神の国が圧政的になるというような懸念がありますか。では,神が定められた,宇宙を統御する自然の諸法則は抑圧的なものですか。そうではありません。それは驚嘆すべき秩序と調和を作り出しているのです。同様に,人間関係を律する神の法は,真に最善の秩序を築き,最大の益をもたらすのです。それを無視するなら,必ず難問を招きます。それは,重力の法則を無視して高い建物の上から飛び降りる人と同じです。

      神の支配が圧制的になり,また不正な方向に進むことはありません。わたしたちはそのことを確信できます。神のみことばは,「(神が)義をもて世界をさば(く)」ことを保証しているからです。(使行 17:31)また聖書は,「神は人のごとくいつはることなし」とも述べています。(民数 23:19)それで,「民は平和の家にをり,思ひわづらひなき住所にをり安らかなる休息所にをらん」という神の新秩序に関するお約束を読むとき,わたしたちはそれを信じることができるのです。―イザヤ 32:18。

      そのような政府こそ,今日の恐るべき状態からの救いを求める人類にまさに必要なものです。しかし,その政府は犯罪,暴力,戦争などの問題をどのように解決するのですか。そうした政府が実際に効力を発揮するというどんな現実の証拠が存在しますか。

  • 犯罪と暴力と戦争は一掃され,― 平和と安全が世界にゆきわたる
    目ざめよ! 1970 | 1月8日
    • 犯罪と暴力と戦争は一掃され,― 平和と安全が世界にゆきわたる

      鍵や錠前を捨て去ることができ,どろぼうの侵入などを全く恐れる必要がない状態が来れば,あなたはどうですか。

      いつ,どんな場所でも思いのままに歩くことができ,会う人のすべてが自分に親しい人であるとすれば,あなたはどのように感じますか。

      戦争が永遠に過去のものになったということを知れば,あなたは大きな慰めを感じませんか。

      こうしたほんとうの平安,また安全は決して夢ではありません。それは必ず実現するのであり,神の国の支配によってもたらされるのです。

      これを非現実的で信じられないと言う人がいるのは確かです。しかし,そうした人々でも,多くの約束をしながらそれを実現できない不完全な人間に頼りつづけます。それは現実的なことですか。そうではありません。ほんとうに現実的な人は,事実を直視し,誤りやすい人間ではなく,「偽ることのできない」神に頼ります。―テトス 1:2,新。

      邪悪な者たちを取り除く

      今日の増大する不法に,神はどのような現実的な仕方で対処されるのですか。では,作物を植えた畑に雑草がはびこった場合,農夫はどうしますか。農夫は雑草を根こそぎにするか,土をすき返すかして,雑草を除くでしょう。そうです,力を用いるのです! 箴言 2章22節はこう述べています。「悪者は地よりほろぼされ,もとる者は地より抜きさらるべし」。

      人間の支配の下で単に力を用いることは成功していないのに,この場合はどうしてうまくゆくと言えますか。神はご自分の力を完全に統御されるからです。創世記 18章25節(口語)は,「正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを,(神)は決してなさらない」と述べています。戦争において無差別に人を殺すこの世の国々とは大きく異なるではありませんか。

      しかし,邪悪な者たちを取り除くということを,ごく少数の人だけに関係のある事柄と考えるべきではありません。今日大多数の人が容認している事柄の中には,神の忌みきらわれるものが少なくないのです。たとえば今日,淫行,姦淫,同性愛行為などを悪と考えない人が多くいます。おそらく表向きは合法性を装いながら,うそ,偽り,盗みなどを常習としている人も少なくありません。好んで泥酔者となる者,暴力や殺人を助長する人々などもいます。しかし,そうした歩み方から離れないなら,今日の邪悪な体制とともに切り断たれることを免れません。神のみことばはそのことを警告しています。―黙示 21:8。

      絶ち滅ぼされる邪悪な者の数が多いことは,聖書の中であらかじめ次のように預言されています。「その日エホバのころし給ふ者は地のこのはてより地のかのはてに及ばん」。(エレミヤ 25:31-33)これは正しく公正なさばきの表われとなるでしょう。エホバはその時のさばき主であられ,人の心の中を見られるかただからです。

      こうして,エホバは一度徹底的な処置を取られることにより,全地の犯罪と暴力を一掃されます。しかし,不法な傾向が再び頭をもたげないとどうして言えますか。

      神の国の正義の支配者

      正義を維持するためには,正義を実践する支配者が必要です。その支配者は神の定める法と秩序を自ら守る者でなければなりません。

      わたしたちの地球を治めるそのような為政者をどこに見いだせますか。確固とした態度で真実を語り,いつも正しい事柄を守り,抑圧された貧しい人々を助け,自分の命をなげうつほどに他の人々を愛した人がいますか。

      すべての資格にかなうただひとりのかたは,「すべての点で試みを受けながら,罪のなかった」イエス・キリストです。―ヘブル 4:15,新。ヨハネ 3:16。

      地上におられたイエスは,真実さと正義に関する神の規準に忠実さを実証し,苦しみの死に直面した時にさえその態度を保ちました。その報いとして,神はイエスを天の命によみがえらせ,神の国の支配者となる権利を与えられました。(ペテロ前 3:18。詩 110:1)そして,この「終わりの時」,その天の御国の設立によって,キリストは支配を開始されたのです。「この世の国は我らの主およびそのキリストの国となれり。彼は世々かぎりなく王たらん」― 黙示 11:15。

      キリストご自身は,神の定められた法と秩序を守るという面で最善の手本を示されましたから,キリストの支配下に生活する民も同じように行動しなければなりません。また,心の正直な人々は,この正義の支配者の法に従う忠実な奉仕に引き寄せられるでしょう。この支配者は自分の民をきわめて思いやり深い仕方で扱われるからです。イエスは自らこう言われました。「すべて労する者,重荷を負ふ者,われに来れ,われ汝らを休ません。我は柔和にして心卑ければ我がくびきを負ひて我に学べ,さらば霊魂に休息を得ん。わがくびきはやすく,わが荷は軽ければなり」。(マタイ 11:28-30)そうです,このような支配者に従うことは大きな喜びではありませんか。

      ともに治める者たち

      神の天の政府の支配者であるイエス・キリストには,天にあってともに統治の仕事に加わる有能な者が数多くいます。(黙示 20:6)その者たちの数は14万4,000人です。(黙示 14:1)これだけの者がいれば,神の立てた法と秩序が,新秩序下の全地で守られるのを見届けるに十分でしょう。

      これらともに治める者たちは,イエスに似た資質を備えています。どうしてそう言えますか。それらはすべて,地上にあってイエスの忠実な弟子として仕え,死に至るような迫害下にあっても神の法に対する忠節を保ち,正義への愛を実証する人々だからです。それゆえ,彼らも霊の命への復活という報いを受け,天にあってイエスとともに治める者とされるのです。(黙示 3:21)支配に加わる者として,彼らはどんな態度で行動しますか。イエスは,これらともに治める人々の初めの者たちにこう言われました。

      「異邦人の君のその民をつかさどり,大なる者の民の上に権を執ることは汝らの知る所なり。汝らの中にてはしからず,汝らの中に大ならんと思ふ者は,汝らの役者となり,かしらたらんと思ふ者は汝らの僕となるべし」― マタイ 20:25-28。

      あなたは,正直で,誠実で,謙遜であり,しかも人類の必要に答えつつ無私の心で奉仕する支配者の下で生活したいと思われませんか。キリストとその共同支配者はそのような者であることを実証しています。その支配下に住む人々は,政府が自分たちを顧みず,自分たちの福祉を誠実に考慮しないと考えて,失望やいらだちを感ずることはありません。

      さらに助けとなる事柄

      神の国の支配には,法と秩序を保たせるものがまだほかにもあります。たとえば今日では,政治的また国家主義的な宣伝のために,幾多の憎悪と分裂が生じています。また,人々に卑わいな感情をいだかせる映画,テレビ番組,読み物などが数多くの犯罪や不道徳行為を誘発しています。

      しかし,神の建てる新秩序下においては,あらゆる伝達手段すべてが,真実で,健全で,人の徳を高める事柄のためにささげられます。『エホバを知る知識が地に満ちる』からです。(イザヤ 11:9,新)これは全世界に全く新しい雰囲気,新しい精神をかもし出す助けとなるでしょう。それは正しいことを行なうように人を動かすのです。

      また,定められた法を犯して逃げおおせることは決してできません。これは悪行を控えさせる強力な力となるでしょう。今日では,電気的な装置を用いても違反者をつきとめられない場合があります。しかし聖書はこう述べています。「エホバの宝座は天にあり,その目はひとのこをみ そのまなぶたはかれらをこころみたまふ」。(詩 11:4)それで,神および神の国の代表者の目をのがれ得る犯罪はありません。

      神の新秩序下において,誤った歩みをいつまでも改めようとしない者は,生きつづけることを許されないでしょう。そのような者は,他の人々の平和と安全を脅かすからです。「百歳にて死るものをのろはれたる罪人とすべし」ということばがその場合にあてはまるでしょう。(イザヤ 65:20)つまり,その者は滅びをこうむるのです。正しいことを行なおうとする者にとって,これは慰め,また保護となるではありませんか。

      こうした,法と秩序に対する天からの管理が確かに効力を持つことを,わたしたちはほんとうに確信できますか。できます! そして,その証拠を,神の新秩序が到来するまで待つ必要はありません。わたしたちはその証拠を今日すでに見ることができるのです!

      今すでに働く神の規準

      1914年,「終わりの日」が始まるとともに,神の天の政府は神の御子を王として支配を開始しました。聖書の預言はそのことを示しています。政府にはその統治を受ける民がいます。では,神の御国政府の民はだれですか。それは,『エホバが自分たちの審判者,立法者,また王であられる』ことを認める人々です。(イザヤ 33:22,新)それは,エホバ神を崇拝し,エホバとその御国について証言する人々です。―イザヤ 43:10。

      それで,今日神の天の政府はその統治を受ける民を地上に有しています。それはエホバの忠実な証人たちです。今日,100万を超えるエホバの証人が,世界の200の土地で,エホバの御国のために活発に働いています。―マタイ 24:14。

      エホバの証人は法と秩序を守る面で今なにを行なっていますか。まず彼らは,そのための正しい基礎を築いています。彼らは神のみことばを学び,神の法に関する知識をいつも取り入れています。(ヨハネ 17:3)彼らはそのことを,家族ごとの聖書研究で個人的に行ない,また自分の属する会衆において行なっています。エホバの証人の会衆は全地に2万5,000以上存在し,そこにおける集会はすべて,聖書教育,および聖書の原則の実生活への適用ということが中心になっています。

      今すでに実現している平安と秩序

      このことはどんな結果を生み出していますか。その一つは,「(彼らは)剣をあげて相攻めずまた重ねて戦争を習はじ」という預言の成就です。(ミカ 4:3)そうです,エホバの証人の間で,戦争という問題はすでに解決されているのです。―ヨハネ第一 3:10-12; 4:20,21。

      戦いについて言えることは,犯罪や暴力についても言えます。エホバの証人の間に犯罪や暴力は実質的に言って存在しません。彼らは隣人の生命,財産,権利を尊重することを学び取っているのです。―ロマ 14:19。ガラテヤ 5:19-23。

      聖書を規範とするエホバの証人の社会を調べる人は,そこに高度の法と秩序が守られていることを知るでしょう。

      アメリカ,カリフォルニア州パサデナでエホバの証人の大きな大会が開かれた時,これを見たパサデナ市の役員は,「これは驚くべきことだ」,「わたしはこれまでにこのようなものを一度も見たことがない」と語りました。同市公会堂の一関係者は,「10万人以上の訪問者[エホバの証人]が一週間以上にわたって一つの市に集まりながら,その人々の間に警察に報告すべき事件が一つも起きないのは驚くべきことである」と述べました。

      その成功の理由

      この世界ができなかったことを,エホバの証人が成し遂げているのはなぜですか。それは,聖書が彼らの“憲法”となり,彼らがそれに従っているからです。聖書は,どこに住む場合でも『カイザルのものはカイザル』に収めつつ,平和にかつ法律を守って生活することを命じていますから,彼らはそのとおりにします。同時に聖書は,『神のものを神に』ささげることをも命じていますから,彼らはその点をも守ります。そして,神と「カイザル」との間に衝突がある時には,「支配者として,人間より神に従(う)」のです。―マタイ 22:21。使行 5:29,新。

      神の法に大きな力があるのは,それが愛に基づき,人の心に触れるものだからです。イエスは言われました。「あなたは心をつくし,魂をつくし,思いをつくして,あなたの神エホバを愛さなければならない」,そして「あなたは隣人を自分自身のように愛さなければならない」。(マタイ 22:37-39,新)神と隣人に対するこの純粋な愛は,正しい聖書教育によってつちかわれ,これが戦争と犯罪と暴力を抑制するきわめて強い力となるのです。これは人の心を動かし,正しいことを行なおうという動機をもたせるのです。

      極度の迫害下にあっても,エホバの証人は神の法に対する忠節をまげません。たとえば,ヒトラー治下のナチスが,神の法を破ることを要求したとき,ドイツのエホバの証人はこれをこばみました。そのため彼らは強制収容所に送られました。収容所内でエホバの証人に親しく接したN・ガンは後に自著「アメリカ人の時代」の中でこう書いています。「エホバの証人の仲間について言えば,彼らは逆境の中にあって,たいへんな勇気と大胆さと美徳,そして強固な克己心を示した。これは敬服すべきものであり,彼らはさながらどろ海の中の岩塊であった」。

      一つの政府が真実の意味で成功しているかどうかは,政府の建物のりっぱさや兵隊の数によって判断すべきものではありません。それはその政府の生み出すもの,そしてその統治下に住む民がどこまで自分の政府を支持するかによってはかられるものです。さて,現代のどんな政府が,その統治下の民の間に,警察や軍隊さえいらない平安と秩序を生み出していますか。民が自分の政府の法的な要求に逆らうよりは,むしろすすんで苦難と死を選ぶほどの専心的な支持を受けているのはどの政府ですか。今日,その民の間にこうした事柄を成し遂げているのは神の御国政府だけです。

      それゆえ,神の新秩序下での平安と秩序について述べる聖書は,非現実的な事柄を語っているのではありません。それは実現し,すでにいま起きているのです。そして,邪悪な者たちが一掃され,その悪影響が取り除かれるとき,その目に見える効果はいよいよ明白になるでしょう。その時,「柔和な者たちは地を所有し,平和の豊かさに無上の喜びを見いだす」のです。―詩 37:11,新。

  • 不正と差別は永遠に終わり,― 公正と一致がすべての人に実現する
    目ざめよ! 1970 | 1月8日
    • 不正と差別は永遠に終わり,― 公正と一致がすべての人に実現する

      法と秩序が真実に効力を持つためには,公正と平等が伴わねばなりません。人種的,また国家的な相違による憎しみや偏見は終わらねばならないのです。

      しかし,その実現を人間に頼るとすれば,見通しはきわめて暗いものでしょう。人類の歴史は,国家的また社会的な偏見に由来する不正と差別に満たされてきたのです。

      こうした偏見のために,国全体また民族全体が抑圧され,奴隷化され,そして絶滅されたことさえあります。今日わたしたちは,黒人と白人,ユダヤ人とアラブ人,中国人とマレー人の間に,敵意が増大しているのを見ています。また,アフリカでは自滅的な部族抗争があり,世界のいたる所で国家主義が台頭しています。

      世界の政治,宗教上の思想は失敗している

      今日の状態は,イボ・ドカチェクが「諸国家の闘争と協力」の中で述べる次のことばどおりです。「国家主義は人類を相互に不寛容な小集団に分ける。結果として人々は,自分がアメリカ人,ソ連人,中国人,エジプト人,ペルー人などであることをまず考え,人類の一員であることをなかなか考えない」。

      たとえば共産主義など,強力な政治上の思想も,この国家的また民族的な敵意を乗り越えることができません。たとえば1969年3月,共産主義大国間の武力衝突の結果として,31人のソ連人のほか,多数の中国人が死亡しました。両国間の同種の紛争はくり返し起きました。

      この世界の諸宗教も,国家的また人種的偏見を乗り越えることができません。パリのノートルダム,カントリア両神学校で学んだ一カトリック信徒は,第二次世界大戦中,単なる国籍の相違のゆえにカトリック教徒が互いに殺し合うのを見ました。彼はこう語りました。

      「わたしは,“敵側”の兵士に関する従軍牧師の説教に驚かざるを得なかった。わたしは,両軍のカトリック教徒が互いに殺し合うことを,教皇がなぜ禁じないのか疑問に思い,告解のおり,そのことをくり返し従軍牧師に尋ねた。しかしなんの答えも与えられなかった」。

      また,同じ人種で,同じ国に住み,同じ教会に通いながら,社会的な地位や経済状態の差のゆえに,他の人々から見下げられることもあります。カナダ統一教会のある人はこう書きました。

      「教会は一週10ドルの寄付者によって運営されていた。寄付額がこれより少ないなら,座席には案内されず,入口の案内役が座席に導くのは高額の寄付者であった。中流家庭の者も,富裕な教会員もともに偏狭であった」。

      あなたご自身もこうした事柄に気づいておられるかもしれません。こうした経験は決して珍しいものではないからです。国籍,人種,社会的地位などの相違のゆえに,いたる所に分裂が存在します。政治,宗教上の信念をともにしているはずであっても,こうした分裂を乗り越えることができません。

      根本的な変化が必要

      憎悪や偏見を禁じ,互いに愛し合うことを定めた法律を政府が作っても,それによって問題は解決するでしょうか。そうではありません。単なる法律の制定によって,人間の根本的な考え方を変えることはできないからです。立法処置によって人の心に愛を植えることはできません。アメリカの一教育者ホレース・マンはこう語りました。

      「公衆の心をひとたび腐敗させたのち,生命,資産,自由などの保障を,紙にしるした法律の力だけで行なおうとするのは,果物畑に掲示を立て,それによってシャクトリムシの侵入を防ごうとするようなものである」。

      必要なのは考えと心の態度における根本的な変化です。それをもたらすのは正しい教育以外にありません。しかし今日,すべての国の教育は国家主義的な精神の影響を受けています。人々は自分の国を誇り,他国民と競合するように教育されています。

      そうした教育は,国家的,人種的,社会的偏見を決して取り除けません。物事の正しい見方を鼓吹するとしても,それは皮相的なものでしかありません。それが人の心に与える影響も皮相的なものです。

      神の国は正しい教育をもたらす

      神の国の統治下においてのみ根本的な変化は可能です。どのようにしてですか。正しい教育によってです。

      現存する邪悪な事物の体制が終わったのち,神の天の政府は地上全体を支配下に収めます。この点を忘れないでください。それは,いっさいの教育を管理するという意味でもあります。今日では幾百もの対立する教育体系が世界の各地でてんでに営まれていますが,神の新秩序の下でそのようなことはありません。地上にいる御国政府の代表者を通じて神が備えられる唯一の教育制度だけが運営されるのです。

      神の新秩序下においては,正しい人間関係について真理を教えることが重視されるでしょう。すべての人はエホバの正義の規準について教えられます。この統一的な教育は,『神は偏ることをしない』という点を,すべての者に銘記させるでしょう。(使行 10:34)国籍,人種,社会的背景などのゆえに,神が人の間に差別を設けられることはありません。その点を強調し,聖書は,「神には不義あるか,決してしからず」と述べています。(ロマ 9:14)それで,人おのおのはいつも正しく,公正な処置を受けるのです。

      神の新秩序下に生きる人すべては,自分たちが神の創造された最初の人間男女の子孫であることを認め,互いに“兄弟”であることを知るでしょう。神は「ひとりの人[アダム]からあらゆる国民を造り出(された)」のです。(使行 17:26,新)地上に住む人々は人種,国籍,社会的地位などによる誇りの気持ちではなく,互いを愛し,敬い,敬意をもって互いを扱うことを学ぶでしょう。イエスは言われました。「わたしはあなたがたに新しい戒めを与える。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したと同じように,あなたがたも互いに愛し合いなさい。あなたがた自身が互いに愛し合うならば,それによって,すべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知るであろう」。―ヨハネ 13:34,35,新。

      人格を作り変える

      わたしたちは先に,政治家が,愛に関する法律を作っても効果がないことを述べましたが,互いに愛せよというこの戒めはどのようにして効力を持つのですか。

      その戒めが効力を持つのは,神に関する知識が,人の心を動かし,人の内奥の態度を変えさせるほどに強力なものだからです。聖書はエホバについて,「(そ)ののり[法]は真理なり」と述べています。(詩 119:142)聖書はまた,「神のことばは生きていて,力を出し,どんなもろ刃の剣よりも鋭(い)」とも述べています。(ヘブル 4:12,新)それで神の真理は人の心の中まで刺し通し,偏見の束縛を絶ち切らせます。

      地上に住むすべての人が正しい精神的な糧を得て強められることにより,各人の人格は健全なものに作り変えられるでしょう。聖書はそうした根本的な変化の可能なことを示してこう述べています。「古い人格を,その慣習とともに脱ぎ捨て,新しい人格を身に着けなさい。それは,正確な知識により,それを造られたかたの形に従って新たにされてゆくのである。そこには,ユダヤ人もギリシア人もなく,異国人も,スクテア人も,奴隷も,自由人もない。……愛を身に着けなさい。愛は一致の完全なきずなだからである」― コロサイ 3:9-14,新。

      それで,神の新秩序においては,すべての者が正しい考え方,つまり神の考えかたを学ぶのです。やがて,「水の海をおほへるごとくエホバをしるの知識地にみつべければなり」ということが,文字どおり全地に実現するでしょう。(イザヤ 11:9)聖書が述べるとおり,神のさばきが地に行なわれるとき,「世に住めるもの(は)正義をまなぶ」のです。(イザヤ 26:9)それで,「汝らはみな兄弟なり」ということが,人類家族全体について真実に実現するでしょう。―マタイ 23:8。

      しかし,今日の人類社会の状態を見て,このことは果たして可能であろうかと疑問に思う人がいても不思議ではありません。さまざまな人種,国籍,社会的背景の人々がほんとうに「兄弟」になれるということについて,どんな証拠がありますか。

      ここでも,あなたはいま現実の証拠を調べることができます。今日の状態下でそうした調和を実証できるなら,このよこしまな世界からの圧迫が去った神の新秩序においては,いっそうの調和を見ることができるはずです。

      今すでに見られる公正と一致!

      聖書はこう預言していました。「すえの日に……おほくの民ゆきて相語りいはん,いざわれらエホバの山に登り(ゆかん)……神われらにその道ををしへ給はん,われらその路をあゆむべしと……エホバはもろもろの国のあひだをさばき,おほくの民をせめたまはん」― イザヤ 2:2-4。

      この預言が「すえの日」に関するものである点に注意してください。これはテモテ後書 3章1節で「終わりの日」と述べられている時代を思い起こさせます。それで今この時代にあって,エホバの道を学び,人種,国籍,社会的地位などに関係なく,愛のきずなによって世界的に一致している人々を見いだせるはずです。

      では,そうした調和を,今日の地上のどこに見いだせますか。世界の報道担当者はそうした調和が現実に存在することを認めています。アメリカ,フロリダ州セントピータースバーグのタイムズ紙は,最近のある大会についてこう伝えました。

      「証人たちは人種間の一致を実践する。黒人も白人も差別なし。エホバの証人はこのことを宣伝しない。ただ実践するのである。白人と黒人が崇拝をともにしたこの大会は,人種的な調和の堂々たる証拠であるが,そこにはスペイン語を話す証人700人も加わって,不平の声一つなかった点も見落としてはならない」。

      エホバの証人の同様な大会ののち,一観察者は,アメリカ,ノースカロライナ州アッシュビルのシチズン紙に次の文を寄せました。

      「そこに警察官の姿は見られませんでした。不快な音も,混乱も,言い争いもありませんでした。……

      「秩序は完全に守られ,卑わいな叫び声は一度も聞かれませんでした。大会本部の周辺に,多数の黒人を含め,7,000人もの人が集まっていたこともあります。

      「乱雑なところは何もありませんでした。……明らかにこれは,他の人間に対する,善意に動かされた人々です」。

      かつて,フィリピンの統一キリスト教会に所属していた一婦人は,自分の以前の教会の人々とエホバの証人とを比較し,「わたしたちは方言の異なる人々を軽蔑し,地方主義的な考え方をしていました。エホバの証人にそのような欠点はありません」と語りました。

      また,アメリカのある黒人の婦人は自分の経験を次のように語りました。

      「わたしたちが自分の家で聖書研究をすることに決めたのは,エホバの証人が3度目か4度目に尋ねて来た時のことでした。白人に対して偏見をいだいていたわたしは,証人たちがわたしの家に来ることには反対していました。でもわたしは結局,夫の判断にまかせました。

      「1か月後,証人たちはわたしたちを御国会館に招きました。そこへ一度行けば,主人はきっとうんざりするだろうとわたしは考えました。ところが,会館に行って証人たちに会ったわたしは驚きました。わたしが予期していたのとは全く異なるのです。エホバの証人たちは暖かくて親切であり,ことばでは十分に表わせないほどでした。……証人たちにとって,皮膚の色の違いは少しも問題ではありませんでした。白人も黒人も全く同じなのです。わたしはこれに動かされ,自分の初めの考えを恥じました。

      「証人たちと行なった聖書の研究を通じて,わたしたちは自分がどのように正しく行動し,互いをどのように愛すべきかを学びました。これこそ正しい道であることをわたしたちは今理解しています。それによって,わたしたちは他の人々に対する見方を変え,より幸福な夫婦,より賢い親となりました。

      「またわたしたちは将来の目標を得,永遠の命を得るために何をすべきかということを知りました。教会にたとえ100年通ったとしても,エホバ神のお目的については学ぶことができなかったでしょう」。

      アフリカ,アジア,ヨーロッパ,南北アメリカ,海洋の島々など,世界のどこを見ても同じです。エホバの証人は,人種,国籍,社会的地位などによる偏見を乗り越えているのです。

      これを可能にしたものはなんですか。これらの人々は普通以上のインテリなのですか。この世でより高い教育を受けているのですか。そうではありません。彼らはイザヤの預言どおりにエホバのみことばを聞き,日常の生活でそれを実践しているのです。―箴言 2:1-9。

      世界の200の土地にいる100万以上のエホバの証人の間には,破れることのない愛と一致のきずながあるのです。これこそ,神の新秩序において,差別と不平等が永遠になくなることの強い証拠です。

      しかし,今日重大な経済問題についてはどうですか。貧困,飢え,住宅問題はどうなのですか。神の新秩序下において,これらの問題はどのように処理されるのですか。

  • 貧困,飢え,住宅難は去り,― すべての人が恵まれた生活をする
    目ざめよ! 1970 | 1月8日
    • 貧困,飢え,住宅難は去り,― すべての人が恵まれた生活をする

      昨今,あなたは食べ物に恵まれていますか。気持ちの良い家に住んでいますか。安定した収入に恵まれていますか。

      これらの質問の一つに“はい”と答えられるのは,地上の他の多くの人々と異なり,かなり恵まれた人と言えます。

      なぜですか。なぜなら,今日世界では毎日およそ1万人が餓死しており,人類家族の3分の2は十分な食物を得ていないからです。そして多くの人は貧困や住宅難に悩まされています。

      しかし,もし世界最強の国家の一つが,いま軍備に費やしているお金を1戸1万ドル(360万円)相当の住宅建設に用いたならどうなりますか。なんと毎年800万戸の家が建つのです! また諸国家が戦争に投入している費用すべてを住宅建設にあてたとすればどうなりますか。今全世界で誕生している新家庭すべてに格好な家を1軒ずつ建てられるのです!

      しかしそのようなことは行なわれていません。また,人間の治める政府が将来そのようなことを行なうというきざしもありません。

      必要を満たすことのできない今日の経済体制

      この世界の経済体制は人間の基本的な必要を満たしていません。これは冷厳な事実です。それどころか,人類の貧困と飢えはいよいよ深刻さをきわめています。

      国際連合の一調査によれば,中南米諸国だけで失業者は1960年から1968年までに1,800万人から2,300万人にふえました。しかし中南米諸国は具体的な改善の見込みをさし示すことができません。そのため多くの人々,特に若者のあいだには冷笑と怒りの気持ちが高まっています。

      アフリカでは貧困,飢え,人口過密の貧民街などはごくありふれた事柄です。

      裕福な国アメリカでさえ何百万人もの市民が貧しい生活をしており,インフレが続き物価が上昇しているため,中産階級さえ経済的に圧迫されています。こうした実情のゆえに,1969年7月7日号,USニュース・アンド・ワールド・リポート誌は市民の声を次のように報じました。

      インディアナ州の一機械工: 「会社の決める給料では食べてゆくのがやっとです。週給16ドル(5,760円)だったころは貯金ができたのに,月収700ドル(25万円余)の今,生活してゆくのがやっとです」。

      イリノイ州の一酪農家: 「今では隠退など考えられません。死ぬまで働く以外にまず道はありません。多くの人は困った時のためにたくわえてきましたが,貯金はあまり役にたたなくなりました。社会保障ももはや助けになりません」。

      カリフォルニア州の一塗装業者: 「税金が際限なく増額されるので,がっかりしています。昔よりも今の人々のほうが深刻なざ折感に陥っています」。

      こうした見解は珍しいものではありません。それはごく普通の声です。しかもそれは地上で最も裕福な国の市民の声なのです。インドのカルカッタだけでおよそ10万人が家も収入もないままに路傍で寝起きしていますが,こうした国々の一般市民の感情を想像してください!

      しかし今日の経済体制は人間の必要を満たしていないにしても,神の新秩序下の経済体制は人類の必要を満たします。確かにそれは必要なものを豊かに備えます。神のみことばはこう約束しているのです。「なんぢ[神]手をひらきてもろもろの生るものの願望をあかしめたまふ」― 詩 145:16。

      資源の浪費がなくなる

      今日,時間や精力,お金や物資の多くは人間の生活に少しも役だたないもののために費やされています。諸国家は資源の大半を軍備に用いているのです。

      神の新秩序の下ではこうした浪費がなくなります。戦争や暴力行為は二度と生じないゆえ,銃砲,爆弾,ミサイルその他の武器は二度と製作されません,こうしたもののために今浪費されている膨大な物資は平和な仕事のために用いられます。イザヤ書 2章4節はその方式をこう定めています。「かれらはその剣をうちかへて鋤となしその鎗をうちかへて鎌とな(さん)」。

      神の天の御国の統治の下で,地の豊かな資源は人間の益のために用いられるでしょう。「地をほろぼす者」はいなくなるのです。―黙示 11:18。

      利己的な競争に代わる,愛に基づく協力

      また経済競争のもたらす無駄もなくなります。今日では個人,会社,国家の別なくすべてが互いに競争し,相手を倒そうとさえしています。経済競争は不安や憎しみ,また戦争の大きな要因となってきました。

      これがいかに憂慮すべきことかは,1969年6月25日付,ニューヨーク・タイムズ紙の「アメリカ社会における競争」と題する社説からもわかります。ニクソン米大統領が資格のある人材を政府の要職に起用する際苦慮したことについて,その社説はこう述べました。

      「ある日,政府の一閣僚は次のように語った。『わが国の実業界および専門職に携わる人々の激烈な競争のため,きわめて有能,かつりっぱな人物がいかに多く犠牲にされているかを私は少しも知らなかった。その多くは闘争中に力尽き,また他の多くは放置できないさまざまの家庭問題をかかえており,彼らの多くはたいてい危険なほどに飲酒をしている』。……

      「それとともにこの種の競争はより若い年齢の層でも行なわれており,急速にその激しさを増している。すなわち若者は最も優秀な学校また大学にはいろうとし,強制力を伴ってしゃにむに動いてゆく社会の試練に耐えようと互いに張り合っている。……りっぱな人材を求める[ニクソン氏の]努力はいささか悲劇的かつ悲痛な結末を見ようとしている」。

      しかし遠い昔,聖書はこうした競争の愚かさを次のように述べました。「それは人はその日の下に労して為ところのもろもろのはたらきとその心労によりて何のうるところあるや その世にある日には常に憂患あり その労苦は苦し その心は夜のまも安んずることあらず」。「もろもろのわざの精巧……は人のたがひに嫉みあひて成せるものたるなり これも空にして風を捕ふるがごとし」― 伝道 2:22,23; 4:4。

      神の国の統治はこうした競争を除去します。そのとき存在するのは唯一の政府ですから,そこには当然,唯一の経済体制しか存在しません。人々は競争をやめて互いに協力し,人間関係はすべて隣人愛をその特色とするでしょう。(ヨハネ 13:35)一部の人が裕福で,他の人々が貧困にあえぐということはなくなり,すべての人は社会に益する仕事に携わります。それは次のように定められているからです。「人もし働くことを欲せずば,食すべからず」。(テサロニケ後 3:10)これは人の厄介になって怠惰に暮らす人間がいないということです。それはいわゆる“福祉国家”ではありません。

      仕事の喜び

      神の建てられる新秩序下での仕事は真の喜びをもたらすでしょう。そのとき,人は自分の働きの成果を直接見ることができるからです。しかし今日の社会ではたいていそうすることができません。いま,自分の仕事をほんとうに楽しんでいる人はどれほどいますか。

      大量生産方式の下で多くの人は流れ作業に従事し,ナットやボルトその他の小さな部品取り付けを一日中しています。従業員の多くは生活を楽しむためではなく,単に生計をたてるために働いているのです。また,決して自分の所有に帰することのない他人の農場や作物を炎天の下で汗水流して世話しながら,各地をめぐる農業労働者もいます。これらの労働者はごくわずかの満足しか味わえないでしょう。また,偽りの広告を出して製品を売ったり,実際には不必要な品物を無理に買わせたり,あるいは何度も買わせるため,こわれやすい商品をわざと作ったりしたところで,なんの喜びがありますか。

      神の新秩序はこの点でもすばらしい変化をもたらすでしょう。「おのれのごとく汝の隣を愛すべし」という尊いおきてが守られるので,人間をあたかも巨大な機械の歯車に変えてしまう貪欲な精神はぬぐい去られます。(ヤコブ 2:8)同時に,人間は,りっぱな仕事をするように心を動かされ,いいかげんな品物ではなく,仲間の人間のために最上の,かつ真の喜びを見いだせるようなすぐれた製品を作り出すようになるでしょう。―伝道 3:12,13。

      解決される住宅問題

      古代のイスラエルと結ばれた次のような約束が神の政府の下で全地の人々のために実現されるでしょう。「かれら家をたててこれにすみ 葡萄園をつくりてその果をくらふべし……我がえらみたる者はその手のわざふるびうするとも存ふべければなり かれらのはたらきはむなしからず」― イザヤ 65:21-23。

      エホバは人間が悲惨な貧民くつで折り重なるようにして寝起きする生活を意図されませんでした。それは人間性に反することです。ルック誌,1969年6月10日号はこう述べました。「人間はもとより,ハツカネズミからカバに至るあらゆる脊椎動物のあいだに,手に負えない死闘を招く共通の事態の一つは過密状態である。人間の場合,『個人の領域』が侵害されると敵意が爆発する」。

      人間の男女を創造したエホバは,その二人をみじめな貧民街にではなく,美しい園に住ませました。(創世 2:7,8)最初に都市を建てたのは神を退けた人々でした。(創世 4:17; 10:8-12)以来,彼らはあらゆる不幸,苦悩また犯罪をもたらしました。しかしまもなく神の秩序の到来とともに,今日の過密都市は姿を消し,すべての人が気持ちの良い家で生活するようになるでしょう。

      大地は豊かに産出する

      神の新秩序の下で今日しばしば行なわれている大地に対するむなしい戦いをする必要はもはやありません。その時,エホバは豊かな食物をもって人類を祝福なさるでしょう。

      聖書の詩篇は神からのそのような祝福をこう描写しています。「国のうち五穀ゆたかにしてその実は……山のいただきにそよ(ぐべし)」。「エホバは草をはえしめて家畜にあたへ 田産をはえしめて人の使用にそなへたまふ かく地より食物をいだしたまふ」。そうです,「地は産物をいだ(し)神わが神はわれらをさきはひたま(ふ)」のです。―詩 72:16; 104:14; 67:6。

      それはほんとうに可能ですか

      しかし人間が再び悲惨な生活状態をもたらしたり,気持ちの良い住宅地をみじめな貧民街にしたりすることはないとどうして言えますか。

      一つには,神の国が万事を管理するからです。潜在的な悪い状態が見過ごされたり,是正されなかったりすることはありません。他方,その時,人間はすべて神の道を学ぶのです。人々は気持ちの良い生活環境を生み出す清さおよび秩序に関する神の高い規準を習得するでしょう。

      今日,エホバの崇拝者のあいだにそのような高い規準を見ることができますか。かつてアメリカ,ノース・カロライナ州ウィンストン・セーレム市でエホバの証人の大会が開かれたのちのこと,その会場の責任者はこう言いました。「私はこの会館の仕事を10年ほどしてきたが,その間この会場を使った人々の中で,これほど清潔で秩序正しい人々を見たことがない」。また1958年,ニューヨークで行なわれた大規模な大会には25万余の人々が出席しましたが,後日,「1959年,競技場,公会堂および球場案内」という本はこう述べました。

      「彼らが用いた球場その他の会場にはマッチ棒1本あるいは菓子の包み紙1枚落ちていなかった。男女子供幾千人もの仲間の信者が一緒になって会場の清掃を行ない,借りた時以上にきれいにして返したのである」。

      証人たちは大会で行なうことを家庭でも実践します。彼らは心を作り変えて,神の法と秩序の規準に自分を合わせることにより,清潔さと物事をきちんとすることの大切さを認識するようになりました。かつては乱雑だった家の中がきちんと整とんされ,きれいになったことに気づく知人もいます。それにたくさんのお金がいるわけではありません。必要なのは進んで行なう気持ちです。家の中がどうなっていようとかまわないという人々の中にあって今でもそうすることができるのですから,ましてすべての人が正しい秩序を律する同じ高い規準を学んで生活する神の新秩序の下では,いかに容易にそうすることができるかがわかるでしょう。

      そのうえ,洪水や暴風などによる災害の生じた場合,エホバの証人はお金や物資また時間など,自分たちの持っているものを惜しみなく与えて仲間の兄弟たちを助けます。神の新体制の下で全地の人々のあいだにゆき渡るのはこのような無私の心です。―コリント後 9:11-14。

      戦争,犯罪,不正,貧困,飢えなどのない新秩序を思いめぐらすのはなんとすばらしいことではありませんか。気持ちの良い家に住み,豊かな食物に恵まれ,平和と安全,また愛と一致のうちに暮らすのはなんという喜びでしょう! イエスはそれを「パラダイス」と呼ばれましたが,地上は確かにそうなるでしょう。―ルカ 23:43。

      そのような状態の下で生活する人は,いつまでも生きていたいと願うに違いありません。しかし世界には今も病気と死がはびこっています。神の国の統治の下で,これら人類の大敵はどうなるのですか。

  • 罪と死の法に代わり,― 健康と命をすべての人にもたらす支配
    目ざめよ! 1970 | 1月8日
    • 罪と死の法に代わり,― 健康と命をすべての人にもたらす支配

      神の国の統治下では,人間の政府がかつて企てたものよりはるかに大規模な健康管理が行なわれます。これは社会の法と秩序に決定的な影響をもたらします。なぜですか。

      感情は行為を大きく支配するからです。病人は健康であればしないような事柄をしばしばします。頭痛や下痢などのちょっとした不調の時でさえ,人はいやなことを口にしたり,行なったりして,争いを引き起こすことがあります。

      病気が長びくとか,重病にかかったりすると,ノイローゼに陥る場合があり,そのために自殺を図ったり,精神錯乱を起こしたりします。なかには,一度に幾人もの人を虐殺し,時には,自分の家庭でそうした者もいます。あなたもそのような事件のニュースを聞いておられるでしょう。

      現在行なわれている健康管理は不十分

      健康であることは満ち足りた生活のための大切な要素の一つで,きわめて貴重な宝です。しかし今日の人類は健康ではありません。アフリカ,アジア,中南米諸国では合計7億もの人々がマラリアで苦しんでいます。いわゆる“先進国”にマラリア,象皮病,十二指腸虫などの問題はないにしても,がんや心臓病などで多くの人が命を失っています。そのうえこれら先進国は空気,水,土地の汚染という重大な危険に直面しています。最近,バリ・コモナー博士はこう述べました。

      「工業技術の発達した現代の人間は,骨の中にストロンチウム90を,甲状腺にヨー素131を,皮下脂肪中にDDTを,そして肺臓に石綿を蓄積している」。―1969年5月3日付,ニューヨーク・タイムズ紙。

      また大都市では環境衛生,下水その他の汚物処理などの問題が一段とむずかしくなっています。このような事態は秩序のある生活に貢献するものではありません。

      一般に考えられていることとは逆ですが,医学は人間の寿命を実際には延ばせませんでした。1968年3月号,科学アメリカ誌は述べました。

      「現代医学により人間の寿命が延びたとする一般的な考え方は,人口統計また生物学的証拠のいずれによっても裏づけられていない。種々の伝染病その他,特定の死因となるものを征服する点で成し遂げられた20世紀の進歩は,なるほど人間の寿命を全体としては向上させた。しかし医学および公衆衛生面での進歩は人々の平均余命を延ばしたにすぎず,普通の人間の寿命は依然として聖書の示す80歳のそれを上回ってはいないようである」。

      人間の寿命がこのように短いことも法と秩序に影響を与えるものです。なぜですか。

      人生の短さを知ると,若い人でさえ挫折感をいだくことがあります。そして人は自分の成し遂げたいと思うことすべてを行なうには時間がごく限られていることを感じます。目標に早く達したいと思うあまり,しばしば他の人を無視して過激な行動に走ります。これは普通の市民はもとより一国の支配者についても言えます。

      法と秩序の問題を考える場合,人間の不健康また短命などの要素を過少評価することはできません。それは麻薬中毒者の増加を招くものであり,また短命で短気な人間が引き起こす自動車事故のため幾百万もの人間が殺され,近代的な高速道路は血染めにされているのです。「早く金持ちになりたい」,「年を取らないうちに快楽のすべてを自分のものにしたい」などの欲望は無数の法律違反や犯罪となって現われています。

      人類はどうしてこのような状態に陥りましたか。どうすればこの状態から人類を救えますか。

      問題の源

      人間は健康と病気に関する多くの貴重な知識を得ました。しかし医学は病気と死の根本原因をいまだにつきとめていません。病気とは“生物学的不調”つまり異常な状態であることはわかりました。たとえばガン細胞ですが,これは他の細胞や臓器の正常な働きを無視して増殖する,つまり“異常にふえる”細胞です。しかし疾病をもたらすこうした異常な状態を起こす原因はなんですか。

      普通の細菌やビールスの病原菌ですか。これは最終的な答えではありません。医学の明らかにしたところによれば,人体に備わっている自己防御のしくみはきわめて精巧,かつ強力であるため,病気になる必要がないとされているからです。適切な栄養をとり,強い抵抗力を備えていれば,人間の命を奪おうとする細菌に影響されることがありません。

      医学者や生物学者は,人体は損傷を自ら直すこと,また新陳代謝を続ければ決して死なない,すなわち“潜在的に不死身”であると論じています。生化学者ウイリアム・ベックは語りました。

      「物事の本質から考えて,なぜ死を回避できないのかがわからない」。

      ですから,病気だけでなく老衰や死は人体にとってほんとうは異常な事柄なのです。では,人はなぜこのような状態にとらわれ,苦しんでいるのですか。その答えとして科学者は学説を提出できるにすぎません。「細胞」と題する一医学双書は述べます。

      「細胞内で,つまり人体そのものの内部で生ずる回避することも変えることもできない老化過程を説明する学説は多数ある。……しかしそのいずれも確定的なものではなく,一般に受け入れられてもいない」。

      聖書だけがこうした問題の答えを提出しています。病気と死の真因を述べているのは聖書だけです。しかも聖書は,こうした人体の異常な状態が神の正しい政府の遂行する健康管理によってやがて除去されることを保証しています。

      罪と死の法からの解放

      聖書に収められているローマ人あての手紙の8章2節で使徒パウロは『罪と死との法より解放される』人々のことを述べています。聖書の示すところによれば,その法は人類の最初の夫婦がエデンで自分たちの創造者に反逆して以来働いています。(創世 3:1-19)反逆したふたりは,神,また神の法と秩序とに反する者となりました。そして神に対する清い良心,またそのもたらした心の平安とを失い,その心は病み,またそのために身体の不完全さをもたらしました。使徒パウロの述べたとおり,ふたりは「罪の法」の下にはいり,その奴隷となり,こうして彼らの上に「罪は死によりて王」となったのです。以来,今日のわたしたちに至るまでその子孫すべてが罪に支配されてきました。―ロマ 5:12,19-21。

      しかし御子イエス・キリストによる神の国の統治の目的は,従順な人間と創造者エホバ神との一致を回復することにあります。詩篇 68篇20節は,「死よりのがれうるは主エホバによる」と述べているとおり,エホバはご自分を求め,かつその導きに自ら服する者すべての罪深い状態を除去する法的な手だてを設けておられます。その法的な手だてとは神の御子が支払ったあがないの価です。その御子はご自分の人間としての命を完全な犠牲としてささげ,そのゆえに従順な人間すべてに命と救いを与える「君」となられました。―使行 3:15。ヘブル 2:10。

      人間に命をもたらす神の備えを故意に退ける者たちが神の天の政府によりこの地からぬぐい去られると,やがて1,000年におよぶ長期計画が実施され,地上の人々はすべて人間として完全な状態に引き上げられるでしょう。そして神の御子と,王また祭司として御子とともに統治する者たちは,従順な人間すべてにイエスの犠牲の益をおよぼすでしょう。(黙示 20:6; 22:1,2)こうした助けを受ける人類は,義の点でひき続き進歩向上し,自分たちの祖先アダムから受け継いだ罪,病気,死の束縛からついに完全に解放されるのです。そうです,その結果,神は「かれらの目の涙をことごとく拭ひ去り……今よりのち死もなく,かなしみも,さけびも,苦痛も」なくなるのです。―黙示 21:4。

      現在はどうか

      しかし人間は今でさえ神の数々の備えの益を身心両面で受けることができます。どのようにしてですか。

      聖書の箴言 4章20節から22節にはこうしるされています。

      「わが子よ我がことばをきけ 我が語るところに汝の耳を傾けよ これを汝の目より離すことなかれ 汝の心のうちに守れ こはこれを得るものの生命にして またその全体の良薬なり」。

      神のことば聖書を勉強して,そのすぐれた法と原則に従って生活する人は数多くの健全な益にあずかれます。たとえば今日,多くの国では梅毒や淋病などの性病が恐るべき増加を見せています。なぜですか。アメリカの公共問題委員会はこう述べました。

      「過去20年間の性道徳の革命と,性を極端に強調したマスコミは,我が国の性病問題の悪化を促してきた」。

      しかし聖書のすぐれた道徳律にしっかり従う人々は,不具を招くそうした性病から守られています。―箴言 5:15-20; 7:22-27。エペソ 5:3。

      聖書は飲食に節度を保つことを命じています。(箴言 23:20。ルカ 21:34)この戒めに従う人々は,暴飲暴食を避けるため,長寿にも恵まれています。また,「食ふにも飲むにも何事をなすにも,すべて神の栄光をあらはすやうにせよ」との使徒の助言をまじめに考慮するので,麻薬の中毒にかかることもありません。(コリント前 10:31)また,タバコをのんで,肺ガンその他の病気にかかる愚もおかしません。―コリント後 7:1。

      このような事柄すべてにおいて自制する人は現在でも真の自尊心を保ち,満足と心の健康に寄与できます。心の健康の大切さは,J・E・ヘットの著わした「ガン」と題する本の次の1節からもわかります。

      「ショック,心配,憎しみ,怒り,ねたみ,復しゅう心,悪意などの感情的刺激は,内分泌腺に余計な圧力を加え,胃や腸の働きをさまたげる。また毒物が作り出され,体組織が害され,その結果,正常な精神活動が阻害され,こうして悪循還が生ずる」― 85ページ。

      したがって聖書が次のように述べているのももっともです。「心のおだやかなるは身のいのちなりねたみは骨の腐なり」。(箴言 14:30)ですからクリスチャンに対する次の助言に従うのはなんと賢明でしょう。「慈悲の心・仁慈・謙遜・柔和・寛容をきよ。また互に忍びあひ,もし人に責むべきことあらば互にゆるせ,〔エホバ〕の汝らをゆるし給へるごとく汝らもしかすべし」― コロサイ 3:12,13,〔新〕。

      否定的で危険な感情をぬぐい去って,徳を高める健全な資質を培わせる霊的な糧を備えるのは聖書だけです。聖書を学んで神と隣人に対する愛を培う人は,激しい争い,暴動その他,秩序を破壊する騒乱に加わらないように自らを守れます。こうして清い良心を持つ人だけのいだける心の平安を味わえます。―ペテロ前 3:16-18。

      そして最後に,将来に関する神の目的,すなわち聖書にしるされている神の正義の新秩序の約束を学ぶ誠実な人々はその希望により心を強められます。そのような人は不安や絶望また挫折感などのため病気になることはありません。かえって,今日の地上の悲惨な状態の中に,自分たちの希望がまもなく実現する,すなわち,「救いが近づいている」ことの明確な証拠を見ています。(ルカ 21:28)確かに彼らは生きるための価値ある何ものかを持っています。

      あなたの生活や考え方,また日常の活動を動かしているものはなんですか。あなたの人生の目的,つまりあなたの目ざす目標はなんですか。次のページの記事をお読みになって,これらの問題を考慮してください。

  • 魚を守るうろこ
    目ざめよ! 1970 | 1月8日
    • 魚を守るうろこ

      ● たいていの魚は,頭から尾まで丸いうろこでおおわれている。このうろこは皮膚の内部の層から生えている。魚が大きくなるにつれ,うろこの数はふえないものの,うろこは大きくなってゆく。ある種の魚には,人間の手ほどの大きさのうろこがある。多くの魚はうろこのほかに粘液の薄い層で保護されている。この粘液は防腐能力を備えているため,バクテリアその他の菌類から守るとともに魚の皮膚をなめらかにする。

  • 法と秩序が守られることをあなたはほんとうに願いますか
    目ざめよ! 1970 | 1月8日
    • 法と秩序が守られることをあなたはほんとうに願いますか

      あなたは法と秩序が守られることをほんとうに願いますか。もしそれを望んでおられるなら,それはどんな種類の法と秩序が守られることですか。

      あなたが関心をいだいておられるのは,個人的な望みを外部から妨げられずに実現させたいという現在の生活を維持できる程度に法と秩序が保たれていることですか。それとも,人間の正しい行動の規準を定める法と秩序をあなたが求めるのは,愛と無私の心および他の人の権利を尊重するためですか。

      神のことを度外視する人がいますが,もしそうすれば,法と秩序が正しく守られる社会はもたらされません。人間の編み出したどんな法体系も,法と秩序がいつまでも守られる状態はもたらしませんでした。古い体制が滅びると,新しい体制が建てられ,それがしばらく続くと,やがて別の体制がこれに取って代わったのです。現行の法はそれ自体の欠陥のため,または乱用もしくは不法を阻止する力に乏しいため,絶えず修正されています。

      人間の定める法律に対する忠誠心は全世界でいよいよ衰退しています。自分に都合のよい法律,あるいは自分の目的や望みにさしさわりのない法律にのみ従う人がふえています。捕虜になり,脅迫あるいは圧力を受けると,軍人でさえ自国の定めた行動規範を破ってしまいます。そうした圧力には喜んで耐えながら,自由の身になってから,別の行動規範を破る者もいます。

      人間は不断の,かつ全幅の忠誠心を寄せ得る法を必要としており,そのような法は,自分同様の他の不完全な人間にではなく,より高い源に由来するものでなければなりません。こうした忠誠心を人間に要求できるのは神からの法以外にありません。

      そのような真の法と秩序をほんとうに望む人々すべてに対し,神は,ご自分の天の政府の下で地上の生活を楽しむようにとの招待を差し伸べておられます。(マタイ 24:14)しかし神は,その招待にあずかることをだれにも強制してはおられません。神の法と秩序を退けたいと思う者はそうすることができます。しかしその者は自らの選択の結果を甘受しなければなりません。

      神の法と秩序を退ける

      神のことば聖書は,人間が神の法に対してどんな態度を取るにしても,その責任を負わねばならないことを示しています。「わたしは呼んだが,あなたがたは拒み続け(た)……あなたがたの恐れるものが嵐のように訪れ,あなたがたの災いが暴風のように到来し,悩みと苦難の時があなたがたに臨む時……彼らはわたしを呼び続けるであろう。しかしわたしは答えない。彼らはわたしをひたすら求めるであろう。しかしわたしを見いだせないであろう。彼らは知識を憎み,エホバを恐れることを選ばなかったからである。彼らはわたしの助言に同意せず,わたしの戒めすべてを軽んじた」― 箴言 1:24-30,新。

      神の定められた高い規準を退ける人は,現在の体制が終わる時に神の保護を受けられません。そのような人間を助ける務めは神にはありません。聖書はこう述べています。「彼らは自分たちの道の実をくらい,自らの企てに飽きるであろう。未熟な者のそむきは自らを殺し,愚かな者の怠惰は自らを滅ぼすからである」― 箴言 1:31,32。新。

      今日,多くの人は「そむき」,神と神の法に逆らっています。若者やおとなの多くは法と秩序のすべて,なかんずく神の法とその秩序に逆らっています。しかしそのような人は「未熟な者」です。彼らは自らの語るところをわきまえておらず,知恵と理解とに欠けています。

      また,物事はほっておいてもやがておさまり,なんとか改善されてゆくものだとする怠惰な考えをいだき,漫然と生きて,事足れりとする人がいます。しかしこれは前述の聖書のことばどおり愚かな者の生き方です。エホバ神は現在の体制の終わりを定めておられますから,そむく者また怠惰な者はともにこの体制もろとも滅びるでしょう。そのような者の道に従うのは無意味なことではありませんか。

      神の法とその秩序に従う

      理にかなった賢い道は,エホバに頼ってエホバの定められた法を学び,その法に従うことです。そうする人に対して神のことばはこう約束しています。「わたしに聞き従う人は安全に住み,災いの恐れで悩まされることがない」― 箴言 1:33,新。

      そうです,エホバの知恵に聞き従い,エホバの御心を行なう人は,この体制が大災害をこうむる時にも身の安全を得られるでしょう。そのような人は聖書の次のことばのように神の新秩序に生き残るでしょう。「すべてエホバの律法を行ふこの地のへりくだるものよ汝らエホバを求め 公義を求め 謙遜を求めよさすれば汝らエホバのいかりの日にあるひはかくさるることあらん」― ゼパニヤ 2:3。

      神の法とその秩序を学ぶことの核心をなすのは,神のことば聖書の知識です。そして一,二時間でそのすべてを学ぶことはできません。真剣な努力を払わなくても神のお目的のすべてを学べてしかるべきだと考える人がいます。「おぼろげな未知の存在の背後」と題する本を著わした一科学者は,そのような考え方が不合理であることを指摘してこう述べました。

      「確かに神はその創造になる宇宙にまさるとも劣らず,きわめて多様かつ精巧なつくりを備えた存在である。……大学の一課程を修めただけで天文学を窮められると思う者はまずいない。ところが,神を宇宙の精巧さ,また壮厳さに劣るものと考え,かつ神に関する疑問のすべてに対する完全な答えを,ただ一時間の講義や学生の自由討議,はては教会の日曜学校の教師から得ようと考える者がいることに私はいつも驚かされている」。

      神に関する知識を得ることは生死にかかわる問題ですから,関心を持つ人すべてにエホバの証人が勧めている6か月間の無料の聖書研究を行なわれるようお勧めいたします。今,世界のあらゆる場所で幾千幾万もの人々がこの方法で聖書のほんとうの教えを学んでいます。あなたも「すべてのことを確かめ」るため,ご自分の家で聖書をお調べになれるのです。―テサロニケ前 5:21,新。

      現存の人類の諸体制はまもなく,「世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,また二度と起こらないような大患難」に見舞われ大混乱に陥るでしょう。(マタイ 24:21,新)神の正しいさばきが執行されることにより,その一大変化が生ずるのです。あなたもなんらかの点でその大変化に巻き込まれ,生死いずれかに直面するでしょう。

      もしあなたが正しいことをほんとうに望み,真の法と秩序を求めておられるなら,偉大な審判者また命の与え主であられるかたの言われる次のことを行なってください。「我が子よ わが法を忘るるなかれ 汝の心にわが誡命をまもれ さらばこのことは汝の目をながくし 生命の年を延べ 平康をなんぢに加ふべし」― 箴言 3:1,2。

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