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  • 世界平和を切実に求める理由
    目ざめよ! 1973 | 4月22日
    • 世界平和を切実に求める理由

      世界中の人びとは戦争に疲れはてています。

      第二次大戦終結後4分の1世紀の間,列強は「熱い戦争や冷たい戦争」を行なってきました。そのために史上最大の軍備競争が生じ,全人類は不安な状態のもとに置かれて神経をいらだたせています。

      世界平和は実現するでしょうか。列強はいつの日か,声を合わせて,紛争に終止符を打ったことを高らかに発表するでしょうか。

      彼らはそれを行なうでしょう。しかも証拠はその時が近いことを示しているようです。

      あなたにとってそれは信じにくいことでしょうか。もしそうだとしても,それは平和を望む気持が薄いためでないことは確かでしょう。

      世界平和は,わたしたちすべてにとって何を意味しうるか

      なるほどあなたは今「熱い戦争」の行なわれている地域に住んではいないかもしれません。しかし,自分が殺されたり,負傷をしたり,不具になったり,家族の者たちが暴力に苦しむのを目にしたりしなくても,平和が緊急に必要なことは感じられます。

      税金の圧力はしだいに強くなっていますか。生活費をかせぐことがしだいに難しくなっていますか。では次のことを知ると納得がいくでしょう。

      つまり世界は毎年約2千億㌦(約6兆円)を軍事費に費やしているということです。この額は,世界人口の貧しいほうの半分を構成する18億人の1年分の給料に匹敵します。

      多くの人が平和を望む別の理由は,戦争が単なる浪費にすぎないことに嫌悪を感じているからです。莫大な費用のかかる製品が『粉みじんに打ち砕かれ』てしまいます。たとえば,1971年までにすでに1,500億㌦がベトナム戦争に費やされました。もしそれだけのお金がベトナムの人びとに分配されていたならどうでしょうか。

      北ベトナムと南ベトナム両国の各家族は,約2万㌦(約600万円)受け取ることができたでしょう。これは彼らのほとんどが,一生の間にもうけるお金よりも多い額です。

      ところが,彼らの国はそれの代わりに広範囲に破壊され,絶えまない砲撃と爆撃のために多数の弾孔ができ,その数は2,100万にのぼると推測されています。

      確かに世界平和は,すべての人びとに影響をおよぼしている,経済重的圧からの喜ばしい解放をもたらしえます。

      平和を望むもうひとつの理由は,今日の不安定な状態が人の全人生観に影響をおよぼしていることにあります。ひとつの危機が去ると他の危機が訪れ,ひとつの暴動がおさまると他の暴動が起こります。これが25年間つづいたのですから,世界中の人びとのいらだちやざせつ感が高じるのも,少しも不思議ではありません。

      あなたも大多数の人と同様に,全面的な核戦争などおそらく起こらないだろうとお考えでしょう。しかし,アメリカとソ連が現在保有する兵器を合わせると,地球上に住む男女子どもを全部含めて一人当たり5㌧のダイナマイトに相当する破壊力になると知れば,ほとんどの人はそれだけで,もはや平穏な気持ちと確信とをもって将来を見ることはできなくなるのではないでしょうか。

      ですから,世界に平和がくれば,それは非常に大きな変革を意味することになります。人間の努力と才能が建設的な目標に向けられれば,それはどんなに大きな祝福となることでしょう。絶え間ない緊張と不安から自由になれば,どんなに大きな解放感を味わうことでしょう。

      しかし,平和がいかに望ましいものであっても,そのことが平和の訪れを確実にするわけではありません。では,前例のない平和が来ることを示す証拠はどこにありますか。

      これからわかるように,この結論を示す強力な証拠があるのです。事実,そのような平和の到来は,ずっと昔に聖書に書きしるされた預言の成就になるのです。

  • 「平和の世代」に対する希望が高まっている理由
    目ざめよ! 1973 | 4月22日
    • 「平和の世代」に対する希望が高まっている理由

      わたしたちの時代には,不思議なできごとが起きています。そしてその真の意義は,表面の情勢よりもずっと深いところにあります。

      わずか1年余りの短期間に,世界的な驚くべき変化がつづいて生じたことはあなたももちろんお気づきでしょう。そのうちのいくつかをあげてみましょう。

      ● 地球総人口の5分の1以上を擁する中共は22年後ついに,国際連合に加盟し,1971年の末までには,国連安全保障理事会の五つの常任理事国のひとつとなりました。

      ● 1972年の2月には,アメリカの大統領が,中国本土へ,「平和のための旅」を行ないました。これは歴史上初めてのことでした。両国を分離させていた貿易,旅行,通信などの障壁は,徐々になくなっています。

      ● 第二次大戦終結以来分断されていた東西両ドイツの関係をより自由に,より緊密にするために,重大な四大国協定を調印しました。

      ● 1972年5月のモスクワ首脳会談では,米ソの指導者たちが,一連の協定を公式に批准しました。それには次のようなものが含まれています。

      1975年の米ソ共同宇宙飛行計画。

      科学および科学技術データの相互交換。

      医学および公衆衛生上の問題を解決する上での協力。

      増大する汚染から人間環境を守るための共同研究と相互の努力。

      公海における両国軍艦の危険な衝突の防止をねらいとした協定。

      そして特に重要なのは,費用のかかる核兵器競争を押えるための兵器制限協定です。

      これらの国際協定に調印した2超大国は,そのあとまもなく,7億5,000万㌦にのぼる穀物をソ連がアメリカから購入することを含め,種々の大きな貿易契約を結ぶことにより,それらの協定を補足しはじめました。また,ソ連の油田や天然ガス埋蔵地帯開発のための技術援助の提供について,ソ連とアメリカの一石油会社との間で,幾十億㌦にのぼる取り引きの交渉が成立しました。

      ● そして1972年の6月から,列強は先例のない活発な外交活動の時期を迎えました。代表者たちは,首都から首都へ,大急ぎで地球上を縦横に飛びまわりました。長い流血のインドシナ紛争も一応解決したかのようです。インドとパキスタンは,彼らの紛争を解決する目的で,首脳会談を開きました。アジア・太平洋協議会加盟国9か国のうち,大多数は,韓国のソウルで行なわれた会議で,中共に対する態度の変化を示しました。北朝鮮と韓国の政府は,分断された朝鮮統一のための諸原則に同意したことを発表して世界を驚かせました。

      驚くべき逆転

      フランス人がラップローシュマン(近寄って親しい関係をつくる)と呼ぶものに向かってのアメリカ,中共,ソ連の劇的な動きは,世界中の論評を湧き立たせました。確かに何か新しい事態が世界的な規模で発展しつつあるようだという,希望を表わす声も多くの国で聞かれます。

      ライフ誌の社説は次のように述べました。「われわれはちょうど今,大きな上り段に立っているように思われる。3国とも,われわれの激しいイデオロギーを,常識および公益と交換しようとする姿勢を見せている」。

      ロバート・スティブンズは,ザ・オブザーバー(ロンドン)の中で,ニクソン大統領は「その国際的目標を高いところに置いた。それは新しい世界秩序の基礎を置いたに等しい」と同大統領を評しています。

      ソ連のコスイギン首相は,モスクワ首脳会談の結果を,「平和を愛する人びとすべての勝利」と呼び,「安全と平和は共通の目標だからである」と述べました。

      それにしても,国際平和と安全の確保を目ざすこうした動きを,過去の努力とは何かちがうものとして見るのはなぜでしょうか。どこにちがいがあるのでしょうか。

      たとえば,第一次世界大戦の終わった1918年に起きたことを考えてみましょう。その戦争で先例のない大量殺りくが行なわれたことにきもをつぶした諸国家は,『こういうことが二度と起きてはならない』と考えました。そこで諸国家は,『世界の平和と安全を確保』するために,国際連盟をつくりました。しかしこれは19年後に破たんを生じ,さらに大規模の戦争がぼっ発しました。I・L・クロード教授は,「剣をすきに」という本の中で,国際連盟が失敗したおもな理由は,「連盟が第一次世界大戦[のような別の戦争]の再発を防止するためにつくられた」ことにあり,それはちょうど,「フランスのマジノ線が,第一次世界大戦[のような別の戦争]に勝利を得るために構築された」のと同じである,と述べています。彼らは過去のことを考えていたので,第二次世界大戦をもたらした新しい状況を先見することができませんでした。

      第二次世界大戦が第一次世界大戦の破壊力をはるかにしのぎ,日本で原子爆弾を爆発させて終わったのち,国際連盟は国際連合の形で復活しました。その憲章によると,国連もまた,各国間の「国際平和と安全を維持する」ためのものでした。しかし数年を経ずして,主要構成国であった列強 ― アメリカ,英国,フランス,ソ連,中国 ― はすでに深刻な分裂をきたしており,東と西は「鉄のカーテン」でへだてられてしまいました。

      では,現在行なわれている平和への努力は,前述のそれとどこがちがうのでしょうか。

      相違点

      まずこの平和運動は,国際連盟や国際連合とはちがい,世界大戦のまっさいちゅうに始まったのでもなければ,世界大戦の直接の余波の中で,まだ記憶に新しい大殺りくへの恐怖を原動力として始まったのでもありません。この平和運動は,全面的な核戦争を引き起こす恐れのある,爆発性をある程度はらんだ状況から“導火線をはずす”ことを目的として,比較的に平和な時期に押し進められています。

      このことは,戦勝諸国が彼ら自身の平和政策を,戦争に負けて弱くなった,そして効果的に反対することのできない敵に,一方的に押しつけているのでもないことを意味します。事実,多くの人が,最近の世界の動きに驚いているのは,そこに原因があります。

      一方では,富と核兵力において中共をはるかにしのぐアメリカが,同国に対して懐柔的な態度に出ています。大統領がわざわざ北京まで出向いて,世界最大の人口を擁するこの国を孤立状態から引き出し,通信と経済の面で新しい関係を築こうとしています。

      そしてもう一方では,「モスクワ首脳会談」で,アメリカが,世界第二の超大国ソ連と「同程度の核」を保有する立場を進んで受け入れることを宣言しました。1960年代中はアメリカは「核上位」を固執しました。しかし現在では「十分の核」の保有についてのみ語ります。

      タイム誌はこれを,「今までの首脳会談の中で最も不思議な首脳会談」と呼び,次のことを指摘しました。それは,アメリカが北ベトナムの港に機雷を敷設したばかりであったにもかかわらず,そしてアメリカが北ベトナムの鉄道を徐々に破壊していっていた時であったにもかかわらず,モスクワ首脳会談が開かれたということです。そしてソ連の新聞は,アメリカが,共産主義者の同盟国への武器の流入を全力をあげて阻止したことを宣伝せずに,ソ連がひたすらに平和を追求し,首脳会談という大きな業績をあげたことをうたいました。

      しかしながら,これらの平和運動には,さらに特色のある要素が関係しています。これはほとんどの人が気づいていない重要な要素です。この多くの人に見落とされている,しかも重要な要素とは何でしょうか。

      それは宗教と関係があります。

      「しかし,宗教はこうしたことに関係ないではないか。いったいどういうところで宗教が関係してくるのか」とあなたは異議を唱えるかもしれません。次の証拠を考えてみてください。

      [5ページの図版]

      国際平和と安全への異常な動きが進行している。その意義は何か

      USニュース・アンド・ワールド・リポート誌 1972年3月13日付

      USニュース・アンド・ワールド・リポート誌 1972年6月5日付

      ニューヨーク・タイムズ誌 1972年7月4日付

      ニューヨーク・タイムズ誌 1971年9月24日付

      ニューヨーク・タイムズ誌 1972年7月3日付

  • 驚くべき逆転
    目ざめよ! 1973 | 4月22日
    • 驚くべき逆転

      アメリカが北京やモスクワと交渉を始めたことは,それなりに驚くべきことでした。しかし,それよりも先にもっと驚くべき変化がすでに生じていました。それは何でしょうか。

      10年か20年前のことを振り返って考えてみてください。西の世界ではどこでも,共産主義は「神を信じない,無神論の過激思想」であると,常に激しく非難されていたのを思い出しませんか。

      この非難の源泉はどこにありましたか。それは,キリスト教世界の教会,とりわけ西欧の諸教会でした。ところが,驚くべき逆転が生じました。次のことを考えると,その変化がいかに大きいものであったかがわかります。

      共産主義に対する宗教の「冷戦」

      1937年,法王ピウス11世は回勅(ディビニ・リデンプトリス)を出し,その中で次のように述べました。「共産主義は本質的に悪であるから,キリスト教と文明とを破滅から救うことを望む者はだれでも,共産主義の計画の遂行を援助することを一切さしひかえねばならない」―「新カトリック百科事典」(1967年)第4巻,942ページ。

      これは事実上,共産主義に対するバチカンの公式の宣戦布告でした。そのあとどんなことが起きましたか。

      第二次世界大戦中,ナチ・ドイツは突如ソ連との協定を破り,1941年6月22日にソ連を攻撃しました。その時,ドイツ,アイヒシュテットのローマ・カトリック大司教は,そのドイツの侵攻を「信仰と教会のための…十字軍,聖戦」とする教書を出しました。―グンテル・レビー著「カトリック教会とナチドイツ」(1964年),230,231ページ。

      イタリアでも同様に,コンスタンチニ大司教が,「共産主義ソ連」を,「サタンが多数の手先と最もよい協力者たちを見いだしたらしい広大な国」と評し,「この重大な時にあって,共産主義の暴虐から,われわれの自由の理想を守っている」イタリアとドイツの兵士たちの上に,神の祝福を祈り求めました。―ソウル・フリードレンデル著「ピウス12世と第三帝国」(1966年),79ページ。

      ドイツの侵略はいうまでもなく失敗し,戦争は終わり,ソ連を含む連合国は勝利を得ました。

      しかし,カトリック教会の反対はどちらかといえば硬化しました。戦後のイタリアが,ソ連についで最大の共産党を有するようになったとき,バチカンは新しい宣言を発表しました。1949年の法令によると,共産党員だけでなく,『共産党に好意を示す』者もすべて破門されるということになっていました。

      この法令が明確に施行されたことはありませんが,宗教側の非難攻撃は1950年代をとおして,よどみなく続きました。1955年,当時アメリカの副大統領であったリチャード・ニクソンは,カトリック教会を,「反共の主要なとりでのひとつ」と賛称しました。プロテスタント諸団体も,それほど目立たなかったとはいえ,世界共産主義に対して同様の敵意を示しました。

      宗教側の転身

      しかし,1963年になって突如「雪どけ」が始まりました。冷たかったバチカンと共産主義者の関係はこの年に暖まりはじめました。

      「雪どけ」の大きなきざしは,法王ヨハネス23世の回勅パチェム・イン・テリス(地上に平和)とともに現われました。その回勅の中で同法王は,世界の平和は,イデオロギー上の抗争や,政治上の権力争いの解決,それどころか無神論に対する宗教の勝利さえも待ってはいられない,という趣旨のことを述べました。

      ついで法王は,当時共産主義者の最高首脳であったフルシチョフの娘とむこに,非公式の謁見を許して,保守分子をひどく驚かせました。

      翌年,すなわち1964年9月15日に,バチカンはハンガリーの共産政権との大きな条約に調印しました。それはバチカンが,『共産主義に好意を示す』者はすべて破門する,という法令を出してからわずか15年後のことでした。ローマはいまや,ハンガリー国内のカトリック僧職者たちが,ハンガリーの共産主義政府に忠誠を誓うことを許したのです。

      「平和の触手」はさらに遠くへ伸ばされました。たとえば1966年の春,法王パウロ6世は,ソ連のアンドレ・グロムイコ外相に謁見を許して,その「雪どけ」外交を進めました。その謁見についてニューズウィーク誌が伝えたところによると,法王は「図書館の入口でにこやかにグロムイコ外相を迎え,両手を差しのべてあいさつを」しました。その後もバチカンは,共産諸国と交渉を続けてきました。

      ですから,1972年に,北京やモスクワで首脳会談が行なわれても,教会指導者たちからは,非難のつぶやきすら聞こえてきませんでした。こうして驚くべき変身が生じたのです。共産主義の「赤い野蛮人」は,突如として,社会的に受け入れるに足る,品位ある者となったのです。宗教は「人民のあへんである」とする共産主義の,「神を認めぬ」イデオロギーも,もはや友好関係をはばむ大きな障害とは見られていません。

      西側の諸強国も,宗教指導者たちに劣らずその態度を変えました。たとえばニクソン大統領は,モスクワからテレビで行なったソ連国民向けの演説で,ソ連とアメリカはもはやお互いを『反対する敵』と見るべきではなく,『平和を好む競争相手』と見るべきであるということを強調しました。

      「基本文書」の中で,両国は,「イデオロギーと社会制度[その中にはもちろん宗教制度およびその態度も含まれる]の相違は…双方が正常な関係を発展させるのに障害とはならない」ことを認めています。

      山のような障害と思われていたものは乗り越えられたようです。注意は今や,世界の大国の合意によって,1973年に開催を予定されている,「欧州安保会議」に向けられています。そして,フランスの新聞ルモンド(1972年6月25-26日)によると,バチカン外交筋の長カサロリは,「バチカンも参加を申し込む」と述べており,NATO統合軍およびワルシャワ条約軍の均衡のとれた削減を含め,議題として取り上げるべき事項をすでに提案しています。

      事態は今後どのような発展を見るでしょうか。わたしたちが見てきたことは,ありきたりの政略,たんなるまやかしにすぎないのでしょうか。それとも何か大きな事態が発展しつつあるのでしょうか。この場合は後者であることを信ずる理由があります。

      [8ページの図版]

      1963年4月11日,ヨハネス23世は,回勅「地上に平和」に署名。国際共産主義に対するバチカンの態度に「雪どけ」がはじまる

      パウロ6世は,アンドル・グロムイコ ソ連外相に謁見を許して「雪どけ」外交を継続

  • 平和のための努力が現在それほどまでになされているのはなぜか
    目ざめよ! 1973 | 4月22日
    • 平和のための努力が現在それほどまでになされているのはなぜか

      聖書の預言は,1900年の昔,人びとが「平和だ,安全だ」という時がくることを予告していました。その預言の成就は急速に近づいているようです。

      事実,世界の指導者たちは,このことばをくりかえし用いています。しかし,重要な意義は,単にことばの使用にあるのではありません。

      わたしたちは,多くの点で特異な時代に住んでいます。立ちどまって,世界が今日直面しているきびしい現実を考えてごらんなさい。もし世界の指導者たちが,平和と安定の確保に最大の努力を払わないとすれば,彼らは愚かで狂気であると言わねばなりませんが,現在がとくにそういう時であるのはなぜか,考えてみましょう。

      人間が今ほど文字通りに全地を破壊する手段を持ったことはありません。考えてみてください。

      アメリカは,核ミサイル潜水艦を41隻所有しています。これらの潜水艦はそれぞれ,日本に投下された2個の原子爆弾を含め,第二次大戦で両側が使用した爆弾の総量を上回る爆発物を搭載しています。ソ連はこの種の潜水艦を42隻建造中です。フランスは昨年7月に,核ミサイル潜水艦のテストを始めました。

      ソ連は,大型SS-9水素爆弾を約300個保有しています。各爆弾の威力は25メガトンです。それは,2,500万㌧のTNTに相当します。これらの爆弾たった1個で,どんな大都市も恐ろしい修らのちまたと化します。

      アメリカは,現在,このしゅん間にも,潜水艦ミサイルのほかに,ソ連と中共を目標に配備された,1メガトンか2メガトンの弾頭を持つ地上ミサイル,ミニットマンを1,000基有しています。ソ連も,SS-9のミサイルのほかに,同様の威力を持つミサイル1,300基を有し,アメリカを目標にしてそれらを配備しています。

      敵対する国が1度ボタンを押すと,推定3億人が1時間足らずのうちに死にます。

      それにもかかわらず,超大国は弾頭の蓄積をつづけてきました。物理学者のラルフ・E・ラップは少し前,アメリカは「ソ連を少なくとも25回絶滅させるに十分の核弾薬を」蓄積した,と述べました。

      中共も現在,核兵器の所有における超大国の地位に向かって歩みを速めています。

      そればかりではありません。スウェーデンの国際平和研究協会の報告が示すところによると,地球上の国の約3分の一は,「1970年代の終わりまでに,重大な核計画を」持つようになります。このことは,「軍事や戦略面に全く新しい事態を」招く可能性がある,と同報告は述べています。

      ニクソン大統領は,十分の理由をもって警告しました。「核戦争においては敗者のみで勝利者はいないであろう」。「もしわれわれが戦争にひきずり込まれるなら,相互自滅の可能性は非常に大きい」。

      過去においては,戦争が起こりそうな時,国の支配者たちは,権力と,人口の一部,産業力の一部を失う見込み,および主要都市を広範囲に破壊される見込みを検討しなければなりませんでした。

      しかし,事実上国全体を失うこと,自国が生物の住めない場所になることを考える必要はありませんでした。

      現在では,彼らはまさにその可能性に直面しているのです。

      人間環境の危機は世界的行動を要求する

      人類は自分が住んでいる地球そのものと和を結ぶ必要があります。人間は何十年もの間,自分自身の環境と“戦闘状態”にあり,地球を汚染していまにも死滅しそうな状態に追い込みました。今人間は,自分がまいたものを刈り取っています。

      人間は汚染した空気を刈り取っています。1970年に,ある大気研究センターの科学者たちは,現在の速度でいけば,「10年もしないうちに,大都市の住民は,空気の汚染に生き残るよう,ガスマスクをつけねばならなくなるだろう」と,予言しました。日本の東京ではすでに,交通整理に当たる警察官が,時折り酸素を吸わねばならない状態になっています。

      人間はまた,毒された川や湖から,そして海や大洋からさえ,よごれた水を刈り取っています。警告が盛んに発せられているにもかかわらず,汚染は進んでいます。1972年6月27日の読売新聞は,「日本近海の汚染は驚くべき速度で進んでいる」と報じています。

      これにせよ,他の汚染にせよ,個々の国のばらばらな努力によっては,解決は不可能です。全地球汚染の脅威に関し,スウェーデンで開かれた国連環境会議について,「エディトリアル・リサーチ・リポーツ」誌は,次のように論評しました。

      「最大規模の国際努力でないかぎり役にたたないようである。地球の生態系はひとつである。だから,自国だけの努力で環境を浄化しうる国はひとつもない。大気は,工業から出る汚染物質や殺虫剤を,地球のいたるところに運ぶ。事実,すべての国際水路は汚染されており,年々悪化している」。

      汚染による世界的災厄の危険は,核戦争の危険と同じほど現実であり,同じほど重大です。

      人間爆弾も爆発点に近づいている

      人口が10億に達する(1850年)までには幾千年もかかりました。それがわずか80年のうちに20億に達し,現在は36億です。そして向うわずか30年のうちに,10億やそこいらではなく,現在の数の倍になる見込みです。

      この地球上には,養わねばならない口が毎日20万ほどふえています。しかし,地球の大きさはいつも同じです。そして農業生産はその必要と歩調を合わせてはいません。

      世界の指導者たちは,いわゆる第三世界,つまりより貧しい,『開発途上国』の人びとの間に,激動があることを知っています。それらの国々は,より裕福な工業国の2倍以上の人口を有し,しかもより速く増加しています。

      この巨大な人口の間で高まる不満に答えるために,大国は技術援助を与えることを試みました。効果はありました。しかし問題はあまりにも大きく,人口の増加は,どんな進歩も消し去ってしまいます。ですから,最近の国連の調査が示すところによると,「持てる国と持たない国との間の差は,着実に大きくなって」います。

      この「人間爆弾」の脅威は日増しに大きくなっていきます。それを阻止するためには,張り合うことをやめて,世界の状態を改善するために努めねばならないことを,大国は認めています。

      国内問題にも注意が必要

      世界の指導者たちはまた,しだいに増加する国内問題に直面しています。主要都市は危機にあり,その多くは驚くべき速さで荒廃しつつあります。お金の必要は切実ですが,軍事費や『冷戦競争』に取られてしまいます。ソ連その他の国々では,消費者の要求が大きくなりつつあり,人びとに服従的な態度を保たせるためには,その要求を満たさねばなりません。また,あらゆる国を襲っている犯罪の高波をくい止めるためにも,何か手を打つ必要があります。

      また,人びとは列強の宇宙開発面での成功に注目し,人間の月面歩行を見てきました。それらの国々が宇宙開発の面で成功しているのを見て,なぜ地上でも同じことが行なえないのかと人びとはいぶかります。

      国際連合 ― その名に価するか

      人類の最高の業績として誇らかに,歓呼のうちに迎えられた国際連合は今困惑しています。世界に大きな変革が生じないかぎり,国連はすべての威信を失う危険があります。

      しかしながら,今は中共の国連加盟により,はじめて事実上,世界人口を擁することになりました。もし列強が国連の助けを得て平和の取り決めを遂行するとすればどうでしょうか。もし国連が小国間の紛争をくい止めるのを助けることができたとすればどうでしょうか。

      そのときには国連は,その崇高な名称に価するものに見えるでしょう。そして大きな支持と賛美を得るでしょう。

      危機に立つ世界宗教

      世界宗教,とりわけキリスト教世界の宗教は,近年著しく衰微しています。教会は,内部の紛争のために,人びとの尊敬を失いました。平和をもたらすことにも,人間の諸問題を解決するにも役だたないので,多くの人は教会の価値に疑問を持ちはじめています。しかし,宗教指導者たちは現在,世界に平和が訪れれば,自分たちが大きな益を得られるという望みを持っています。

      もし,『世界の平和と安全』の宣言がまもなく全世界に告げ知らされ,そして教会がその平和をもたらすことにある程度寄与したと主張できる立場であれば,弱くなった教会の影響力,威信,人びとの教会に対する支持は,少なくともある程度回復されるかもしれません。教会はそれを必要としています。そして教会はそのことを知っています。

      法王パウロ6世は,意見の相違,批判,反抗などがカトリック教会を悩ましており,「隠すことのできない,また隠すつもりもない,憂慮すべき事態」をつくり出していることを認めました。―1972年6月24日付のニューヨーク・タイムズ紙。

      世界平和のための協定はその憂慮を静め,将来に対する確信を深めるのに大いにあずかって力があるでしょう。宗教のリバイバル,世界宗教の力の更新などの希望をかきたてるでしょう。

      したがって,人びとが世界の平和と安全のために全力をあげて努力する理由は多く,またきわめて強いものです。そして人びとがやがて,「平和だ,安全だ」という叫びを時代のスローガンとするところまで事を運ぶのは明らかです。

      しかし大きな問題は,それは永続するだろうか,ということです。

      わたしたちはこれからその質問に対する答えを知ることができます。

      [11ページの囲み記事]

      爆発点に近づく人間爆弾

      現在の人口は36億

      30年のうちには2倍に増加する見込み

      最も急速な増加は貧しい国々に見られ,すでにより豊かな国の2倍に達している

      [10ページの図版]

      米ソ双方に,1,000基を超えるミサイルがあり,ボタンひとつ押せばいつでも発射できるように配備されている

      これらのミサイルのうちのあるものの速度は時速約2万4,000㌔で,発射の合図から30分以内に大都市全体に核の死の雨を降らせることができる

      [11ページの図版]

      養わねばならない人びとが毎日20万ふえている。食糧の生産はその必要と歩調を合わせていない

      [12ページの図版]

      1972年7月21日付,ロサンゼルス・タイムズ誌

  • 「平和の世代」,それとも一時的な世界平和?
    目ざめよ! 1973 | 4月22日
    • 「平和の世代」,それとも一時的な世界平和?

      国際関係の緊張はいま世界的に緩和の方向にむかっています。それはいつまで続くでしょうか。それは一部の人が予想しているような,「新しい世界秩序」の「平和な世代」をもたらすでしょうか。

      平和を求める多くの切実な理由があるにもかかわらず,種々の交渉に多くの努力が払われ,世界の指導者たちが強い決意と意欲を持ち,そして彼らの助言者たちが聡明であるにもかかわらず,彼らがつくり出そうとしているきたるべき世界平和は長く続かないでしょう。なぜでしょうか。それには二つの基本的な理由があります。二つとも強力な理由です。

      ひとつは,平和を乱す人間の諸問題はそれによって解決されない ― 事実,できない ― からです。世界の指導者たちは次の事実を見のがすか無視することを好みます。つまり戦争は,爆弾や戦闘艦や弾丸によってひき起こされるのではないということです。戦争は人びとがひき起こすのです。諸国家が結ぶどんな平和協定も,人間の利己主義を取り除くことはありません。そしてその利己主義こそ明らかに,すべての不一致,激しい衝突,そして戦争の根本原因です。

      実際に,平和協定自体,大きくは利己的な基礎の上に立つものです。平和といえば,相互の確信と信頼を連想しないでしょうか。しかし,米ソの協定について,その交渉に当たった主要人物,ヘンリー・キッシンジャー博士は,「われわれはこれらの協定を,信頼という基礎にではなく,進んだ利己主義に基づいて支持する」と述べました。「進んだ利己主義」とは,「抜けめのない利己主義」の,体裁のいい言いかたにすぎません。

      タイム誌は,相互の信頼の欠けていることを示し,最近調印された兵器制限協定に触れて次のように述べました。「双方とも,相手国のごまかしを監視するために,観測用衛星に力を入れることが予想されている」。

      平和といえば,平穏や,恐怖からの自由を連想しませんか。しかし,きたるべき国際平和は,戦争防止の主要手段として,「恐怖の均衡」と呼ばれるものに依存するのです。つまりどちらの側も非常に大きな力を蓄えているので,奇襲攻撃を受けても,破滅的水素爆弾を雨あられのようにあびせて報復できるという考えです。これによって全面戦争は防止されると考えられています。

      しかしこのことは,ふたりの人が,互いに相手の胸にピストルを突きつけ,ひき金に指をかけたまま,ダンスをすることに同意しているようなものです。そういう状態のもとで,どうしてほんとうの静けさや心の安らぎがありうるでしょうか。

      これらの問題はどうか

      また,たとえ人びとが,常に存在する核による破滅の可能性を忘れることができたとしても,犯罪がはびこりつづけるなら,どれだけの平和が得られるでしょうか。夜間の外出に恐怖を感じたり,戸じまりをした自宅にいてなお不安をおぼえるような状態で,世界平和にどれだけの意味があるでしょうか。

      国際間の大きな分裂がいやされても,各国の内部の不一致はどうですか。

      政治的世界平和は,宗教団体の間のみぞを取り除くでしょうか。アイルランドでは,カトリックとプロテスタントの間の紛争で,過去3年間に,540人の男女子どもが死亡し,それに加えて多くの財産が破壊されました。

      政治的世界平和は,アラブ人とユダヤ人との間に見られるような人種的不和や憎しみ,あるいはアフリカのブルンジにおけるような部族間の争いなどを取り除くでしょうか。ブルンジでは,ツシ族とフツ族の憎み合いが,ほんの数か月の間に,推定12万人の男女子どもの残虐な大量殺りくという結果を招きました。これは11年間のベトナム戦争におけるアメリカ側の戦死者総数の2倍以上に当たります。

      そして,幾世紀にもわたって国々を悩ましてきた,政界や経済界における腐敗,ごまかし,詐欺などはどうですか。不公正,不平等,そして実際の圧制などをもたらす権力や権威の乱用はどうですか。こうした事柄が,地域的な規模においてさえ存在しつづけるかぎり,地球はどれだけの平和を得られるでしょうか。

      わたしたちは,きたるべき平和の取決めが長つづきしない強力な,基本的理由はふたつあると言いました。第2の理由は何でしょうか。そしてそれはどんな希望をわたしたちに残してくれるでしょうか。

      [13ページの図版]

      たとえ,国際的な世界平和協定が結ばれたとしても,不一致,利己主義,腐敗,不正などが各国内にひきつづき存在するかぎり世界にどれほどの平和がありえるだろうか

      ニューヨーク・タイムズ誌 1972年6月23日付

      ニューヨーク・タイムズ誌 1972年6月3日付

      ニューヨーク・タイムズ誌 1972年6月23日付

      ニューヨーク・タイムズ誌 1972年6月23日付

      ニューヨーク・タイムズ誌 1972年8月15日付

      タイム誌 1972年1月10日付

      USニュース・アンド・ワールド・リポート誌 1971年8月23日付

  • 人びとが,「平和だ,安全だ」と言うその時に,突然の滅びが臨む!
    目ざめよ! 1973 | 4月22日
    • 人びとが,「平和だ,安全だ」と言うその時に,突然の滅びが臨む!

      人間の指導者たちが唱えている,きたるべき世界平和はつかのまのものにすぎないと言えるおもな理由は,聖書預言がそのことを予告しているという点にあります。それはどうしてでしょうか。

      19世紀前のクリスチャンに書き送った使徒パウロは,次のように述べました。

      「エホバの日が夜中の盗人と全く同様に来るということは,あなたがたがよく知っているからです。人びとが,『平和だ,安全だ』と言っている矢先に,突然の滅びが,妊娠した女に産みの苦しみが臨むのと全く同じように,突如として彼らに臨みます。彼らは決してのがれられません」― テサロニケ前 5:1-3,新。

      しかし,この聖書の預言がどうして,平和を図る現代の人びとの努力や平和宣言にあてはまるのでしょうか。平和は良い事であって,聖書は,「幸福なるかな,平和ならしむる者」と述べてはいませんか。キリスト教世界の宗教指導者たちでさえ,今進められている努力を称賛しているのではありませんか。では,進展途上にあるかに見える,平和のためのそうした主要な努力に関して,聖書はどうしてその失敗を予告しているのでしょうか。

      どうしてわたしたちの時代のうちに「突然の滅び」が臨むのか

      一つには,「エホバの日」の到来と,諸国民に対するエホバ神の裁きが執行される時の到来を示す,他の聖書預言によって明確にしるしづけられている時代にわたしたちは今生活しているのです。そして,そうした聖書預言が成就しているゆえに,「平和だ,安全だ」と唱える宣言にきびしい追い打ちをかけるような「突然の滅び」に関する使徒の預言もやはり,わたしたちの時代のうちに成就するに違いないという確信を持つ根拠があるのです。

      1879年もの遠い昔,当誌の発行者は1914年という年を聖書預言の上での画期的な年,つまり聖書の述べる「終わりの時」a の起点をなす年として指摘しました。

      1914年以来,その時期を見分ける手がかりとなり,また予告された「エホバの日」に先立って生ずるであろうとキリスト・イエスの述べた「しるし」を,わたしたちの世代の人びとは目撃してきました。キリストの述べたそのしるしには数多くの特色があります。そのしるしを見ている人たちは,次の二つのことを確信できるでしょう。

      第一に,そのしるしは,『世のはじめより今に至るまでかかる〔かん難〕はなく,また後にもなからん』と言われるほどの大かん難の前奏曲です。第二に,そのしるしを見ている人たちは,『神の〔王国〕が近いことを』はっきりと知ることができます。それは非常に近いので,そのしるしを観察している世代の人びとは,『これらの事ことごとく成るまで…は過ぎゆくことなし』と言われています。―マタイ 24:21。ルカ 21:31,32〔新〕。

      そうした数多くの特色を持ったそのしるしとはいったい何ですか。1914年以来,人びとは実際にそのしるしを見てきましたか。では,マタイ伝 24章,マルコ伝 13章,ルカ伝 21章また黙示録 6章に述べられているそうしたしるしの特色と,次に掲げるわたしたちの世代の社会のできごとや状態を比較してみてください。

      世界的規模の戦争にさいして国民は国民に対して立ち上がる(マタイ 24:7。黙示 6:3,4)

      軍事評論家H・W・ボールドウインは「第一次世界大戦」という本の中でこう述べています。「第一次世界大戦は[1914年-1918年]は,総力戦,つまり真の意味での最初の世界的規模の戦争の世紀を招来した……」。

      最近,ニクソン大統領は,第二次世界大戦後のこれまでの短い期間に百ないしそれ以上の戦争が行なわれたことを指摘しました。

      大規模な食糧不足,物価上昇,飢饉(マタイ 24:7。黙示 6:5-8)

      同じ期間に,つまり1914年以来今日まで,農業の発達にもかかわらず,食費は高騰してきました。飢饉は世界の至る所にまん延しています。それも時には劇的な様相を呈しますが,多くの場合,緩慢で,あまり目だたない,それでいて人びとを死に追いやる栄養失調という形で広がっています。

      ニューヨーク・タイムス紙のある報告によれば,これまでの10年間だけで,世界のどこかで毎日1万人もの人びとが,つまり毎年350万人余が栄養失調による病気のために死亡したとのことです。工業国の人びとは信じられないかもしれませんが,今日,地上の人間の3人のうち1人は栄養失調のために徐々に餓死しているか,さもなければ苦しめられているという事態は依然として真実です。

      流行病的規模に達する命取りの疫病(ルカ 21:11。黙示 6:8)

      1918年から同19年にかけて,ものの何か月もたたないうちに2,100万人もの人命を奪った「スペインかぜ」のことを別にしても,わたしたちの世代は,流行病的規模に達したガン・心臓病・精神病・性病・麻薬中毒・汚染による中毒などのために苦しめられていることは否定すべくもありません。

      各地で次々に起きる地震(マタイ 24:7)

      ほとんど毎年,地上のどこかで大地震が1回あるいはそれ以上起きています。これまでのわずか数年間だけでも,ペルー,イラクその他の土地で幾つかの町が壊滅しました。1914年以来の地震による死者は70万人余に達しています。

      不法の増加(マタイ 24:12)

      わたしたちは,「暴力の時代」と呼ばれている時期に生活しています。特に世界各地の大都市での生活はかつてないほど危険になりましたし,今では都市の郊外地やいなかの地方でも犯罪は急激にふえています。性犯罪はふえ,性的不道徳はとどまるところを知らないように見えます。性的不道徳はいよいよ低年齢層に浸透し,十代の青少年から,さらに十代前の子どもの世界にはいってきています。

      王国の良いたよりが全地で宣べ伝えられる(マタイ 24:14,新)

      1914年以来今日までのこの同じ期間に,神の王国が天から活発に統治を開始したこと,またその王国がまもなく全地を支配することを公に告げ知らせる史上最大の宣明運動が世界中で行われてきました。チャールズ・ブレイデン著,「これらの人々も信じている」の中で述べられているとおりです。「エホバの証人は文字どおり彼らの証言でこの地を覆ってきた」。

      200以上の土地の何億もの家庭が1,2回どころか何回も何回も,それら王国宣明者の訪問を受けてきました。その結果ですか? 世界の改宗が進められているわけではありません。それは聖書の予告している事がらではないからです。そうではなくて,イエスの預言はこう述べています。『〔王国〕のこの福音は,もろもろの国人に証をなさんため全世界に宣べ伝えられん,しかして後,終わりは至るべし」― マタイ 24:14〔新〕。

      何が滅びるのか

      聖書の他の箇所が示すように,その『終わり』は,惑星であるこの地球や地球上の全住民の終わりを意味するものではありません。それは,最初から不義のものであったこの世の事物の体制の滅びをさしています。

      神の律法を指針とし,それをもって意見の相違を平和裏に解決することを拒んだ人間は何千年にもわたって,この地を公正ではなくて,『力を正義とする』戦場に変えてきました。そして,商業上の利益,政治的影響力や権力,あるいは領土上の権利の拡張を図ったり,保持したりするために戦っています。人びとは宗教的偏見や国家主義的な誇り,あるいは人種上の憎しみを表わしており,またそうした利己的な目的を達成するためには,たいてい略奪や強姦その他の残虐行為を必然的に伴う残忍な殺人をさえ差し控えませんでした。こうした事がらすべてに対して全能の神は決して責任を問うことはなさらないなどと考えられますか。もしそうなさらないなら,そのような神を義の神として信頼し,崇拝する価値があるでしょうか。

      使徒が書きしるした「エホバの日」とは,神がまさしくそうした責任を問うご予定の時を意味しています。しかし,そのとき生き残る人たちがいます。そして,諸国民の不敬虔な道を退け,義を愛し,きたるべき「突然の滅び」を免れたいと願う人たちすべてに対しては,昔のイスラエルに語られた次のような励みの多いことばが適用されます。

      『わが民よ ゆけ なんじの室にいり汝のうしろの戸をとじて憤りのすぎゆくまでしばしかくるべし 見よ エホバはその所をいでて地にすむものの不義をただしたまわん 地はその上なる血をあらわにして殺されたるものをまたおおわざるべし』― イザヤ 26:20,21。

      神が世の平和運動を退ける理由

      エホバ神はそのみことば聖書の中で,「平和の神」と呼ばれています。(ロマ 15:33)しかし,エホバは,『どんな代価を払ってでも平和を得る』ということには賛成されません。エホバにとっては,義にのっとった平和でなければ,平和はありえません。また,エホバとその目的を度外視する平和協定は,エホバに祝福されるものでもありません。

      きたるべき平和のために諸国民の協定はまさにその種のものです。彼らは平和を望んではいますが,それは単に何世紀にもわたって自ら選んできた同じ生き方を続けられるようにするためにほかなりません。物質的繁栄を考えてはいますが,霊的繁栄を気にかけてはいません。イエス・キリストの弟子で異父兄弟であったヤコブのことばは,キリスト教世界の諸国民を含めて,彼らのことをよく描写しています。ヤコブはこう書きました。

      『汝らのうちの戦争はいずこよりか,争いはいずこよりか,汝らの肢体のうちに戦う欲より来たるにあらずや。汝ら貪れども得ず,殺すことをなし,妬むことをすれども得ることあたわず,汝らは争い,また戦す。汝らの得ざるは求めざるによりてなり。汝ら求めてなお受けざるは,欲のために費やさんとて妄に求むるがゆえなり』― ヤコブ 4:1-3。

      では,諸国民は「平和だ,安全だ」とされる時を活用し,誤った道を捨てて,義を求めるでしょうか。その時を活用して,自分たちの創造者についてもっとよく学び,創造者の意志や目的を成し遂げるわざに専念するでしょうか。

      日々の新聞で読む事がら,ラジオやテレビで見聞きする事がら,また自分自身の日常の経験や人びととの接触 ― こうした事がらすべてを考えると,そのような誠実な動機は欠けていることがわかります。今日の大多数の人びとの思いや心の中にまっ先に浮ぶのは神への愛や隣人への愛でないことは明らかです。それゆえにこそ,人類は今日見られるような嘆かわしい状態に陥っており,恐るべき危機に直面しているのです。

      宗教諸団体による祝福が成功を保証するものとはならない理由

      世界の宗教諸団体が今日の平和運動を是認し,支持し,またそれに参加している以上,平和運動は何らかの点で神からの祝福を得ることが保証されているなどと考えるのは重大なまちがいです。それとは正反対で,そうした動きは同運動の破滅を示すものです。

      実際のところ,世界の宗教諸団体は,神ご自身のみ子が述べた道とは全く逆の道を取ってきました。キリスト・イエスは,『彼の〔王国〕はこの世のものならず』と述べて,その真の追随者は世のものではないと言われました。(ヨハネ 18:36; 17:14)しかし,何世紀にもわたって,世の宗教諸団体は政治勢力と売春を行ない,政治勢力に対する影響力を得ようとしてきました。

      キリスト教世界の宗教諸団体については特にそう言えます。それらの宗教諸団体は,黙示録 17章で地の王たちと親密な関係を持つ者として描かれ,『大いなるバビロン』と呼ばれる象徴的な淫婦と同一視されることは免れられません。『地の王たちをつかさどる』象徴的な都としての大いなるバビロンは,この世の宗教諸団体が地的諸政府の上に何世紀もの間保持してきた『霊的な』連合帝国を的確に表わしています。

      聖書の黙示録は,大いなるバビロンが諸国民を神に導くのではなくて,神に敵対させ,『小羊』キリスト・イエスと戦わせようとしていることを示しています。諸国民は,キリストの王国による支配を退け,また王国を告げ知らせてそれを支持する人たちを退け,迫害しさえすることによって,キリストと戦っています。―黙示 17:1,2,14,18。

      キリスト教世界の宗教指導者たちが世界の現在の平和運動を称賛し,その成功のために祈願をささげようと,わたしたちは,神がそうしたことをどう見ておられるかを知っています。イザヤ書 1章15節はこう述べます。

      『我なんじらが手をのぶるとき目をおおい 汝らがおおくの祈りをなすときも聞くことをせじ なんじらの手には血みちたり』。

      そうです,キリスト教世界の宗教諸制度は,みずからの手を血染めにしてきました。キリスト教世界の諸教会は,初期の世紀における悲惨な十字軍から,中世の「宗教戦争」や宗教裁判を経て,わたしたちの世代に生じた世界的規模の戦争に至るまで,政治諸国家の戦いを支持し,諸国家に神の祝福があることを保証しては戦いを勧めることさえしてきました。今や諸教会がいよいよ深く政治に介入していることは,諸教会がその心を真に変えてはいないことを示しています。したがって,その祈りは決して神に聞き入れられません。

      [脚注]

      a 預言的証拠に関する詳しい説明については,「『大いなるバビロンは倒れた!』 神の王国は支配する」と題する本の174-181ページをご覧ください。

      [15ページの図版]

      戦争

      食糧不足

      [16ページの図版]

      地震

      疫病

      [17ページの図版]

      犯罪

      王国が宣べ伝えられる

  • 正真正銘の世界平和はどのようにして訪れるか
    目ざめよ! 1973 | 4月22日
    • 正真正銘の世界平和はどのようにして訪れるか

      「平和の神」は,世界平和,正真正銘の平和をもたらす独自の備えを設けておられます。その備えとは,神ご自身のみ子の治める政府,つまりメシヤの王国です。昔,メシヤについて預言者イザヤは霊感を受けてこう書きました。

      『政事はその肩にあり その名は…平和の君ととなえられん その政事と平和とはましくわゝりて限りなし かつダビデの位にすわりてその〔王国〕をおさめ今よりのちとこしえに公平と正義とをもてこれを立てこれを保ちたまわん 万軍のエホバの熱心これをなしたもうべし』― イザヤ 9:6,7〔新〕。

      天に基礎を持つその政府は,何らかの「恐怖の均衡」によってではなく,恐怖の原因をすべて除去することによって,永続する平和をもたらします。その政府は,ミカ書 4章3節の『その剣を鋤に打ちかえその槍を鎌に打ちかえん 国と国とは剣をあげて相攻めずまた重ねて戦争を習わじ』ということばを成就している人たち,それゆえにすでに剣や槍を鋤や鎌に打ちかえた人たちだけをその臣民として受け入れるのです。平和を愛するそのような臣民のことを考えれば,その預言が引き続き次のように述べている理由も理解できるでしょう。『皆そのぶどうの木の下に座し そのいちじくの木の下におらん これを恐れしむる者なかるべし』― ミカ 4:4。

      メシヤによる支配に服する地的臣民は,生ける真の神の清い崇拝と奉仕において結ばれているので,政治的王国やイデオロギーの混交したものに忠誠をつくして分裂を招くような結果を経験することはありません。その種の王国やイデオロギーなどはもはやなくなるのです。神のみことば聖書は,神のみ子の王国が『このもろもろの〔王国〕を打ち破りてこれを滅せん これは立ちて永遠にいたらん』と述べています。(ダニエル 2:44〔新〕)それらの政治的王国はすべて,「突然の滅び」に直面します。なぜなら,それら諸王国は地に対する神の支配に反対し,人間による支配が完全に失敗であったことを示す証拠があるにもかかわらず,地に対する人間による支配を引き続き支持しているからです。

      さて,その時,地上の生存者たちは,商業上の貪欲のために地を汚染させたり,核兵器の放射能で地をそこなったりせず,かえって地を回復された楽園,全地にわたる神の園に変えることによって,この地との平和な関係を持つことができるでしょう。そのうえ,さらにすばらしいこととして,神の政府は病を癒す手だてを備えて,その地上の臣民に自分自身のからだの内部でも平安を享受できるように取り計らいます。彼らの肉体的な弱さや不完全さ,病気や老齢,また病気のもたらす死は,神のみ子のあがないの犠牲によってぬぐい去られてゆきます。戦争のもたらした無数の犠牲者さえ,他の原因で死ぬ人びととともに復活させられて,その王国の支配のもとで永遠の命を受けるにふさわしいかどうかを実証する機会を持つのです。その結果,次のような事態が訪れます。『[神は]かれらの目の涙をことごとく拭い去り給わん。今よりのち死もなく,悲しみも,叫びも,苦しみもなかるべし。さきのものすでに過ぎ去りたればなり』― 黙示 21:4。

      もし,現在の不義の事物の体制の「突然の滅び」を免れて,「平和の君」の支配下で命を享受したいなら,今あなたは何をすべきでしょうか。

      [19ページの図版]

      神の王国によってもたらされる,きたるべき「突然の滅び」を生き残る人たちは,互い同志,また動物や地そのものとも平和な関係を持ち,地を世界的な楽園に変える

  • 生活の「道」
    目ざめよ! 1973 | 4月22日
    • 生活の「道」

      あなたの友人や知人のほとんどはおそらく,宗教もしくは宗教的な見解を持っていると主張するでしょう。しかし,そのような人びとの宗教はどのようなものですか。霊感を受けた使徒パウロは,わたしたちの時代に関して,多くの者が『敬虔の形をとりてその徳を捨つる者とならん』と述べました。―テモテ後 3:5。

      「心理学から見た人間」と題する本の中で,ゴードン・W・オールポートは次のように述べました。「多くの人にとって,宗教とはものぐさな一種の習慣,もしくは儀式や家族の便宜あるいは個人的慰安のために用いられる部族独特の一種の投資物である。それは利用すべきものであって,そのために生きるものではない。それは,自分の地位を高めたり,自己過信の念を支えたりするために用いられる場合もあれば,現実に対抗する防塁,また自分自身の生活様式に神の是認を付与するための手段として用いられることもある。そのような宗教心は,神はわたしと同じ仕方で物事を考えているのだということを人に確信させるものである。神学的な表現を用いれば,本質的に不敬虔な人間は神に頼ることはあっても,自我を退けはしない。この種の宗教は自己中心主義のたてである」― 131ページ。

      それとは対照的に,西暦1世紀にイエスの追随者となった人びとは,神の「道」に属する人びとと呼ばれています。(使行 19:9,23)彼らは,神とキリストに対する信仰を中心にした道もしくは生き方につき従いました。どうすれば自分にとって宗教を,神を喜ばせうる満足のゆく生活の道とすることができるかを知りたいと考えておられるなら,エホバの証人は喜んでご援助いたします。

  • 国連に期待をかける法王
    目ざめよ! 1973 | 4月22日
    • 国連に期待をかける法王

      ◆ 去る12月中旬,法王パウロ6世は,「平和は可能である」と言明した。人間の努力に焦点を置いたメッセージの中で,強力な国際平和維持機関の必要を一部次のように述べた。「国際連合を初めとするそうした諸制度は設立されてきた。…それらには,国際秩序,団結,および民族間の同胞愛を促進する手段として,世界中から積極的な期待が寄せられている。これらの制度の中に,平和は自らの住まいと仕事場を見いだす」。しかし,その『平和の制度』なるものが働きをなさないならどうだろう。法王によれば,「もしそれらが役に立たず,人々が全くの幻滅を味わわされるなら,それによって平和は敗れ,それとともに文明の進歩もなくなる。

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