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  • 人間の造り主が考えておられる事
    目ざめよ! 1976 | 10月8日
    • とすぐに,イエス・キリストおよび非のうちどころのない共同の支配者たちは地の事柄を管理します。これは地球を荒廃させている者たちが彼ら自身,荒廃つまり滅びにいたることを意味します。(啓示 11:18)地を荒廃させている者たちの滅びを生き残る人々は,その後すばらしい変化を経験することでしょう。彼らは「千年のあいだ」イエス・キリストおよび共同の支配者たちの愛ある世話を受けるのです。(啓示 20:6)この期間に地球は楽園に変えられます。今までの悩みと苦しみはすべて取り去られるでしょう。そして死人は復活します。聖書巻末の書である啓示は,神がご自身の天の政府によって行なわれる事柄を描いています。

      「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない」― 啓示 21:4。

      神の初めからのお目的の成就を目撃すること ― 人類が完全さを取りもどし,地球が美しい楽園に変えられるのを見ることは,なんとすばらしい見込みでしょう! いま何をすれば,この目的の確かな成就にあずかることができますか。

  • いま 機会を捕らえてください!
    目ざめよ! 1976 | 10月8日
    • いま 機会を捕らえてください!

      人類の創造者が人間を愛してその必要物を備え,かつ顧みてくださるのは,人類にとって良いことです。そうであればこそ,人間が罪と死に陥ってからも創造者は人類を見捨てなかったのです。創造者は人間の願い,その愛するもの,人間の浮き沈みに対して“死んでいる”かのように無関心ではありませんでした。それとは反対に,創造者はご自身のみ子を与えて人間を元通りにするための基礎を据え,こうして最大の関心を示されました。そして人類に対するご自身の完全な目的 ― 楽園の地における豊かな生命 ― の実現に向かって着々と進んで来られました。

      この目的を理解することはすなわち,自分が地上に生を享けた理由を知ることです。しかしもっと重要なことに,それを知ることによって,いま何をすべきかの指針が得られます。それは人生がもっと有意義なものとなる将来を望み見るだけでなく,いま真の目的をもって生きることであることが分かってきます。ゆえに使徒の次の言葉は絶対的な真理を述べたものです。「敬神の専念はすべての事に益があるからです。それは,今の命ときたるべき命との約束を保つのです」― テモテ第一 4:8。

      真実の,そして分別のある,徳を高める事柄に専念できるように,神はわたしたちを見守っています。神は,意義ある人生を送るための導きを求めて人が神に近づくことを許しておられます。使徒パウロは,アテネの町でクリスチャンではない人々に話をしました。その中には人生に理由を求めていたギリシャの哲学者が何人もいたのです。神は人間が神を求める道を備えられており,「それは,彼らが神を模索してほんとうに見いだすならばのことですが,実際のところ神は,わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではありません」と,パウロは人々に説明しました。―使徒 17:24-27。

      知恵と経験において自分より勝った者からの導きを必要としないと言える人がいますか。人類のすべては,この容易ならぬ時代にそれを大いに必要としています。人生に目的を見いだすための導きを得るならば,わたしたち自身そして愛する者たちに今いっそう大きな幸せがもたらされます。そのうえ更に,これは今捕えるべきものです。なぜならそれによってわたしたちは「きたるべき命」を得る者となるために備えることができるからです。

      「きたるべき命」

      何十億の人々が享ける「きたるべき命」は,神が初め人間のために意図された通りのものに実際になるでしょう。神はアダムとエバに告げてこう言われました,「生めよ,ふえよ,地に満ちよ,地を従わせよ。また海の魚と,空の鳥と,地に動くすべての生き物とを治めよ」。(創世 1:28,口)この夫婦に対して,死のことは,不従順であれば死ぬということ以外には何も述べられていません。(創世 2:17)彼らに対する神の目的は,従順であるかぎり彼らがそのまま永遠に生きていくことでした。神に対する従順は,広大な宇宙の創造者であられる神の要求として決して無理な要求ではありません。創造者は人類の幸福のために何が必要かを確かにご存じです。―マタイ 6:8。

      地上で永遠に生きる! これこそ人間に対するご自身の目的であると,神が実際に言われていることなのです。もちろん,そのためにはまず地球が永久に続かなければなりません。詩篇作者は,わたしたちに慰めとなる次の言葉を霊感によって書き記しました。「[神]は地をその基の上にすえて,とこしえに動くことのないようにされた」。(詩 104:5,口)聖書は,神が悪を地から滅ぼし去り,正しい人々を生き残らせることを何回となく述べています。―詩 37:1,2,9,11,20,27,34; 115:16。

      聖書巻末の本である啓示は,「きたるべき命」について多くの事を述べています。それは「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる」神の決意と,悪人を滅ぼす最後の「大患難」に大ぜいの人が生き残ることについて述べています。(啓示 11:18。マタイ 24:21)生き残る人々の「きたるべき命」について,神は次のことを約束されています。「み座にすわっておられるかたは彼らの上にご自分の[保護と安全の]天幕を広げられるであろう。彼らはもはや飢えることも渇くこともなく,太陽が彼らの上に照りつけることも,どんな炎熱に冒されることもない。み座の中央におられる子羊[イエス・キリスト]が,彼らを牧し,命の水の泉に彼らを導かれるからである。そして神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られるであろう」― 啓示 7:9,14-17。

      「命の水の川」

      この「命の水」について,啓示の最後の章はさらに詳しく述べています。これより以前にイエスは次のことを言われました。「だれでもわたしが与える水を飲む人は,決して渇くことがなく,わたしが与える水は,その人の中で,永遠の命を与えるために沸き上がる水の泉となるのです」。(ヨハネ 4:14)それで「命の水」は,人類のためのイエスの贖いの犠牲と関係のあることが分かります。ゆえに啓示の描写を読む時,そこに描かれている「命の水の川」は,人類の命のためにイエス・キリストを通して設けられた備えのすべてを表わしていることが理解されます。次のように記されています。

      「また彼は,水晶のように澄みきった,命の水の川をわたしに見せてくれた。それは神と子羊とのみ座から出て,その大通りのまん中を流れていた。[この川は,「新しいエルサレム」すなわち栄光を受けられたイエス・キリストおよびキリストと共に治める天の王たちが住む天の首都を通って流れています。]そして,川のこちら側と向こう側には,月ごとに実を生じ,実を十二回生み出す,命の木があった。そして,その木の葉は,諸国民をいやすためのものであった」― 啓示 22:1,2。

      地上における事物のこの新しい取決めの下で,人々は,彼らの罪とすべての病気や不完全さを取り除くキリストの犠牲の価値から絶えず益を受けていやされるでしょう。死の原因である罪が彼らすべてから遂に取り除かれ,「もはや死もなく」なります。(啓示 21:4。コリント第一 15:26)これは神の備えにあずかる人々にとって永遠の命を保証するものです。今こそ,聞く人すべてが「命の水の川」より現在のところ手に入れられるものを得て機会を捕えるべき時です。招待は差し伸べられています。「だれでも渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい」― 啓示 22:17。コリント第二 6:1,2。

      永遠の命は単調でも退屈でもない

      『しかし』と,ある人は言うかもしれません。『永遠に生きるようになると,人は今よりも意義のある生き方をするだろうか。食べて寝て働くことを果てしなく続けて,同じ生活の繰り返しを経験するだけではないだろうか。いま多くの人がしているような生き方つまり子孫の代のために何かを成し遂げることに努め,子孫にそれを引き継がせるのも同じく有意義なことではないか』。

      このような質問に答えるため,今日,人々が人生の目的を成し遂げるのに一体どれほど成功しているかを考えてごらんなさい。真に永続するもの,命を守り,あるいは生活を良くするのに役だつものを提供して他の人々に貢献できる人がどれだけいますか。実際には,周囲の事情や限られた寿命のために,このような努力はくじかれてしまうことが少なくありません。(伝道 2:11,17-21)しかし限りのない命を与えられる時,人が成し遂げ得る事柄を考えてごらんなさい。人は知識と能力を絶えず増し加えることができます。また個性を豊かにすることができます。人間社会に貢献できる貴重な能力は減ずることなく,かえって絶えず増し加えられることでしょう。また年老いて衰えることもありません。今日多くの人は,働き盛りの年が容赦なく短くなり,生涯の終わりが近づいてくることに悲哀を感じています。その訳で聖書は次のようにすすめているのです。「あなたの若い日に,あなたの造り主を覚えよ」― 伝道 12:1,口。

      そのうえ,永遠の命を持つ時,学ぶことに終わりはなく,この地球と,そこにあるものについてすべてを発見しつくすことは決して出来ないでしょう。すばらしい科学“実験室”であるこの地球の研究は終わることがありません。発見をするごとに無数の新しい“とびら”と展望が開かれるでしょう。また努力の他の分野において同様な進歩をしている他の人々との交流は,楽しい変化をそえるでしょう。互いの才能や個性を楽しむことは,つきない喜びとなります。

      しかしこれらの事よりもはるかに心を楽しませるのは,きわめつくすことのできない神を知る知識を絶えずとり入れ,神の知恵と愛を豊かに受け続けることです。地に来られる前に,計り知れない期間,天で神と共におられたイエスはご自身について,「わたし(は)父によって生きている」と言われ,また次のように言われました。「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」― ヨハネ 6:57; 17:3。

      「地に満ちよ」

      死がなくなるということは,地球が遂には耐え難いほどの人口過剰になるということですか。そうではありません。地球に対する目的を持たれる創造者は最初の人間夫婦に告げてこう言われました,「生めよ,ふえよ,地に満ちよ」。(創世 1:28,口)賢明な創造者は地球がどれだけのものを養い得るかを確かにご存じであり,ふえ過ぎて快適に生活できないほど地に人が満ちることを許されないでしょう。創造することができ,また創造物が全体の益のために調和した営みをするように仕組まれる創造者は,述べられたこの目的を達成でき,そうするにあたってだれにも害や悲しみを与えません。

      神の目的について学ぶ機会を捕えるならば,あなたは「今の命」に関する神の約束を体験するでしょう。神のすばらしい目的には人類を幸福にする事柄がすべて盛り込まれており,あなたはこうした神の目的の型を次第に理解して心に喜びを得ることでしょう。今日,物事がなぜこのようになっているのかにつき,また神の目的の知恵についてあなたが抱いていた疑いは,すべて人間の無力と知識の不足のせいであったことが明らかになるでしょう。神が昔行なわれた事柄の知恵に挑戦した者たちに向かって,神はこう言われました,「あなたがたは,わが子らについてわたしに問い,またわが手のわざについてわたしに命ずるのか。わたしは地を造って,その上に人を創造した」― イザヤ 45:11,12,口。

      神の目的を啓示する聖書は,あなたにとって理解できない本ではありません。そして今の人生が良いものとなるにとどまらず,死ももはやない義の宿る地において,愛する者たちと再会するというすばらしい前途が開かれます。(啓示 21:3,4)いま機会を捕えてください。エホバの証人は,あなたがご自分の家で聖書を学ぶのを喜んで無償でご援助します。

      [12ページの図版]

      地球にある多くのものは,全人類を永遠に楽しませるであろう

      [13ページの図版]

      地球は計り知れない科学“実験室”である。今それは人間に楽しみを与えるものを数多く供給している。楽園の地において,それは人間の永遠の楽しみのために何を供給するであろうか

      [14ページの図版]

      どちらを向いても一致と友情,もてなしと寛大さに面する時,生活ははたして退屈なものであろうか

  • 聖書は家族の一致を促す助けになる
    目ざめよ! 1976 | 10月8日
    • 聖書は家族の一致を促す助けになる

      今日,聖書の助言を自分たちの生活に当てはめようとしないために,重大な問題に直面している家族は少なくありません。しかし,ひとたび聖書の助言を当てはめるようになると,良い方向への驚くべき変化が現われます。

      スペインに住む,ある男の人はこう語っています。「この世でのわたしの経済状態はかなり良いものでした。わたしが経営していた広告代理店は非常に繁盛していました。しかし,わたしの結婚生活は姦淫のために悲惨な状態にありました。わたしたち夫婦は別々の生活をし,“不貞”の日を定めることまでしました。妻の予定の日になると,わたしは留守番をして,二人の子供の世話をし,わたしの番になるとその反対のことが行なわれました。しかし,そうした状態がいつまでもうまく続くわけがないことに気付きました。わたしは自分の生活を正したいと思い,神に助けを求めました。すると,助けは全く思いもよらないような方法でもたらされました。

      「わたしが他の友人たちとある画家のアトリエにいたとき,一人の友人が腕時計に目をやって,こう言いました。『さあ帰らなければ。家でエホバの証人が待っているんだ』。わたしは,『それは何のことだ』と尋ねました。その答えに興味をそそられ,わたしは話を聞くために,その人に付いて行きました。そこでわたしの近所のエホバの証人に連絡が取られ,わたしと妻は研究を始めました。わたしたちは少しずつ自分を変化させ,道徳的な面だけではなく,望ましくない接触を避けるために,広告会社を離れるところまでゆきました。エホバに感謝すべきことに,わたしたちの家族は今や一つに結ばれています」。

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