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法と秩序を求める声目ざめよ! 1970 | 1月8日
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法と秩序を求める声
今あなたは,20年前,否,5年前と比べてさえ,自分の安全を脅かすものがより大きくなったと感じますか。暗くなってから街路を歩くことを,前より不安に感じますか。お子さんの身の上を,以前より心配されますか。家の戸じまりの必要を,昔よりも意識されますか。
今,世界のたいていの人は,このような質問に肯定の答えをします。いたる所で,犯罪や暴力行為がふえ,人の身に及ぶ危険が増大しているからです。
なるほどあなたご自身は,賊に襲われたり,暴行を受けたり,強盗に会ったりしたことがないかもしれません。しかし,そのような経験をする人はしだいに多くなっています。
このことは大都市において特にそうです。タイム誌はこう述べました。「夜間に街路を歩いて少しも不安を感じないような大都市は一つもないであろう」。ある人は,1969年5月20日付ニューヨーク・タイムズ紙に寄せた手紙の中で,こう書いています。
「わたしたちの町において,襲撃事件が毎日何百件,何千件と起きていることを知り,わたしは,自分と仲間のニューヨーク市民の置かれた状態に,深い悲しみを感じます。……
「冷たくとがった鋭い刃物を,顔からわずか数センチのところに突きつけられた経験のある人なら,人間的な信頼感をいだいて見知らぬ男の顔を見ることはもうできなくなるでしょう。わたしはそのような経験を2度もしました。この町で夜間に出歩く人は,敵地にひとり残された兵士のような恐怖を感じ,時には白昼にそうした気持ちになることさえあります」。
これに暴動,学生の騒乱などを加えれば,最近の一調査において,その対象となった人の81パーセントが,「法と秩序は乱れている」ということばに同意した理由もうなずけるでしょう。このことは地上のどこの国でも,おおむね似たような状態になっています。アメリカのコロンビア放送会社社長は語りました。
「社会の規律はくずれつつある。……この混乱ぶりは悲惨であるが,ジェームズ・レストンが書いたとおり,『今日の世界で最大のできごと』となっているのだ」。
同社長はまた,問題をつきつめれば,「法と秩序を守るかどうかというごく簡単な事柄」になると述べました。
法と秩序。今日,人々が叫び求めているのはこれです。しかし,法と秩序が守られるとはどういうことですか。多くの人,そしておそらくあなたにとっても,それは,襲撃,強盗,強姦などの不安を感じずに街路を歩けるような状態を意味しているでしょう。それは自分の家財や仕事を人にそこなわれないような状態でもあるでしょう。
しかし,すべての人がそのように考えていますか。
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ある人は法と秩序をどう見るか目ざめよ! 1970 | 1月8日
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ある人は法と秩序をどう見るか
現在の法と秩序は実際には自分たちの益になっていないと感じている人が少なからずいます。そうした人は単なる路上の安全や資産の保障以上のものを求めています。
たとえば,アメリカ,テキサス州ヒューストンのクロニクル紙は,「若者の中には,法と秩序ということばを不快に感じている者もある」と伝えました。多くの若者は,自分たちよりも年配の世代が造り上げた周囲の世界に反発しています。USニューズ・アンド・ワールド・リポート誌は,そうした反発の理由の一つを次のように述べました。
「戦死した者の約半数は,たいていの州においてまだ選挙権も与えられないような若者であった。年齢別に見ると,20歳の戦死者がいちばん多かった。……そうした若者のほとんどは職業的な軍人ではなく,軍服を着てまだ一,二年にしかならない者たちであった」。
自分たちが制定せず,また承認もしなかったにもかかわらず,自分たちが殺し,殺されることを求める法律に対して不満を感ずる若者が多くなっているのです。そうした若者はその種の法律を不当なものと見ています。
社会の少数者グループも現行の法と秩序に対して異なった見方をいだいているでしょう。ニューヨーク・タイムズ紙はアメリカの黒人の多くについてこう伝えました。「アメリカでの法と秩序の維持が強調される場合,黒人はそれを,自分たちの犠牲においてなされるものと見ている」。それで彼らが求めているのは,彼らに対して社会正義と機会の均等とを実現する法と秩序です。
また,貧しい土地に住む人々は,自分たちが圧迫されてやせた狭い土地に拘束され,経済的な隷属状態にあるのは,現行の法律のためであると感じています。
またある人々は,たとえそれほどの貧困を経験していなくても,ある種の法律を不当なものと感じています。たとえば,自分がかなりの所得税を払っているのに比べ,富裕な人々が免税項目への投資によって,ほとんどあるいは全く所得税を納めていないのを見るかもしれません。また道路の指定された側とは反対の側に車を止めて罰金を課せられた人もいます。十分な駐車地がなく,そこがただ一つのあいた場所であったのかもしれません。こうした事柄がいろいろ重なって不満がつのり,反抗気分になる人々もいます。
今日,物事の行なわれる方法に何か欠陥があることは明らかです。今日の世界の状態に対しては,至る所で不満が増大しています。どうしたら解決できますか。法律をいっさいなくし,秩序を全く無視してしまうことですか。そして,すべての者が自分の好むままに行動することですか。これは無政府状態,つまり全くの混乱に終わるでしょう。そうした状態を望む者はまずいません。なんらかの法が必要であり,なんらかの秩序が存在しなければなりません。
しかし,問題は,だれの法,まただれが定める秩序を求めるかということです。法と秩序が守られ,しかもすべての人に真の正義と平等を実現するような体制が存在しますか。では,今日までにどんなものが試みられてきましたか。人間が造り出したさまざまな体制は成功してきましたか。人々は問題の解決策を持っていますか。もしそうでないとすれば,だれが解決策を持っていますか。それはどんな解決策ですか。
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人々は解決策を持っているか目ざめよ! 1970 | 1月8日
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人々は解決策を持っているか
今日増大する不法に対してどんな解決策が提出されていますか。
ときに提案されることの一つは,もっと力を行使せよということです。「警察力を増強し,刑罰を重くせよ」と叫ばれています。
犯罪者が自分の悪行に対してなんらかの刑罰を受けるべきことを,正当に否定できる人はいないでしょう。聖書は,神が,ご自分の民であった古代イスラエルに対し,悪行者に対する刑の規定を含む律法を与えたことを述べています。その中には死刑も含まれていました。(民数 35:31。出エジプト 22:1-6)そして,今の時代にあって取り締まりを緩和するならば,事態はさらに悪化することが予想され,これを否定できる人もいないでしょう。
それで問題点は,今日の人間社会における法律的な取り締まりを強化すれば,犯罪の上げ潮を食い止めるのに効果があるかということです。
取締当局は問題を解決できるか
犯罪の増加に伴い,多くの土地では警察力が増強されています。しかし,警察力による犯罪の防止は,公衆の協力に依存するところが大きいという点を忘れてはなりません。今日,多くの土地において,警察に対する協力は最低の状態になっています。これに加えて,警察官自身も,心を腐敗させる誘惑的なさそいを受けやすいという立場にあります。
今日,警察力を増強することは,安全を守るという点でどの程度効果があるでしょうか。タイム誌1969年6月3日号がニューヨーク市について伝えた次の事柄は,あなたにとっても興味のあるものでしょう。
「同市の一区画ごとに警官を配置し,1日24時間パトロールさせるとすれば,年間250億ドルの費用がいる。これは[アメリカ]国防省の年間総予算の3分の1にあたる。
「これが可能であるとしても,それによって犯罪を食い止めることはできないだろう,と警察当局者は語っている。犯罪の過半は,住居,飲食店,建物内部の通路,エレベーターなど,警察官がパトロールしない場所で起きているからである」。
問題のむずかしさを認めた,アメリカ全国犯罪委員会の前委員長ジェームズ・ボレンバーグは,「単に法律を執行しても完全には処理できない犯罪行為が多い」と語りました。なぜですか。
なぜなら,法律の執行だけで,人の誤った欲望や憎しみの感情を正すことはできないからです。それは人の基本的な態度を形づくるものではありません。考え方の基本が誤っている場合,法律を執行するだけでそれを矯正することはできません。
また,法律を執行するだけで,不正,偏見,貧困などを取り除けるわけではありません。それは貪欲な人を寛大にならせ,ごう慢な人を謙そんにならせるわけではありません。法律を執行するだけで,不満や犯罪の原因となる状態をなくせるわけではないのです。
政府は何をできるか
地方当局者よりは大きな権力を持つ国の政府は問題を解決できますか。国々の政府はどんな実績を残していますか。
たとえば,諸国家の政府は相互の間に平和な関係を保ち,なんらかの問題が生じた場合でも,正当な原則に従い,秩序だった仕方で解決してきましたか。あなたご自身がその答えを知っておられます。1914年以来,諸国家は破壊の程度において先例のない大戦争に介入してきました。そのために,1億以上の人が殺され,またけがをしてきたのです! 家屋その他の資産に与えた損害は膨大な額に上ります。どの国も敵国に対する憎悪をあおりたててきました。それは自国の国民にどんな影響を与えてきましたか。それは国の法と秩序に対する敬意また忠誠心を育てましたか。ルック誌はこう答えます。
「世界の諸国民は,一般公衆もその指導者も,他の人間に対してなされるいかなる暴力行為をも正当化するすべを常に心得ているようである。……容認された暴力行為の存在することが,法と秩序に対する人々の尊敬心をすり減らしている[もしくは,むしばんでいる]ことは確かである」。
オランダのワールド・ユニオン誌1969年5月号は,国際連合についてこう述べました。
「国際連合……は,国際的な秩序の確立という点でなんら成功を見ていない。その創設以来,我々は人類史上最も気違いじみた軍備競争を目撃し,第三次世界大戦の絶えざる脅威の下に生きてきたのである」。
そうした軍備競争のために毎年巨額の資金が投ぜられているのです。
諸国の政府が問題を解決していないことは明らかです。そうした政府内の人個人がどれだけ誠実であるとしても,政府そのものは,法と秩序が十分に守られた,真の安寧をもたらし得ないことを示しています。
経済体制についてはどうか
経済状態が改善されれば不法は必ず減ると言えますか。決してそうは言えません。やや逆説的ながら,世界の富裕国は最高の犯罪率を示しているのです! そして,豊かな国における少年犯罪の増加は当局者を大いに悩ませています。カナダ国立銀行の定期刊行物マンスリー・レター1969年3月号は次の点を認めました。
「経済上の繁栄と並行する犯罪増加は,カナダ国民に容易ならぬ問題を提起している。貧困は犯罪を生むというのが通説であったが,カナダ国民はこれを修正しなければならない事態に直面している。つまり,裕福なことも犯罪の温床になりやすいことを認めねばならないのである」。
世界の経済体制は,犯罪の一因となる,人の不満を決して減少させていません。買い物をしなれているかたなら,最近の物価が絶えず上昇していることを知っておられるでしょう。国民の所得に対する税の割合も終始高くなっています。この経済上の圧迫は人々の不満を助長しています。所得税をごまかす人や,万引き行為が著しく増加していることに示されるとおり,ある人々はこうした経済上の圧迫に対し,犯罪的な行為で答えています。
自らほとんど不断の危機をかかえている世界の経済体制に救いをあおぐのは,実際的なことですか。国際的な経済危機がひん発していますが,一危機が過ぎた時,ニューズウイーク誌は,「世界の微妙な金融機構は大混乱のせとぎわに立って再び動揺した」と述べました。金融問題の権威者アルバート・ハーンは,世界の経済体制について,「この体制がいつの日か崩壊することはまちがいない」と語りました。これが安定した社会の基盤となり得るでしょうか。
世界の諸宗教はどうか
では,少なくとも世界の幾つもの宗教組織は,法と秩序の守られた平安な社会に向かって人々を導いていますか。
キリスト教世界の諸教会についてはどうですか。今日,わたしたちは,暴力,政治への介入,婚前性交,また淫行や姦淫をさえ許容し,弁護する牧師がしだいに多くなっているのを見聞きしています。そして教会そのものは論争や反抗のために分裂している場合が少なくありません。
その上,M・マーティーが「有用な将来の探求」の中で述べたとおり,「世論調査的な結果からすれば,人道また倫理上の重要問題に関し,クリスチャンは非クリスチャンとの差をほとんど失っている」のです。それゆえキリスト教世界の諸教会は,自らが“異教徒”と呼ぶ人々と比べ,なんらまさっていません。
キリスト教国諸教会の力が衰えている原因の一つを指摘して,USニューズ・アンド・ワールド・リポート誌はこう述べました。
「世界におけるキリスト教の威信がはなはだしくそこなわれたのは,キリスト教を奉ずるはずの国民が,国際変革の手段として,くり返し暴力に頼ってきたためである」。
しかし,戦場であるいは暴動や反抗に携わって互いに戦い合ってきたのは,キリスト教国諸教会の信徒だけではありません。キリスト教以外の宗教の人々も実質的に同じことをしてきました。回教徒は他の回教徒と,仏教徒は他の仏教徒と,そしてヒンズー教徒は他のヒンズー教徒と戦ってきました。
法と秩序の守られた真の安寧は,人々の心に根ざすものでなければなりません。世界の諸宗教は人々の心を教え導く者と自負してきました。したがって,社会の法と秩序が崩壊していることに対する主要な責任は,そうした宗教組織の歩みに求められるのです。世界の諸宗教は,真に道義的で平安な社会に向かって人類を導くという点で失敗してきました。
科学は答えを与えるか
科学は秩序ある社会の基盤となりますか。
科学技術の進歩は幾多の機械と道具を作り出し,人の喜ぶところとなっています。しかしそれとともに出現したのは大都市であり,大都市は今や行き悩み,さまざまな問題の集中するところとなっています。科学は高速の運輸手段をも生み出しました。しかし今,空,および陸上の交通はもつれて多くの問題を生み,毎年幾千幾万の人が事故で死んでいます。
また水と空気,そしてわたしたちの食物をさえ徐々に汚染している物質や機械類はどこから来ていますか。そして,この時代に幾千万の人々を殺した破壊的な兵器はどこから来ましたか。科学からです。
科学は人間を月に送ることをさえ可能にしましたが,そのための費用はまさに莫大なものでした。その一方においては,幾千の人々が日ごとに餓死し,都市は混乱し,犯罪は著しく増加しています。
科学は人類にとって真に重要なそして最も緊急な問題を解決していると言えますか。実際は,アムハースト大学のH・S・コメイガー教授がサタデー・レビュー紙の中で述べたとおりです。「科学技術が空前の進歩を見た世代の末に,人類は,飢餓がより広範囲になり,暴力的な傾向がいよいよその度合いを強め,人間の生活がいっそう不安定になったことを知った」。
また,オーストラリア,メルボルンのヘラルド紙は,科学の進歩が人類を導く方向に関して次のことを伝えました。「その発明によって米国原子力潜水艦の父と称せられるハイマン・リッコーバー海軍中将は,……科学技術はその活用が正しく制御されないなら,『フランケンシュタインのごとく,その考案者を滅ぼす結果にもなりかねない』と警告した」。
ここに人間のあわれむべき記録があります。幾世紀にもわたる機会があったにもかかわらず,人間は真の正義と平等,また平安と秩序のある社会をもたらし得ませんでした。人間は問題の解決策を持たないのです。
それはなぜですか。人間のもくろみが失敗してきたのはなぜですか。今日の社会秩序の乱れは実際には何を意味していますか。
[7ページの図版]
抗議!
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社会秩序の崩壊は何を意味するか目ざめよ! 1970 | 1月8日
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社会秩序の崩壊は何を意味するか
確かに,社会秩序の崩壊したことは,人類史上の他の時期にもありました。ローマ帝国の衰亡期には,それが大きな規模で起こりました。今日の犯罪と暴力を『ごく正常なもの』とみなし,『歴史はくり返すのだ』と論ずる人がいるのはそのためです。
しかし,今日の社会秩序の乱れにはそれ以上の意味があります。それは単に一か国の問題ではないのです。地上のすべての国で,社会のあらゆる要素がこれほどの崩壊を同時に経験したのはかつてないことであり,問題の担当者はその点を悟っています。
しかしこれは人口の増加と報告方法の進歩のためであると言う人がいます。それはほんとうですか。
人口の増加と報告方法の進歩のためですか
社会秩序の乱れが単に人口の増加によるものならば,犯罪の増加は人口の増加とほぼ同じような比率を示しているはずです。実際にそうですか。
フランスの事情について,フィガロ紙は,「少年非行は1955年以来4倍に達した」と述べました。しかし,その間の少年人口は増加していないのです。スウェーデンの場合,犯罪は人口の12倍の速さで増加しています。ドイツにおいては10倍であり,アメリカについて見ると,1960年から1968年までの8年間に,犯罪は人口の11倍もふえました。そして,1968年1年間だけについて見ると,犯罪は人口の17倍の速さで増加したのです!
警察当局者によると,犯罪の過半ではないまでも,その多くは報告されていません。この点も考えてください。報告件数の3倍の夜盗が起き,それを上まわる強姦事件の起きている場所もあります。そして,ある種の犯罪については全体の10分の1しか報告されていない都市もあります。
人口の増加と報告方法の進歩がほんとうの理由でないことは,AP通信の次の報道に述べられています。
「アメリカ連邦検察局のJ・エドガー・フーバー長官は,きょう,青少年人口の大幅な増加,および警察当局の資料の完備をあげて米国の犯罪問題を軽視する人々を強く非難した。……同長官によると,『犯罪統計の背後にある恐るべき事実を言いのがれ』ようとする者は必ず失敗に終わる」。
ただ“犯罪分子”だけの行動か
こうした不法な傾向に加わっているのはいわゆる“犯罪分子”だけであると考えてもなりません。アメリカ,フィラデルフィアのサンデー・ブルテン紙はこう伝えました。「犯罪の大部分は,上等でこぎれいなシャツを着て毎日職場に通い,昼食時には職場の食堂や町のレストランに集まって,社会の不法と無秩序ぶりを責める人々によってなされている」。
同じ新聞は,“卑しからぬ”とされる人々が,凶器を持って侵入する強盗などの何倍もの商品や金銭を,自分の職場から盗み出していることを示しています。アメリカの場合,この種の人々が会社から盗み取った金品は年額40億ドルに達し,外部から侵入するいわゆる“犯罪者”が盗んだ5,300万ドルの70倍以上に及んでいます。
それで,問題に関係しているのは常習的な犯罪者だけではありません。盗み,不正,また暴力に訴える傾向などは,人類家族の大きな部分に浸透しているのです。
明白な一つのこと
この広範囲な秩序の乱れには一つの明白な意味があります。政治評論家ディビッド・ローレンスはその点をこう述べます。「我々は言いわけを求めれば求めるほど,地上の不幸が,人間によるものであることを認めざるを得ない。我々の根本的な弱みは,自らを治めるという問題を,いまだに解決していないことである」。人間は自らを治めるという点で成功していないのです。
確かに人間は知的な面ですぐれた能力を備えています。人間は驚くべき機械を発明し,大洋の底を探検し,月にロケットを打ち上げました。しかしその知恵と判断力をもってしても,人間は人間どうしの関係を正しく保つという点でうまくいっていません。
人間はまだ十分な試みをしていない,とは言えません。歴史は,これまで数千年にわたり,人間が行なう支配という面で,考え得るかぎりのものが試みられてきたことを示しています。それで,いま少しの時間が必要であると論ずることはできません。そして,人間の企てにおいて成功を期待すべき時代があるとすれば,それは今の時代です。ところが今日,人間は,秩序の維持という点で最悪のものを経験しています。
どこに頼るべきか
失敗の明白なものに導きをあおぎ続けるのは分別のないことです。わたしたちはどこかほかの所に導きを求めねばなりません。
しかしどこにですか。人類がかかえる諸問題の解決は,人間を創造されたかたにあおぐべきではありませんか。人間のかかえる問題が最初に始まった時,今日のわたしたちはだれも生きていませんでした。しかし創造者はその時にも存在しておられました。創造者は今日の危機に至ったすべての経過を見てこられました。確かに人間の創造者は今の人類社会が崩壊過程にある理由を最もよく知っておられます。そしてそのための解決策をも知っておられるのです。
またわたしたちはその解決策がどんなものかといぶかる必要もありません。神はその重要な知らせを,それを誠実に求める人すべてが学べる形で備えられました。その真実で納得のゆく解答は,人類家族を導くためのものとして神が霊感の下にしるさせた聖書の中に収められています。『聖書はすべて神の霊感によるものであり,物事を正すのに有益』な本です。―テモテ後 3:16,新。
人間が失敗する理由
神に創造された人間は,自分の創造者なる神から離れて自らを成功裏に治める権利また能力を与えられませんでした。聖書はこの点を明確に示しています。エレミヤ記 10章23節(新)はこうです。「地上の人間の道は人間が決めるもので(は)ない……自分の歩みを定めることさえ,歩く人に属してはいない」。
人間に必要な食物を例にしてこの点を説明しましょう。人間が生命を維持するには食物を欠くことができず,神はそのようなものとして人間を創造されました。人間は食物なしでは生きられません。食物を取り入れることをやめるなら,人のからだは衰弱します。
同様に,神は精神面での正しい糧が絶対に必要なものとして人間を創造されました。精神面での正しい糧とは,神の教え,および神からの導きです。人間はそれなくしては健全な生活を営めません。(マタイ 4:4)もしこの導きを退けるなら,人間の行なう物事は破たんを招きます。それは,食物を取らず,あるいは栄養の欠けた食事をするなら,身体的な破局を招くのと同じです。それゆえ箴言 3章5節はこう助言しています。「こころをつくしてエホバにより頼め,おのれのさとりによることなかれ」。
ここに根本的な問題があります。人類は概して神の至上の知恵を無視し,自らの劣った考えに頼ってきました。神の導きに逆らった,わたしたちの最初の先祖の場合がそうでした。(創世記第3章)以来6,000年近くにわたり,民および支配者のほとんどは,同様の行動をとってきました。人間を倫理面で自由な行為者として創造された神は,人間がそうした道を選択することを許されました。しかし,人間は自分の選んだ行為に対する責任を負わねばなりません。
そうした歩みの結果はわたしたちの目の前にあります。それは「人が人を治めて傷つけた」という聖書のことばどおりです。(伝道 8:9,新)神の導きから離れた人間の支配は破たんをもたらしました。それは不可避なものでした。神は人間が勝手な道を求めるという悲劇的な経験を許されましたが,同時にその期限をも明確に定められました。神は不法な事態が無制限に続くことを許されないのです。―エペソ 1:10。黙示 11:18。
今日の崩壊が真に意味するもの
今日,全世界に見られる法と秩序のはなはだしい乱れには重大な意味があり,聖書はその点を明示しています。つまりそれは神から離反した今の事物の体制が,神の許された期限の終わりに近づいたことを示しているのです! この事物の体制はその最期を迎えようとしています。
聖書に頼って物事を判断しない人々でさえ,世界が大詰めを迎えようとしていることを意識しています。ノーベル賞を受けたハーバード大学のジョージ・ワルド博士は,1969年4月9日付,カナダ,ビクトリアのデイリー・タイムズ紙の中でこう述べました。
「過去数年の間,わたしは何事かがはなはだしく誤っていることを感じてきた。この意識はしだいに強くなり,ことしは昨年よりずっと強く感ずる。……我々は大きな決定の時期に来たと思う。それは単に我々の国,また人類全体だけではなく,地上の生物全体にとってである」。
英国の大学教授フレッド・ホイルは,社会は「すでに崩壊しはじめている」と警告しました ― 69年3月4日付,メルボルンのエイジ紙。
これこそ,神の許された人間による支配が終わりを迎えた時に起こる事として,聖書が予告していた点です。テモテ後書 3章1節(新)は,「終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来るであろう」と予告していました。
聖書預言の成就となったすべての証拠は,「終わりの日」が1914年に始まったことを示しています。タイム誌1968年8月30日号は,「20世紀の運命を決定した最大の年は1914年であった」と述べました。第一次世界大戦のぼっ発によって,現在の体制は人間による支配の最終期にはいりました。史上最悪の秩序崩壊が始まったのです。以来,それはしだいに度合いを強めてきました。
この「終わりの日」のしるしとして聖書があげる事柄をご自身でお読み下さい。テモテ後書 3章は細かな点を述べています。マタイ伝 24章はイエスの語られたしるしについて多く述べています。その一つは,「不法が増す」ことであり,わたしたちは至る所にそれを見ています。―マタイ 24:12,新。
しかし,「終わりの日」に生きているということは,前途に希望がないという意味ではありません。正義と公正,また法と秩序の守られる良い状態が決して実現しないという意味ではないのです。
むしろ,その正反対であり,今日の全世界的な秩序の混乱は,誠実な人々の待望する健全な状態の実現が近いことを示す明確な証拠なのです!
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